2.鏡の国(?)の亜里砂
次に亜里砂が見たのは、満天の星空だった。
亜里砂が最初に危機感を抱いたのは、この星空を見た時である。
ただし、その危機感は「母さんに怒られる」であった。
亜里砂は母親に、もう遅いからあまり遠くに行くな、もうすぐご飯なんだから、と釘をさされつつ、尻尾ふるセラフにリードつけて散歩に連れ出したのだ。
夜中になって家に帰ったら、どれだけ怒られることか。もし父親が仕事から帰っていれば、こちらの小言も聞くハメになる。
「急いで帰らなきゃ――え?」
星空は、頭上にだけ、広がっていたのではなかった。
前にも後ろにも、上にも下にも、亜里砂の周囲のすべてが、星空だった。
勉強は得意でない亜里砂も、それが何を意味するのかぐらいはわかっている。
ここは、宇宙だ。
「やばっ、息できない!」
亜里砂は手で口を押さえた。
息を止め、キョロキョロと周囲を見回す。
息が苦しくなったので、手を放す。
すぱーっ。二酸化炭素成分多めの息を吐いて、そして吸う。
「……息できるじゃん」
亜里砂の知るかぎり、宇宙は真空で、息ができないはずだ。
ここは宇宙ではないのだろうか。
それともここは亜里砂版の『鏡の国』なのだろうか。
「チェスでも将棋でも、囲碁でもなさそうだなー。ここってスマホのゲーム?」
そこまで考えたところで、大事なことを思い出す。
「セラフ! セラフ、どこ?」
いない。
だが、手首には犬のリードがある。引っ張る。抵抗がある。
見ると、紐が途中で消えていた。
切れているのではなく、消えている。
引っ張ると、何かに引っかかってる手応えがある。
強く引っ張ってセラフに怪我をさせては、と迷いはしたが、見えぬまま放置する方が危ない、と思い直した。
ぐっ、と力を込める。やはり引っかかってる。引っ張る力を少しずつ上げ、下げ、そして一気に引く。
ずぼっ。
狭い場所を抜ける手応え。やった、と思ったら。
目の前に、デカくて銀色のものがあった。
「どわーっ?」
細長い先端、鋭い翼、太いノズル。
同じクラスの男子が、ときどき、ノートに描いているのでわかる。
アニメとかゲームとかによく出てくるメカだ。
「これ、戦闘機? 戦闘機って、こんなデカいの?」
犬用のリードの先につながっていたのは、見たこともない戦闘機だった。
ぱっと見、国内線の旅客機ぐらいのサイズはありそうだ。
「なんで、セラフのリードに、戦闘機がつながってるの? セラフはどこ?」
亜里砂の疑問に、頭の中で声が答えた。
『ママ! 亜里砂ママ! セラフだよ!』
「は?」
『だから、アタシ! セラフだってば! わかんないの、ママ?』
「え?」
亜里砂のセラフは、彼女が小学校の時に生後三ヶ月で家にきた、毛むくじゃらで可愛いワンコだ。
銀色の塗装で、ノズルのついたでかい戦闘機では、決してない。
「いやいや! そもそもセラフはしゃべんないし! しゃべるとしてもオスだし! しゃべり方がおかしいし!」
『だってアタシ、タマ抜かれて去勢されちゃったもの』
「そりゃそうかもしれないけど――って、マジで? マジでセラフ?」
『そうだよ。そう言ってるじゃない!』
「ならなんで、戦闘機になっちゃったのよ!」
『よくわかんない』
「もー、肝心なところで頼りないわね」
亜里砂は頭を抱えた。
『亜里砂ママ! たいへんよ!』
「何よ?」
『敵が近づいてくる!』
「敵ぃぃぃ? 何よそれ、勝手に戦いに巻き込まれるのはゴメンなんですけど」
『いいから、これ見て! これ!』
視界に、映像が重なる。
戦闘機になったセラフが、センサーで把握した遠方の宇宙の映像だ。
黒く、平べったいものが二匹、近づいてくる。
形状といい、動きといい、亜里砂がよく知るアレそっくりである。
無音のはずの宇宙なのに、カサカサという音が聞こえてきたくらいだ。
「よし、敵だ」
『でしょ!』
Gは滅ぼす。
慈悲はない。
よくわからないまま、亜里砂は最初の宇宙戦闘へと突入した。