13.小惑星の秘湯(前編)
奥の部屋には、三人の女性がいた。
アンドロメダと、見知らぬ顔が二人。いずれも、髪の色は薄く、肌の色は濃い。
「亜里砂さま、ご紹介します。〈アルニスCG8〉の円環司のホリウスと、馳司のライアです」
「あ、新吾妻高校一年三組の夜空司です。こっちは、同じ組の海堂……海堂くん」
「……巧、海堂巧だ」
「もー、おこんないでよー」
「おこってねえよ」
亜里砂がドローンの丸い部分をペチペチと叩いて謝る。
海堂は面倒くさそうに返す。
「アンドロメダ、秘宝は手に入れたよ。ゴルゴーンってやつ」
「さすがは、亜里砂さまです」
亜里砂の言葉に、アンドロメダは顔を輝かせ、ホリウスとライアが顔を見合わせる。
ホリウスは少し年長で背は低く、目がくりくりしている。
ライアはアンドロメダや亜里砂に近い十代半ばで、眠そうな目をしている。
「まさか……ゴルゴーンを? 本当にブラックホールから回収したのですか?」
「ペルセウス号を動かせただけでも、ビックリしたのに。元素変換システムまで。驚愕の二乗」
「だから私が言ったでしょ。碑文字の導きに間違いはないって」
驚く二人に、アンドロメダが得意そうに言う。
「でも、そういうことなら――」言いかけて、ライアがホリウスを見る。
ホリウスがうなずいて後を引き継ぐ。
「アンドロメダさま。それならば宇宙怪獣退治のリスクを負う必要はありません」
「何を言うの、ホリウス! 故郷を見捨てろというの?」
「はい。すでに〈アルニスCG8〉は抜け殻のようなものです。持ち出せる施設と私財はすべて運び出しました。守らねばならぬほどの価値は、ないのです」
「七千の民がいます! 私には彼女たちを守る義務があります! あなたは彼女たちの命に価値がないとでもいうのですか!」
アンドロメダの言葉にライアが「あ、やべ」と呟いた。
ホリウスがきっ、とアンドロメダをにらみ、火を吹くような口調で言う。
「七千の民は! 残りたくて残っているのではありません! 受け入れる先がないので、仕方なく、何もない不便な〈アルニスCG8〉に残っているのです!」
「……」
「ペルセウス号と元素変換システムが手に入ったのなら、宇宙怪獣を倒すのではなく、そのふたつをうまく使って残った七千人のための現実的な方法を考えるべきです。場合によってはこのふたつを売却してもよいでしょう」
「それは――でもっ!」
アンドロメダとホリウスが睨み合う光景を、亜里砂はしばらく眺めていたが、つんつん、と傍観しているライアに聞く。
「あの二人、仲悪いの?」
「ううん。ホリウスさまはアンドロメダさまの乳母で、育ての親。仲はいい。でも、最近はああやって対立することが多い。みんな心配してる」
「ふーん」
亜里砂は床に落ちていた袋を拾うと空気を入れて膨らませた。
そして、思い切り強く叩く。艤装状態の亜里砂の掌に挟まれて袋が破裂し、大音響を響かせた。
ぎょっとしてアンドロメダとホリウスが黙り、亜里砂を見る。
「はい、みんな注目ー」
亜里砂は平然としている。
「お宝を取ってきたのは私です。それとペルセウス号って、海堂くんのことだよね? 海堂くんはモノじゃないよ。私の……クラスメイトなんだから、売ったりするのはナシだからね。なので――」
亜里砂は大きく息を吸い、手をあげて宣言した。
「疲れてるので、みんなで一緒にご飯食べて、今日はもう寝ちゃうことを要求します。あ、その前にお風呂! お風呂入ろうよ! さすがに海堂くんの中でシャワーは無理だし! トイレだってできるだけ我慢してるんだし!」
「トイレとシャワーの部屋のカメラは切ってあるぞ」
「それでも無理! わかれ!」
「わかんねえよ」
「わかります」
口を挟んだのは、アンドロメダだった。
「オス人間の中で亜里砂さまが排泄行為だなんてとんでもありません。きっとオス人間のことです、カメラは切っていても、床や壁の微弱な震動から、亜里砂さまの排泄の音を再現して聞きほれているに違いありません!」
「しねえよ! どんな変態だ、それっ!」
「海堂くん……は、犯罪だからね、それ。日本で捕まったら宮刑になっちゃうんだからね?」
「日本に宮刑はねえよ! それと、秦の始皇帝でもそこまで法律厳しくねえよ!」
「まあまあ」
眠そうだった目を少し大きくして、ライアが割って入る。
「ペルセウス号のスペックなら、床や壁の震動に頼らずとも、空気分子の動きから逆算して室内での人の動きをシミュレーションで再現することも可能のはず。私にプログラムのお手伝いをさせてもらえるなら、今からでも可能」
「ひっ――」
「あんたも余計なことを言うな! 夜空がマジで怯えてるじゃないか! そしてアンドロメダ! お前も『その手があったか』みたいな顔してんじゃねえ!」
それまで黙っていたホリウスが、ずいっ、と海堂の入ったドローンに近づく。
「海堂といいましたね。アンドロメダさまは〈アルニスCG8〉の王女。無礼な物言いは許しませんよ。そもそも男が栄光ある王家の船、ペルセウス号に乗り込むなど、あってはならぬこと。ライア、馳司としての仕事です。人格素子から男性部分を去勢しなさい」
「それ、人格丸ごと消えそうなんだよね。まあ、やってみてもいいけど」
「やるな!」
大騒ぎの後、女性陣が入浴できるだけの風呂場をすぐに作れるのは海堂が動かす宇宙艇=ペルセウス号だけということになり、風呂を沸かすかわりに罪を許すことになった。
風呂場は避難小屋の外に作られることになった。
外は真空の宇宙だが、ペルセウス号のフィールドで周囲を包み、気密と電磁波シールドを行う。亜里砂が艤装モードを解いたので、ペルセウス号は避難小屋の外に停泊している。
「罪を許すっていうけど、そもそも何の罪だよ。おれは何もしてないぞ」
「男ということが罪。原罪」
「そんな哲学的な罪を押しつけられてもなぁ……よっと、このくらいでいいか?」
「うん」
二人の目の前には、宇宙艇で雪玉から蒸留し、ゴミなどを取り除いた水がぶよぶよとした大きな水玉になっている。
無重力で風呂を湧かす仕事は、技術的な手伝いが必要ということで、ライアが海堂=ドローンについてきた。
アンドロメダもホリウスも、男というだけで警戒心を露わに海堂と接するが、ライアだけは好奇心が先に立つようだ。
「この水玉、ほとんど無重力だから今は浮いてるけど、時間たったら落ちて壊れちまうぞ?」
「大丈夫。そこでこのジェルを混ぜる」
ライアがチューブを取り出し、水玉に口を差し込んで、握る。
にゅるっ、とチューブに入っていたオレンジ色のジェルが水玉に混ざる。
「これでこの水玉は多少の衝撃では割れなくなるし、割れて飛び散ってもすぐに元の水玉に戻る」
「便利なものがあるなぁ。さすが未来だ」
「これがないと、口や鼻に水滴が入って危険」
「なるほどなぁ。不思議なものだ」
「私にはあなたの方が不思議」
「なんで? 過去から来たから?」
「亜里砂のように、過去から来るのは、まだわかる。タイムマシンは昔の地球文明なら持っててもおかしくない。理屈はゲートとそう違わない」
「そういうものかね」
「でも、宇宙艇の人格素子に過去の犬や人間が入るのはおかしい。入るだけならともかく、それで長年封印されていたロックが外れて動くのはどう考えても異常」
「そういわれてもなぁ……ていうか、俺の乗ってる宇宙艇。ペルセウス号だったか。こいつは、元はアンドロメダのところの王家の船なのか」
「そう。ゴルゴーンと同じく、混乱期のロストテクノロジー。今の私たちには新しく作ることができない貴重な船」
「え、そうなんだ」
「特に艤装モードと人格素子はブラックボックス。そこに過去からきた一般人が入って動かせるのはおかしい」
「うーん。どこかにもうひとひねりあるってことか」
「気をつけた方がいい。そのひとひねりを入れたヤツが、味方だとは限らない」
「わかった。ありがとう」
「私は、私の故郷とアンドロメダさまのために注意しておく。あなたは、自分と亜里砂のために注意してほしい」
「うん……それはそれとして、湯はこのくらいでいいか? ぬるめなんだが」
「確認する」
そう言ってライアはいきなり服を脱ぎ始めた。
褐色肌の健康的な肢体が露わになる。ほっそりとした胴体にあばらが浮き、背には絶妙な曲線を描く肩甲骨が浮き、肩にはすっと伸びた鎖骨のライン。
「うわわわわっ!」
「うわわわわっ!」
海堂が叫ぶ。
亜里砂も叫ぶ。
海堂が振り返る――ドローンのカメラを後ろに向ける――と、アンドロメダとホリウスと一緒に亜里砂が避難小屋の外に出てきていた。
「わ、夜空?」
「この、すけべええっ!」
がぼんっ。
亜里砂が着替えを詰めた籠で、海堂の入ったドローンを包む。
そして、紐でぎゅうぎゅうと籠の口を締め、床に転がす。
「まったくもう! 男子ってば冗談でそういうことするんだから!」
「俺は無実だ!」
「現行犯でなーにを今さら。そこで反省しててよね」
「うん。湯の温度はちょうどいい。アンドロメダさま、湯の準備できました」
「ご苦労さまです。では入りましょう、亜里砂さま」
「はーい」
「アンドロメダさま。脱いだものを散らかしてはいけません」
――まずい。まずいぞコレは。
海堂はドローンのボディの中で比喩的な意味で頭を抱える。
このボディは、あくまで端末。彼の本体は今、宇宙艇の中にある。
そして、宇宙艇は、すぐそこに浮かんでいるのだ。
そしてもちろん、カメラを始めとするセンサーは、宇宙艇の方が優秀である。
――やべえ。バレたら社会的に抹殺される。
恐々とする海堂=宇宙艇の真下に、小惑星の秘湯があった。