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10.アステロイド障害物競走

 重力勾配がすり鉢のように感じられるブラックホールへ、亜里砂は斜めに近づいていく。

 外側のあたりでは足下の地面が斜めになっているのを感じるくらい。

 中心部に近づくにつれ、急激にくぼんでいて、最後は底なし穴だ。

 走りながら、ブラックホールの周囲をゴロゴロと転がっている小惑星を、ひょいひょいと避ける。軌道がズレていて避けるまでもない小惑星は、ぼんやりとした白黒の薄いグラデーションをしていて、衝突軌道にのると、色が鮮やかについた機雷のイメージになる。

 Gと戦っていた時は、靴に映えた翼で空を飛んでいるイメージだった。亜里砂としては、飛ぶのは楽ではあったが、自分がどのくらいの速度で飛べるのか、今ひとつ分かってなかった気がする。


「これ、速度ってどのくらい出てるの? 私の感覚的には、まだまだ余裕なんだけど」

『艤装モードだと、体感は信じていいぞ。今の速度は、船の性能的に余裕がある。夜空がダッシュして速度を上げれば、船も速度をあげる』

「へー。今はちょっと強めのランニングなんだけど、実際にはどのくらいの速度で飛んでいるの?」

『一〇〇キロメートルくらいかな』

「わーお。車の速度じゃん。とてもそんなに出てるとは思えない」

『何を言ってるんだ。時速じゃない。秒速だ』

「は? 秒速? 秒速って、一秒間の速度?」

『そう。一秒間に一〇〇キロメートル。時速だと三六万キロメートル』

「そんな速度で走って、岩とか避けられるの? 無理でしょ!」

『必要に応じて主観的な時間の感覚が伸びたり縮んだりしてるんだ。宇宙空間の星と星との距離で考えると、秒速一〇〇キロメートルっていっても、遅いくらいだからな』


 地球と月の間がおよそ三八万キロメートル。秒速一〇〇キロメートルで一時間。

 地球と太陽の間が約一億五〇〇〇万キロメートル。秒速一〇〇キロメートルでも、一七日かかる。


「宇宙ってデカいのね」

『デカいんだよ。でも、夜空が言うように、秒速一〇〇キロメートルですれ違う岩の間をすり抜けようってことになると、人間の頭じゃ判断が間に合わない。そこで主観時間を百倍とか千倍とか引き延ばして対処するんだ』

「ほへー。あ、それがあったら!」

『あったら?』

「テストで試験時間が足りないって時にも、すごい便利だよね! 考える余裕ができるから!」

『……見える、見えるぞ。試験時間を百倍に伸ばした結果、問題を解けずに何時間も空白の解答用紙を前にのたうつ夜空の姿が』

「ぐっ……」

『だいたい、時間が百倍伸びたところで英語で記憶してない単語が出てくるわけでも、数学で覚えてない解き方を思いつくわけでもないだろ。普段からちゃんと勉強しとけ』

「いい方法だと思ったのになぁ」


 ひょいひょいと、相対速度が秒速一五〇キロオーバーの岩を避け、あるいは下をくぐりながら、亜里砂が唇を尖らせる。

 海堂は舌を巻いていた。今の彼に舌はないが。

 亜里砂がやってることは、海堂が宇宙艇のコンピュータの力を借りて演算しても不可能な操船だった。ブラックホールの重力に捕らえられた小惑星は、互いに衝突したり、プラズマの流れに押されたりして、軌道を複雑に変えている。

 常に安全な軌道など、どこにもない。一瞬、一瞬ごとに、安全な軌道は変わり続ける。

 それを、亜里砂は臆することなく瞬時に判断し、駆け抜けていく。たいした決断力だった。

 しかし、決断力だけでは足りない。海堂が亜里砂の動きを元に安全な軌道を探れば探るほど、岩の動きを予測すればするほど、どう演算しても、最後は岩にぶつかって遭難する未来にたどり着く。

 〈ヘスペリデスの園〉のブラックホールの大渦は、それほどの難所だった。また、そうでなくては秘宝を封印することもできない。

 では、亜里砂はどうやってくぐり抜けようというのか。


「といやっ、ていっ、タックルーっ!」


 軌道が近く、ぶつからないはずの岩に、亜里砂がぶつかる。岩といっても直径四〇〇〇メートルほどの、言うなれば富士山サイズの小惑星だ。

 富士山に体当たりする女子高生。

 動いたのは、富士山の方。運動エネルギーは速度の二乗に比例する。速度さえ十分に乗っていれば、女子高生でも富士山を動かせる。

 しかしもちろん、その代償として女子高生の方は運動エネルギーの元となった軌道速度を失う。

 軌道速度を失えば、重力に逆らえない。後はブラックホールに飲み込まれるだけ。


『何やってんだ、夜空っ!』


 海堂が仰天して叫ぶ。

 叫ばざるをえない。亜里砂のやったことは、自殺行為すぎる。


「大丈夫、これでいいの! えーと、これだっ!」


 亜里砂は亜空間フィールドの疑似空間に腕を突っ込む。

 疑似空間に格納していた装備を取り出す。

 鎖のついた錨。重力アンカーだ。

 ブラックホールに向かって自由落下しながら、亜里砂は鎖を振り回し、自分が動かした小惑星に重力アンカーを打ち込む。

 鎖がぴんっ、と伸びる。亜里砂の落下の動きが止まる。小惑星と共に動き始める。


『……そうか! この小惑星を盾にするのか!』

「その通り! いっけぇっ! セラフ二号!」

『二号?』

「セラフ一号は犬。二号はこのおっきな小惑星だよ」


 セラフ二号と名付けられた小惑星は、亜里砂に体当たりされた新たな軌道を突き進む。

 軌道前方に、いくつもの岩が立ち塞がる。

 セラフ二号は、岩を粉砕し、突き進む。その背に、亜里砂を守りつつ。


『これなら、行けるか?』

「ううん。これじゃまだ足りない。ゴール前に、でかい門番が立ってる」


 亜里砂の視界に〈ヘスペリデスの園〉の情景が浮かぶ。宇宙艇のセンサーで得た情報を、海堂がわかりやすくまとめたものだ。

 秘宝が封印された場所の前に、灰色の球体があった。長い歳月、ブラックホールの大渦の中にあったとは思えぬほどに表面は滑らかだ。


『でかい門番って、コレか。サイズは五〇〇メートルほどで、この小惑星と比べてもたいしたことがないが……』

「そんなはずないよ。よく調べて」

『いや、大きさは何度チェックしても五〇〇メートル……え、ちょっと待て。何だ、この質量は。あの大きさで地球の二倍の質量があるぞ』


 球体の正体は、縮退物質だ。

 ブラックホールに飲み込まれた無数の小惑星が、長い歳月の間に合体し、歪んだ空間の中で圧縮され、ついには地球の二倍の質量を持つ縮退物質となったのである。


「秘宝はあの後ろ。門番をどかせないと、秘宝にたどりつけない」

『いやいやいや! 無理だろこれは! 押しても引いてもびくともしないぞ! セラフ二号をぶつけても、一瞬で潰れて食われちまう』


 セラフ二号は富士山サイズ。質量も富士山に等しい。

 対して、門番の球体は地球の二倍の質量だ。

 亜里砂がセラフ二号にやったような、速度を上げてぶつける方法も、通用しない。

 セラフ二号をこれ以上加速させる力は、亜里砂にはない。


「海堂くん。ぶつけるのはセラフ二号じゃないし、ぶつける相手も門番じゃないよ」

『は?』

「えーとね。私の頭じゃよくわかんないんだけど、こういうことがしたいの」


 亜里砂は自分のやりたいことを説明した。

 あまりよい説明ではなかった。アンドロメダから受け取ったナノマシンで一時的に処理能力が強化されていても、亜里砂の語彙は二十一世紀の高校生だ。

 しかし、海堂も同じ学校の同級生である。同じ時を生き、同じようなドラマや漫画を見て育っている。

 亜里砂の言葉の裏にある意図を掴み、海堂がうなる。


『あー、うん。なんかわかった。やれそうだ』

「さっすが海堂くん! 頼りになる!」

『調子いいヤツ……しっかしおい、夜空。お前もたいした心臓だな』

「何が?」

『ここまでブラックホールの近くまで突っ込んで、俺ができないって言ったら、どうするつもりだったんだ。突っ込む前に打ち合わせしようとは思わなかったのか』

「ゴメン。私って、考える前に動くタイプだから」

『なんだか、夜空がどういう人間かわかってきたぞ』

「お? なになに、聞かせてもらおうじゃん」


 悪口を言われると思って、亜里砂が身構える。

 しかし、海堂が言ったのはその逆だった。


『お前、本当はすげえ頭いいんだよ』

「へ?」

『夜空は頭の良さに比べて、知識というか、言葉が足りないんだ。だから、説明できないし、先に体を動かす』

「え、いや、そんなことないって! 私、バカだし! お兄ちゃんに言わせるとバカバカだし! テストの点だって悪いし!」

『知識が足りないんだからテストの点が悪いのは当然だ』

「あう」

『でもお前、部活でもすげえいい動きするだろ。周囲を観察して、どうなるか予測して、自分がどうすればいいか判断する能力があるんだ。頭がいいんだよ』

「私……部活でいい動き、してた?」

『おう。練習試合で出た時にな。他のヤツらより、夜空は動き出すのがいつも少し早いんだ』

「……ありがと」


 亜里砂は、はにかんだ笑みを浮かべ、礼を言った。

 艤装モードなので、自分の顔は、海堂に見えていない。

 それが半分残念で、半分ほっとしていた。

 海堂の言葉もそうで、亜里砂は半信半疑だった。

 亜里砂の自己評価は、やはりまだ低い。いくら動き出すのが少し早くても、亜里砂の場合、まだまだ体がついてきてない。言葉にできないから、仲間と連携もうまくいかない。

 動きが早いというのも、頭がいいからというよりは、頭の中身が単純だから早く動けるのではないかと、亜里砂自身が疑っている。

 一年レギュラーというコーチの判断と同じく、亜里砂にとって海堂の言葉は過大評価な気がしてならない。

 それでも。

 それでも、亜里砂の胸の奥に刺さっていた棘を、この同級生は抜いてくれたのだ。


「よし、頑張ろう!」

『そうだな。門番を出し抜けたら、秘宝とご対面だ』

「うん。あ、そうだ。私も海堂くんがどういう人間かわかってきたよ」

『なんだよ。こんな時に』

「いいから。えっとね……」


 亜里砂は口ごもった。

 海堂がどういう人間かはわかったが、どう言えばいいのだろう、と悩む。

 さっきの言葉で、亜里砂は救われた。その点に関して言えば、いい人である。

 しかし、それは亜里砂を救おうとしての言葉ではない。これまでの会話を思い出しても、海堂はどこかマイペースなところがある。たまたま今回は誉めてくれたが、どちらかというと、バカにされている方が多い気がする。そこは気に入らない。

 少し悩んで、亜里砂は言った。


「よくわかんないヤツ」

『なんだそりゃ! わかってないじゃないか!』

「わかってるわよ! わかってるから、わかんないヤツなの!」


 プラズマの嵐と小惑星の障害物競走を、亜里砂は同級生と口げんかしながら進む。

 秘宝までは、後少し。


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