No.91 反感
しばらく周辺を探索して、地図には様々な情報が書き加えられていた。
斥候のための巡回ルートや平原を見渡せる位置、またそこからの視界範囲など、全てが戦術的に必要な情報だ。
だが一番良いのは、この情報が必要となる将来が来ない事だ。
もし必要となった場合、それはすなわち──
「アル、そろそろ帰りましょう」
彼の思考を遮るようにイレーナが提案した。
確かにもう情報は十分集めた。頃合いだろう。
「ああ、そうだな」
アルバートは同意した。
そうして二人が、馬を降りた場所に戻ってみると、そこには誰もいなかった。
森の木陰で休んでいるという訳でもない。
「レーナ、どう思う?」アルバートが訊ねた。
「緊急事態、という訳ではないでしょう」彼女は分析する。
待機させた部下が消えた。戦場なら一大事だ。だが、推測するにこれは事件性のあるものではない。
「あらかた、あのレイトンとかいう男の嫌がらせだろう」
思い返してみても、彼の二人に対する嫌悪感はあからさまだった。
すると、急に彼女が笑った。
「──ふふっ」
「どうした、レーナ?」
「いえ、ちょっと。ドイツでの合同訓練を思い出したので」
前世の事か、とアルバートは記憶を掘り返してみる。かつて所属していた零部隊は世界中を飛び回る「特殊の中の特殊」な部隊だ。世界中の特殊部隊と共に訓練をして技術を共有する事もあった。
「──ああ、アレか。確かに、今と状況が似てるな」
ドイツでの合同訓練。その時は現地の部隊が協力的ではなく、最初は苦労した。
あの時はどうやって壁を壊していったのだったか。
「ともかく、歩いて帰りましょうか」
「二キロあるかどうかだろう? 走るのに丁度いい距離だ」
「──ですね」
二人は向かい合って、朗らかに笑った。
「じゃ、競走だ。強化魔法は無しだぞ」
アルバートがそう言って駆け出した。イレーナも同時にスタートする。
森の中を、木々を右に左に避けて走る。
ちょっとした溝を飛び越え、地を蹴り、跳ねるように突き進む。
森を抜ければ、今度は道沿いを砦に向けて一直線に走った。
◇◆◇◆◇
「どういう事だ! なぜお二人を連れて来なかった!」
砦に戻ったレイトンは、馬小屋に四頭を戻していた。
そこへ、ヘンダーソン指揮官が鬼の形相でやってきて怒鳴りつける。レイトンがアルバートらを置いて戻ってきたことを、見張りの兵が不審に思って彼に報告したからだ。
「知りませんよ、森で木登りでもしてるんじゃないですか?」
「──ッ! 貴様、今回ばかりは本当に独房へぶち込んでやる!」
「いくら近衛騎士だからって、媚びを売る必要はないでしょう。だってアイツらはガキだ──」
「そういう貴様が一番ガキだ!!」
彼の態度にヘンダーソンは我慢ならなくなって、胸ぐらを掴む。そして拳を振り上げた。
「ヘンダーソン指揮官、ただいま戻りました」
だがレイトンを殴る寸前、後ろから声が掛かる。
見れば、入口に件の二人が立っていた。
「お二人とも、お戻りになられたのですね……この度は部下が失礼を──」
ヘンダーソンは、拳を戻してレイトンの分の謝罪をする。だが、アルバートはそれを止めた。
「いやいや、これは我々が頼んだのですよ。帰りは歩きたいから先に戻っていてくれ、と」
にこやかに、穏やかに、ヘンダーソンに対応する。
「彼が僕や彼女をよく思っていないのは分かっています。しかしそれも当然の事。突然やって来た『ガキ』が、突然上官になると言い出して、あげくそのお守りのようなことをさせられる。──僕だって同じ立場なら嫌になるでしょう」
アルバートはちらと、レイトンの方を見る。余りにも直接的に指摘されて、少々バツが悪そうな顔になる。
「だから、構いません。これから認められるよう尽力致します」
アルバートの口ぶり、レイトンの反応。
ふたつを照らし合わせれば、彼がレイトンを庇っているのはヘンダーソンにも明らかだった。
それがアルバートとイレーナの総意であるなら、自分から言うことはない、と判断する。
「お二人の寛大さに感服致します。──レイトン、独房行きは取り消しだ。ありがたく思えよ」
ヘンダーソンは最後に彼を睨みつけてから立ち去る。
馬小屋にはアルバートとイレーナ、そしてレイトンが残された。
「レイトン一般兵。これから二ヶ月の間、よろしくお願いします」イレーナが言う。
「よろしくお願いします」アルバートも。
だが彼は、何も言わなかった。
これはなかなか手強そうだ、とアルバートは思った。
「では、僕達も失礼します」
最後にそう伝えてから小屋を出る。
「──あっ、あの!」
すると、外にはフーブラがいた。彼は申し訳なさそうにして頭を下げる。
「俺がアイツを止められなかったばっかりに、お二人を置いてきてしまって」
「ああ、丁度いい運動が出来ましたよ。馬車でなまっていた体が解れました」
嘘ではない。ある意味真実だ。だからそうおどけてみせた。
それを見て、フーブラは思わず笑った。
「──は、ははっ。やっぱりお二人は強い人だ」
こうしてアラモ砦での最初の活動は完了した。
そしてこれから、波乱万丈の生活が始まることとなる。




