No.58 直前
成人式の準備は着々と進み、あっという間に当日を迎えた。
アルバートはその間に贈る首飾りを買ったし、渡す時に言う台詞などもオンス・ハンクの指導のもとで練習した。
イレーナはドレスを買い、アイナ・シャルルの奨めで口紅を買い、ついでにアルバートへの日頃の感謝の気持ちとして短刀まで買った。
それぞれ、隠れて準備しているのを細心の注意を払っていた為に気付かれることもなく無事当日を迎えることが出来た。
「今日は成人式当日だ。準備に忙しくなるからアルバートは俺の、イレーナちゃんはシャルル達の手伝いをしてくれないか」
オンスは早朝にそう言って(因みにイレーナはアルバートと同じ部屋で寝ている)二人を分散させた。
アルバートはこれもサプライズの為の作戦なのだろうと思ったが、半分正解で半分不正解だった。実際にかなり忙しかったのだ。男性陣は朝から食材の買出しに駆り出され、朝の市場で売られる新鮮な野菜や肉を渡されたメモ用紙に書かれたとおりに買ってゆく。普段なら家に仕える料理人のファシスがしている事なのだが、今日は彼も朝から忙しいのでアルバート・オンス・ハンクの三人が行くことになったのだった。
「──これで、全部買いましたね。戻りますか」
辺境とは言え町と呼べる程度には規模のあるモアルドの市場は、朝から人で賑わっており活気があった。そこから出て大通りを北に歩けばあっという間に人気はなくなり二つの邸宅が見えてくる。その片方の家の門を開けて中に入り、裏口から家に入った。
「ああ、お三人ともお疲れ様です」
裏口から入ってすぐそこは厨房になっており、ファシスが泡立て器でボウルの中のもの(おそらくホイップであろう)をかき混ぜながら言った。「そこに置いておいて下さい」と言うので三人は鉄板の張られたテーブルの上に買ってきた食材を並べるように置き、他にする事はないか?と聞いた。
「いや特には......ああ、そう言えばセシリアさん達が掃除をしているのでそれを手伝って下さいませんか」
アルバートは、上流貴族では使用人とこれだけ距離が近い貴族もなかなか見られないのだろうと思うが、それならば断然こちらの方が良いと思った。
厨房を出て廊下に出ると、すぐに箒を持って歩くセシリアを見つけた。その隣には同じくメイドのリセアもいる。アルバートは二人に声をかけた。
「セシリアさん、リセアさん。何か手伝うことはありませんか?」
するとセシリアは「お気遣い有難う御座います。では...」と言って廊下の隅に置いてあった「はたき」と三角巾を渡してくれた。しかし一つしか無いのでオンス・ハンクは他を当たると言って去ってしまった。
アルバートは三角巾を頭に巻いて「はたき」で壁や絵画の隙間などについた埃を落とす。彼も3年前に比べて随分背も高くなったもので、今や175センチメルカ以上ある。まだまだ背は伸びており、180も超える可能性があった。因みに、彼は前世で172cmであったのでそれより少し大きい事になるが、ほぼ同じとは言え基準となる単位が違うので前世と比べるのは間違っているのかもしれないが。
アルバートは王都での二人暮らしで定期的に部屋掃除をしていただけあって手つきは慣れたものだった。せっせと壁の高いところの埃を落とす彼を見て「アルバート様も大きくなられたのですね」と感慨深そうに言う。セシリアの身長は女性の中でも普通な方で160センチメルカ程度、学園に入学する前のアルバートがそれと同じくらいの身長であったのを思い出し、彼の成長を意外な所で認識する。
「セシリアさんは変わっていませんね、他の皆も」
「ええ、変わられたのはお二人なのですから」
実際、この3年間に特段変わった事は無い。それこそアルバートとイレーナが居なくなった事以外には。だから精精髪を切っただとかその程度の変化以外は両親達には見られなかった。
しかしそうか、とアルバートは遠い海の向こうを見るような気持ちになる。変わったのは自分達なのだ、と。アルバートの3年間はそれ相応の変化をもたらした。
例えば女神と再会して能力を賦与されたし、ユーク王からは名誉勲章まで賜り、新たな友人ができ、学園の首席として卒業、そして来月からは王族近衛騎士になるのだ。名誉貴族の息子としてではなく、一人の大人として。
「──そうですね。僕も少しは大人になれた気がします」
アルバートは前世ではしっかりと成人していたが、前世で体験した「大人」とこの世界での「大人」は意味が少し違うと思っていた。
前世では銃を持って血みどろの戦いをし、護るべきモノと信念の為に業を背負ってきた。結局、そのために生きてそのために死んだ。
恋や愛など語らうことも無く、ある意味では一つの武器として死んだ。
しかし今は違う。生涯の相方としてイレーナが隣に立ち、周囲には良くしてくれる家族や友人がいて、平穏な日々が流れている。この平穏を護るために鍛えてはいるが、それは自らが進んで戦う為のものではなく最後の防衛手段だ。この世界で「大人」として生きるにはそれよりも人間関係や明日の料理を考える事の方が大切だった。
「あ、アルバート様。その部屋はいけません」
掃除の方も大方終わり、アルバートが最後の一部屋に入ろうとした時、セシリアがそれを止めた。
「先ほどアルバート様がゴミを捨てに裏口の方へ行った時にシャルル様やアイナ様がいらっしゃいまして、着替えをするとその部屋に入って行かれました。殿方が入るべきではありません」
セシリアの説明にアルバートは「そうですか、すみません」と一言謝りドアノブから手を引いた。危うく母親と義母(そうなる予定である)の裸を覗いてしまうところであったと冷や汗をかく。シャルルに関しては乳を吸った事もあるが、2人ともエルフであることから20代の瑞々(みずみず)しい美貌を未だに保持している。意思の強いアルバートであるが、見惚れない自信はなかった。
「もうそろそろ準備も出来ますし、アルバート様はお着替えなさってください。お気遣い有難う御座いました」
そういう事でアルバートは着替える為に部屋に戻った。
因みに、その件の部屋の中に実はイレーナも居た。
と、言うよりはイレーナの為にシャルルやアイナがその部屋に居たという表現の方がいいだろう。
「シャルル様、もう大丈夫です。アルバート様はお戻りになられました」
セシリアが部屋に入りながら中にいる者に言った。
「ふぅ、バレるかと思ったー」
シャルルが安堵のため息を漏らしながら言った。
「あれだけ周囲に優しければ学園で二、三人位落としてそうね」
そう言ったのはアイナで、その予想は実に正鵠を射ていた。実際に彼は在学中何人かに告白されていたのだ。しかしそのどれも婚約者がいるからと断っている。
「あの、どこか変な所は無いでしょうか」
イレーナの何時に無くか細い声が部屋に響いた。
「ええ大丈夫。とっても素敵だわ」
「そうそう、羨ましいくらい綺麗よ!」
母親二人はそれを励ましながら化粧品を手に取る。
「──はい、じゃあ後ちょっとで終わるから『んー』ってして。リップ塗るわよ」
このように、二人は着々とイレーナを着飾っていった。
そして十数分後にはそれぞれの準備も完了し、成人式が開かれた。




