No.02 新たなる生命
ふと眼を開けると白い光が僕の視界に入り込んでくる。それからしばらくして辺りの情報が鮮明に網膜に写し出され始めた。
木の柵で囲われたベッドの中に僕は居て、部屋の中にはアンティークな机と椅子、壁には誰かの絵画が飾られてある。どこか、中世ヨーロッパの屋敷を連想させる光景だ。
どうやら僕は転生に成功したらしい。
自分の手を確認する。ふにふにと柔らかく、まるで焼きたてのコッペパンのような手だ。
僕は赤ん坊になっていた。
つい先ほどまで約30年にわたる人生に盛大な終止符を打ったばかりだというのに、まだ僕の人生は続いている。しかもこんな幼子からか。
そんな事を考えながら感慨深い気持ちになっていると、コンコンコンと三回ドアをノックする音が聞こえ、カチャッと静かに扉が開く。入ってきたのは赤を基調としたシンプルなワンピースを身に纏う端麗な女性だった。その顔はどこか楽しそうであるが、僕には気になる点がひとつあった。耳が異様に長いのだ。これは前世の何処かで見たことがある。現実世界でなく、本や漫画、アニメなどで登場するキャラクターの『エルフ』と言うヤツだ。この世界にはそんな者も存在するのだろうか?それは追々考えることにする。
「」
何と言っているのかは解らないが、彼女は僕の寝転がっているベットの柵に軽くもたれながら、静かに囁いた。ここは返事でもしておいた方が良いのだろう。 僕は「あうあう」と言葉になっていない声をあげた。生まれて間もないような赤ん坊が言葉を喋ったら不気味だろうからと適当な声をあげたが、呂律がまわらないらしく、想像よりもさらに曖昧な声になった。
だが、目の前の彼女は僕の返事(なのだろうか?)が相当嬉しかったようで、ニコニコしながら僕の頭を撫でてくる。僕の顔よりも大きな手だ。
「」
それからしばらく、彼女は僕に話しかけてきた。何を言っているのかは相変わらず解らないが、楽しそうなのは分かるので、僕もなんだか気分が安らいでくるのだった。
◇◆◇◆◇
3ヶ月ほど経った。今では首もすわり、匍匐前進のような格好が出来るようになっている。
目の前には鏡がある。さらに言えばその中には柵に囲われたベットの中から、赤ん坊が顔を覗かせている。見慣れないが、これが僕なのだ。だがそれ以上に見慣れないのは、その頭に付いた耳だった。尖った耳が、普通の二倍ほど長さで、頭の側面に付いている。
そう、僕はエルフに転生していたのだ。
耳は時々取れないかと心配になるが、そんな簡単に取れるようなモノならば、進化の過程で小さくなっているだろうからと、自分に言い聞かせて気にしないようにしている。 漫画やアニメで見たようなエルフは、もっと耳が長かったのだし、それと比べれば楽なものだ。
そんな事をしているとコンコンコンとノックの音が響き、誰かが入ってくる。
黒一色のワンピースの上にエプロンを掛けた、30歳程の女性(恐らく普通の人間)だ。いわゆる、メイドと言うヤツだ。彼女の仕事は、主に僕の世話係で、ほとんどの時間を彼女は僕に付きっきりだ。今もベットのシーツを変えてくれている。僕が漏らした時もお世話になっている。申し訳ないと思うが、何分それに関する筋肉も未発達なので、我慢のしようがないのだ。トレーニングが出来るようになったらすぐにでも体を鍛えようと、常々思う。
9ヶ月程経ち、季節ももうすぐ一周しようとしている。因みに季節は変化は少ないがきちんと四季があるようで、今は秋だ。
言葉も大分理解できるようになった。自分や周りの人の名前も、ある程度分かるようになった。赤いワンピースを着たエルフの女性が、僕を抱っこして階段を降りている。
「アル君、ご飯にしよっか」
階段を降りきると彼女は私を下ろしてそう言った。「アル」と言うのは僕の愛称で正確にはアルバートと言うのが正しいようだ(世話係のメイドの人がそう呼んでくるのでそうだと思う)。
そして僕を抱えていたエルフの彼女はシャルル。僕もエルフである事から分かる通り、僕の母親である。
僕は彼女の後を追いかけるように、壁づたいでよちよち歩く。
「アル君はすごいねー、もう歩けるようになっちゃうんだもんねー」
そう言いながら彼女は椅子に座り、遅れてやって来た僕を専用の椅子に座らせた。
丁度メイドの女性がやって来て、皿をテーブルに置いた。
シャルル母さんの方には、スープとサラダに、魚のムニエルのような料理とパン。
僕の方は耳を切り落とし食べやすいサイズに切り分けたパンと一口サイズの魚の練り物の他、スープなどの離乳食だ。
「今日も美味しそうね、セシリア」
「有り難いお言葉です」
セシリアと言うのはメイドさんの名前で、今日の料理を作ったのはセシリアさんのようだ。彼女は謝辞の言葉と共に一礼をし、部屋の脇に控えた。その所作の一つ一つが整っており、見ていると『一流』の一言が脳裏に浮かぶ。
「それじゃあ、いただきましょうか」
母さんが手を合わせながら、こちらを向いた。
こちらの世界にも『いただきます』の習慣はあるのだ。
母さんは「せーの」と掛け声をして言う。
僕も真似するように手を合わせながら言った。
「頂きます」「いたあきまう!」
言葉に慣れていないのと、まだ滑舌が悪いのが相俟って、変な発音になるが、僕もしっかりと感謝の意を込めた挨拶をした。こういうのは声に出せば出すほど、気持ちも膨らむものだ。 挨拶が終われば、早速パンを手でつかんで頬張る。少し固いが、バターでほんのりと味付けがされた、美味しいパンだった。他のどれを食べても美味しい。
前世の料理と張るのはさすがに無理があるが、それでもかなり上位の部類に入る。
「美味しいわね、アル君。美味しい、よ? ほら、美味しい」
母さんは僕に言い聞かせるように、『美味しい』を反復する。これも、言葉を覚えさせる為の行為だ。僕はそれを真似をするように、言葉を発した。
「おーし、おーし」
発音は可笑しいが、言葉はセシリアに伝わったのだろう。
「有難う御座います。シャルル様、アルバート様」
セシリアは丁寧に返事を返してくれた。
本当に美味しいので、あっという間に食べ終わってしまう。ごちそうさまは、まだ発音が難しくて正しく言えないが、きちんと言えるように頑張ろうと思う。