風のゆくえをおしえて
「風のゆくえをおしえて?」
黒猫のニーナがはじめにそうたずねたのは、母親のミリアでした。ようやくねむった弟の背中をなでていたミリアは、にこりとほほえんでこう答えました。
「ママは知らないけれど、パパなら知っているかもしれないわ」
ニーナはねぐらを出て、外でおともだちと話をしている父親のケイトのとなりに座りました。気が付いたケイトはニーナの小さな体を引き寄せます。
「パパ、風のゆくえをおしえて?」
「風のゆくえ? 何だい、そりゃ」
聞き返したのはケイトのおともだち、茶トラのチャイです。チャイは目付きが悪く怒って見えるので、ニーナは苦手でした。抱きしめてくれたケイトの足の中にかくれるように身体を丸めます。
ケイトから話を聞いたチャイは、ふーんとうなずいてゴロンと転がります。
「人間が読んでるおはなしに出てくるのか。さすがミリアは物知りだなぁ」
「飼われていた時に聞かせてもらったらしい。でも読んでくれたのが子どもだったから……」
「あぁ、それで最後が分からないんだな」
ケイトとチャイは一緒になっておかしそうに笑っています。けれどニーナは笑いません。風のゆくえが分からないからです。
「パパも知らないの?」
「うん、風は目に見えないからね」
ニーナはがっかりしました。ミリアが話してくれるおはなしの、人間の女の子のような気分です。やはりかんたんに風のゆくえを知ることはできないのです。
ケイトの腕から出て、ニーナは歩きはじめます。どこに行くんだと聞かれたので、みんなに聞いてくるのと答えました。
風のない今日は少し、太陽があたたかい気がします。
ねぐらを出てはじめに会ったのは、白猫のクイーンとシオンの親子でした。
シオンはニーナよりも少しお姉さんで、時々遊んでくれます。母親のクイーンによく似たきれいな顔立ちの白猫です。
「ニーナ、こんなところで何してるの?」
シオンはニーナの元に来るとそう聞きます。そうしていつものように耳の辺りをなでてくれました。
お姉さんのシオンは知っているでしょうか。それともクイーンが教えてくれるでしょうか。ニーナはさっそく聞いてみることにします。
「風のゆくえ、知ってる?」
「風の?」
シオンは首をかしげます。ふりかえってクイーンを見ますが、クイーンもふしぎそうにしています。風はふいていませんが、そのことを気にしてはいないからです。
「どうして風のゆくえを知りたいのかしら?」
クイーンに聞かれてニーナは答えます。
「ねる時にママがおはなししてくれるの、色んなところを旅する風のおはなし。
今日は風が来ないから、どこに行ったのか知りたいの」
それを聞いてクイーンはむずしそうな顔をします。風のゆくえを探してもきっと見つからないと思うからです。それでもニーナにそう言い聞かせることがいいことには思えませんでした。シオンも何と言ったらいいか分かりません。
「ごめんなさい、わたしたちは知らないのよ」
けっきょく二匹はそう言ってニーナにさよならをしました。残されたニーナはしょんぼりしたまま、また歩きはじめました。
次に出会ったのは三匹のキジ猫です。いたずら好きでちょっといじわるなフェル、ジャーノ、セザンの三匹はゴロゴロとひなたぼっこをしていました。
ニーナはこの三匹がまだ小さな弟のことをよくからかうのであまり好きではありません。ですが聞いてみようと思います。かれらはみんなが知らない場所をたくさん知っているからです。
「おい、ニーナ。何やってんだ?」
「おねんねの時間じゃないのかぁ?」
「おれはねむたいぞぅ」
ニーナが三匹の元へ行くとそんなことを言われます。おっとりしているセザンは今にもねむってしまいそうです。セザンがねむる前にと、ニーナはしつもんします。
「風のゆくえを教えて?」
三匹は少しだけおどろいた顔をすると、ケタケタと笑いだしました。ケイトとチャイのような楽しそうな笑い方ではありません。ニーナをかなしくさせるいやな笑い方です。
「そんなもの分かるわけがないだろう!」
ジャーノがそう言うのでニーナは言い返しました。
「風は旅をしているんだもん! 今いないのはどこかに行ってるからなんだもん! だから、だから……」
旅する風のおはなしを聞いてからずっと、ニーナは風が生きていると思っています。あちらこちらから流れてきては、毛をゆらし、葉っぱをさそい、そうして景色をかえていく風は本当に生きているようです。声が聞こえないだけで、おはなしの女の子のように「どこへ行くの?」と聞くことができるような気がしています。また風と会えたなら、今度こそ聞いてみるつもりです。
そんなさみしそうなニーナを見て、フェルは笑ったことを少しだけ悪いと思いました。ニーナは今にも泣いてしまいそうです。
フェルは何かを言ってあげたい気持ちになりましたが、いたずらばかりでやさしくしたことがなかったので、こまってしまいました。こまらせたりおこらせたりするのは得意ですが、喜ばせるのはむずかしいのです。
「……ほかのやつに聞いてくれ。行くぞ」
「おい、フェル。まってくれよ」
「おれはここでねててもいい?」
フェルはそのまま歩いて行ってしまい、ジャーノもねむりそうなセザンをたたき起こすとフェルの後をいっしょに追いかけて行きました。
また残されたニーナは三匹とは反対の方向にすすんで行きます。
ニーナは今度も、風のゆくえを知りそこないました。
風が女の子に行き先をおしえてあげなかったのは、だれにも知られたくなかったからかもしれません。どこかひみつの場所があるのでしょうか。その場所を知れるならとても楽しそうですが、ニーナはこのまま風と会えないかもしれないと思うと、かなしくなってしまいます。
風はやさしく、時にあばれんぼうで、いつも楽しませてくれます。ニーナにとって、風はおともだちなのです。
風のない冬はここちよくぽかぽかしますが、おともだちがいない今日はたとえ夏でもつめたくさみしく思えます。
少し歩いたところで、木の下で毛づくろいをしているグレー猫を見つけました。たしか名前はグロウだったとニーナは考えます。いつも一匹だけでいて、まだその声を聞いたことがありません。ニーナはそろそろと近づいて行きました。
グロウはニーナがやってきたことに気がつくと顔を上げます。木の幹に背中をあずけてじっと動かない姿はケイトやチャイよりも大きく、少しこわく思えます。それでも何かを知っているような気がして、ニーナはグロウの前にすわりました。
「何か用か?」
「あのね、風のゆくえを教えて?」
「……あぁ、今日は風がないからな」
グロウはニーナの言葉を聞くと、ゆっくりと空を見上げました。空にはふわふわとうかぶ雲と、小さな鳥たちが見えます。
ニーナはやはり思います、風のゆくえを知っているかもしれないと。グロウだけはニーナのことを笑ったり、何のことかと聞かなかったからです。
期待して待っていると、グロウが起き上がり首を伸ばして言いました。
「風のことは鳥に聞けばいい」
グロウは風のゆくえを知りませんでしたが、鳥たちが風にくわしいことは知っていました。風に乗っていどうする鳥たちは、風を読んでいると聞いたことがあるからです。見えない風を読めるならきっとどこへ行くのかも知っている、そう思ったのです。
ニーナはグロウがそう教えてくれたのでうれしくなりました。おはなしの女の子もこうして探せばよかったのに、と考えるほどでした。もう見つかったようにも思えています。
ありがとうを言ってグロウにさよならをしたニーナは、はねるように歩きだします。風のゆくえが分かりそうなのはもちろんですが、こわそうだったグロウがやさしかったからです。がんばって近づいてよかったと思います。またおはなしができたらいいなと考えながら、鳥たちの集まる原っぱへと向かってかけ出しました。
小さな鳥たちがたくさん集まっています。すずめです。パタパタととんで来てはとんで行き、にぎやかなかわいい声が聞こえてきます。
ニーナが近づいて行くとすずめたちはおどろいて、わっととび上がってしまいます。葉っぱのおちた大きな木に、まるで実がなるようにすずめたちが止まりました。
「猫だぞ、猫だぞ!」
「でも小さいじゃない」
「小さくても猫は猫じゃないか」
「一匹だけみたいだな」
「何をするか分からないわよ!」
すずめたちはニーナを見てそんなことを言っています。すずめにとって猫は大きく力が強いので、いつも近づいて来ないよう注意しているのです。ニーナはまだ小さいですが、小さい時ほどらんぼうなことをすずめたちはよく知っています。
すずめたちがとんで行ってしまったので、ニーナは木から少しはなれた所にちょこんとすわります。たくさんの目が自分を見ているのが分かります。それでも一羽ももどって来てはくれません。
これでは風のゆくえを聞くことができない、そう思ったニーナはすずめたちを見上げると、出るかぎりの大きな声を上げました。
「すずめさん、すずめさん! おしえてほしいことがあるの!」
それを聞いてすずめたちは、口々に「何だ、何だ?」と言ってニーナのことを気にしています。数羽のすずめは止まる枝をふわりふわりとかえながら、様子を見ているようです。
「風のゆくえをおしえてほしいの!」
ニーナはすずめたちみんなが聞こえるように、がんばって声を出します。それはみんなに聞こえたようで、すずめたちは顔を見合わせます。その動きで大きな木がざわざわとゆれました。
どうして猫が風のことを知りたいのかとすずめたちは思います。猫はとぶことがなく、つばさが生えてもいないのに、この小さな猫は風のゆくえを知りたいと言うのです。とてもふしぎでした。
「風のゆくえなんて、どうして知りたがるんだ?」
一羽のすずめが木の上から聞きます。ニーナは答えます。
「今日は風が来ないから……もう会えないんじゃないかと思って」
もうずいぶんと風をかんじていません。本当にもうここには来ないように思えます。ニーナはさみしさから声が小さくなってしまいます。
すずめたちはおかしなことを言う猫だと思っています。風のことをまるで生きているようにはなすからです。
風はふいたり止んだりをくり返すもので、もちろん生きてはいません。どこからふいてくるのかも、ふいてみなければ分かりません。なのですずめたちは風のゆくえについて考えたことも、もう来ないかもとなやんだこともないのです。
思いがけない猫の様子にすずめたちはこまってしまいました。
そんな中、一羽のすずめが木からとび立つと、大きく回りながらニーナの方へとおりていきました。すずめたちがざわめきます。どうやら長老のようです。
「アーランが……!」
「あぶないわ!」
「どうして行ってしまったの……」
心配するなかまたちを、アーランと呼ばれたすずめは「しずかにしなさい」としかります。小さな声でしたが、それはよくひびきました。すずめたちは動くこともしなくなり、アーランがどうするのかを見ることにしました。
アーランは小さな足でひょこひょことニーナに近づくと、すぐそばで止まりました。
はじめて目の前で見るすずめが自分よりも小さいので、ニーナはおどろいています。冬をすごすために丸々と太ったすずめの姿を見て、弟の次にかわいいと思いました。ですがアーランはニーナよりもずっとずっと長く生きているのが分かるので、何を言われるのかとじっとだまっていました。
「猫よ、風のゆくえを知りたいのだな?」
アーランが聞くのでニーナはうなずきました。そのまっすぐな目を見て、アーランは猫のことを見直しました。猫もいたずらをしたり鳥をきずつけたりするだけではないと分かったからです。
「風は気まぐれだ。ふいてほしい時には来んし、休みたい時にやって来る」
やっかいなやつだ、とアーランは言います。なかまたちといどうする時、風になやまされることがあるのです。ですがこの小さな猫のようにさみしく思うことはありませんでした。アーランはニーナのそのやさしい気持ちを大切にしたいと思います。
黒いひげが不安にふるえているのを見て、アーランはひみつをはなすようにニーナにささやきます。
「風はな、お前さんのところに来るのだ」
「あたしのところに? 本当にまた来てくれる?」
ニーナが信じられなくて聞くと、アーランはその小さなからだごとうなずきます。
「お前さんの行く先を行き、お前さんの背中を追って来る。だから風のゆくえを知るひつようはない。ただそこにいれば良いのだ」
それはとてもすてきなことです。ニーナがただそこにいるだけで風はまたニーナの元にやって来ると、アーランは言うのです。今はきっとお出かけしているだけなのでしょう。そのお出かけがおわればおともだちのように、家族のように、またここで会えるのです。ニーナはそのことをそうぞうすると、また会える時がとても楽しみになりました。もうさみしく思わなくていいのです。
アーランはふわりととんで、ニーナの頭の上にちょこんとおり立ちます。そして空を見上げ、先ほどよりもはやく流れるとおくの雲を見つけると、言いました。
「良いか、風は待つのだ」
「うん!」
アーランは満足そうな顔をしてニーナの頭の上で羽ばたくと、木のもっと上へ向けてとんで行きます。見守っていたすずめたちもそれにしたがうように一斉にとび立ち、それはまるで風とあそぶ葉っぱのように見えました。
ニーナは走ります。小さな足がもつれてころげてしまいそうになりながら、走って行きます。ねどこにかえるためです。
アーランはおしえてくれました、風がやって来るのを待てばいいと。ニーナは待つなら、家族のいるところがいいと思いました。家族みんなでむかえてあげたいのです。ニーナはひたすら走って行きます。
ニーナがすぎて行った原っぱのかたすみで、やわらかな草が笑うようにゆれました。
風はまたすぐにでも、ニーナの元に会いに来てくれるでしょう。
おわり