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赤い電車

作者: acon

 タタンタタンタタン、タン、タン、タ、タン

 減速を終えた車両が規定の停車位置に止まり、マリアは線上作業員が先頭の牽引車と後ろの貨物車の接続を外し始めるのをホームの上から見守っていた。暫くしてゴゴンと少し大きな音がして接続が切れたとき、牽引車はなんとなく肩の荷を下ろしたような雰囲気で線路の上に沈み込む。この駅に勤め始めてから幾度となくマリアはその光景を職務の一環として見守ってきたが、牽引車がここまで引っ張ってきた重い荷が車両の接続が切れるその瞬間に今度は自分に渡されるような気がして、彼女にとってはそれは気が重い瞬間だった。

 マリアが現在配属されているこの駅は、平時には存在しなかった。開戦の噂がたち始めた頃、田園が広がる小さな山間の村にひっそりと現れたのだ。いよいよこの線路の果てで銃声が交わされるようになっても暫くは、村人でもこの駅の意味を理解していなかった。けれど最近は、分かっていてあえて誰もそのことに触れないようにしているという雰囲気を、村の中にある宿舎と職場である駅を往復するだけの生活を送っているマリアでも感じている。

 マリアがこの駅で向かい入れる電車は数日に一度しかやって来ない。車両は先頭車両も含めて全体が暗い赤の塗装をされている。その色はいつも日が沈む直前の空が燃える時間に列車が駅に到着することと関係があるのかもしれない、などとマリアは考えているが、それは半ばそうだったら良いと願っているだけだとも気がついている。十中八九、色が意味しているのはその貨物の中身だと、一度も中を見たことがないはずの村人たちでさえ知っているのだから。

 貨物車両に積まれていたコンテナが一つ、また一つとトラックに載せ替えられていく。この時にもマリアがすべきはその様子を見守ることだけなので、作業を見渡せるようホームの端まで移動してから、左の腰に右手を添えた姿勢で突っ立っていた。作業員たちは大勢いたが、誰も口を開こうとしない。マリアを含め、数日に一度不定期でやってくるこの車両を迎えることを喜ぶ者は一人もいなかった。いつも今回が最後でありますようにと、作業に携わる者全員が思っている。

 ガン!

 最後のコンテナが貨物車から浮きかけた時、荷の中から大きな音がした。コンテナの内壁に何かが激しくぶつかったような音だった。

 マリアは眉間に皺を寄せて、そのコンテナに駆け寄った。作業員たちは一様に呆然と作業の手を止めている。中にはすぐにでも泣き崩れそうな顔の者もいて、マリアは奥歯を噛みしめた。

「下ろして。中を改めます」

 クレーン車を操作していた男は一瞬何を言われているのか分からないという顔したが、同僚に肩をこづかれて慌ててコンテナを再び貨物車の上に下ろした。

 マリアはその辺にいた男にはしごを持ってこさせ、一人コンテナの上に上がった。コンテナが再び接地してから、中からの音は断続的ながら大きくなっている。誰の耳にも中からコンテナの壁を叩いている者がいることは明白だった。

 黒い制服の裾を翻して、マリアはコンテナの上に仁王立ちになった。夕日はすでに沈みきり、遠くから闇が迫っていた。山の向こうに消える線路の端はすでに森の色の中に溶けてしまっている。

 マリアはその光景をにらみつけてから、足元にあるギリギリ人一人が通れる程度の大きさの開口部のハッチに手をかけた。女の腕には重すぎるハッチをなんとか開いた途端、

「ああ!…おい!なあ、生きてるぞ!俺は、まだ、生きてる!」

 中から野太い男の叫び声が上がってきた。同時に強い腐敗臭と糞尿の混じった臭いが立ち上ってきて、マリアは胃の奥からせり上がってくるものを必死で腹の中に押さえ込んだ。人の気配がするのに何も言わないことを不安に思ったのか、男はすがるような声で続けた。

「そこにいるんだろ?生きて、帰ったんだ。他のヤツは、駄目だった。でも、生きてる。俺は生きてる!なあ、生きてれば、ここから」

 マリアは左の腰に装着していた小さなポーチから、液体の入った小瓶を取り出し、流れるような動作で蓋をあけて瓶ごと開口部から中へ投げ入れた。そして間髪入れずに身体全体を使ってハッチを持ち上げ乱暴に閉める。

「な!おい!待っ」

 男の声はハッチが固定される音に分断された。マリアは重く息を吐きながらその場で足元のハッチを見つめた。ガン!ガン!という壁を叩く音がふいに途切れた後、柔らかいものの上を固い何かが跳ねるようなくぐもった音が暫く続き、やがてコンテナは沈黙した。

「異常ありません。作業を続けて」

 マリアはコンテナの上から作業員に指示を出した。残った瓶の蓋を持つ手が震えていることを知られないよう、後ろ手に手を組んで胸を反らすことも忘れなかった。

「何をしているの。さあ早く!これが最後よ」

 マリアは威圧するようにコンテナの上からホームに飛び降り、殊更ブーツの踵を鳴らして待機所へと歩き出した。作業員たちがのろのろと作業を再開する気配を背中で感じて、マリアは激しい動悸を殺すように深く息を吐いた。

(あと、何度)

 マリアは胸のうちで呟く。赤い車両が山の向こうからやって来るのをホームで待つ度、腰につけた小瓶を補充する度に、マリアはその問いを繰り返してきた。答えを知る者はこの村にも、線路の向こうの戦場にも、そしておそらくただ機械的に男達を狩って死地に送り出し続けている人間たちの中にもいない。

 マリアは線路の先にあるはずの戦場の様子を知らないが、そこに必要なのは戦える者だけだということは分かっている。大きく負傷してそれができなくなった者は、味方の意思と資材を摩耗させるだけの存在になる。だからと言って捨て置くことはできない。戦っているのが人間である以上、目の前で動けない仲間をその場に放置することは難しい。運び込まれる負傷者に何もしなければ、まだ生きて動ける者の戦意の喪失は免れない。だから、治療のために内地に戻すという名目で、重傷を負った者たちをコンテナに詰めて、この駅へ送り返す。ほとんどの者はその道中で本当に死体になってしまうことを知りながら。

(あと、何人)

 マリアの仕事は、「戦死者」の遺体が詰まったコンテナが駅に到着してから、無事に安置所に運ばれて行くまでを監督することであり、万が一何かしらの「異常」が認められた場合、その「処理」をすることだった。腰に携帯している小瓶はそのためにある。中に入っているのは密閉を解けば瞬く間に気化し、生命を刈り取る薬品だ。一瓶でコンテナ一つ。マリアは着任してからもう14度、瓶の補充をしている。

 最後のコンテナが安置所へ運ばれていくのを見守りながら、マリアはまた奥歯をぎりぎりと噛みしめた。最初の頃は唇を噛んでいたが、そのたびにひどく出血して悲惨なことになるので最近はやめていた。

 ジリリリリリ

 駅舎の中にある事務所で鳴り響いたベルに呼ばれ、駆け足で戻ったマリアを待っていたのは、次の電車がやって来る日時の通達だった。

 受領の返答を送って深いため息をついてから、マリアは退勤のために待機所の窓と扉を全て閉めて回った。最後の窓を閉め終えた時、すっかり闇に塗りつぶされた窓に映る自分と目が合った。窓の向こうの彼女は、死者の詰まった列車を監督する一人の軍人として、完璧な威厳を備えた表情をしていた。マリアは数瞬自分と見つめ合い、目をそらさないまま、そっと瓶を下げた腰に手を伸ばした。

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