裂く モノ ら
評価をつけて下さった方、有難うございます。
この場を借りて御礼申し上げます。
血のような色の五枚花弁の花を咲かせる、とある樹があった。結実したものは時折、寄生種と呼ばれる種をその内に秘める。寄生種を実らせる樹は見つかれば処分される為、徐々に報告件数が減っている。だが見つけること事体が容易ではないため、根絶には至っていない。
寄生種とそうでない物との見た目での判別は容易ではない。
亜種として八重咲きのものもあるが、それは殆ど寄生種を成さない。
寄生種は、種を取り込んだ生物に寄生し、その行動に影響を及ぼすことが呼ばれの所以であった。
寄生された生物は殆どの場合、発芽の際に多量の養分を吸い取られるために、栄養失調で死に至る。多くの寄生種は死した肉体にそのまま根付きそれを分解して糧とすることで新たな樹へと成長する。だがそれは、不完全なものとなり、白か淡い色をした花弁を持ち、結実はしないか、種を内包しない実を僅かにつけるのみである。
それは桜と呼ばれ、市井にも馴染みがあった。
稀に種が発芽しても生き残るものがいた。その存在を知るものは、生き残った生物をサクラと呼んだ。発芽の際に内側から宿主の肉体を裂くように芽が成長することが呼ばれの所以であった。
宿主が生き残った寄生種は、その場に根を下ろすことができない。宿主の中に留まり続け、休眠しつつ成長にふさわしい時を待つ。その時の為に宿主の在り方に変化をもたらす。だから死せずとも寄生されたそれは、すでに元の生物ではないのだ。それを、ただの生還者だと思ってはいけない。生き残ったとしても、理性をなくし、暴れることもある。だからそれらは、発見次第、処分される。
宿主の代表的な変化は、次の種子をより確実に作り広範囲へ散布するために強靱な体となること。治癒速度は一般の生物よりは早いし、並みの病に屈しない。
副次的なものとしては、発芽の際に生死の境をさまようために記憶をなくす場合もあること等が挙げられるだろうか。
サクラは、寄生種に打ち勝った代償にある能力を得る。
それは、何かを代償に、対価を与えるというものだ。
何を代償にするのかは、サクラの個体ごとに異なる。
『記憶』であったり、『寿命』であったり、求められるものは様々だ。
それが正しいのかは不明ではあるが、同じ樹の寄生種にから成ったサクラは、同じものを代償に要求するらしい。
対価もまた、サクラによって異なる。
こちらには同じ樹由来のものでも共通点はないらしく、大きく分けると『望むもの』『望まないもの』のどちらかが与えられるらしい。サクラはその能力を行使する行為を契約と呼ぶ。代償を払い何かを与えられた対象を提供者と呼んだ。
提供者は契約の際、時にサクラから条件も提示される。その条件を破った場合、もしくは代償が払えなくなった場合、与えられたものは回収され、さらに内側から裂け、絶命する。その様は寄生種の発芽とよく似ていた。その提供者だった血肉を、サクラは往々にして食す。ソレはサクラの中の寄生種が求める栄養である為らしい。契約不履行の証拠隠滅の意味もあったのかもしれない。
能力を使うことによって得る代償と死した提供者の血肉が、サクラと、それを生かしている寄生種を生かすのだ。そのため、代償を得続けるために提供者を守るような行動を見せるサクラもいれば、血肉を求めてわざと難解な条件を押し付けるものもあるらしい。
同様に、与えられた対価を保持し続けるためにサクラを守る提供者もいれば、対価が気に入らずにサクラを倒そうとする者もいる。
契約を行ったサクラが息絶えるとそれまでの提供者へ与えられた対価は喪失する。この場合、契約は破棄されたということとなり、提供者がそれによって死ぬことはない。
ちなみにサクラは、そう成る以前に食していたものも変わらず食すことができる。行為はできるが、それらを養分として活用することができない。
だから生きるために、提供者となるものを探すのだ。
・・・
人の手が入った林。小道の脇に揃えられた腰を下ろすのに手頃な岩。その裏に並ぶ人影がふたつ。
「鈴」
「なぁに?」
座っている女性は、声のした方向に顔を向ける。
その際に髪に括りつけられている丸い鈴が小さな音を立てた。
「何か、欲しい物はないか?」
女性の顔が向いた先には、女性に寄り添うように座っている者があった。
全身が大きな布で覆われているため、肩幅が広いこと、大柄であろうことの他は判然としない。
半分露出している顔ですらもつれた髪に殆ど隠されてしまっている。
「ん〜……。
特に思い浮かばないわねぇ」
女性は微笑みながら、小首を傾げた。
「何でもいいんだ。
なにか、やりたいことでも、ないのか?」
その反応が不服なようで、寄り添う者は重ねて尋ねた。
「そうね……。」
女性はゆっくりと空を仰ぐ。
すると、猫がどこからともなくやってきて、彼女の揃えられた足の上に飛び乗った。
「あっ」
女性は何かを思い出したように口元に手をやる。
「何か、あったか?」
寄り添う者は女性の方向へ顔を向ける。
女性も、寄り添う者の方向へ顔を向け直す。
猫は不思議そうに両者を見比べ、首を傾げた。
「あなたの顔が見てみたいわ。」
その言葉を聞いて、寄り添う者は俯いた。
「……それは」
「それはできない、でしょ?」
女性は寄り添う者の言葉を遮り、猫の首に触れながら言った。
「──あぁ。」
「わかっているわ。
絶対にあなたの姿を見ない。──それが条件だもの。」
女性は猫の方へ顔を向け、その顔を両手で包んだ。
猫は苦しそうに女性を見上げ、女性の手を払いのけた。その際に爪が引っかかったのか、女性の手に一筋の紅い線ができた。しかしすぐに、何もなかったようにそれは消えた。
「でも、触らせてもくれないんだもの。
わたしとこの子の形から想像するしかないのよ?」
「……。」
「恩人の姿くらい見たいって思っても、バチは当たらないでしょ?」
寄り添う者は視線をもち上げ、猫を女性から取り上げた。その手には紅い筋が入っている。
「思うのは勝手だが、実行したら貴女の命も無くなるのだぞ?」
「この命はとうに尽きていたはずのものだもの。
無いはずのこの時間、作ってくれたあなたには感謝してるの。
──だから、残りはあなたのために使えたらと思って契約に乗ったけれど、これもただの自己満足だし、あなたには迷惑ばかり掛けているわね」
猫は寄り添う者を嫌がり、何処かへと去っていった。
「迷惑では──ない。」
「そう?
……ありがと」
女性は頬を染めたが、寄り添う者は見ていなかった。
「そもそもよかったのか?
貴女が望めば契約の解消は可能だぞ?」
「いいのよ。
こんなワガママ女を気にかけてくれるのなんて、あなたくらいだもの。」
まだ間に合う、と寄り添う者は言いかけた。
「条件だって、あなたの姿を見ないことだけだし、代償なんてわたしの『死』よ? 意味わかんないわ。
わたしあれ以来どんな些細な怪我だってしないんだから。」
女性は胸を張った。
女性が枝で指を切ったり転んで顔をすりむいたりする度、それは初めからなかったかのように忽ち消え失せて寄り添う者──女性と契約を交わしたサクラに現れる。
それらが自然に治癒されるまでの間、サクラは女性から離れようとしない。サクラが遠くへ隠れるのを女性も許さない。
女性が大きな事故に遭って死にかけようとも、その怪我はすべてサクラが引き受ける。
サクラは生命力が人間よりも強く、治癒も早い。そのためなぜかしばしば死にかけるこの女性と契約を交わしても未だ死を迎えずに済んでいる。
「どうせ契約前も後もあなたの顔はおろか自分の姿さえ見られないんだから」
「その代償に対価が見合っていないと思うのだが。」
「怪我しらずなんてそれ自体が対価みたいなものよ」
それによって女性が疎まれていることを、サクラは知っていた。
「私が貴女を見届けることが対価で、本当に、よかったのか?」
「いいの。それまで一緒にいてくれるのはオプションね。
でも、あなたが望むのなら、やっぱり契約の解消をしてもいいわ。」
「私は生きるためにも、解消を望まない。
だが貴女が望むのであれば、その限りではない。」
「──結局、お互いに解消は望んでいないのよ。
あなたには辛い思いをさせるけど、後少し、つきあってね?」
「ああ。
──それが、対価だからな。」
とあるサクラは、盲目の女性の『死』を代償に、自身の姿を見ないこと、サクラが望むときには彼女に近寄らせることを条件に、彼女の最期を見届けることを対価とした。
代償として死を遠ざけられている女性には、このサクラと契約している内に最期は訪れない。
つまり契約の履行中、サクラはただ女性の怪我を代わりに負い、女性に寄り添うだけだ。サクラが生きているうちに女性に最期は訪れないのだから。満了されるときは来ない。
この契約はサクラの死を除けば双方の合意の下で解消される。
女性は盲目でサクラの姿を見ることなどできず、サクラは女性が拒絶するとき彼女に近寄ることを望まないのだから、条件が破られることもない。
いくつもの季節を巡り、双方とも老いた。寄り添う者は一見して纏うものが劣化した程度の変化しか見受けられないが、老いと無縁ではなかった。
猫はある時から姿を見せなくなった。
サクラも元は人間だった。強靱な肉体を持とうが、老いには逆らえない。
サクラが衰弱し、息絶えると、体内で休眠していた芽が成長し、血色の花をやがて咲かせる樹がその場に根を下ろした。これが新たな寄生種を実らせる樹である。
サクラの死によって契約が破棄された女性は、今までに支払い続けた代償を返還され、寄り添ってきた者を追うように、樹の下で眠った。
錆びた鈴が小さく揺れた。





