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遠くて近い明日に請い願う

作者: 平 和泉

深淵の闇に白い雪が舞う。

見上げれば満天の夜空、朔の夜空にどこからともなく粉雪が舞っていた。


「年の暮れ、か」


あれからもう幾年月経たのだろうか。

目を閉じればあの時の記憶は鮮明によみがえってくる。






*     *     *






封じが解けて最初に目に入ったのは、ひとりの少女だった。

少女は言う。


あなたの力が必要なの。力を貸してちょうだい。


そうして手を差し伸べてきた。

封じられていたのは、都から離れた山奥の岩屋だった。

長い時間眠りに就いていたせいか、封じられる以前の記憶はなく、封じを解いた少女もまたこの場所に封じられていた我のことを知らぬようだった。


少女は名を朔良(さくら)といった。

見たこともない装束だと言うと、朔良はこことは違う世界からやってきたのだと話してくれた。


「友達と新年のカウントダウンイベントにきてたんだけど、あと一秒っていうときに急に辺りが真っ暗になって…」


気づいたら都にいたのだという。


「私にここの封印を解いて助力を請いなさいって言ったのが賀茂斎(かものいつき)っていう陰陽師の人で――」

「少し待て、朔良よ」


おそらく話している間に何を話しているのか混乱してきたに違いない朔良へと声をかけた。


「お前は我の力が必要だと言ったな?」

「そう」


こくん、と朔良が頷く。


「では、何のために必要なのだ?」

「…………」


しばしの沈黙。

これは何も聞いていないのだろうと瞬時に悟った。

そして溜息をつく。

封じが解かれた瞬間に感じたのは、歪みだ。

今は小さな歪みだが、敏感なものたちは既に気づいているだろう。

そして身を縮めてその瞬間をただただ待っている。

この世の終わりを、だ。

しかしそれをただ待っているだけではなく、あがこうとした者がいた。

その筆頭が都の陰陽師・賀茂斎なのだろう。

だが。

それでも、だ。

現状の説明もなしに、異世界から呼んだ少女をここに送り込んでくるか?

目の前の少女はどう説明したらよいものか頭を抱え込んでいる。


「…………おい、朔良」


仕方がない。

幾度目かの溜息をつく。


「とにかく一度、都に戻るぞ。まず斎とやらからこの世界のことを聞け。そしてどうするか考えろ」


女一人でこのような場所まで来るはずはなく、朔良を連れて岩屋を出れば、そこには一人の武士の姿があった。

腕はたつだろうが真面目が装束を来ているような青年だった。

己の姿を目にした途端、腰を僅かに落として太刀へと手をかける。

その体から殺気が放たれた。


「ダメ! 芳兼(よしかね)さん!!」


その殺気に気付いているのかいないのか、慌てて朔良が止めに入る。


「では参ろうか」


それを横目で見ながら歩き始めた。

だが肝心なことを伝えていなかったことに気づき、足を止めて振り返る。



「朔良。我の名は暁(あかつき)と呼べ」


何もかも忘れてしまっていたはずだが、ただ一つだけ……名だけはあった。

その名を口にすると、なぜか胸がチクリと痛んだ。






*     *     *






「朔良……」


この世界の危機を救った少女の名を呟く。


「お前にも見せてやりたかった。今のこの世界を」


お前が救ったこの世界を。

朔良はすべてが終わった後、忽然と姿を消してしまったのだ。

暁は彼女の気配を辿ろうとしたが何かに阻まれて掴めなかった。


「都では新しい帝が立ち、人々に笑顔が戻った。歪みの中心であったあの社周辺も今では花が咲き乱れる桃源郷のような場所に変わっている」


それもすべてお前のおかげだ。


「だが…………」






お前が傍らにいないのは、本当に寂しいものだな。






*     *     *






声が聞こえた気がして振り返ったが、そこには誰もいなかった。


「どうした? 朔良」


前を行く友人が立ち止まって声をかけてくる。

それに朔良は首を振ってみせた。






あの異世界から戻ってもう一年以上が経つ。

当時高校三年だった朔良も現在は大学二回生となっていた。

大学の講義やゼミで日々忙しく、異世界のことを思い出さなくなっていた。

今ではあれは白昼夢だったのではないかとさえ思えた。

だが。

朔良は左手首にある、水晶を削り、巻き付けただけの簡素なブレスレットへと視線を落とした。

それが手元にあったからこそあの世界での出来事は夢ではなく、現実だったのだと確信できたのだ。

今日は大晦日。

友人と初詣に行くと言って出かけたのが午後十時を回ってからだった。

大学の友人たちと駅で待ち合わせ、神社へと向かう。

参道は人で溢れかえっていた。

時計を見る。

あと十分で午前零時。

年が改まって一月一日となる。

十二月三十一日と一月一日は遠くて近い存在だといったのは誰だったか。

境内に何とか入ったが、これ以上は動けなさそうだ。

と、朔良の視界の端に見覚えのある人影が映った。

人ごみの中、その人影はちらりと見え、再び消える。

あれは。

友人たちが呼び止めるのも構わず朔良は走り出した。

この人ごみの中だ。

走ることはかなわず、人を掻き分けて進む。



「あと一分!」



誰かが声を上げ、カウントダウンが始まった。






*     *     *






それは突然のことだった。

フッと明かりが消え、同時に人々のざわめきや気配が消えた。

異世界に呼び寄せられた時と一緒だ。

だが違うのは、足元が波紋を描く水面だったということ。


「水が……光って、る…?」


ありえない。

そう思って上を見上げた朔良は声を失った。

落ちてきそうなほど満天の星空だった。

星からの光で水面が光っているように見えたのだろう。

その時だった。


「朔良……?」


その声音は驚きに満ちたものだったが、反対に懐かしいとさえ感じるものだった。

視線を戻すと、そこには異世界で出会い、ともに戦った青年が、暁がいた。


「暁…………」


じわりと胸の奥から熱い何かがあふれ出てくる。


「暁!!」


名を呼んで駆け寄ろうとしたが、途中で何か透明なものに阻まれてそれ以上は進めなかった。


「ここは世界と世界の境界。歪みが消えた今、二つの世界はもう交わることはない」


ゆっくりと歩み寄ってきた暁がそう告げた。


「…………」

「お前との記憶を胸に、これから先ずっと独りで生きていこうと、そう心に誓ったのに……なぜだろうな」


二人を隔てる境界の壁に、手をついた朔良の掌に合わせるように暁は己の掌を合わせた。


「こうして再び出会ってしまえば、その決心が簡単に揺らいでしまう」


しかし境界の壁は互いの熱を通さず、ひんやりとした冷たさを伝えてくるばかりだった。


「暁………」

「大丈夫だ。もうあの時のように我を忘れて暴走するような真似はしない」


だが、願わくは………。

思いを口にしそうになり、暁はそれをぐっと飲み込む。


「長時間ここにいては体に障る。早く元の場所に戻れ。戻って我のことを忘れて……幸せになれ」


拳を握りしめ、視界から朔良を締め出すように目を閉じて背を向けた。


「暁」


何かを迷うような、彼女の声が聞こえる。


「その…………今まで私を助けてくれてありがとう。……想ってくれていて……ありがとう」

「…………」

「でも………暁のこと忘れない、から」


その気配が一瞬揺らいだ。

暁はそれに気づいて思わず振り返っていた。






視線の先……朔良の頬に涙がゆっくりと伝ってゆく。






「あ………ど、してだろ……」


頬を伝う涙に気付いたのか、朔良は何度も涙をぬぐうが、それでもなお涙は流れ出る。


「朔良……お前は前に一度我に言ったな。奇跡は己の力で起こすのだ、と」


涙を拭ってやることができないのが歯がゆいのだろう。

口元を歪ませながら暁が言う。


「前言撤回だ。今度は我がそちらの世界に行く。だから泣かずに待っていろ」


その言葉に朔良は目を丸くした。

そしてふわりと笑みを浮かべる。


「うん…………ずっと、待ってる……待ってるから」


再び涙が頬を伝う。

だが、それは先ほどまでとは違い、嬉しさからくる温かい涙だった。






気付けば、元の場所に戻っていた。

神社の本殿、その裏側だった。



「5」

「4」

「3」



カウントダウンの大合唱。

社殿表側では参拝客の殆どが声を上げていることだろう。

これで今年はおしまい。



「2」

「1」

「0!!!」



ざわめきが最高潮に達した。

2015年の幕開けである。



「…………ずっと……この世界で…………」



待ってます。






今夜の奇跡は、恐らくこの神社に祭られている神が互いを想う二人を逢わせてくれたのだろう。

そう考え、本殿ではなく、目の前に聳え立つご神体の岩へと朔良は静かに手を合わせた。






*     *     *






「…………待っている、か」


暁は頬を緩め、呟きを漏らす。

彼女が消えてから、彼女への想いに蓋をし続けていた。

だがやはり無理だった。

この胸の空虚なものを埋めるのはもうあの存在しかいない。

だから己は追いかける。

暁は境界の壁に背を向けて歩き出した。





奇跡をもう一度、今度は自らが起こすために。

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