8
迷宮のような砦の中をくぐり、城壁の物見台の上にわたしは立った。
ちょうど月が地平線から昇るのが見て取れた。どこぞの国では日の出は復活を現しているらしいが、わたしの国では月の出もまた黄泉の時間の開始の意味をしていた。遠くに街の明かりが見える。わたしは夜景というものに絵を見た時と同じ感情を思い起こさせる。中に入ってみたいと思うのだが、実際に行ってみると、これはこれで何か違うという感情だ。
砦の中は工事中のころの音と比べ、すっかり静けさに満ちていた。たまに聞こえる水滴の音が、その静けさを際立たせている。
そこらじゅうに中途半端な状態の工事道具が点在していた。まるでふとここにいた者が煙のように消えたようだ。
仕事中はむせ返るような土の香りもあまり気にならなかったが、こうして別件で来てみるとどこか不思議な感情が芽生えてくる。
わたしは人を待っている。手持無沙汰なので、スキットルに入れた酒を口に少しふくんだ。本来持ち歩くには向かない酒なのだが、この場合味は気にしていない。
おそらく数年後には父を責めることができなくなるだろう。すっかり公正した父が殴りに来るかもしれない。そう思うと微笑みが少しこぼれた。
「ずいぶんと余裕そうなものだな。それほどまでに犯人の予想に自信があるのか」
声に反応し後ろを向いてみると、二人の男が立っていた。
声をかけたのはわたしの腰までしかない背丈だが、それとは似合わない老人のような顔をしており、頭から角を生やしている男だ。もう一人はわたしより背が高く、ヒトの中年のような姿だが、頭から角を生やしている。
わたしはそれを見ていう「もうひとりの子鬼の男はいないのか」
子鬼の男はそれに答える「なんでもお前の都合に合わせてもらえるとは思うな。それで密室の謎は解けたのか?」
わたしは目を瞑り、数歩歩いた。その間に説明することの確認をした「もちろんだ。そちらこそ嘔吐剤は持って来たんだろうな」
「ああ」子鬼がそういうと、チンピラは黙って手に錠剤を掲げた。
それを見てわたしは頷き、話の始まりを告げる
「さて」
「結論から言おう。犯人は換気扇を使って密室を作ったんだ」
わたしの言葉に二人は反応をしない。『それは散々論じた。さっさと具体的なことを話せ』とでもいうように。
「確かに」とわたし「換気扇は高速で回っているため。小さい動物ですら脱出はできない。だが換気扇ごと外したとしたらどうだろうか」
「それは無理だ」と子鬼「その可能性は我々も考えた。換気扇の周りはコンクリートで固められている。到底外れる様子はないし、外した後もなかった。」
「そうだな。だが換気扇事態を外すことと固定することを両方できる便利なものがあったとしたら」
わたしの言葉に二人はいまいち要領を掴めていないようだ。
子鬼はいう「そんな便利なものがあるものか。あらかじめ強力な接着剤で貼りつけたとしてもだ、それほどにも強力であれば外すことが出来なくては意味がなくなる。それとも何か、協力な接着剤を溶かす中和剤というべき未来の技術でも使ったというのか」
「そうはいわない」とわたし「例えばずっと手で押さえておくとか」
わたしの言葉にチンピラが吠える。
「何を意味のわからねえこと言ってんだ!おちょくりにきたのなら時間の無駄だから帰らせてもらうぞ!」
だが子鬼のほうは黙っている。どうやらわたしの言いたいことがわかったようだ。
わたしはいう「たしかにヒトサイズの生物が手で押さえているだけならわたしが意識を取り戻した時点で換気扇を手で押さえている生物を発見ができる。実に間抜けな図となるな。だが貝などならどうだ?」
「貝ぃ?」とチンピラ。
「まず換気扇を取り外せるようにあらかじめ作っておく。この状態だとコンクリートに四角い穴が開いており、縁には金属製の枠がある状態となる。この枠は部屋の内側から見るとコンクリーとよりは低くなっている。そして枠の部屋側の面にに第二種言語的存在のフジツボ等の貝をつけておく。(フジツボは貝じゃないとかいう話はややこしいのでこの場合は置いておくことにする)。そしてフジツボの面にのりしろのように換気扇を張り合わせれば、フジツボが換気扇を掴み、固定することができる。わたしは体重の三倍程度のものなら待つことができるが、体重の何十倍ものものを持てるほどの力を持つ貝類が多くいても何もおかしくはない。電線も多少は伸びるだろう」
わたしの言葉に二人は黙っている。わたしは説明を続ける。
「大まかな犯人は三種類いる。被害者を部屋に運び入れたヒトサイズ以上の実行犯、鍵を部屋内に入れ、脱出した換気扇から脱出した鼠程度の大きさの者。(以後説明の都合上それを鼠と呼ぶ)そして換気扇を固定している貝類だ。
犯行の流れはこうだな。まず部屋の外で被害者を殺し、その後部屋内のわたしを気絶させ、部屋内に被害者を運び入れる。そして部屋の窓の鍵をすべて閉め、部屋を出て鍵閉め、その鍵を小さな鼠に渡す。この時まだだ換気扇は回っていないので楽々と侵入が可能だ。そして被害者の口内に鍵を入れ、換気扇を作動させ、貝類に少し換気扇の隙間を開けてもらい脱出したというわけだ」
「それは」と子鬼「今も換気扇の裏には貝類がいるということか?」
「事件後換気扇に警察以外の人間に触らせていなかったらな。もし触らせていたのならすでに別のもの、それこそ接着剤やセメント等で固定されているだろう」
子鬼はチンピラを睨む。どうだったかと聞いているのだろう。
チンピラはいう「外部の人間には警察以外には触らせていないはずです。けど、内部の人間のことまでは把握はちょっと…」
「おそらくこの犯行は内部の協力者がいるという可能性が高い」とわたし「あらかじめ換気扇の細工が必要だからな。あのビルは蛇中組が建てたのか」
「いいや」と子鬼「あらかじめあったのを買い取ったものだ」
「だとしたらおそらくビルを建てたのは頭頭組だ。調べてもわからないように巧妙に偽装されているだろうがな。そしてそのビルを建てるように進言した者がおたくの組内にいるはずだ。そいつは頭頭組のスパイだ」
チンピラのほうはまだ組に入ってから日が浅いらしく心当たりがないといった顔だ。しかし子鬼は無表情ながらもスパイの目星がついているようだった。
「で、でもよ」とチンピラ「なんでわざわざそんな面倒なことをしたんだ。お前に罪を着せるだとして、密室の謎が破られたら今見たいにかなり犯人が絞られてしまうじゃねえか」
「それはおそらくわたしという存在が想定外だったからだ。もしわたしがいなかったとしたら、密室の中にあきらかに殺害されたという死体が存在しているように見える図となる。この国の殺人の捜査機関は殺人に関しては、魔法に頼っていることもあって、あまり優秀ではない。だからこの場合真っ先に山傘が疑われることになる。それにより山傘と蛇中組の間を対立させようとしたのだ。頭頭組の幹部も山傘を疎ましく思っていた。しかしそれを電人24号が推理による予測をし、わたしを派遣した。驚いた実行犯はひとまずわたしを気絶させたが、しかし殺して部屋に放置すると、24号が本気を出し、密室の謎を解いてしまうのではないかと考えた。どこかに運び込むにしても、大きなものを持っていってはかなり目立ってしまう。窓を閉まっているからな。苦肉の策としてわたしを生きたまま放置し、容疑者を二人に絞り込ました、といった所だろう」
「それで」とチンピラ「具体的な犯人は?」
「それはまだわからない」とわたし「一旦部屋から出てしまえばほかの部屋からの脱出が可能なため絞り込むのは難しい。しかし動機としては頭頭組の人間以外には考えられないので、スパイの線から調べれば、犯人の特定は可能だろう。だから錠剤をわたしてほしい」
わたしの言葉にチンピラは頷きかけたが、子鬼は『こいつは何を言っているんだ』という顔をした。
わたしは舌打ちをこらえた。
「駄目に決まっているだろう」と子鬼はいった「私はここに犯人を連れてこいといったんだ。せめて個人まで犯人を絞ってもらわなくてはこの錠剤はわたせない」
チンピラは慌ててその言葉に頷いた。
わたしはスキトルに入れた酒を飲んだ。アルコール度数が低いのにも関わらず、シェイクされていて美味くもなんともない。
わたしは嫌な酒の味が残った口を開いた「正直にいってそういうと思っていたよ。だが頭頭組がこの町からいなくなった以上犯人の指定は不可能だ」
「だったら諦めたらいいだろう。共食いの罰を負うのが嫌だというのならそこから飛び降りればいい」
わたしは三歩だけ崖に近づいた「いいだろう。わたしの探偵としての仕事はここまでだ。だから」
わたしは城壁の縁に立った「ここからは情報を売ることにする」
「情報ぅ?」とチンピラ「俺達はそれなりの情報網があるんだ。チンケな探偵もどきの情報なんて役に立つもんか」
わたしはそれを無視し、子鬼に話しかける。
「あんたはケンカは強いみたいだが、組内の地位はそんなに高くないな」
チンピラが「んだとコラ!」と叫ぶ。
「それがどうした」と子鬼「煽りたいだけなら帰るぞ」
わたしは酒を再度口に含んだ。嘔吐感をこらえる。「これは情報屋から得た話だが、タシ反対派でもある」
「そうだ」子鬼も一歩だけ前に進んだ。
「組の若い者を山傘がタシ漬けにして帝都中心部に送り、よその国に売り払っているというのは知っているな」
「有名な都市伝説だな。まさかそれが売りたい情報だとかいうんじゃないだろうな」
子鬼は訝し気な顔をした。
「その事実が真実であるという情報を持っているとしたら」
わたしのいったことに対してチンピラは呟く「ハッタリだ」
少し風が強くなり、わたしの髪が靡いた。ポケットから一昨日の路上生活者のから貰ったものを取り出した。それは一枚の写真だった。タシ中毒者の男の顔と腕に番号の形の痣があった。
わたしはそれを子鬼に渡した。そしてその写真についての説明を行う。
「その痣は外国においてのヒトに近い第一種言語的存在の売買の時につけるものだ。その色は禁色なためにほんの一握りの人間にしか使うことはできない。よってそれの偽装は不可能だ。その男はシノギにあってその痣を焼かれたよ。行方不明じゃ怪しむやつがいるからシノギを装って痣を焼き消したんだろう。おそらく、チンピラをタシ漬けにしているのを知っているのはほんの一握りだ」
ちなみにシノギというのはこの町ではホームレス狩りのことだ。ヤクザの稼ぎのこともシノギというので少しややこしい。
昨日介護をしている男に何故わたしにこれを渡したのかを聞いた。すると
「正義感でオレたちを助けてやろうって奴じゃ駄目なんだ。私欲でオレ達を利用してやろうってやつでも駄目なんだ。切羽詰って自分のためにこれ以外の選択肢を選べない、これを使う必要が絶対あるって奴じゃないと。お前はそういう目をしていた」
しかしこの場合は節穴だったのだとわたしは思うが。
「何故お前は」と子鬼「私達がそれなりに持っている情報網でも得られなかった証拠を持っているのだ。ただの金欠の日雇い労働者のお前が」
「この情報を買うのにはかなりの資金が必要だったよ。だから売ったんだよ。ホルマリン漬けの耳をな」
そういってわたしは無いほうの耳を指差した。その言葉に子鬼は初めて顔を崩す「馬鹿か。私なら種族の印を売り払うぐらいなら死を選ぶ。そうまでして生きたいか。恥知らずが。誇りはないのか」
「ああ、生きたいね。這いつくばってでも、糞便にまみれてもね。それと勘違いしてほしくないのだが、わたしは抗争を助長しようとか、あんたたちを焚き付けてクーデターを起こしたいとかいう気持ちはさらさらない。わたしは情報と引き換えに腹の中の虫を取ってほしいだけだ」
子鬼達は相談を始める。
わたしは空を見上げる。比較的今日もガスは薄い。
手ごたえはあった。だが彼らがわたしの腹の中の虫を取ってくれるかはまだわからない。そのまま彼らは帰ってしまうかもしれない。
その時はその時だと思える度胸はわたしにはない。今は祈るだけだ。
何に?自分にか。
「話が纏まった」
そういいながら子鬼がこちらに近づいてくる。わたしは言葉の続きを待った。
「たしかにお前のもたらした情報はかなり価値のあるものだった。信憑性もそれなりにある。我々がこの情報によって何をするかをいうつもりはないが、組に大きく変化が訪れることになるだろう。それほどの価値だ。
それに加えてお前は犯人の指定まではいかないまでも、それなりの部分を推理することが出来た。以下のことを踏まえ、お前の腹の中の虫を取るか取らないかを相談し決定した」
わたしは何もいわない。チンピラも静かに手を後ろに組んで黙っていた。
「その結果」子鬼はもったいぶるように言葉を区切った「少し足りないのではないかという結論に達した」
わたしはその言葉にできるだけ表情を動かさないように努力をする。城壁から地面を見下ろすと、砂が舞っているのが見えた。子鬼は続ける。
「なので私達はお前にチャンスをやろうということになった。とりあえずは腹の中の虫を数ヶ月伸ばす薬を与える。そしてその間に」
上空を見ると鳶が月と重なるのが見て取れた。
子鬼は仰々しくいう。その声はどこか余裕がないようにも聞こえた
「誰でもいい。このチンピラ売買の重要人物を殺せ」
わたしは腕を組んで目を瞑る。首を鳴らし、口を開けた。
「いいだろう」




