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魔法。それは古来神が作り出し、魔女が神に対抗するために解いた言語。論理記号が二つしかなく、関係代名詞が十三重以上に入り組んだ魔の言語。魔女という実際の例があるにも関わらず、現在発見されているこの星の生物には使用不可能と学者は主張しており、魔術師とてその例外ではない。
魔術師は魔法に使われているだけ。そして今現在使われる術が生物を裁く時のみに許可されている。誰に許可されているかは信仰する神話によりけりだが、一般的には神だとか魔女だとか言われていた。そんな魔術師になるには、国家試験に合格し、厳しい修行に耐え、そうして晴れて魔法に使われるようになるのだ。魔術師になれるのは執行人や裁判官、警察官が代表的ではあるが、その職業の者すべてが魔術師になるわけではない。
魔法で裁ける範囲は詳しくは知らないが、大まかに分けて、二通りある。一つは魔術師が捜査により自力で罪を調べ上げ、その罪に応じて魔法で裁く。もう一つは魔法により被疑者が罪を犯したかを調べたのち、しかるべき魔法で裁く。後者で発見できる罪は五つだけだ。殺人、強姦、同族喰い、近親相姦。この五つ。
ちなみにこの共食いというのは、話すことのできる動物が同じ形をした話すことのできない動物を食べる場合は問題がないとのことだ。数百年前は生物を作る罪というのがあったが、魔女が神との戦争において生命創造権を勝ち取ったために今では罪にならない。また『人間』とは話すことのできる生物のことを指し、原種としての『ヒト』と区別するため、人と表記する。それ以外は植物であっても『獣』とされる。
その警察官が来るまでわたしはまた少し痛めつけられた。もう片方の手の指は折られたし、殴られたことにより歯も一本だけ折れた。
金欠の身にとってわたしは大抵安いものしか食べない。安いものは大抵固いので歯が折れるのは困るのだが。
「お呼びですか。蛇中組のみなさん」
そうしてやってきた警官は一人であった。どうやらこの組担当の組織犯罪対策部、いわゆるマル暴の刑事らしい。一目見てこの組から袖の下を受け取っているのがわかる。
よれよれのスーツに、中年のヒトの顔に鋭い三白目の猛禽類のような風貌(今回は比喩だ)。丁寧な言葉使いだが、腹に一物抱えているような雰囲気。そして
「ヒトか…」
わたしの血の混じった口から声が漏れだした。
「ん?ヒトを見るのは初めてですか?」
刑事は倒れているわたしに向かっていってきた。それで笑顔を作っているつもりなんだろうか。
「二人目だ」とわたし。
「そうですか。やっぱりヒトは珍しいので合ったら『君の同族に会ったよ~』とでも言っておいてください。名刺ここに置いておきますよ」
刑事の声色が少し似ていたのに少し腹が立った。取り押さえられている中、顔の横に名刺を置かれても困る。と思ったがタイルのスキマに挿してある。横目で見ると組織犯罪対策部 山傘と書いてあった。
「そんなことはどうでもいい」「いいから外部からの魔法による殺害が可能か教えろ」「それからここにいるやつらと下にいるやつらが殺人を犯した業が背負われているか調べろ」「もしこいつが殺したというなら、捜査第一課は呼ばなくていい。内密に処理する」
子鬼達は手配師に変わり二人でわたしを取り押さえていた。手配師は下の事務所の者に説明をしに行っていた。
「はいはいわかっていますよ。まず初めに外部の部屋からの殺害は可能です」
「それはどういう原理でだ?」「どうやってだ?」と子鬼達。
「それは企業秘密です。それをいったら首どころじゃすみませんよ」
「ならば次の段階に取り掛かるがいい」「こいつは殺人を犯したか?」
そういって子鬼達はわたしの頭を指した。
刑事は返事をし、ポケットから警察手帳を取り出す。紙面には魔方陣がびっしりと書き込まれているのがかすかに見えた。
「子鬼の方は殺人をしていますがこれはかなり前のやつですね。おれが見逃してあげたやつだ、はは。えっと豚飼の方は殺人を犯していませんね」
わたしはその言葉に安堵の溜息を洩らした、だが安心するのにはまだ速いことに気が付いた。
「そうだ安心するのはまだ速い」「実行犯がお前でないとしたら、お前がこの部屋に死体を運び込んだという線は消えまい」「理由は知らぬが」
わたしは血の混じった痰を吐きだした「もうすでにお前達のわたしに対する疑惑は消えているんじゃあないのか。だが一旦疑った以上引き下がれない。そうして無駄な時間を消費している」
片方の子鬼の蹴りが顔面にめり込んだ。小さい背丈からは想像が出来ない蹴りだ。顔より首に対しての痛みが大きい。わたしは話を続ける。
「どうだ?こんな無駄な話を続けるぐらいならわたしに操作をさせてみないか?これでもアルバイトとはいえわたしは電人24号の助手の一人だ」
「いいんじゃないですか?多分この娘拷問じゃあ何も話さないですよ。というか、豚飼人に拷問は効かないという話もある。泳がせるというのも手ですよ。操作卍課は呼びますが、細かい所はコネでチョコチョコっと誤魔化しておきますよ」
刑事がそんなこという。
子鬼達は思案しているようだ。ここで粘り強くわたしを痛めつけるか、泳がせるか。そして刑事にお前がやったのかと聞かないのは、どうせはぐらかすからと思っているから様子を見ているのか。
長い静粛が続いた。時々ビルの窓から車の光が移った。四半刻ほど経って子鬼達は口を同時に開いた。
「いいだろう」
解放する前にわたしは何か虫のようなものを飲まされた。その虫は腹の中にカプセルを入れることが出き、大抵の生物の胃袋で四日ほど生活ができるそうだ。そのカプセルの中には豚飼人の肉が入っていて、四日後までに真犯人を見つけられなかった場合はその中身が溶け出し、わたしは共食いの業を背負うということになる。四日以内に特殊な嘔吐剤を飲めば吐き出すことができる。ただ吐くだけでは出てこず、その特殊な嘔吐剤でなければならないとのことだ。この地区の魔術師は一人しかいないが、ほかの場所はそうはいかない。
「共食いの刑罰は最も重い」「それは聞くも語るもおぞましい」「豚飼人の肉は非常に珍しい」「おそらくこの段層にはお前とお前の父とこれだけしか存在しないだろう」「だからといって貴重というわけではない」「肉としてはヤーフと違いが少ないのでな」「肉としてはお前は耳ぐらいしか高く売れまい」
ということは毒のかわりに同族の肉を食わせて殺害させるという方法がとれるが、この国の法律ではどうなっているのだろう。まあいい。
わたしは医者に行ったのち、ある場所に向かった。
泥霧地区には独特の臭いがある。帝都内で目をつぶっていても場所がわかるのは泥霧地区と他二箇所ぐらいだ。そしてその臭いはある場所に近づくほど大きくなってゆく。わたしは職安センターの隣の街道の前に立った。
デイーゼル動車の通る鉄橋の下、青いシートの家の群れが列となっていた。
臭いというものは二種類ある。一瞬強烈な臭いがした後、すぐに鼻が慣れて気にならなくなる臭い。もう一つは持続的に鼻孔をくすぐるような臭い。ここの臭いは後者であった。
ダンボールの乗ったリアカーを押す者が通る。地面に布団をしいて眠る者がいる。地べたに座り酒盛りをする者がいる。
それらの横を通り過ぎ、わたしはビニールシートの家の一つの前に置いてある鈴を鳴らした。
すると中から「あいよ」と声がして腕が三本あるヒトの顔をした老人が出てきた。
「久しぶり」とわたしは手に持った一升瓶を挙げていった「ちょっと話したいんだがいいか?」
「ああ…」老人の声にはあまり力がなかった「あんたか入ってくれ」
中に入ると凄い臭いの駆けてあるコートによる歓迎を受けた。部屋の中は雑多なガラクタで散らかっている。
ふと部屋の隅を見ると浮浪児であろう少年が座っていた。長い髪に頭には触覚、群人のようだ。
わたしは「お邪魔します」と少年にいったが、無表情でこちらを見ているだけだった。
「そこいらに座ってくれ」老人は板の敷いてある場所を指していった「さて、何が聞きたい?」
わたしは壊れた卓袱台の上に酒と買ってきた冷奴と醤油を置いた「蛇中組について、あと甘軸という男について教えてほしい」
「報復ならやめたほうがいいぞ」わたしの怪我を見て、老人はいった。
「そういうのじゃない。そもそも蛇中組の人間から許可は貰っている」
「フン。そうか、まあ深くは聞かないよ」老人はヒビの入った茶碗に酒を注いだ。そして豆腐に醤油をかけ、食べ始めた「蛇中組といっても何から話せばいいか。甘軸もただのチンピラの一人といった具合であまりこれといった情報はない」
「敵対する組とか、シノギとか」
「この泥霧地区は主に二つの組によって成り立っている。蛇中組と頭頭組の二組だ。互いの組織は敵対しているが、敵対しているからこそこそ秩序が成り立っているという具合だ」
「頭頭組…」
たしか子鬼達もそのようなことをいっていたような気がした。わたしを頭頭組の鉄砲玉だと思ったのだろう。
老人は茶碗に入った酒をいっきに飲みほし、また同じように酒を注ぎながらいった。
「蛇中組のシノギは主に、蚤の市での売買、日雇いの手配、偽装求職手帳の発行とか色々あるが、最近始めたって噂があるのが疑似自殺パッチの売買だ」
わたしの指が少し動いた。
それに気づかず老人は話を続ける。
「疑似自殺パッチが何かは知っているな」
「ああ」わたしは持参の茶碗に酒を注いだ。
「なら話がはやい。奴らの組は契約している工場や会社と組んで疑似自殺パッチを仕分けしたり、配ったりしているんだ。この地区の人間はほとんどが日雇い労働者だからな。見つかっても抱え込んで客にしてしまう。それを拒否した者は翌日行方不明ってわけだ」
わたしは群人の少年の方へ目を向けた「いいのかいそんなこと話してしまって。群人だからどこで話が漏れるかわからないじゃないか」
「彼の意識を共有している個体はすべて把握しているよ。彼らは信用できる」
「そうか。ならいい」
「それで頭頭組のシノギだが、蛇中組と大体同じだが、土地の売買をしている。疑似自殺パットは扱っていないがな。あとは建設業だとか。所謂ゼネコンってやつだな。土漠の砦があるだろ。あれにも関わっているとのことだ」
「あの砦か?社長が正常な判断が出来ないって聞いてたが」
「ああ、あの社長から搾り取っているのが頭頭組ってわけだ。だがな、こんな噂があるんだ。よく砦の前で演説している社長は影武者だって」
「何のためにそんなことをするんだ」
「可能性としては二つある。本物はアレよりいかれちまって、とても社長業なんて出来ない。だから社員が隠しているという説。二つ目はおかしくなったふりをしているというものだ。この町の人間は慈善団体をあまり信じちゃいない。だからおかしくなったふりをして仕事を提供しているという説」
「前者はともかく、後者はしっくりこないな」
「まあな、噂だからな」
「ところで」わたしは闇夜の外を見ていった「疑似自殺パッチ中毒のやつがこの区画にいたと思うんだが、何かしらないか?」
「そんなやつはいくらでもいる」
「亀の姿をした奴だ」
「ああ、あいつか。いつのまにか見なくなったな」
「そうかい」
その後わたしは彼から様々な情報を得た。それぞれの組が経営しているスナック、娼館、バー、等々。またこの路上生活者群の中に、元頭頭組や蛇中組の元組員がいるという情報を教えて貰った。
だがこの程度の情報は両方の組なら把握しているだろう、とのことだった。これからがスタート地点となるということだ。
わたしは懐中時計を見た。これをすべて調べるには時間が足りない。魔法なしで密室からの脱出方法はすでに検討がついてはいるが、犯人を見つけるとまで宣言してしまった。
わたしは速足で次の目的地へ向かう。元組員というのは今外出中であったので、とりあえず頭頭組の経営するバーに向かうことにした。
しかしながらバーでの情報収集は上手くいかなかった。組の傘下とはいえ好奇心旺盛な客も多くいるので得られた情報はそれなりにあったが、あまり役に立つとは思えなかった。
そして次は四件目だ。わたしは頭頭組傘下のゲイバーの前にいた。
ゲイバーにはニューハーフや女装家など女装をした男性・元男性が、主として一般の異性愛者に接客する女装バーと、女装をしない男性同性愛者同士が集うバーの二つがある。この店は後者のようだ。戦前は風当たりが高かった同性愛だが、近年は同性での結婚や出産が許可されたため扱いも変わってきていた。ある学者の統計ではこの世界の半分の人間が同性愛の因子を持っているといっていた。先々代の総理大臣が同性結婚をしたのも有名な話である。わたしは扉を開け中に入った。
中に入ると場違いなものを見る目がわたしに刺さった。女性客を歓迎するゲイバーもあるにはあるのだが、この店はそうではない。青いライトが店の中を染め上げていた。見たところ年配の客が多い。所謂フケバーというやつだろう。カウンターの上に乗って酒を飲んでいる栗鼠もいた。
「女性客自体は禁止していないのよ。ただ女性の一人客はあまり歓迎していないわ」
カウンターの向こう側にいる男性がいった。逆三角形の筋肉質な体に、中年のヒトの顔。ロマンスグレーのオールバックの髪。バーテンダーの服。人の耳が重なるように左右に6つ生えていた。
「すまない、ならば客としてじゃなく探偵助手として話を聞きたい。仕事中で忙しいのなら閉店後後また尋ねたい」
彼は黙って見定めるようにわたしを見ている。周りを見ると客も興味深そうにわたしの方を見ていた。
「怪我のまま来るのは卑怯だと思うかい?」とわたし指を見せていった。
「いいえ、でも逆効果だわ。誰も彼もが荒事に関わりたいと思っているのじゃあないのだから。あなたの傷を見ると大抵の人は火の粉が降りかかるのを恐れて、話したがらないでしょうね」
「生憎時間がなくてね」
バーテンダーは背を向け、氷を削り始めた。帰れということだろうか。わたしが決めあぐねていると、彼は焼酎のロックをカウンターに置いた。
「いいわ。何が聞ききたいの?」
その時に飲んだ焼酎はため息が出るほど美味かった。水が良いとのことだ。楔のバーのロックより美味いんじゃないだろうか。人によっては場違いな場所で飲む物、食べる物というのは不味く感じる多いというが、わたしはその肩身の狭い場所で酒を飲むと美味く感じるという体質だったようだ。
わたしが蛇中組と頭頭組のことについて聞きたいといったら、彼はあきれたようなため息をした。
「さすがに、頭頭組の傘下の店で頭頭組の悪口は言えないわ」
「別に悪口を言う必要はない。褒め称えてもらっても結構だよ。有益な情報ならね」
わたしの冗談を彼は軽く流して、彼はいう。
「探偵助手って云ってたけど、誰かを探しているの?それがわからないことには話しようがないわ」
「そうだな、人探しだな。問題は探している奴の顔も性別も種族もわからないという事だ。依頼人は蛇中組ということになるな」
わたしの言葉に店内の客がざわめき始めた。
「だとしたら蛇中組の悪口も云えないわね」
「そんなことはない、別にわたしは蛇中組の手下というわけではない。依頼主が大した情報を話してくれなかったんだ。だからこうして詳しそうな人に聞いて回るはめになっているというわけだ。どんなことでも話してくれたら嬉しい。ただここじゃあわたし以外の客がよそに漏らすかもしれない」
「この人たちは大丈夫よ。信用できるわ」
「本当に?ここの客全員が?」
「ええ」
俄かには信じられなかった。しかし話してくれる彼がいいというのなら、わたしは黙っているしかない。漏らされて困るのは彼自身だし、それを一番知っているのは彼なのだから。
彼は別の客にカクテルを渡し、再度わたしの前に戻ってきた。そして徐に語り始めた。
「蛇中組と頭頭組は敵対しているわけだけど、だから偶にこの店に蛇中組の組員が嫌がらせに来ることがあるのよ。以前は本当に偶にだった。嫌がらせといっても本当に軽いのね。本気でやっちゃうと組み同士の戦争に発展することもあるし、あっちのほうもそれなりの敵対を続けるために嫌がらせをして小競り合いをしていた、という感じだったわ。対立しているからこその秩序が保たれているということもあったから、それを保つためにね。ただ最近になってからその関係が崩れてきた。蛇中組が擬似自殺パットを扱うようになってから。彼らは蛇中組の組長が変わってから擬似自殺パットを扱うようになったんだけど、それにつれ秩序も崩れていき、この店への嫌がらせも増えてきたわ。それにこの店で擬似自殺パットを配るやつらもでてきたの。誰だったかしら、あの鼠の頭をした…」
「甘軸?」
「そう、そいつよ。そいつがよくこの店でこっそりと配ってたわね」
「つまりあんたは甘軸を恨んでたってわけか?」
わたしの質問に彼は目を細めて見つめる。
さて、今のわたしの言葉で彼が殺されたことに気づかれただろうか。
「そうね、彼は蛇中組のなかでも擬似自殺パット推進派だったという噂だったし、ここにいるすべての人が恨んでたんじゃあないのかしら。お客さんの中に擬似自殺パット中毒になった人もいたわ」
わたしは隣の客の栗鼠に「恨んでたか?」と聞いてみたら「い、いや、私は別に…」と誤魔化すようにはぐらかされた。わたしが信用できないのだろう。
「ちょっとちょっと。消極的なお客さんに聞くのはマナー違反だよ」とバーテンダー。
「そいつはすまなかった」
言った後わたしはグラスの焼酎を飲み干した。彼が後ろを向き棚の酒を選びにかかった。どうやらもう一杯入れてくれるようだ。わたしは財布の中身を確認し、もう少しぐらいなら大丈夫だと自分に言い聞かせた。
「俺は恨んでたぞ!」
後ろかの声にわたしは振り向いた。しかし誰が言ったかはわからなかった。誰が言ったのか聞いてみたが、誰も彼も知らないという。匿名希望ということらしい。
二杯目はグラスに入った酒に金魚のような魚が泳いでいた。嫌がらせなのだろうかと思ったが、どうやらこういう酒らしい。戦後間もないころの配給の酒は『金魚酒』と揶揄されていた。金魚が泳げるほど薄いということからついた通称だが、それからヒントをへて作ったものらしい。金魚が泳げるほど薄い酒をどうにかして美味くできないかと思い、研究に研究を重ね完成したのがこの酒であるという。
「この金魚はどこかに移せばいいのか?」とわたしは物珍しげにグラスを見ながらいった。
「いえ、そのまま飲んでちょうだい。飲んだ後にこの金魚鉢に移してくれるといいわ、ただし殺さないでね。いえ、食べるのならいいんだけど、無駄に殺しちゃ料金倍よ」
「ええ…?なんのために?」
「スリルがあったほうがお酒を美味しく感じる人のための酒でもあるの。あなたそういうタイプでしょ?」
「生き物を粗末にするなよ」とわたしは柄にもないことをいったが、「粗末にしてはいないわ、わたしは美味しい酒を飲んでもらうために命をかけているの」と返された。
わたしは観念して酒を呷った。
たしかに美味い。この僅かばかりのアルコールと、水と薬草のバランスは奇跡としかいいようがない。金魚の生臭ささえ愛しく思えた。金魚が死なない程度の僅かばかりの酒を残し、わたしは名残惜しそうに金魚蜂に金魚を返す。
「ところであなた、どちらの組の傘下でもないレズバー教えてあげましょうか。お仕事もいいけど、出会いの場所も必要でしょう」
と彼はいきなりそんなことを言い出した。
「わたしは異性愛者だ」
わたしは注がれたストレートのウイスキーを傾けながらいった。
「あらそうなの。そんな話し方しているからてっきり」
「これはただの豚飼人の訛りだ」
その後ほかにも様々な情報をもらった。計八杯飲んだことになる。当分はろくなものが食えないだろう。最後に何故ここまで話してくれたのかと聞いた。
「あなたの目に蛇中組への憎しみが見えたからよ。だから…」
「だからわたしを利用できると思ったからか。頭頭組元若頭さん」
わたしの言葉にバーテンダーはわざとらしく驚く。ほかの客は知っていたのか特に表情の変化はない。
「あらやだ。知ってたの?」
「腕のよい知り合いの情報屋の知り合いがいてね」
「鳥の人?」
「いや、ホームレス街道の老人だ」
あいつも腕がいいのか。一応頭の中にメモをしておく。
「ああ、あの人ね」バーテンダーは微笑み何か封筒を取り出した「これ私のいた組員からあなた宛ての手紙」
わたしは黙ってそれを受け取り、開いた。
中には一枚の写真が入ってあった。
裏には『俺はいま頭頭組で研究をしている』という文字が書いてあった。
私は写真を裏返した。そこにはわたしが砦で見た社長と同じ種族である亀の姿をした男が写っていた。男はセピア色の写真の中、正面からこちらを見ていた。鋭い眼光ではあるがどこか疲れた様子も見受けられる。
わたしはその男を知っていた。忘れることはできまい。
その男はわたしに共に擬似自殺パットの仕分けをしていた工場を襲撃しようと持ちかけ、憎んでいたはずのそれに身を滅ぼしたと思われていた、わたしがこの地区に来て初めて出来た友人だった。