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工場群を通り抜け、猪の男に礼を言いって別れわたし達は泥霧町を歩いていた。
「思ったより普通だな」
そんな声が鉈釣から漏れる。
あたりを見回すと確かにわたしの住んでいた下町とあまり変わらないような場所であった。路上生活者達がテントを張り、様々な頭をした労働者達が闊歩する。怪しいネオンの光が町を照らしている。立ち飲み屋で通りにはみ出して飲んでいるものもいる。道路に座り込んで酔い覚ましをしているものいる。よく見た風景だ。
「わたしはさっさとドヤに向かいたいんだがその知り合いというのはどこだ?」
「ああ、それを俺が今から説明し…」
「いや、人に聞こう。どうせまた迷う」
「まだ一回しか迷ってないのに、人のイメージを決め付けるのがお早いようで」
「じゃあ掛けるか。わたしは迷うほうに2万」
「乗った!」
こうしてわたしは泥霧地区について初めての収入を得たのであった。
泥霧地区。それは労働者の集う町だ。ドヤ(簡易宿舎)が多いこの町は、日雇い労働者の拠点場所となっていた。帝都内最大の寄せ場がここである。勝利したとはいえ第三次魔女対戦の被害は計り知れないものだった。戦しか知らぬ種族にとって社会の歯車となって平和な仕事をすることは多くの困難を極めた。そうして居場所を無くしたものたちはこの場所に落ちていく。この場所に来たところで救いがあるわけでもない。ただしがみついた場所がここだったのだ。そうどこかの評論家が言っていた。
わたしは鉈釣と別れドヤ街に向かった。
わたしは以前家出をした時ほかの町でドヤに泊まったことがある。その時は一部屋に二段ベッドが四箇所、合計で八つのベッドがある、ベッドハウスと呼ばれる簡易旅館に泊まることにした。ベドの一畳のスペースを自由に使用することが出来る上、モノクロテレビ付。カーテンで仕切ることでプライバシィもそれなりに保たれるので、比較的快適な場所であった。
カーテンだけでは光の影響で何をよっているのかがわかってしまうのだが、そこはダンボールを裏打ちして凌いだ。
ベッドハウスに住む場合最も大きな障害となるのが音だ。ダンボールで遮断してしまうと、隣接した場所に他人の生活スペースが存在するというのを忘れがちである。皆意識をしているのであろうが、やはり人間に限界はあるもので無意識の中で他人の睡眠などの妨害を行う音声を出してしまうこともあるのだ。
そのことで小さなトラブルに多々なったものだが、それとは関係なしに女が住むにはいささか難儀であったために一週間ほどで出て行くはめとなった。
その点を踏まえ、今回はたたみ二畳ほどの個室のあるドヤを選んだ。テレビと金庫が付いており、以前泊まったベッドハウスよりさらに快適な場所といえるだろう。よくわからない虫がいたので箒で追い出した。わたしは布団を引き、泥のように眠った。
次の日わたしは泥霧地区労働者福祉センターに向かった。無論日は昇っていない。
この場所は初心者が初日から仕事が取れるような場所ではないと聞いていた。だから今日は様子見という形であった。
ある国では日の動きを基準に予定を立てるそうだが、この国は月の動きを基準としている。労働センターのシャッターがゆっくりと上がっていくと、並んでいた労働者達は中腰になってシャッターをくぐり、求人ボートが掲げられている窓口まで小走りで近づいて行き、求人内容を点検するためにボードを見上げる。わたしもそれに習おうとしたが、人の波に飲まれてうまく進むことが出来ない。もっともわたしは求職カードを発行していないため、彼らとは別の窓口に向かうことになる。彼らはいくつかの窓口の前を行き交いつつ、ボードを吟味し、選択が決まるとセンター発行の求職カードを窓口に差出し、「六番!」とか「三十四番!」というように職員に告げていた。
わたしはそれとは別の窓口に向かう。
「求職カードの発行をお願いしたいのですが」とわたしは四角いマスクをした事務員にいうと「それではこの書類へのご記入と種族の証明書のご提示をお願いします」と事務的な声で返しを受けた。
わたしがこの泥霧地区でしか働けない理由、それがここにある。従来種族証明書とその本人の外観が一致しない場合はその種族とは認められず、仕事を受けることができない。特徴を欠損したものは、命の次に大事な種族の証を亡くすほうが悪いという扱いとなる。一応故意に他人の種族の特徴を欠損したものは殺人と同等の罪が課せられるが。
そして種族証明書と本人の外観の一致の審査が甘いことで有名なのが泥霧地区であった。さすがにトカゲの顔をした者が狼の種族の証明書を提示したとしたら、それは認められないが、豚の顔をした者が猪の顔をした種族の証明書を提示したら通ったという話を聞いたことがある。
「123歳か。思ったより歳上なんだな」
書類に個人情報を記入していると聞き覚えのある声が聞こえてきた。わたしは顔を上げて声のした方向を見る。そこにはニセハナダモドキ草の入った植木鉢を持った少年が立っていた。昨日楔を送り届けた時に会ったバーで働いていた少年だった。ヒトの顔をしているが頭に蟻のような触覚を生やしている。目をよく見ると複眼のようだ。確か群人とかいう種族だったと思う。
わたしは「昨日はどうも」と少年に頭を下げた後、植木鉢の中の楔に答える。
「あんたも来たのか。植物にしかできない仕事も沢山あるというのは本当だったんだな。そういうあんたは何歳なんだ?」
「20歳」
「そんなもんか。いや植物としちゃあ結構な歳だろうが」
その後楔は用事があるからといって少年に連れられ帰っていった。見かけたからちょっと声をかけただけらしい。
その後わたしは無事に求職カードを発行して貰った。
先ほど労働者は沢山いたが、今ではもう数人しか残っていなかった。今日の仕事は残ってないだろうが、どんな仕事があったのか受付の人に聞くと冊子のようなものをもらった。これに書いてあるそうだ。わたしは冊子を開ける。
『畑を荒らすミドリウオオオカミの退治のための人員募集』『研究のためのニシカリヤトリムシの採取のための人員募集』『ビルの解体作業』『宅配荷物の仕分け』『魔方陣写植作業(用資格)』
様々な求人が出されているがその中で一つ気になる仕事があった。
『土漠西部への砦の建設の人員募集』
内容はよくある土工の仕事である。しかしながら募集人数も多く、給料もかなり高い。この仕事が今日で終わるということはないだろう。明日来た時はその仕事が残っていたら選ぼうとわたしは決めた。
◇
「この砦は悪鬼と戦うためのものです」
次の日わたしは見事仕事を取ることができ、その後雇い主の多脚バスに乗り目的地についた。その派遣元会社の社長の言葉がそれであった。
その言葉に初めてここに来たであろう労働者はキョトンとし、すでに何回も着ているという労働者は呆れたような顔をするものや、失笑のような笑みを浮かべたものがいた。
その砦を作っている会社の亀のような姿をした社長は言葉を続ける。
「千年に一度の悪鬼の襲撃。その時が迫ってきています。記録では悪鬼は地下から来ると大崖の向こうからから来る。その姿はヒトに似ていて、全裸で略奪、殺戮を繰り返す、そういわれています。私は前回の襲撃の時はまだ生まれていませんでした。しかし私の祖父は多くの仲間や家族を失いつつも、見事故郷を守り抜きました。私達もそれに習い…いや前回よりも大勝利を収めるべく、この砦を作ることを計画しました。さあみなさんの一人一人の力が勝利という幸福を掴むのです。がんばりましょう!」
社長であろう人の熱の篭った説明に、社員の統制のとれた拍手が上がる。それに反するように日雇いの人間達は戸惑う顔が多かった。「悪鬼って知ってるか?」「さあ…?」といった声が聞こえてきた。
わたしの割り振られた仕事はひたすら土嚢袋を運ぶ仕事であった。わたしは自分の体重の2倍の物なら楽々運べるのだが、今回はさらに1.5倍の土嚢を運ばされることになる。そこまでの量となると問題は重さよりも持つ場所がなくなることである。そのため無理な体勢で運ぶことが多くなり余計な体力を使う。一旦地面に置いて、体制を立て直すのだがあんまりチンタラしていると、すかさず蹴りが後ろから飛んでくる。種族によって運ぶ量は違うのだが、戦後間もないころ豚飼人は今のさらに二倍ほどの量を運んでいた、そうベテランの熊の顔をした先輩が云っていた。当時ならわたしはこの場所で生きていられなかっただろう。
そのほかには灯をともす仕事などがあった。砦の建設は野外のため、暗がりで行われる。そのためランタンやロウソクで手元を照らす必要がある。それは数か限られているため、計画的に行われなければならない。
そのランタンを運ぶ仕事は本来重いものを持てない種族のための仕事なのだが、偶に欠員が出て、代わりをやらされたことがあった。土嚢袋を運ぶよりははるかに楽なため、その仕事に当たった日はかなりの幸運と言えるだろう。
きつい仕事であったが給料がよく、多くの人員を募集していたため、わたしは毎日のようにその仕事を請け負った。違う日もあったが。
暗闇で仕事をしていると自身が砦に一体化したような感覚に陥る。ただ砦を作る機械の一部になったような感覚に。そして仕事によってはただその場に留まり同じことを繰り返すものがあった。そんな仕事をしていると、灯によって生まれたわたしの影と共に仕事をしているようにも感じる。いつかこの影が一人でに動いて、仕事をし出すのではないかとも思えた。
ドヤの宿泊はホテルなどとは違い毎日同じ顔と会わせることが多くなる。だからといって同じドヤの住民同士で仲良くなるというのは少ない。
ベッドハウスほどではないが、ドヤの個室というのは防音が甘い。だから隣の部屋から独り言や恨み言が聞こえてくることが多いのだ。その内容を聞いて聞かなかったふりをすることもあるし、怒鳴りにいくこともある。わたしも怒鳴られたこともある。ドヤとはいえ自分の住んでいる場所だ。外に出ているときには絶対にしない行動をしたりもする。こんな所を親しい人に見られたら失望を恐れ二度と顔を合わせられないだろう。
そういうわけで親しくなるのは仕事場の仲間との間が多かった。
だからわたしが泥霧地区で一番印象に残っている人物について今から話そう。その人物の種族は…。まあどうでもいいだろう。
彼はここに来る前は研究職をやっていたと云った。
彼は話を聞くのが上手、というか話を受け流すのが上手であった。あれくれ者の多いこの街ではケンカが絶えない、というほどではないが少なくはない。そんな街で彼の、他人の意見を否定せず、肯定し過ぎずの姿勢はかなり珍しかった。それでいて彼の中には断固たる自身に満ちているように思えた。だから彼が酒の席とはいえ、職場の機械をぶち壊そうと提案をしてきたときは、わたしは驚きで飛び上がった。
「もう我慢できねえ。壊そう、壊すんだ。あのクソみてえな機械をよ」
彼は普段表情を顔に出さない男であった。使えない新入りが逆切れしても無表情になだめていたのも見たことがある。その後彼に新入りが謝っていたのを見たことがある。だからこんなふうに彼が感情をこめた顔をしていたのを、わたしはその時初めて見た。
彼とわたしがよく顔を合わせるのは砦とは別の、肥溜めの工場での仕事の時だった。文字通りクソみたいな仕事場だ。
それはあの主任のせいか?わたしはそう尋ねたが、彼は違うという。
その主任というのはよく勘違いでどなりつけてくる上司のことだ。その上自分の仕事はよく失敗し、さらにそれを別のやつに押し付けたこともあるそうだ。
「前立腺ピアスって知ってるか?まあ文字通りのやつなんだが、そいつをつけた初日は常に盛ってるような、ヨガってるような顔をしてるんだ。あいつの顔はまさにそれだ。」
というのはわたしの言葉であるが、そのような感じで日雇いの労働者からは嫌われていた。
しかし主任は関係がないらしい。するとなんだってんだ、と聞くと彼は疑似自殺パッチというものについて語りだした。
曰く泥霧町と隣町の間のあたりにゲームセンタァとやらがある。そこではディーゼルコンピューターとオジロスコープを組み合わせたテもので庭球ゲームとやらができる。それは生物の脳波で操作するのだとか。
「玉を打ってはじいて競うゲームなんだが、失点すると衝撃が走るんだ。それ自体は軽いもので大したものじゃないんだが」
問題はその衝撃を強くするための機械が存在するのだと言う。初めは若い奴らがスリルを求めて広まっていったのだが、次第に衝撃が気持ちいと感じる奴が現れ始めた。そしてその衝撃に依存性や中毒性があることが発見された。その機械が若者の間で広まることに危険視されているのだ。
「俺の故郷はそれが広まったせいで滅びた」
「そこまでか」
その失点時の衝撃は多大な快感を呼び起こすが、常習しているやつは怒りやすくなったり、幻覚を見たり、最悪死ぬなどという後遺症がある。銃で撃たれたような衝撃と快感と喪失を得るため疑似自殺パッチと呼ばれていた。
「それでこの工場と何が関係あるのかというとだが、これを見てくれ」そういって彼は手のひらサイズのチップのようなものを見せてくれた。
「これがその疑似自殺チップか?」とわたしはそれを覗き込んだ。
「ああ、実はこれがこの工場の肥溜めに隠されて仕分けされ、運搬されているんだ。きっとこの工場自体がグルなんだろう。許さねえ、俺たちを騙してこんなクソみたいなことの手伝いをさせるなんて。復讐だ!故郷の復讐してやる!」
わたしは彼の言葉に考える時間をくれとだけいった。
彼は命をかける気でいるような権幕であった。しかしながらわたしはこの街に来てからあまり時が経っていない。いきなり流通を壊そうと言われても困るというものだ。
そうはいってもわたしを協力者に選んだのは、わたしが新参者ゆえのことなのだろう。泥霧地区に住んでいる奴というのは大抵訳ありだ。ほかに行き場所のないやつらばかりだ。だがもしかしたら、まだ泥霧地区に沈みこんでいない新参者なら、ほかに居場所もあるかもしれない、そう彼は思ったのだ。
だが生憎わたしはこの町で生き続けることを選んでいる。彼の目に狂いがあったということだ。
しかしながら彼の申し出を受けようという思いが、わたしのなかにあることに気がついていた。協力するのに五割、断るのに五割といった所か。
そしてわたしはその協力する可能性について自己分析したところ、義憤ではなく嫌いな職場への憂さ晴らしをしたいという気持ちであることに気がつき、少しの間自己嫌悪した。しかしそれでも別にいいかもしれないと思い、わたしは明日協力すると返事をしようと決心した。彼もそれを狙っていたような気がする。
だからわたしは驚いた。次の日わたしは彼に協力すると返事をしたら彼は昨日のことは忘れてくれと言ってきたのだから。
「すまん。酒のせいだ。忘れてくれですむ問題じゃないとは思うが、頼む」
たしかに酒は入っていた。だが彼は少量の酒で我を忘れ、テロルの宣言をするような男ではなかった。
もしや怖気づいたのか?その時わたしはそう考えた。それならそれでいい。わたしの動機は不純であった。彼をわたしが責めることはできまい。しかし、昨日の彼の怒りは本物であるように見える。一晩程度で冷めるとは思えないほどに。
だがわたしはそれ以上の追及はしなかった。
そして月日が流れその肥溜め工場で彼と会うことは次第に少なくなっていた。
以前彼と似た男を見かけたことがある。その男は路上生活者のテントに住んでいた。
その男の目はどこか遠くを見ており、焦点が合っていなかった。彼から聞いていた、擬似自殺パッチの常習者そっくりの目であった。
彼は擬似自殺パッチのせいで故郷が滅びたと云っていた。つまり彼も使っていた可能性も高い。この地に来たのもそれのせいで身を崩してだろう。長い月日を使って中毒症状から抜け出したに違いない。そんなある日彼は仕事中にかつて自分を苦しめた擬似自殺パッチを見つけた。きっとそれを見て彼は怒りに燃えたと同時にこう思ったのだ。
もう一度使いたい、と。
今の様子を見ると誘惑には勝てなかったのだろう。そうして彼は自分が復習などする資格がないと悟り、計画を中止したのだ。
わたしは舌打ちしたいのを堪え、その場から立ち去った。
馬鹿な話だ。しかしこの町じゃよくある話だ。そう自分に言い聞かせて。