(1)
お待たせしました。
ソニアがいる部屋の前で兵士が倒れていることに気付き、クリスは慌てて駆け寄り兵士に声をかける。
「しっかりしなさい! 君!」
兵士は呻き声を上げながらゆっくりと覚醒し、自分を抱き上げる男を眇めみながら告げた。
「若い令嬢に話しかけられた途端に……殴られて……中にいるお方は無事で……?」
と、弱々しい口調で訴える。
まだ痛むのか後頭部を押さえる兵士を王妃に頼み、クリスは腰に携えた剣に手をあてながら扉を開けて中に進入した。
開けてすぐの部屋には、控えの侍女が兵士と同じように倒れている。
クリスは彼女の息があることを確認すると、奥の部屋に繋がる扉に足早く迫る。
この扉の向こうには、ソニアが一人で残っていた。
兵士の話だと、後から令嬢らしき女が一人、入ってきたのは間違いなさそうだ。
クリスが扉の取っ手に手を掛けた時――
「パメラ……そうね、私達、生きていても仕方がないのかも知れないわ……」
「ええ、そうよ、ソニア……。だって貴女の血は、強欲にまみれているもの。神につかえる者の土地を奪うなんて、悪魔に取憑かれた者しか出来ないわ」
――何だ?
ソニアといる女の声がおかしい。
いや、女と男がいてソニアを惑わしていているのか?
そう思うのは、男の声と女の声が同時に発し、同じ台詞を一語一句違えずに喋っているように聞こえたからだ。
――しかし
「ソニア、悪い貴女の血はもうこの世に残してはいけないわ……。死にましょう? 寂しくないように私も一緒にいってあげる」
禍々しさが扉を越えて、自分の身にまで伝わる。
何より話す内容が――クレア家の内情にかかるものではないか。
「ソニア様!」
クリスは畏怖を掻き消すかのように、部屋に飛び込んでいく。
「―― !」
クリスの視界に飛び込んできたのは、失神同然のソニアと、ソニアを抱き寄せる黒髪の娘。
二人の手には鋭利に輝く短剣があり、ソニアの喉笛に向かっていた。
「――止めなさい!」
駆け寄ろうとするが、黒髪の娘が、
「近付くな!」
とクリスを激しく威嚇した。
見ると、ソニアくらいの年頃の娘だ。
(どこかで見たことが……)
そうだ、修道院にソニアを迎えに出向いた時、彼女の傍らにいた少女。
ソニアの口から、よく名が上がっていた。
「……パメラ、様か……?」
クリスの問いに少女は蠱惑的に、だが禍々しく微笑む。
「何をなさるか。そんな危ない物は下ろしなさい。貴女には相応しくない」
ある可能性をクリスは考えていたが、断言できない。
ソニアの親友のパメラなら、彼女からクレア家の事を聞いたかも知れない。
――だが
「兵士と侍女が倒れていました。――貴女の仕業か?」
剣一つさえも握ったことの無いような細い腕には、二人の人間を気絶させる程の力が、あるように見えない。
それに、娘の声に被るように発せられる声は男の声音だ。
考えられる事は一つ。
一歩、足を進める。
慎重な様子のクリスを見て、パメラは薄笑いを浮かべた。
<もう、遅いわ! クレア家はこれで滅亡するのだ!>
「―― !」
だらんとソニアの頭が後ろに反り返り、白い首筋が露になる。
その喉笛に向かって、パメラは短剣を突き刺そうと振り落とした
――その時
「ソニアから離れなさい!」
王妃の怒りによって放たれたヒールが、パメラの顔に直撃した。
<――ギャッ!>
手に持つ短剣がソニアの喉から離れた瞬間を、クリスは逃さなかった。
パシン! と言う弾けるような音がし、短剣が床に滑る。
同時に、軽いパメラの身体も弾かれて床にふっした。
クリスは急に意識を戻したソニアを抱き寄せて、剣を抜いた。
――パメラに向かって。
「ソニア様の無二の親友の身体に乗り移り、近付くとは……! 彼女の身体から離れろ!」
「……クリス様? 何が? 止めて、パメラに剣を向けるなんて!」
今、目の前に起きている緊迫した現状に混乱をしながらもソニアは、親友に剣を向けているクリスを止めようとする。
「ソニア! 怖いわ! 」
怯えた眼差しで、剣とソニアを交互に見て泣き出したパメラは、いつものパメラだ。
「クリス様! 剣を下ろしてください!」
「彼女は貴女の親友であっても、親友ではありません! 貴女に手をかけようとしたのですよ?」
「――それは……私達、死のうと……」
「何ですと?」
ソニアの告白にクリスは仰天し、ソニアに視線を移す。
<そうよ、邪魔しないで!>
パメラの口からまたもや男の声音が出て、刹那――自らクリスが向ける剣の先に、身体を投げ出す。
「パメラ、駄目!」
ソニアが叫んだ。
叫んだと同時、パメラの身体が横に吹っ飛んだ。
「王妃様!」
パメラの横っ面をひっぱたいて、剣先から回避させたのは王妃だった。
「……先程から怪しいのよ、貴女。うら若い女性の声と、親父臭漂う声がはもっていて――どなたが取憑いていらっしゃるのかしら?」
王妃が、ヒラヒラと真っ赤になった平手を冷ましながら、吹っ飛んだパメラを見下ろす。
「王妃! 下がってください!」
クリスが叫ぶ。
両手を付いて項垂れるパメラの黒髪が、ざわざわと風も無いのに動き出した。
それは頭から、無数の蛇がうねっているようにも見えて不気味だ。
流石に危険を察知した王妃も後退する。
<おのれ……何度も私の邪魔を……>
這いずるような低い男の声がパメラから聞こえ、瞬時、こちらに顔を向けた。
「―― !」
バメラの性格を表すような、穏やかな少女の顔ではない。
憎々しげにこちらを睨む顔は、栄養過多で太りすぎてパンパンに腫れた顔だった。
血圧が高いのが一目で分かる程の赤ら顔に、丸い鼻。そして小さめの瞳と口。
それは醜悪に歪んでいた。
「パ……パメラじゃない……! パメラじゃないのに……身体はパメラの……!」
事態を飲み込めず、混乱を起こしているソニアの肩をクリスは引き寄せる。
怯えてこちらを見ているソニアに、不気味な笑いを見せながらパメラは立ち上がった。
そして両手を広げ王者のごとく、堂々とソニアを見下ろす。
<この娘の身体は、私がもらい受けました。――大変過ごしやすい身体で私も助かっていますよ。あのセヴランとかいう王子でも良かったのですが……清らかな身体に腐敗した心、と言う対極する中で悩み苦しむ、この娘の中の方が居心地が宜しい――助けを求めて止まない心は、私を清々しく愉快な気持ちにさせてくれます>
――腐敗した心?
「パメラは……どこへいったの? 腐敗したって……パメラは何をしたの?」
<おのれの現状に耐えきれず、神にすがりました。神の御使いであるこの私に! 安心なさい……ゆっくり、ゆっくりと私と同化し、私の一部となっていく。これは大変に名誉なことだ――さあ……>
パメラの手が、ソニアに差し出される。
<たった一人の友の手で、その罪深き血を未来永劫に幕を閉じることが出来るのですよ。私のせめてもの温情です>
「……パメラをどうする気?」
ソニアの問いに男は顔をパメラに戻し、口角を下げて悲しい表情が表れた。
<辛いの……とても。叔父は広げた事業が失敗して、私が両親から受け継いだ財産にも手を出したの……。だけど更に借金が重なるだけで……私を担保にして、あんな悪どい金貸しの息子に引き渡すのよ……。私……すごく嫌なのに、嫌なのに! その人達の前では笑ってみせて、楽しくもない話にもいかにも楽しそうにしてみせて……! 変わらないわ! 修道院にいた頃と、ソニアの前にいた頃と変わらない! 自分を偽って……!>
「パメラ……」
<ソニア、私、いつも貴女が羨ましかった。いつだって、誰かが貴女を気にかけていてくれている。気が付けば貴女の回りには人が集まっている。シスター達や、修道院に行儀見習いに来た子女達――みんな貴女に惹かれていく。私は必死だった……。同室で他の人達よりずっと貴女に近い位置にいたけど、いつ嫌われるか、いつ仲間外れにされるか怖かった……。もしかしたらクレア家の主人としての力を利用して、修道院から私を追い出すかも知れない――私、修道院を追い出されたら、何処も行くところが無いって知っていた。叔父と叔父の家族が私の場所を取り上げて、私の居場所は無かったから……必死だった。貴女に嫌われないように良い顔して、神経すり減らしてヒヤヒヤして。貴女が修道院から出て行ってくれて、心からホッとしたわ>
フッと微かに息を吐き、安堵の表情を浮かべたパメラだったが、すぐに悲しげな顔に戻る。
胸に手を当てて、息苦しそうに顔を歪めた。
<なのに……なのに! 叔父が結婚を決めるために迎えに来たのよ! 本当にソニアが叔父に言い付けたのかと! その時、私、初めて貴女を憎んだ!>
「私……まだ、貴女の叔父とは会っていない……!」
<ええ、それは勘違いだとすぐに分かった。……でもね、分かったのよ。私、貴女を憎んでいた、嫉妬していた。財を持っていて何もしなくても周囲から愛されて……! 同じ境遇なのに! どうして? どうして、貴女は恵まれているの? どうして私の方が不幸なの? だったらせめて愛している人と一緒に生きていきたいのに、どうして私は好きになれない人と一緒にならなくてはいけなくて、ソニアは好きになれそうな人と一緒になれるの? ――もう嫌よ!>
苦しげに胸を押さえたままに俯いたパメラだったが、顔を上げてソニアに向けた時には、あの例の男の顔になっていた。
<嫌よ、嫌よ! 自由に生きるの、心のままに生きるの……。愛されなくても良い。嫌われても良い。
心のままに貴女を憎んで嫉妬して――こ ろ す>
次回は3/5に予定しております。