(1)
(さあ! ソニア! ちゃんとクリス様にお話をするのよ!)
三日目、生誕祭最終日。
淡いオレンジ色のシンプルなドレスに、レースをあしらった春の暖かな日だまりを連想させる装い。
最後の日だからと大胆に肩を出し、少々大人っぽく仕上げた。
その首元にはクレア家の秘宝の一つである大粒のダイアで仕上げたネックレス。耳にはネックレスと同じデザインのイヤリングが下がる。
部屋から出て真っ先に出迎えたのは、クリスだった。
「姫君、お迎えに来ました。昨晩は申し訳ない」
いつもの豪胆かつ、明るい彼にソニアは負い目を感じ、つい視線をそらしてしまう。
「……いえ、私は平気です。セヴラン様がエスコートしてくださいましたから」
「セヴラン様が?」
ソニアの手を取りながら、不審な表情をしたクリスに意を決意する。
――話すなら早い方がいい。それにここなら人気がない。
「昨晩の舞踏会でお互いの気持ちを確認しました。……それで、その……彼の求婚を……受けたい……のです!」
言った!
言ったわ!
言えた安堵感と同時、言い様のない胸の痛みにギュッと拳を握るソニアに対して、クリスの返答は即刻に返ってきた。
「――いけません。他の方ならともかく、今のセヴラン様はいけません」
「……えっ……? そ、れは……?」
即、反対されたのもソニアにとって驚いた事だが、それよりも驚いたのはクリスの態度だった。
冷淡な表情に見あった冷めた態度。
初めて自分に向けられた厳しい眼差しに、ソニアはたじろいだ。
「久し振りにお会いしたセヴラン様が、幼い頃に共に過ごしたままの彼だと思って、理想のままにみてはいけません。貴女が泣くことになりますよ」
――泣くことに
泣いたわ、もう。
セヴラン様は変わらずに優しかった。その優しさに頼ってはいけないの?
「……もう、泣きました」
そう言葉を租借して、飲み込んだ。
「えっ?」
その言葉はクリスの耳に届かなく、聞き返す。
「クリス様は私のこと……どう思っていらっしゃるの……?」
ソニアの突然の問いに、クリスは驚いたように目を見開く。
そして「まいったな」と一言呟いて頭を搔いた。
「今、私の気持ちどうこうの話ではなくて、姫君の――」
「どうして私の名を呼んで下さらないの? 『ソニア』と」
構わずソニアは、今までの疑問をクリスに投げ掛ける。
「何故、ずっと私のことを『姫君』と呼ぶんですか? 名を呼ぶことで親しくなることを避けたいのではないのですか?」
「姫――」
「止めて!」
ソニアの拒絶の叫びに、クリスは目を見開いたまま止まる。
「クリス様は、他に心を捧げているお方がいるくせに、それなのに私と結婚して……その方の想いを抱いたままに私といるの? それではセヴラン様のこと言えないじゃない! 自分のこと置いといて人のことを言うなんて……! 」
「それは――」
明らかに動揺を見せたクリスにソニアは、パメラの聞いた噂は本当なのだと分かった。
「少なくてもセヴラン様は、求婚してくださいました。父であるパトリス王に報告したいと言ってくださいました。その態度は誠実でした。今夜、王にクリス様との婚約を解消してセヴラン様と一緒になりたいと願い出るつもりです!」
「姫!」
「もう構わないで!」
ソニアはクリスの手を振り払い、その場から逃げ出した。
◇◇◇◇
(セヴラン様! セヴラン様はどこに……?)
部屋まで迎えに行くから待っていてと言われたけど、今はあの場所にいたくない。
迎えに来るならもうすぐ近くまで来ているかも知れないと期待したが、ソニアの使用している部屋の周辺にはいなかった。
舞踏会会場に入れば、また貴族の子息達に囲まれてしまうだろう。
ソニアは一昨日セヴランと会った、懐かしいあの東谷に向かう。
セヴランなら部屋や会場に自分がいないと気付けば、検討をつけてここに探しに来るかもしれない。
夕暮れの黄昏時の、秘めやかな雰囲気が漂う庭を奥へ進んでいく。
転ばないように足下に気を付けながら、目的の東谷が見えてくると、すでに先客いる。
薄暗くてよく見えないが、男女のカップルらしい。
(……でも)
ソニアは首を傾げる。
と言うのも、あの東谷があるこの庭は王妃が住まう後宮だ。
いくら王宮に出入りが許されている者でも、許可なくしては入れない場所。
(まあ、私も許可無く入っちゃったけど……)
いつまでもいるわけにはいかないわよね、と諦めてその場を去ろうとしたソニアの耳に、よく知る者の声が入り、その場で立ち尽くしてしまった。
「――だから、君との付き合いのためなんだ。でなければ、どうしてあんな青臭い姫に求婚を? 僕の好みを知っているじゃないか……そう、君のような、大人の魅力に溢れた女性ではないと僕は駄目なんだ」
――セヴラン様?
「またそんな事を言って、誤魔化そうとするのね」
拗ねた口調の女性の声が返ってきた。
女性の口調は拗ねながらもどこか甘えが含んでいて、その場だけのものだとソニアにも分かる。
「彼女はクレア家の女主人なんだよ」
「――えっ? では『呪われた家系』のお方ではないの! そんなお方に近付いてセヴラン様は平気なの?」
女は甘えて寄り添っていたセヴランの肩から顔を上げただけでなく、身体から離れて距離をとる。
そんな女にセヴランは軽やかに笑う。
ソニアの方からは背中しか見えないが、きっとあの気品ある優しい笑みを浮かべ、女を見つめているのだろう。
「僕を見て? 呪いに巻き込まれたように見える?」
女はセヴランの問いに、ゆるゆると首を振る。
「恐らくね、呪いに巻き込まれているのは、『婚約者』のクリスフォードの方だよ。彼ならいずれこの『呪い』を打ち砕してくれるだろう。何せ、神のお告げで選ばれたのだし」
「その間にクレア家の女主人の心を射止めて、クリスフォード様が呪いを破ったあとにセヴラン様がご結婚……なさる気なのね? ――ひどいお方ね」
女は、非難する言葉とは全く違う態度でクスクスと笑いながら、再びセヴランの肩に頬を寄せた。
「僕と君のためさ。君はもう、旦那に財産を管理されて自由に使えない。僕も放蕩が父の逆鱗に触れて、差し止められてしまっている――愛しい君と過ごす時間のために使っていたのに……父は僕の気持ちを分かってくれないなんて……」
「セヴラン様……嬉しいわ、わたくしのために愛の無い結婚をする決意をするなんて……」
「カトリーヌ、君に貧しい思いはさせないよ」
そう言いながらセヴランは、カトリーヌと呼んだ女を抱き締めて包容を繰り返す。
しばらく熱烈な口づけをした後、二人はゆっくりと離れた。
「クレア家の女主人に心を奪われたりしないでね? わたくしの可愛いセヴラン」
「決まってる。彼女は僕にとって幼馴染みだけどそれ以上の気持ちはない。――でも、結婚したら跡継ぎを残すために、子作り――あっ!」
セヴランは、何かを思い出したかのように声を上げて立ち上がった。
「結婚の承諾を父からえるために、ソニアを部屋まで迎えにいくんだった! 大分遅れてしまったぞ!」
「まあ、怒って結婚話は無かったことにされてよ?」
「彼女は初恋の僕に夢中だよ。じっと根気よく待っているさ」
早くお行きなさいと、急かすカトリーヌの手をセヴランは名残惜しむように握り、そこに何度も口づけをする。
「もう……! 早く行きなさいってば!」
まんざらでない様子でそうカトリーヌが言う。
「じゃあ、また使いに手紙を渡すよ」
セヴランは艶っぽく笑う彼女に満面の笑みを返し、東谷から出ていった。
――その時
「セヴラン様……」
行き先を阻むように木陰から出てきたのはソニアで、セヴランは一瞬、息の根を止められた。
かがり火の僅かな明かりの中でも、ソニアの色をなくした顔はよく分かった。
そして顔色だけでなく表情も無くしていることに。
人の話は最後まで聞こうよ、ソニア…
というわけで次回は1/29です