(2)
二週間後――ソニアの今朝のお務めは神への祈り以外、全て免除された。
昨夜までにソニアの元に届けられた荷物――最新物のデザインで仕立てられた最高級品の生地のドレス。
それに合わせられた髪飾りに、首元を飾るネックレス。
ドレスの裾に隠れるとはいえ、手を抜くことは出来ない靴は、ソニアにあつらえたようにピッタリだ。
それが何組も揃って用意されていて、出発の朝には支度を手伝いに来たという侍女まで派遣されてきた。
「あの……まず、私の実家であるクレア城に行く予定だと伺っているのですけど……」
やって来た侍女に尋ねる。
一度城に戻り、保管してあるドレスや宝石を手直しして、それから王宮に出向くのだと思っていたソニアは、次から次へと贈られてくる衣装や装飾品に虚をつかれる。
侍女の一人が、恭しくソニアに頭を下げ口を開いた。
「はい、そのように伺っております。しかしながらここに送られた物は、全てソニア様のご婚約者様からのお気持ちにございます。『どうぞ、お好きな物をお選びになってお召しください』とのことです」
「……これ全部……?」
よく見れば、ドレスも靴も髪飾りも全て趣向が違う。
例えばドレスだけ見ても、艶やかな大人を連想させる赤を基調としたデザインのもの。
かと思えば、隣のドレスは薄桃色のヒダとレースがふんだんに使われた、可愛らしさを強調したデザイン。
それぞれデザインが違うのだ。
「何でも、ソニア様のご趣味が分からないので一通りお送りしたそうです」
「……」
そうだとしても、限度があるんじゃないかしら?
と、ソニアはこめかみをおさえた。今のソニアとパメラの部屋は、贈り物で床が見えない状態なのだから。
それでも
「どうか最高の笑顔と最高の姿で、出迎えて欲しいとの言付けも承っております」
そう言われると嬉しさに胸が疼いてしまう。
(セヴラン様ったら……)
「分かりました。でも、さすがにこんなに沢山あると、どれを選んだら良いのか悩んでしまいます。一緒に選んでもらっても良いかしら?」
「喜んで。私共も楽しゅうございます」
侍女達もにこりと笑って承諾した。
「……ソニア、素敵よ! よく似合っているわ!」
奉仕活動を終えて昼過ぎに戻ってきたパメラは、いつもの簡素な修道着を脱ぎ捨て、届けられた衣装の一つに身を纏うソニアを見て、感激に身悶えした。
選んだドレスはミントグリーンの爽やかな色。
ソニアの金茶の髪によく映えた。丸襟に細かなレースが彼女のほっそりとした首筋から鎖骨にかけて覆い、初々しさの中にも艶やかさを演出している。その襟元は真珠もあしらわれていて胸元にも縫い付けられていた。
ローウエストにたっぷりのヒダは今、流行の形らしい。
その切り替え部分にも、刺繍されたレースが裾まで流れている。
てかりのある生地の上なので、それによって光影を付けて見るものによっては下品に見えてしまう印象を抑える効果が出ていた。
ウエストには緻密で繊細な金細工のベルトが付けられ、唯一の大きなエメラルドで造られた留金が光り輝く。
薄く化粧をし、ベルトと同じ細工の額飾りを付け、レースのベールで流した髪を覆っていた。
「綺麗……! 本当に……! セヴラン様もきっと惚れ直すわ!」
そのパメラの言葉に、側に控えていた侍女が「セヴラン様?」と片眉を上げた。
だが、興奮して黄色い声を出している二人には聞こえていなかった。
侍女の方も呼び出しに迎えが来たと分かり、バタバタと片付け始めその言葉の意味を聞くどころではない。
「ソニア・ド・クレア様。ご婚約者様自らがお迎えに上がりました」
侍女の一人が報告し、ソニアとパメラはしっかりと手を握りあった。
勿論、いつもそうしていたように手のひらを合わせ、指を絡めた方法で。
「元気でね……ソニア」
「ええ、パメラも……手紙、絶対に書くからね……」
いつもお互いを励まし合い、ずっと一緒の部屋で色々な夢を語り合った。
どんな小さな悩みでも相談した。たまに『こんなことで』と後で自分達も呆れるような事でも喧嘩した。
「……パメラ」
後から後から彼女と過ごした日々が頭の仲を巡る。
「ほら! 泣いちゃ駄目。せっかくの化粧が崩れちゃう」
涙腺が崩壊寸前のソニアを、パメラは元気よく励ました。
「また会えるわよ、絶対に。私達、神の元で繋がっているのですもの」
去っていく子女達を見て、別れを悲しむ者達にいつもシスターが言っていた言葉。
「うん、きっと、きっとよ……!」
別れを惜しむ二人の元に、シスターが入ってきた。
「ソニア、私達は神の御許にいます。いつでも繋がっていますよ」
先程パメラが言ったことと同じ台詞を告げられて、ソニアは指で目尻を擦りながら頷いた。
それからシスターはソニアに「これを」と渡してくれた。
銀細工の立派なロザリオ――
「シスター……! こんな素晴らしい物を……!」
使い込まれていながらも、磨いて大切にされていたのが手にした瞬間よく分かった。
「私が若い時に身に付けていた物です。少しデザインが派手なのでしまっておいたのだけど……貴女なら丁度良いでしょう」
そう言うと、ソニアの手を両手で優しく触れた。
「貴女の伴侶となるお方は、きっと貴女を良い方向へ導いてくださるでしょう。――旦那様になるお方を信じてついていきなさい」
「……はい! シスター、今までありがとうございました」
「ソニア、貴女に前途ある未来が訪れるように祈っています」
シスターのいつもと違う、どこか憂いの影のある微笑みにソニアは気付けなかった。
彼女は浮かれていたのだ。ここまでは。
薬草園の渡り廊下を通り、真っ白な壁で囲まれた広い玄関の先の、重厚なウォール素材の観音扉が開いていた。
そこから覗くのは、美しく形作られた馬車。
(こんな馬車に乗るのは、お父様やお母様がまだ生きていらっしゃった時以来だわ)
国王が後見人になるほどの莫大な財を持つ公爵家の娘のソニアだが、長い修道院生活で質素・倹約がすっかり身に付いてしまっている。
懐かしさと嬉しさで足が地についていないみたいだ。
――馬車のことより
(セヴラン様は今、どのようなお姿になっているのかしら?)
家族の葬儀以来、手紙のやり取りだけだ。
(セヴラン様は私のこの姿を、気に入って下さるかしら?)
(綺麗、とまで言われなくても可愛い、位は言ってくださるかしら?)
――いえ、その前に今の私の姿を見て、想像と違うとガッカリされないかしら?
緊張と不安と、久しぶりに合う初恋の人との再会に、ソニアの小さな心の臓は大きな音を立て限界まで跳ね上がっている気がする。
(落ち着いて、落ち着くのよソニア)
胸がバクバクし過ぎている。それはどちらかと言えば恐怖に近付いている――そんな錯覚に囚われる程に。
(何なんだろう? 冷や汗?)
暑くないのに、背中に汗をかいていることにソニアは驚いていた。
――会いたくない
ふ、と脳裏に浮かんだ拒絶の言葉を慌てて振り払う。
玄関扉から出る一歩前、脇に控えていた男が一人ソニアの前に出る。
そうして男は微笑みを浮かべ恭しくソニアの手をとると腰を下ろした。
「――?」
どこかで見たことがある顔――でもセヴランではない。
目の前で厳かに自分の手をとる男は、どう見ても中年だ。
中年、おじさん、親父、おっさん――
そして
「迎えに上がりました。私の花嫁」
そう、ソニアを見つめるおっさんの顔は髭面だった――。
「キャアアアア―――――― !」
ソニアは、修道院全域に響く叫び声を上げて卒倒したのだった。