(5)
生誕祭二日目――
ようやく社交界デビューの挨拶を済ませたソニアの周りは、賑やかであった。
それはそうだろう。
ソニアは国内屈指の富裕家。
しかも、被後見人は国を治める国王。後ろ楯は強力だし財はある。
しかも女主人であるソニアは、若くて可愛らしい。まるで大輪の咲き始めのピンクの薔薇を連想させる初々しさだ。
最初、パメラと一緒にいたはずなのに、いつの間にか彼女がいなくなっていることに気付いた。
ソニアは愛想を振り撒きつつ、取り巻きと化した集団の中から脱け出そうとしたが、向こうも愛
想を見せながら付いてくる。
段々怖くなってきたソニアは、知らずにクリスの姿を探してハッと思い出す。
―今夜は所用があるとかで舞踏会に出席していないのだった。
ソニアは落ち込むより憤りを感じた。
(何よ、昨夜のことも言い訳も何も言ってこないし! 勝手に王太子妃と密会でも何でもしていれば良いんだわ)
「ソニア?」
再び取り巻きに囲まれたソニアに近付き、腰に手を当ててきた青年と目を合わせる。
「セヴラン様」
セヴランは甘い笑みをソニアに向ける。それから周囲に集まる男達を一瞥すると
「失礼、パトリス王がソニア様をお呼びなもので」
と挑戦的な眼差しをした。
セヴランはパトリス王の息子で第二王子。そんな視線を受けては皆、黙って退散するしかない。
何人か舌打ちをしたようで、汚ない音がソニアの耳にまで届いた。
「――こっちへ」
セヴランが、素早くソニアをバルコニーへと誘導した。
喧騒と音楽と熱気から少し離れた場所で、ソニアはホッと肩の力を抜く。
微風でも、火照りすぎた身体の熱を冷ますのには充分だった。
「はい、飲み物」
セヴランが華奢な作りのグラスに入れた飲み物を差し出す。ソニアはありがたくそれを受け取った。
「ありがとうございます。とても喉が渇いていたから……」
一気にグラスの中を空にするソニアを見て、セヴランはクスクスと笑った。
それから、ちょっと不機嫌な表情を見せる。
「まったく、あれだけソニアに集っておいて、飲み物一つ差し出す気遣いも出来ないのばかりだとは……」
呆れた口調でぼやくセヴランの言葉にソニアは、はた、と気付く。
――そう言えば、逃げるのが困難なくらいに囲まれたというのに、誰一人ダンスに誘ってこなかったし、飲み物さえも差し入れる男性はいなかった。
近付きたいが触れたくない――そんな雰囲気が滲んでいた。
(みんな『呪い』の噂を知っている……)
なのに、当事者の自分が詳細を知らないから、どうしたら良いか考えつかない……。
「でもセヴラン様は気付いてくださいました。ありがとうございます。なかなか抜けれなくて困っていたものですから」
と、悩みを振り切るように笑顔で礼を述べる。
「だって、ずっと見ていたから」
「――えっ……?」
心底驚いたソニアを見てセヴランは苦笑する。そうしてゆっくりと彼女に近づくと、すぐ横に寄り添うようにバルコニーの柵に背中を預けた。
「昨夜の告白、覚えていないの? 本気だよ? 僕は」
『クリスから君を奪って良いかな』
ハッと思い出す。キスをしそうになったことも。
セヴランの端麗な顔立ちが、すぐ近くにあったことにソニアは顔を赤くする。
「クリスとは、まだキスもしていないの?」
「……えっ? ええと、そ、それは、その……」
最後は消え入りそうな声になり、セヴランは「えっ? 聞こえない」と目を眇める。
「だ、だから……その、まだ……です」
しょぼんと頭を垂らし告白したソニアを見て、セヴランは快活に笑った。
「悪戯をしてばれた子供みたいだよ、ソニア」
「ひっ! 酷いわ! セヴラン様!」
「だって、小さい頃に遊んだ時と変わっていないから……つい!」
上半身を前に屈し、額をバルコニーの柵に当てて笑うセヴラン。
「そう言えばそうですね……。よくセヴラン様と悪戯を考えて、すぐばれちゃって……」
「ソニアは嘘をつくのが下手だったよね。すぐに謝ってバレてしまって」
「だって、あんなに驚かれるとは思わなかったから、私も悪かったな、って」
「悪戯が好きなのに、最後までシラをきれないんだったよね。ソニアは。僕はいつも巻き込まれて一緒に謝って」
「……そうです。あの頃は本当にごめんなさい」
「僕も結構楽しんでいたから、気にしないで――嫌だったら、君が遊びに来る度に近付かないでしょ?」
そう微笑まれてソニアは頬を染めた。
そう言った後、あっ、とセヴランは気付たように声をあげる。
「もしかしたら、まだ僕を幼馴染みの王子として見ているのかい?」
「いいえ、そうはもう……。先程のエスコートも素晴らしかったですし」
ソニアの言葉に「良かった」とセヴランが呟く。
「今だにそう思われていたら、嫌だなと。君にプロポーズしようとしている僕としては」
その言葉にソニアは言葉を失ったまま立ち尽くし、セヴランを見つめた。
大きく瞳を開き呆然としているソニアの手を、セヴランは優しく握る。
握る手と同じくらい優しい彼の表情には、どこか照れくささが見えていた。
「……人に求婚するの初めてなんだ。それでその、女性が喜んでくれるような言葉がなかなか思い付かないけど、本気だよ」
「……でも、何故、ずっと会わないでいた私に……?」
ようやく出たソニアの言葉は、何とも覚束無いものだった。
仕方ない。ソニアもプロポーズを受けたのは初めてなのだから。
「言ったろう? 君の見舞いに行って久し振りに再会して……。君を見て運命を感じたんだ。『君を守りたい』と思った」
「セヴラン様……。でも、私にはクリス様というパトリス王が決めた婚約者が……」
「――大丈夫!」
ギュッと両手を握りしめ、顔を近付いてきたセヴランにソニアは戸惑う。
「僕と一緒に父上――いや、パトリス王の元に出向こう! そして二人の想いを話して婚約を無効にしてもらうんだ! ――今から早速行こう!」
善は急げとセヴランは、ソニアをグイグイと会場内に引っ張っていこうとする。
「ちょ、ちょっと待って……お待ちください! セヴラン様!」
どうにか彼を止めたソニアは軽い動悸が起こるなか、セヴランに言った。
「あまりに突然のことで私……まだ心の整理が……」
「こういうのは、勢いで行った方が良いんだ。……それとも、僕が結婚相手では……嫌?」
「……嫌……ではありません」
ソニアがポッと頬を染める。「当然だよね」というセヴランの自信溢れた呟きが気になったが。
「……クリス様には、しばらくとてもお世話になったんです。彼の励ましがどんなに心強かったことも……。私、きちんとクリス様にお話をしてから王に申し上げたい……」
「――ということは、僕の求婚を受けてくれると言うことだね?」
ソニアは恥じらいながらも頷く。
「今夜はクリス様は所用があって、舞踏会は欠席をしておりますから……明日。最終日に話してみます。――王への報告はそれからにしたいので……」
「分かったよ、ソニア」
セヴランが思いっきり甘い笑顔をソニアに見せる。
――これで良いんだわ
クリス様には想い人がいる。
例え道ならぬ恋でも、彼が今までずっと独身を通してきたほど恋い焦がれてきた相手に、自分が敵うなんてとても思えない。
(それにセヴラン様は私の初恋の相手)
大丈夫、きっと。セヴラン様となら――。
◇◇◇◇
王立中央教会――
王宮の賑やかな音楽や人々の楽しげな笑い声は、ここまで来ると流石に届いてこない。
あるのは淑やかで落ち着いた静寂。
クリスは神台の前に跪き、一心に祈りを捧げていた。
願いは一つ――
「クリスフォード様、お待たせしました」
教皇がチャペルの奥の部屋から出てきて、クリスに声をかける。
「いえ、私もしばらく長い祈りを捧げる時間が取れなかったので……良い清めとなりました」
クリスはそう言いながら立ち上がり、教皇と向かい合う。
教皇の両腕に、大事そうに抱えられた物に注目する。
司祭服に使われるような、金色の高貴な布にくるまれた長い品物だ。
「これが例の……?」
「はい、クレア家の先々代の当主であったウィリアム様と懇意にしていた先代教皇が、お造りになった品です」
お受け取りください、と差し出されクリスは恐る恐る手にする。
「拝見してもよろしいかな?」
教皇が頷いたので、クリスは丁寧に布を外していく。
「――これは……」
クリスは開けて息を飲んだ。
柄と刃が繋がった剣だ。白銀に輝きを放ちまばゆい限りの。
クリスは柄の部分にあたる場所を握り、天にかざしてみる。
丁度、神台に飾られた十字架と重なる。
「……十字架を見立ててお造りになられたか……?」
「でしょう。ウィリアム様は『彼は神につかえることを放棄したことに気付いていない』と仰ってこれを依頼しましたから」
「……ソニア様のご両親やご兄弟に、間に合わなかったのが非常に残念でなりません……」
クリスの言葉に教皇も項垂れた。
「ソニア様の兄君達は、この剣を取りに来る際の事故でなくなりました。さぞや無念でしたでしょう」
「……ソニア様を必ずお助けしなければ!」
クリスは十字架に向かって白銀に輝く剣を掲げる。
「クリスフォード様、貴方ならきっと目的を達成できましょう。この国で『最強』で『強運』の持ち主ですから」
「私のこの力と運を全て使って、きっとソニア様をこの恐ろしい呪いから救ってみせます」
確固たる意思を表情に浮かべるクリスを見て教皇は
「ソニア様とクリスフォード様に、勝利の神が味方するように私も影ながら祈りましょう」
と十字を切った。
次回は1/27です。