(2)
生誕祭では昼間の明るいうち、パトリス王がメインバルコニーに登場し民衆に手を振りスピーチをする。
そこには王妃、王子達が共に姿を見せ、民衆達の歓声に応えていた。
そして夕方からは王宮の大広間にて、各地から祝辞にやって来た貴族達と一人一人話をすのだ。
壇上の中央に設置された豪奢な椅子にはパトリス王が威厳を放ち来客を迎え、その横で気品ある笑みを浮かべ王妃が座っている。
反対の椅子には次期王位を継ぐ王太子・アロイスが座り、残りの王子・王女達は壇上の端に設置された椅子に座り、細いテーブルに並べられた食事を摘んでいた。
「クレア家・ご当主、ソニア・ド・クレア様。並びにクリスフォード・ル・コルトー様です」
名を呼ばれ、赤い絨毯の上を仰々しく歩いて、パトリスの御前まで行くと公式の挨拶をする。
(この公式の挨拶って疲れるし、ドレスの中は絶対見せられないわ……)
左右に足を広げ、膝を曲げて腰を低くするのだ。
そう――がに股。
結構太股にくる。パトリスが「顔を上げよ」と言うまで、この体勢を保たなければならない。
(辛いけど、平静を装って頭を下げているのが淑女の嗜み)
ソニアはそう踏ん張って耐える。
「顔を上げよ」
内心ホッとしながら、微笑みを作り顔を上げた。
「ソニア、久しぶりだね。久しぶりの実家はどうだった?」
王の威厳を持ちながらもいつもの優しい口調にソニアはホッとする。パトリスと、こうした正式な場所で会うのは初めてだったのだ。
「はい。城に残っていた者達がよくやっていてくれていたお陰で、私が修道院に入る前と変わらない城の様子で安心しております」
「それは良かった。君は若いながら城主という重い役割を背負ってしまったから、気を揉んでいたのだ」
「きっと、王が後見人として私を支えて下さっていたからです。こうして元気でいられるのは」
パトリスが深い笑みをソニアに見せた。
そうしてから視線をクリスに向ける。
「クリス、どうかね? 王宮以外の生活は」
「はい。なかなか快適に過ごしております」
ハッハ、とパトリスが愉快そうに笑う。
「これはこれは。王宮よりも楽しげに聞こえたぞ? やはり麗しくも若い姫の側にいるのが良いと見える」
ポッと頬を染めたソニアに対してクリスは
「ソニア様はお若いのに礼儀正しく性格は快活です。それに王の言う通りとても魅力的で麗しい。
私も若返った気分でおります」
と、落ち着いた様子でさらりと答えて、ますますソニアの顔が赤くなる。
「そうか。仲睦まじくて安心したぞ。今夜はゆるりと楽しむと良い」
「はい。ありがとうございます」
再び公式のお辞儀をして、ソニアはクリスの腕に手を当てるとその場を去った。
――良いのかしら?
ソニアは、疑問に思ったことを隣のクリスに尋ねた。
「結婚の式が延びたこと……王にお話しをしなくて良かったのですか?」
ああ、とクリスは口を開いた。
「事前に手紙で事情を書いて送っております。こうして他の貴族の目がある中で式の延期を話されると、余計な勘ぐりを起こす者が出て参りますから、王もあえて話題にはしなかったのでしょう」
「でも、クリス様と私のこと、誤解なさっている方が多いのではないのでしょうか……? 『護衛』と思っている方もいらしゃるように感じられます」
ピタリ、とクリスの足が止まる。
「?」
驚いたように麦色の瞳を大きく開けて、ソニアを見つめている。
「あ、あの……? 私何かおかしなことを言いました?」
「……それは『婚約者と見られても構わない』と言うことですか?」
逆に尋ねられ、今度はソニアが瞳を大きくする番だった。
「……」
「……」
何となく気まずくなり、お互い下を向く。自然離れた手はモジモジと頼りなく自分の指を撫でていた。
ちらりとクリスの方を見上げてみれば、クリスも顔を赤くして拳を口に当てている。
ゴホン、とクリスが一つ咳払いをした。それが合図のようにソニアは顔を上げた。
「その、まだ、私が苦手ではないかと、それで、もう少し、このままでいようかと、それに、その、姫君は修道院から出てまだ間もないですし、社交界にデビューしたのですし、しばらくは羽を伸ばされてもよろしいかと……」
――えっ?
「それって……どういう意味です?」
「? 言葉の通りですが……?」
先程の甘い雰囲気も吹き飛んだ。
フツフツと怒りが湧き上がり、身体の血が一気に逆流しているように熱い。
瞬く間に眉を吊り上げて憤怒の形相に変化したソニアに、クリスはギョッとして思わず後ろに下がった。
「それは即ち、他の男性ともどんどん交流を持て――と言うことですか?」
「そういう考え方も一理ありますね」
「私が、もし、好きな方が出来て、その方も私を好きにだったら、不誠実な事をしても構わないと?」
「姫を好きにならない男は、いないと思います」
微かに笑みを浮かべたクリスの眼差しはどこか寂しさを秘めていたが、ソニアはその意図を探る余裕さえなかった。
「姫は修道院から出てまだ間もない。今まで閉ざされた中で過ごしていて、ずっと女性として生きる楽しみまで閉ざしていました。貴女にはもっとこれから楽しんで欲しいのです。お洒落も男女交えた会話も恋も――それがパトリス王の願いです」
――パトリス王が?
「……クリス様はそれで良いんですか? だって、それって浮気公認ですよ? もしかしたら婚約解消になるんですよ?」
その問いにクリスは答えなかった。
ただ、笑みを深くしただけ――
「……分かりました。今から別行動しますから!」
ソニアはドレスの裾を上げると、その場から一目散に逃げた。
「姫!」
と、クリスの呼び止める声が聞こえたが、無視してひたすら広間の外に走る。
涙が溢れそうになるが、化粧が落ちると思ってグッと耐えた。
(何よ、何よ! クリス様の馬鹿! どうせ私は世間知らずの子供ですよ!)
「――キャッ!」
薄闇の庭を滅茶苦茶に走って、とうとう何かの出っ張りに足を引っ掻けてしまった。
前に倒れる瞬間――
「危ない!」
と、後ろから身体を支えてくれた腕にソニアは気付く。
ほう、と安堵をつき、今、自分を支えてくれている人の方に顔を向けた。
「大丈夫? ソニア」
甘くて優しく耳朶をくすぐる声――
「セヴラン様!」
ソニアの足がしっかりと地についたことを確認すると、セヴランは手を離した。
「どうしてセヴラン様がここに?」
「急に走って広間から出ていったから、心配で追いかけてきたんだよ。やんごとない姫が一人で、しかも暗い中を闇雲に走ったら危ないよ?」
「ありがとうございます……もう、大丈夫ですから」
その時、フワリとセヴランの指がソニアの目尻に触れた。
「大丈夫ではなさそうだけど? クリスに何か言われた?」
ソニアは自分でも不思議だと思った。
セヴランは、クリスとの様子を遠目で見ていたのだろう。
だから逃げるようにその場を去った自分の姿をみれば、気になって追いかけてくるだろう――それが、この前の再会の見舞いの自分に、触れないようにしていたセヴランで。
しかも、今夜は普通に自分に触れて転びかけたのを助けてくれて、こんな風に優しくされたら――
ほどされてしまうに決まってる。
「セヴラン様……」
せっかく引っ込み始めていた涙腺が、とうとう決壊してしまい、そのままセヴランの胸で泣き続けた。
次回は1/20(月)