(1)
生誕祭当日――
空は雲一つない晴天で、パトリス王の誕生の日を祝っているように青い。
昼前にお祝いの大砲が鳴り、祭典が始まった。
前日に王宮入りをしていたソニアとクリスは、事前に個々に割り当てられた部屋にいた。
王も今日から三日間行う祭典のために、自分の誕生日なのにいつも以上に忙しい。
なので親しい仲のソニアとて、個人的な面会は出来ずにいた。
(クレア家に関する事を聞きたかったけど、仕方ないわね。生誕祭の途中で、お尋ねできるかもしれないし)
そう頭を切り替えて今夜のために入浴して、念入りに身体を磨くことにした。
「みんなも手伝ってね」
お付きの侍女達が「はい」と張り切って袖をまくる。
「ソニア様の社交界デビューですからね。どこのご令嬢にも負けないお支度をしましょう!」
「勿論ですわ! 腕が鳴りましてよ!」
「うちの姫様が一番ですからね! それを周りのご婦人や紳士達に知らしめないと!」
「……えっ……と……?」
ジリジリと迫り来る侍女達の、熱の籠った気迫に逆にソニアが狼狽える。
(このやる気はなんなの!)
思わず後退りするソニアに、侍女達の殺気ばった微笑みと共に両腕、背中を押さえつけられ、素早く室内着が脱がされた。
その早さにソニアはただ驚く。
「――女の戦いは既に支度からはじまっているのですよ! ソニア様!」
「心しておかかりあそばせ!」
「目指せ、王宮のマダムロワイヤル!」
「えっ? ええええと……私まだ結婚はしてないから……マダムじゃ……」
問答無用だった。
――恐るべし、矜持をかけた淑女達の戦いは侍女達の戦いでもあったのだと、ソニアは身を持って経験した。
◇◇◇◇
ああでもない、こうでもない、と散々侍女達に弄くられたソニアの支度が、ようやく終幕を迎えたのが夕方の日が落ちる前であった。
「良かった! 舞踏会に間に合いそうですよ、ソニア様」
「良かった。本当に……」
心の底から安堵したソニアの声に、侍女達も満足気に頷いた。
自分と侍女達の安堵の意味が違うことは、多分ソニア自身しか知らない。
長い時間、ドレスを取っ替え引っ替え、ようやく決まったドレスも「レースの位置が」とか「サイズが微妙に違う」とか修正が入り、そこからドレスに合うヘアスタイルに髪飾り選び。
髪型も侍女達が喧々諤々しながらようやく決まり、髪飾りを付けるのも大変長い時間を要した。
後は手袋に首飾りに耳飾り。
無事だったクレア家の宝飾を修理し、持ってきた物だ。
最後に靴の調製をしてお仕舞い――
(終わった。ようやく……疲れた)
ソニアの素直な感想だ。途中で寝てしまったくらいだ。
(こんな大騒ぎが明日も明明後日も続くなんて……。お洒落が好きでも限界、無理!)
満足のいく仕立てに安堵している侍女達を余所に、ソニアは長い溜息を付きながら椅子に座ろうとすると
「ドレスが皺になります!」
と叫ばれ、慌てて立つ。
「座るときには合図をして下さい。私達が裾を整えて皺を抑えますから」
「ご、ごめんなさい」
座る合図を決めて、ようやく腰を落ち着けたソニアは、改めて鏡の中の自分を見つめる。
夜会用のイブニング・ドレス
プラム色の濃い目のピンクに、薄いサーモンピンクのレースを重ねたシルクサテンのドレス。
上半身は身体のラインに沿って、ピッタリとしたスタイルのデザインだ。
胸元は下品にならないよう総レースで、鎖骨をふんわりと包んでいる。
袖にもレースを配して、ラインストーンが散りばめられていた。
手袋はイブニング用の長めのシルクサテン。
首元には、チョーカーに仕上げたクレア家の首飾り。金剛石の石がキラリと揺れる。
ドレスを包んだレース部分だけ床に可憐に広がり、花の刺繍が咲き乱れた花園をイメージさせた。
髪は、上に高く上げて流した。
結婚したら公式の場では、結うかベールを付けるかするが、ソニアはまだ結婚前だ。
髪を下ろして公式の場に出ることはなくなるだろうから、あえてそうした。
「ソニア様、軽くお食事をお取りになりますか?」
「そうね……お願い」
尋ねてきた侍女に視線を向けると、キャイキャイと姦しかった他の侍女達が既に下がっていることに気付いた。
「他の侍女達は?」
「クリスフォード様の、お支度のご様子を見に行っております」
「あのお方にも、支度を手伝う者が付いているはずだけど……」
「はい、しかしながらクリスフォード様は今夜、ソニア様のエスコート役でございますから、ソニア様との衣装の組み合わせがございます。あまりにちぐはぐだと、お二方とも周囲から失笑を買いますので……」
「――えっ?」
思わず声を出してしまう。
――エスコート役?
そこは婚約者とか言わないだろうか?
今、ソニアの前にいる侍女は王宮の者で、自分が連れてきた侍女ではない。
(あまりに歳の差があって、そう見えないのかしら?)
というものの、ソニアも「婚約者です」と自分の口から言うのも照れてしまう。
(いずれ知れることだから良いかしら)
そう思い、訂正してもらうことは止めておく。
侍女が運んできてくれたチーズとハムのサンドイッチにパクつきながら、クリスが迎えに来るのを、のんびり構えて待った。
◇◇◇◇
一番星がちらつく頃、クリスが迎えにやって来た。
「ギリギリ間に合いましたな……」
そういう彼は
ダークグリーンに、深いゴールド縁取りをしたロングジャケットコート。
その下のシャツは金ボタンのシンプルな白シャツに、サーモンピンクの細い刺繍がが入ったベストで覆い、襟のスカーフはプラム色で金剛石のブローチを留めていた。
下履きは多少余裕のあるスパッツで、彫りの入った膝上のロングブーツには折り返しがあり、色はシエナ色。
要所要所で自分が着ている色を使って、二人揃った姿に統一感を見せているのだろう。
全体的に甘い感じになっているが、嫌らしさもなく派手でなく――それでいて似合っている。
――流石、王宮騎士。立ち姿が決まっていてソニアは思わず見惚れる。
(……けど、髭は剃らないんですね……)
クリスの顔を見てガックリ肩を落とした。
「侍女達が話していた通りですな! 本当に一輪の可憐な花のようです、見事に咲き誇りましたよ」
クリスも自分の姿を見ていたようだ。微笑みを向けて称賛する。
照れたような表情が読み取れて、ソニアも思わず頬を染めて俯いてしまう。
「エスコート役の私は『添え物』として徹しようと、地味な衣装を用意させたのですが、様子を見に来た姫の侍女からの話を聞いて、私に付いていた侍女二人も闘志を燃やしまして『そんなにお若いご令嬢のエスコートなら、もっと華やかに装わなくては!』と……五人がかりで揉まれました……」
凄いですね、とクリスにしては最後辺りの台詞が弱々しかった。
思い出したのか、冷や汗をかいて侍女が近付くとビクッと巨体を揺らす。
(五人……さぞかし凄まじかったのだろうな。三人の私でさえ気迫に押されたもの)
五人の侍女に囲まれて、最初から気付けのやり直しをさせられたクリスの姿を想像すると、つい笑ってしまう。
「ご苦労様です、クリス様」
「ご苦労様だなんて、これからですよ? ――さあ、充分にお楽しみあれ!」
白い手袋をはめたクリスの手が差し出される。
ソニアは「はい」と歯ぎり良い返事をして彼の手をとった。
次回は1/17の予定でいます。




