(4)
次の日、明朝のうちに出発し中央教会には午前中に到着した。
修道院の祈祷所と中央教会は場所が違う。
ソニアが修道院にいた頃は、毎日の祈りは勿論、修道院の祈祷所で捧げていた。
教会の祭壇に出向くのは、年に数回で大きな催事がある時のみだった。
厳かな重厚音をたて観音扉が開かれる。
正面には十字架に聖母像がステンドグラスから差し込む光に彩られ、ソニアを迎え入れようと慈愛を込めて手を差し伸べてくれているように思えた。
パイプオルガンの清涼な音がとても心地好い。
赤い絨毯の先にいる教皇に向かって足を進めていく。
――が、近付いていくに従い足が重くなっていくことに気付き、ソニアは愕然とした。
「姫君?」
足を止めたソニアの異変にクリスが声をかける。
「あ、足が……! 進む度に重たくなっていって……!」
重い。重石を付けられたように。
とうとう一歩も前に進めなくなって、ソニアはその場にしゃがみこんでしまった。
「――これは、お可哀想に……」
事前に話を聞いていた教皇も、足早にソニアに近付いてくるが、彼も突然動かなくなってしまった。
「教皇!」
「あ、足が床にくっついて……!」
ウンウン言いながらどうにか床から足を浮かそうとしているが、吸い付いているようにびくともしないようだ。
「これは……!」
「むうぅ、邪な者が私とソニアが近付くことを邪魔したいようです」
教皇はまるでカブでも抜くように、己の足を引っ張りあげようとしているが、どうにもならないようだ。
対してソニアは足どころか身体全体が重くなっていっているようで、とうとううつ伏せになってしまった。
「仕方ない! とにかく教会から出ます!」
クリスは「失礼」とソニアの身体を抱き上げると、駆け足で教会から出て行った。
それを繰り返すこと数回。
――結局、どうにもならないと諦めて疲れた身体を、修道院で休むことにした。
お茶を両手で持ち、じっと考え事をしているソニアの姿は痛々しい。
泣かないように耐えている様子は、修道院で暮らしていた時の明るい彼女とは打って変わって暗く影があり、シスターは眉尻を下げた。
「ソニア」
隣に座り、肩を撫でるシスターの温かい手に相変わらずの優しさを感じ、ようやく笑みを見せる。
シスターは今自分が首に掛けているロザリオを外すと、ソニアの首に掛けてやった。
「シスター! これは……!」
「新しい物より、毎日祈りを捧げて信仰心が籠められた物の方が効果が高いと聞きます。お古だけど」
「ありがとうございます」
そう礼を言うソニアの声音がとても弱く、シスターは彼女を抱き寄せた。
「……一体、何が起きているのでしょう? 何も全く分らないんです」
そのソニアの言葉にシスターは驚いて声を上げた。
「聞いていないのですか?」
と。
「どういうことなんです?」
シスターは知っている。
そして、彼女の驚きぶりからして周囲の者は知っている感じだ。
(知らないのは私だけ?)
金槌で頭を殴られた気分だ。
それだけ強いショックを受けて、強い感情が湧き上がる。
「両親が事故で亡くなって私はこの修道院に入ることになって……。城に残った兄達も次々に病気や事故で……! おかしいと、何かがあるって、実家のことを考えるといつもそう思っていました!……でも、どうしてそう不幸が続くのか、自分なりに考えても分からなくて!」
「ソニア……」
シスターの自分の名を呼ぶ声が痛い。
つい漏らしてしまった後悔と、憐憫の混じった切なさ。
「知っているなら教えてください! 私に! クレア家に何が起きているのか!」
ソニアの手は、逃がすまいとシスターの袖をしっかりと握り、彼女に問い詰める。
「……ごめんなさい、私の口からは言えないの……」
「シスター!」
お願いします! 訴える眼差しに怯むことなくソニアを見つめるシスターの表情は、憂いに満ちたままだ。
それでも、ソニアが落ち着くようにと、しきりに髪や頬を撫でる。
その慈しみは、いつもとても心地好いものなのに今は、誤魔化す為の所為としか思えずにいた。
「どうして? どうして教えてくれないのです?」
「……パトリス王に、固く口止めをされているのです」
「パトリス王が?」
シスターは浅く頷いた。
「ソニアの実家――クレア家は、昔から王家と深く関わってきた家系です。それは私達が考えているよりずっと密接に。過去に政権がひっくり返るかもしれない事変が起きたほど」
「それはもう遠い過去の話です。今は臣下の一人にしかすぎません」
「それでも、未だクレア家は王家より上回る財力を持っています――『王家と密接な家系』『一時期、王の座を狙っていた一族』――これだけでも周囲から妬みや嫉妬、恨み等不の思念を呼び寄せてしまうのですよ」
「……」
「ソニア、まだ王の口から事の始まりを語っていないなら、まだ貴女がそれを受け止める状態ではないと判断したからかもしれません。又は今度の生誕祭で、お話をしようとしているのかもしれません――とにかく、私の口からは言えないのです」
ごめんなさい――抱き締められて、シスターの掠れた謝罪を耳元で聞いた。
ソニアは頷くしかなかった。
「失礼します」
扉を叩く音に二人はそっと離れた。
「お入りなさい」
シスターのいつもの穏やかな口調に促され、扉が開かれる。
「失礼します。お話が弾んでいるなか申し訳ない」
そう入ってきたのはクリスだった。
ソニアを修道院に預けた後、彼は教会に戻り教皇の救出に行っていたのだ。
「教皇様は、何ともありませんよ。あの後、足も床から離れてケロリとしておりました」
ソニアの案じていた内容を悟っているように報告する。
「良かった……」
自分があれほど怖かったのだ。教皇だって恐ろしかったに違いない。何事もなくて安堵した。
「生誕祭が済んだら、再度教会に出向きましょう」
「そうね……」
ソニアは同意した後、クリスの持っている瓶に注目する。
大きなクリスタルを削り、美しく細工を施した蓋付きの瓶。中に液体が入っており、光に反射してプラズムを作っていた。
「クリス様、これは?」
ああ、とクリスはソニアに手渡す。
「化粧水にした聖水だそうです」
そう言うと、クリスはシスターに視線をうつす。
「シスターに依頼されたと。『ただの聖水だと味気ない。いつでもつけられるように化粧水を作りました。これを聖水に変化させてください』と」
「化粧水の聖水……」
瓶の蓋を開ける。
様々な花の香りが、ソニアを包むようでとても心地好い。
「良い香り……。心が落ち着いてくるわ……」
「ソニアにとって今度の生誕祭は社交界デビューでしょう? だから、少々お洒落なものをと考えたのですよ」
でも香水の方が良かったかしら? と微苦笑するシスターに「いいえ」と首を振る。
「とても嬉しいです! ありがとうございます!」
今回が自分にとって社交界デビューになることさえ頭から抜けていたのに、シスターは気をきかせて贈り物を用意してくれていた。
本当に嬉しい――なのに。
(心の底から素直に喜べないなんて……)
何か裏があるんじゃないか
全てを話してくれないのはまだ一人前としてみていないのに、そのくせ、大人の仲間入りする社交界デビューにはいそいそと贈り物をこしらえて。
化粧水の中に危険な物が入っているかもしれない――なんて思うなんて。
「実はね、化粧水に香り付けをしたのはパメラなんですよ」
「パメラが?」
「ソニアの好きな花を吟味して、調香して私が作った化粧水と混ぜて整えたのです」
そうだ、パメラ。
今、彼女は?
「パメラは? 彼女にも会いたいし、お礼も言いたいです」
ソニアの願いに、シスターは残念そうに眉尻を下げる。
「パメラもね、実家からお迎えが来たんですよ」
「いつ頃ですか?」
「三日程前ですよ」
自分があの事故に遭遇した次の日だ。熱を出して寝込んでいた日。
(あんな事さえ起きなければ、パメラと会えたのに……)
目に見えて消沈しているソニアにクリスは
「もしかしたら生誕祭で会えるかもしれませんよ? パメラ様も今年社交界デビューされるのでしたら、招待状が届いているでしょうから」
にこやかに言った。
社交界デビューは、十五歳から十八歳までの間に行うのが普通だ。
彼女と自分は同じ歳。
それに生誕祭前に実家から迎えに来たと言うなら、社交界デビューさせてそこで結婚相手を見付けさせるつもりなのかもしれない。
それが一番の近道だと、貴族なら誰でも思うから。
(生誕祭で会えたら嬉しいわ!)
再会の時を想像すると、今からとても楽しみでつい顔が綻ぶ。
そんなソニアを見てクリスが
「着飾って他の貴族の男子や騎士と踊るより、女性同士で和気藹々とお喋りする方がまだ良いようですな、姫君は」
と快活に笑われて、ソニアは「そんなことありません」と頬を膨らませた。
◇◇◇◇
(私、自分で思っていたよりも単純なのかも)
生誕祭でパメラと会えるかもしれない――そう思うだけで浮き足がたつ。
疑心の思い込みも綺麗さっぱりに吹き飛んでしまったように、唄を口ずさみながら着ていく衣装やアクセサリーを吟味していく。
会えたら嬉しいな
いいえ、会えるわ
来るわよね、絶対
きっとパメラもそう思いながら、衣装を選んでいるだろうと想像しながら。