(1)
「凄い雨……」
馬車の小窓から、ソニアはそっと外を眺めた。
城から出発したときは雲一つない爽やかな天気で、太陽も温かな光をあちこちに恵んでいたのに――
叩き付けるように降る雨に、ソニアは恨みがましく睨み付ける。
そうしたところで回復するわけではないが、嫌がらせのように更に雨足の強くなったのには腹立たしい。
雨が馬車内に降り込んできそうな勢いにまでなって、ソニアは慌てて窓を閉めた。
「これは……。今夜は、どこかで宿をお借りした方が良さそうですな」
クリスが対面に座るソニアに意見し、ソニアも同意する。
王都までのこの道に、隣接されて建てられた宿泊街まではあと少し。
予定はその宿泊街を抜けて、もっと先の拓けた野原でテントを張るつもりでいた。
修道院からクレア城に戻る際には、デュマ侯爵の別宅をお借りしたが、自分と自分の周囲に起きている不可思議な出来事を考慮すれば、また泊まることなど出来ない。王都に出向く準備が着々と進んでいくなか、クリス周辺に起きる怪奇現象を見てソニアは不安が増す一方だった。
『今回は、見送った方が良いのではないでしょうか?』
そうクリスに相談するが
『王はソニア様とお会いするのを楽しみにしていらっしゃいますよ。それに、この現象を相談する良い機会だと思いますが?』
そう――今回は、生誕祭に出向くだけの目的ではない。
この状況を改善するためにも、無茶を承知で王都へ行こうと考えを新たにした。
(クリス様のためにも早く解決させないと……)
それにしても不思議だ。
――どうして、クリスだけに攻撃的な怪奇現象が起きるのだろう?
『嫉妬してる』
とクリスは言っていたけど、ソニアにはやはり違う意味があるように思う。
それに――
(クリス様は良い方だと思うけど、恋とか愛とか、彼を見て想像出来ないわ)
どちらかと言えば――『騎士』のような……強いて言ってくれと答えれば『兄』のような感覚だ。
(私が彼を想っているなら、クリス様の言ってる事は少しは……納得……する、かな?)
――じゃあ、クリス様は?
(私のこと……?)
想っていらっしゃる?
身体が火照る。暑くて手うちわをする。
「? 姫? どうされた、暑いですかな?」
しかし今開けると雨が降り込んでくるし、と頭を巡らせているクリスにソニアは
「あ、いえ……! 大丈夫! じきに冷めますから」
と半笑いをしてやり過ごす。
――ガタン
一度大きく馬車が揺れ、停止した。
「どうしたのかしら?」
クリスが小窓を開ける。
「どうした?」
クリスの声に、御者が困ったように近付いてきた。
「ぬかるみに、はまってしまいまして……」
そう言われれば、馬車が若干片寄っている。
「そんな深くは、はまっていないようだな。私も降りて手伝おう」
「いけません! 私らでやりますからクリスフォード様は中にいてください」
「濡れてしまいますから、クリスフォード様はソニア様とご一緒に中に!」
降りようと扉を開けるクリスを見て、兵士達は慌てて止める。
「これから私のことを『クリス』と呼ぶなら中で大人しくしているが?」
――主人の未来の旦那を、馴れ馴れしく愛称で呼べるか――
皆、黙り込んでしまった。
「みんな、クリス様の手をお借りして」
それを黙って聞いていたソニアは、おかしさにクスクスと笑いながら外の兵士らに頼んだ。
兵士らも渋々承諾し、クリスが馬車から降りようと、足を地に着けた瞬間だった。
長柄にくくりつけられた馬達が急に暴れだした。馬車が前後左右に激しく揺れる。
「――な! 落ち着け!」
御者が慌てて馬達を押さえるが、泡を吹くほどの興奮ぶりに押さえきれない。
「――きゃっ! こ、怖い……!」
ソニアは揺れる車内の中で、座席に横倒しされて激しさに起き上がれずにいた。
「姫!」
クリスは馬を押さえるより先に、ソニアを降ろそうと再び馬車に足をかけるが
「ヒヒィィィィィィン!」
馬が一声嘶くと、駆け出してしまった。ソニアを乗せたまま。
「ソニア様!」
「ソニア姫!」
クリスは咄嗟に、開かれたままの扉にしがみついた。
馬は、狂ったように滅茶苦茶に道無き道を走っていっていく。
「助けて! 誰か!」
ソニアは開かれた扉から振り落とされないように、必死に車内のカーテンにしがみついていた。
恐怖で助けを呼びながら泣き叫ぶ。
馬は馬車を激しく揺さぶりながら、ある方向へ走っていった。
――まずい!
どんどん土地が狭まってきている。
この先は確か――崖
「助けて! クリス様!」
「ソニア!」
車内の中で自分の名を呼び助けを乞うソニアの声に、クリスは腕に更に力をこめて、振り落とされそうになる身体を必死に車内に入れた。
「クリス様……!」
びしょ濡れになりながらも肩を揺らし、息切れをしながらも笑いかけてくるクリスに、ソニアは安心して涙でグシャグシャの顔で彼に抱きつく。
「もう大丈夫!さあ、しっかり私に掴まって!」
「はい!」
間一髪だった。
ソニアを抱き締め飛び降りてすぐ、馬の嘶きと共に崖に落ちていく馬車を二人見送った。
――どこからともなく
『ちくしょう! あと少しで根絶やしにできたのに!』
と、地の底から叫ぶような低い声が聞こえた……。