(7)
「クリス様、お身体は本当に大丈夫ですか? 痛むところはありませんか?」
「掠り傷程度ですよ。よくて痣が出来る程度ですから、ご心配なく」
日に日に生傷が増えていくクリスを見て、ソニアは心配に顔を曇らす。
それに対してクリスは、彼女の憂慮につとめて明るい。
というか、イキイキして輝いているように見える。
「何か城の厄災を、クリス様が一身に受けているように思えて、気が気じゃなくて……」
ソニアがそう口にするのも無理はない。
城内の怪奇現象は収まったが、今度はクリスの回りだけに怪奇現象が起き出したからだ。
クリスがいく先いく先に。歩く先に何かしら起きる。
馬に跨がっていたら突然、馬が発狂しクリスを振り落とするし――宙返りで見事に着地。
庭を歩いていれば、今まで心配の無かった城の壁が崩れてクリスの頭上に落ちてくるし――華麗なステップで避ける。
焚き火をすれば突風が吹いて、火種が彼の服に燃え移ったり――瞬時に引き裂いて焚き火の中に放り込む。
研いた石を敷いた庭の道を歩けば、突然陥没するような――ついでにモグラを仕留めたり。
……下手すれば命に関わるものから――
果樹園内で果物をもぎ取れば、果実の一斉投下の雨にあったり。
歩く先々で転ぶように草が結んであったり
クリスが使っていたナイフやスプーンの先が曲がったり――命に関わらないものまで。
どちらが多いかと尋ねられれば、命にかかわらない悪戯紛いの物の方が断然数が上だ。
というのも、その方が彼が素直に引っかかるので、小さな怪我でもダメージを負わせることが出来ると気付いたらしい。
「やんちゃな子供が仕掛ける悪戯みたいなものの方が多いですな――いや、可愛いものですよ。私も日頃の鍛練の一貫に加えさせていただいておりましてね。いやぁ、なかなか気が抜けない悪戯を考えてくれて血が沸き立ちます」
そう話すクリスの目は輝き、身体からは充実感が溢れまくっている。
(――そう言うことなのね)
楽しくてしょうがないんだわ、この方。
前向きも良いところ。
自分はポジティブだと思っていたけど、彼には負けるわ、とソニアは苦笑いをする。
「うーん、しかし思うのですが、姫君といるときが多いのですよね――もしかしたら嫉妬されているのかも知れませんな」
「――嫉妬?」
クリスの見解にソニアは目を丸くする。
メキメキ――鈍い音が聞こえてきて、頭上がゆっくりと影が覆う。
影が襲ってくる方向に二人揃って見上げると、木がこちらに倒れてきている。
「――えっ!」
「姫君!」
クリスはソニアを担ぎあげると、急いで横に逃げた。
重い地響きが鳴り、地面に倒れる落葉樹を見て
「嫉妬だと図星をつかれて、照れているようですな」
しかし、大袈裟なと髭を擦るクリスを横目に
「『勘違いしてるんじゃない』と怒っているのかと私には感じますけど……」
と口端を歪めて笑う。
(楽天的すぎないかしら……?)
ソニアは、クリス自身に初めて不安を感じた。
「――あ」
突然クリスが、何かを思い出したのか髭を擦るのを止めてソニアと向き合う。
「そうだ。姫君にお尋ねしたいことがありました」
「何でしょう?」
「城の中にある礼拝堂の事で……」
◇◇◇◇
「こちらの礼拝堂は、閉鎖して長年使われていないとマチューからお聞きしました」
クリスの手が、手入れの怠った古びて塗装が接げている扉につく。
城の最南の位置に造られた礼拝堂。
一階にあるそこは、設置場所としては最良の位置だ。
それなのに大きな閂を掛けて、入るものを一切拒絶させている。
「確か……『庭に別に新しく礼拝堂を建てるから閉鎖をするのよ』と母が話してくれた記憶があります。私が物心ついた頃からずっと閉鎖をしていますから、気にしていませんでした」
確かに庭の片隅に、可愛らしく造られた白い壁の礼拝堂がある。
ソニアはこの城に住んでいた頃は、祈りはいつもそこで行っていた。
「姫君のお祖父様がここを閉鎖したそうですよ。この城に勤めていた司祭が亡くなった折に」
「何故でしょう?」
ソニアは首を傾げる。
司祭が亡くなったくらいで、普通は礼拝堂を新しく造り直したりしない。
「開けても宜しいかな? 中を確認したいのです」
それは構いません、とソニアは頷く。
実は自分もこの礼拝堂の中に入ったことはない。
幼い頃に兄と探検ごっこの際に、この中へ入ろうとする前に見付かって、両親に酷く叱られてから入る気が失せてしまったのだ。
母はさめざめと泣き続けるし、父は烈火のごとく自分と兄を叱り続けるし――それが深夜までされたら、流石にあの礼拝堂に入ったら危険なんだと幼かったソニアでも理解できた。
――思い出して今更ながらに不安にかられる。
「……入っても大丈夫でしょうか? 老朽して天井が落ちてきたりしたら……」
「中を覗いて、危険なようなら入りませんからご安心を」
そう答えながらクリスは太い閂を抜く。
ギィ……と、錆びた音がして扉が開かれる。
クリスは身体を半分だけ入れて、警戒した眼差しで中を確認する。
それから観音扉の片面だけを開けると、抜いた閂で押さえた。
「今、言えることはカビ臭いというだけですかね」
「中に入っても……?」
「ちょっと待っていて下さい」
クリス一人中へ入って、見て回る。
ソニアはその様子を、不安な表情で見守っていた。
「大丈夫そうです。だけど足元に気を付けてください」
戻ってきたクリスの手に引かれ、ソニアも中へ入っていく。
中は城の一基分を使っているだけあって、広くて天井が高い。
ステンドグラスが真正面を飾り、日に透けて明るい室内にしていた。様々なセレモニー会場としても使われることが多い礼拝堂だ。
それに有力者・クレア家の城でもあるから、相当に金を使い絢爛豪華に仕上げた内装だと分かる。
――なのに、この場所を放棄して城内に個別に礼拝堂を造るなんて
ソニアの疑問は尽きない。
(それに…)
知らず腕を組み身を縮めるほど寒いし、ステンドグラスからあんなに日が差し込んでいるのに、薄暗く感じる。
「クリス様……私、ここ合わないみたいです」
ぎゅっと、胸元のロザリオを握り締めながら言った。
「そうですね……」
クリスも何か感じることがあるのか、言葉少なく答える。
二人忙しく礼拝堂から出ると、クリスは再び閂をかけた。
「この場所もエクソシストがやって来るまで閉じておきましょう。それまで閂が古くなっているので新しく造り直した方が良いかもしれません」
「本当に……早く来てくだされば良いのですけど」
不安に、つい溜息を吐くソニアにクリスは
「あと十日ほどしたら王都入りしますから、その時に教皇にご相談してみたら如何でしょう? 他の者を派遣してくださると思いますよ」
と助言する。
「そうですね……。少し早めに王都に出発しましょうか。生誕祭に近付くと教皇様もお忙しいでしょうし」
地方から用事で王都に出向く時は、日にちに余裕を持って出るのが普通だ。
悪天候に見回れるかも知れないし、盗賊に遭遇するなどのアクシデントが起きるかもしれないからだ。
ソニアは、生誕祭が行われる五日ほど前に王都に着くように手はずを踏んだが――早速アクシデントが発生したのだった。
馬から落とされる←後方かかえ込み2回宙返り
落下物避け←トウループ
な、イメージ。