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グシャ to 戯ル②

 マカク・シレヌスは瓦礫に腰掛けながら、ただ時間が過ぎるのを待っていた。


夜になった。


遠く離れた場所に機械軍の『工場』があった。今回の任務のターゲットだが黒い球形をした不気味な建造物は彼の知っている工場のイメージを完全に裏切っていた。

「(工場っていうより、ボーリングボールの親玉だな、ありゃ)」


 夜になると『工場』周辺に設置されたスポットライトから橙色の光が放出されるようになった。通常、工場では機器や計器類に異常がないかどうかを目視で安全確認できるよう、大小の照明を使って昼間のように明るくするというが、スポットライトの強い光を浴びてもなお工場は黒い球形の無表情を保っていた。


 マカクは瓦礫の影に身を浸しながら時々思い出したかのように水を飲んだり、カロリーメイトを齧ったりしていた。

 機械軍の巡回がこの辺りまでやってくることはほとんどないけれど、全くのゼロというわけではないから火は起こせない。タバコを吸いたかったが我慢した。

 すぐそばで聞こえるレムル・カッタの不規則な寝息を聞いているとこちらまで息苦しくなりそうで、鬱陶しいなと思っていると、

「カ、カカカ、カ」

 という黒板を爪で掻き毟るような耳障りな音が最初、レムルの声だということにマカクは気がつかなかった。

 暗闇の中でレムルの体が一度大きく跳ね上がると、地面で悶え始める。

 マカクは急いでレムルの元へ走り寄った。レムルには自傷癖があったので眠る時すら拘束衣を着せていたのだが、今、レムルはまるで頭のちぎれた芋虫みたいに必死にのたうち回っていた。

 マカクは少女(レムル)の身体を抑え込んだ。異様な苦しみ方だ。体の詳しい様子を確かめなくてはならないし、必要とあらば発作を止める薬を与えなくてはならない。


【斬裏々々《ギリギリ》】――錆び付いたねじ回しのような、少女の歯ぎしりの音。


 マカクはペンライトを取り出すと電源を入れ、葉巻のように口に加えて固定。ペンライトの光が少女(レムル)の顔を白く照らす。レムルの顔の下半分は噛み付き防止マスクで覆われているが、それを排除し、拘束具を緩めた。

 レムルの体が起き上がる。と、拘束衣から解放された少女の細腕がマカクの方へ伸びる。ガラス細工のように脆そうな少女の手がマカクの首をがっちりと掴む。思いのほか強い力だったので、マカクは苦痛に顔を歪め、額に脂汗をかきながらなんとか少女の手を自分の首から引き剥がした。

「グラアアアアアア」

 レムルは一際大きな声を上げた。野獣の断末魔のような、あまりに凄まじい声に、

「(てめぇ、何大声出してやがる。機械(てき)に気づかれたらどうなると思ってんだ、バカタレ!)」

 マカクは両手で大きく開いた少女の口を閉じた。レムルはまるで閉じ込められた囚徒が「出せ出せ」と力いっぱい牢獄の扉を叩くみたいに、マカクの胸を何度も何度も強く叩いた。

 マカクは口に咥えたペンライトが噛み砕けるんじゃないという程に強く歯を食いしばって耐えたが、その顔――眉間に青筋を浮かべ、鼻筋に獅子のような獰猛な皺を作り、頬を大きく引き攣らせる――は手負いの獅子が見せる憤怒の顔だった。思い切り怒鳴ってやりたかったし、思い切りひっぱたいてやりたかった。しかしどんなに腹が立った時でも、どんなに手に負えないと思った時でもマカクは怒鳴らなかったし、手を上げなかった。それがこの少女と手を組んだ時に決めたマカクの掟だった。今までその掟を破ったことはない。


 騒乱が収まるのにさほど時間はかからなかった。少女の小さな顔がマカクの胸に寄りかかる。少女の軽い体重や薄く早い吐息が胸から直に伝わると、途端に気恥ずかしさが働いてどう接していいかわからなくなった。

 こういう場合、少女の頭を優しく撫でたり、背中をさすってやったりするのが正解なのだろうが、一回り違う少女の体に触れることへの奇妙な禁忌感からマカクは照れて赤くなった顔を見られないよう上を向いて両手はホールドアップした。

「夢ヲ見タワ」

 マカクの胸の中でレムルが渇いた風音のような声で小さく呟いた。

「クソッタレナ夢、クソ、クソクソミタイナ夢……」

「『超製槽(Pupa)』に入れらている時の夢か」

 マカクの問いにレムルは獲物を捕らえる肉食獣のような俊敏な動きでうつむき気味だった顔を上げ、血走った目を大きく見開き、そして小さな、幼い鼻筋に怒りの皺を寄せ、

「ウゼェ、死ネヨ、クソヤロウ」

 と唾を飛ばしながら吐き捨てるように言った。そしてただ、

「クソクソ」

 と言って弱々しくマカクの胸を叩いた。

「(心配しているのに死ねとか言われて、たく、報われねえぜ)」。


 レムル・カッタは機械と戦う為にいくつかの改造を受けていた。その施術の際に『超製槽(Pupa)』という機材が使用されたらしいが詳しい内容をマカクは聞かされていない。レムルもその件に触れられることを極端に嫌っていて(もしくは恐れていて)、少しでも話題に出ようものなら手に負えないくらい激昂する。

 ただその時の辛い記憶が少女の精神を大きく蝕み、病ませているのは確かだ。もし仮に詳しい事情を上官か、もしくはレムルから聞いたとして単純で、他者の心の機微がいまいち理解できないマカクに一体何ができただろう。 レムルの怒りは火山の爆発のようなものだ。山が火を吹き、土石流が都市を飲み込んだとして、住民はただ災害が収まるのを固唾を飲んで見守ることしかできない

「(見守る、辛抱強く……、そうそれが俺の役目だ、そしてそれしかできない)」

「殺シテヤル、殺シテヤル、ミンナ、ミンナ、アタシヲ苦シメルモノ、ミンナ、ミンナ……」

 少女の剣呑な物言いに、

「ああ、そうだな。腹立つよな、苦しいよな、みんなぶっ壊したいよな。いいんだぜ。今はだめだ。でも戦いの時、機械と戦う時にはその気持ちを思い切りぶつけていいんだぜ」

 と、マカクは幾分疲労の滲んだ囁き声で言った。

「(ぶっ壊せとか、なんて物騒な子守唄だよ、全く)」

「アア、チクショウ、チクショウ」

「お前は悪くねえよ。悪いのは機械だからな。機械の連中がみんな悪いんだ。ぶつけてやれよ」

 そう言い続けている内にレムルの声が小さく、弱々しくなっていく。そしてレムルの声が途絶えた後に聞こえるのはうっすらとした寝息である。マカクの胸の上で少女は疲れて眠ってしまったのだ。

 憑き物が取れたかのような、安らかな寝顔は愛らしかった。この時になって少女の顔にいくつの発見をする。広い額にかかる黒い艶やかな髪や、繊細できめ細やかな白い肌、敏感に揺れる長いまつ毛、可憐な一片の花びらのような桃色の唇。いつもは野獣のように大きく開く唇が、この時に限って小さな愛らしい花の蕾ようにすぼむのを見ると何か不思議な恩寵を見ているような気分になる。マカクはため息を吐いた。この愛らしい少女の寝顔を独占出来るのが、マカクの職務において唯一の役得だった。そしてこの瞬間があるからマカクは自らに架した厳しい規律を守ることができるのだろうと思った。

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