グシャ to 戯ル①
『雌王の背骨』の在り処が判明した――この瞬間、世界はとてもシンプルになった。雄王と雌王、二つの背骨を独占したものが世界を完全に、完璧に、完膚なきまでに支配できるのだ(そんなんでいいのか、世界www)。
『時点《present》/20131116 19:00』
機関の第二航空基地から一機の高速輸送機が発進した。高速輸送機はおよそ15分ほどでルリタテハが待機しているオアシス上空にまで到達、オアシス上空を通過する瞬間、高速輸送機は腹部に格納されていた積荷をオアシスに産み堕とすとそのまま自分の巣へ帰っていった。
ルリタテハはオアシスの湖を覗き込んだ。水面には今の自分の顔が映っている。その顔はどうみても美しくない顔だった(「はっきり言ってやるなよwww」)。
短く刈り込まれた黒髪には白髪がまばらに混じっていた。面長の輪郭。眉は薄くて短く、太く前へ競り出した鼻は単純明瞭な線で出来ている。厚く黒ずんだまぶたのすぐ下にある丸くて大きな目、この大きな目は蛾や幼虫達の体表に見られる眼状紋を思わせる――殺して奪ったキプンジ隊長の顔。死者の顔。死者の顔が自分の顔に張り付いている。
水面の向こう側で死者の顔が恨めしそうにルリタテハを見つめている。ルリタテハは微かに口の端を歪めた。死者の口の端も歪んだ。この時、ルリタテハは水面の死者に向かって何か言ってやりたい気持ちに駆られた。が、しかし何も言葉が見つからなかった。
【童夢!】――鈍い地響きと轟音、まるで不吉の前触れのような。
高速輸送機が投下した積荷がオアシスに着弾したのがちょうどこの時である。
ルリタテハがその音の元へ走り寄った。そこには巨大なボールペンのようなものが地面に突き立っていた。ルリタテハはその巨大ボールペンに触れる。巨大ボールペンは有機組織で出来ていた。ペンの形をした肉の塊だ。
ルリタテハはその肉の表面を手で探ると、巧妙に隠されていたスイッチを見つけ、そしてそのスイッチを押した。すると巨大ボールペンが溶壊し始めた。有機組織は残らず溶け消え、有機外装に護られていたものだけが残った。
ドルン、とそいつは低く静かな獣の唸り声を上げた。
「ひゅー、最新鋭の銃二輪じゃんwww」
リーフィッシュは新しい玩具を買い与えられた子供みたいな無邪気さでそう言った。
『銃装大型自動二輪』――仲間内では銃二輪と呼ばれている軍用バイクがルリタテハの眼前にあった。特殊合金製の黒い流線型ボディ、4輪レーシングカー並に低い車高、表面を蛇腹状にすることで悪路走破能力を高めた大型タイヤ、前輪部に備わっている二門の小型回転式機銃はまるで猪の牙のよう。リーフィッシュが黒光りする外装をペタペタ触って回ると、銃二輪は少し鬱陶しそうに首を横に振った。
この乗り物で『雌神の背骨』所有者がいる『座標KZ89の00000地点』へ向かえばいいらしい。
ルリタテハが鉄の騎馬に跨った。前傾姿勢の搭乗スタイル。コックピットの液晶表示板にはすでに目的地までの最短経路が示されていた。
銃二輪を運転するのは初めてだったが、すでに『code:DOC』がルリタテハの運動野に銃二輪の操縦方法を刷り込ませていたので、ルリタテハは何の戸惑いもなく発進させることができた。
徒歩であれば脱出に数日かかる、広大な赤砂の砂漠を銃二輪はわずか10時間程で走り抜けた。
更に5時間程経つと潮香を感じるようになった。銃二輪は荒地を抜け、沿岸部の高速道路を走っていた。潮香の甘苦い臭いは鉄錆の臭いとよく似ていた。スクラップ工場とかへ行くと強く感じる臭い、機械達の死臭。
視界の隅を高速で流れていく風防パネルが、のたうつ一枚の帯のように見えていたが、それが途切れると急に視界が開けて空と海が大きく見えた。
すでに夜は明け、太陽は天頂近くにまで昇っていた。空は透明な黒色をしていた。光が透けて通る黒い絹のヴェールを思わせるその黒はぼんやり眺めていると意識がその黒に飲み込まれていくような感じがする。鮮やかな緑の太陽は緋色の雲に覆われてその姿を曖昧にしていた。時折雲間から除く太陽の光が刃物のように鋭い。海はなめらかで柔らかい光沢を帯びた黒色をしていた。微風に緩くかき回された漆黒の海面に真珠色の波光が浮かんでは消えていた。薄く透き通るような空の黒さと粘っこい濃密な海の黒さは全く正反対の性質を持った黒だったが、その空と海とが交わると不思議と融和し、その境界を失って一枚の巨大な黒い画布のように見えた。
すでに【轟々】という風を切る音が鬱陶しくなってきたルリタテハは音楽をかけた。脳の側頭葉に音楽データを保存していて、好きな時に再生することが出来るのだ。ルリタテハは坂本真綾のアルバムをランダム再生、まず『ポケットを空にして』が始まる。
耳孔を占めていた風音が澄んだ歌声に塗り替えられた。リン酸カルシウム製の頭骨コンサートホールで奏でられる音楽は聴くというよりも、浴びるという感覚に似ている。心地よい旋律と歌声にルリタテハは少しうとうとした。任務のことがなければ気持ちの良いツーリングとなったことだろう、とルリタテハはふとそう思った。
この時、高速道路をひた走るルリタテハの直情を唐突にいくつもの影が通過した。すぐ後に強い風が吹き抜けた。それから風切り音。
翼竜の骨格模型に似た巡回航空機の編隊が頭上を通過していったのである。
やがて雪のようなもの降ってきた。それは巡回航空機達が散布して回っている環境修繕ナノマシンだった。