第9話 はじめて せんじょうに きてみたぞ
空は厚い雲に覆われて、今にも雨が降り出しそうな天気だ。
時折吹く風が少し肌寒い。
俺もアクシルも教会で拝借してきた布の服のままだ。
それに比べて、シャルアの神官服は随分と暖かそうに見えた。
俺も一緒に二人羽織的にぬくぬくしたい、うへへ。
「目的地はもうすぐですか?」
シャルアはとてとてと俺の方へ向かってきた。
目的地のお布団の中……いや、ディルギアス鉱山はもうすぐのはずだ。
アクシルやシャルアに地図を預けられる訳もなく、俺が地図を持って歩いている。
「たぶん……その丘を越えたところ辺りかな?」
俺は地図を片手に、丘の向こうを指差してみせた。
普段、俺達が薬草集めをしているティターニア平原の東の端に、地図には印が付けてある。
薬草集めで大概ティターニア平原は歩き回ったが、こんなところにまで来るのは初めてだ。
「おう、どっからでもかかって来いっ」
アクシルは棍棒を構えて、いつでも戦闘態勢万全といった様子だった。
まだ魔物の気配もしていないぞ、早過ぎやしないかアクシルよ。
でもまあ、天気は悪い、活発化した魔物に対する警戒と思えば殊勝な心がけといったところか。
そうだ、俺は魔物の気配を察知できるんだ。
ともすれば、魔王の力を手に入れたことをすっかり忘れてしまう。
まあ、つい最近、突然手に入れた力だし仕方無いよね。
慣れてくれば魔物察知なんかは自然にできるものなんだろうな、きっと。
俺は精神を集中させた。
なんとなく、体に魔力が流れ込んでくるのを感じる。
魔法を使う時って、きっとこんな感じでやるんだろうな。
そんな事を思っていた時だった。
突然、俺達の背後で魔物の魔力を感じた。
「っ!?」
俺は慌てて後ろを振り返った。
そこには、シャルアに向かって木の棒を振り下ろすゴブリンの姿……!
気配を押し殺していたのか、魔力による察知で初めてその存在に気付く。
「危ない!」
「えっ……?」
思わず俺はシャルアを庇う。
そして走る背中の激痛。
「くうっ!?」
俺はそのままシャルアを抱きかかえる様に草むらへ倒れこんだ。
「おい、ディール!?」
「くそっ……大丈夫か、シャルア?」
「はっ、はいぃ……!」
本来であれば、どさくさに紛れてシャルアに抱きついた感覚を堪能したかったが、そんな余裕も無い。
俺がゴブリンの方を振り返ると、奴は更に追撃と言わんばかりに手にした木の棒を振り上げた。
くそっ、魔王の力……っ!
俺が慌てて魔王の意識にシフトしようとした時だった。
「うおりゃああ!」
アクシルの放った棍棒の一撃が、目の前のゴブリンに決まる。
そのままゴブリンはアクシルとは反対側によろけて倒れ込む。
「大丈夫か!?」
「お、おう……!」
そう言うと、アクシルは棍棒を振り上げ、起き上がろうとするゴブリンに再び一撃を食らわす。
ぐぎゃっ、という声と共に、ゴブリンは動かなくなった。
辺りに降りる少しの沈黙。
やばい、アクシルちょっとだけかっこいい。
「はぁ、はぁ……。
……うおお!? やった、やったぜ!?」
アクシルは思い出したかのように勝どきを上げた。
「やったぜディール! おい、見たか!?
俺もゴブリンを倒せるようになったぜ!」
興奮したまま、アクシルは俺の元に駆け寄ってきた。
そして、倒れたゴブリンを指差して俺の背中をばんばんと叩く。
「ほら、見てみろよ! 遂にやってやったぜ!」
「い、いてっ、いてぇってばよ!」
ゴブリンにやられた背中を叩かれ、俺は悲鳴を上げた。
こいつは手加減ってものを知らんのかっ……!
「おあ? ああ、すまん、お前はシャルアを庇ってたんだったなっ!」
そうだぜ、シャルアを庇ってどさくさに抱きついて……そのシャルアは必死に魔道書をめくっていた。
いつの間に俺の腕をすり抜けたんだ、シャルアよ。
「ま、待って下さいねっ、すぐに回復しますっ!」
いやたぶん、回復魔法よりもシャルアに抱きついていた方が回復すると思う。
今になってその時の感覚が蘇る。
柔らかかったなぁ……いい香りだったなぁ……ぐへへ。
そんな、やましい事を考えている俺に、ふと暖かな力が流れ込んだ。
なんだ? 背中の痛みが引いていく……。
これが回復魔法ってやつか?
考えたら今まで回復魔法なんて受けたことはなかった。
怪我した時は薬草を塗りこんでいたし、痛みを感じた時はポーションを飲んで回復していた。
「できましたよっ、回復魔法を1分で唱えられましたっ!
自己記録更新ですっ!」
……そうか、少なくとも俺は一分間はやましい事を考えていたのか。
俺はシャルアの詠唱速度の事よりも、自分の思考の事の方を先に考えてしまう。
しかし、こうしてアクシルも初めてゴブリンを倒せた。
そしてシャルアも回復魔法を実用的に使えるようになってきた。
なんか、俺達も成長してきた気がして妙に嬉しかった。
俺も、もっと普段から魔王の意識にシフトして臨戦態勢を作っていた方がいいのかな。
さっきもゴブリンの奇襲に気付くのが遅れちまったし。
「よーっし、この勢いで要塞まで行こうぜ!
その丘を越えたところだったよな!」
「あ、おい、待てよ」
俺が制するのを無視して、アクシルは一人丘を越えた。
シャルアと俺は慌ててその後ろを追いかける。
突然、アクシルは走るのをやめ、立ち止まった。
それに追いつくと、俺はアクシルと視線を同じにする。
「こ……これは……」
今まで薬草集めしかしたことのなかった俺達には想像を絶する光景が広がっていた。
鉱山の入口の手前に作られた小さな要塞、所々で燃え上がる戦火の炎。
至る所で繰り広げられている戦闘、聞こえてくる雄叫びや破壊の音を奏でる魔法。
自分達の数倍の大きさのゴーレムに立ち向かう冒険者、空から炎の息を吹きつけるワイバーン。
俺達の立っている丘よりもまだずっと先の方でよく見えないが、確実にそこには戦いの光景が広がっていた。
話や本で知ってはいたが……実際に目の当たりにするのは初めてだ。
「うお……うおおお! す、すげぇ……!」
アクシルは声を震わせてその光景を見ていた。
彼の足もまた、震えていた。
その震えは武者震いなのか、単にビビっているのか。
「こいつは……! 武者震いが止まらないぜ!」
本人の中では前者らしい。
俺の足の震えは正直言って後者のビビりの方だけどな。
初めて戦場を目の当たりにして、震え上がらない奴などいないのではないだろうか。
それだけ実際の戦場の光景は俺達の日常とはかけ離れたものだった。
しかし、こんな戦場で魔物を退治しなければならないというギルドの仕事の現実が、俺達の足を震わせている。
気がつくと、俺にしがみつくようにしてシャルアも震えていた。
これなら、しばらくこの風景を眺めているのもいいな、うふふ。
「よっ……よっしゃあ! やってやるぜえ!」
恐怖を押し殺すように、勢い良くアクシルは丘を駆け下りた。
さっきゴブリンを倒せたことで、気が大きくなっているのだろう。
あまりに唐突すぎて、俺は制止もできずに彼の後を追う。
走り出すという行動を起こした俺は、急に現実に引き戻される。
そうだ、まずは索敵をして状況を掴もう。
ただただ遠目に戦場を眺めるだけでは咄嗟に思いつかなかったかもしれない。
俺は魔物の魔力を探る……近くには魔物の魔力は感じられない。
どうやら、さっきのゴブリンは魔物の群れからあぶれた一匹に過ぎなかったようだ。
しかし、アクシルの向かう方向、戦場の方向には……ゴブリンなんて比じゃない魔物の魔力がわんさか居るぞ!?
「おい、アクシル! 待てって!」
俺は必死に走りながらアクシルを止めようと声を上げた。
しかし、その声に振り返ることなく、アクシルは戦場目掛けて走り続ける。
「ひーん、待ってくださいぃ~!」
俺は必死に神官服の裾を持って走ってくるシャルアの声が上がるのを聞いた。
もちろん、俺はその声に振り返り、シャルアが追いつくのを待った。
アクシルの事よりもシャルアの事の方が心配なのは当然である。
「大丈夫か?」
「はひっ、はひっ……ごめんなさいぃ、足が遅くって……!」
やばい、健気すぎる、許す、全力で許す。アクシルの事なんてもう知らん。
とは言うものの、俺は視線をすぐにアクシルの方に向けた。
彼は、もう俺達からはずいぶん離れて戦場の方へ向かってしまっていた。
アクシルの奴……ちょっと気を大きく持ちすぎだぜ……。
「仕方ない、あいつがやられても、俺らで死体は連れて帰れるようにしようぜ」
「は、はいぃ……」
シャルアの声はまだ震えていた。
シャルアも神官の端くれだ、もしかしたら気付いていたのかもしれない。
俺達が魔物に取り囲まれようとしているのを。
「くそ、やるしかないな……!
シャルア、俺の側から離れるなよ」
「はっ、はいっ……!」
また言えた、このセリフ、うへへ。
俺はそう言うと、腰を低くして戦闘態勢に身構えた。
もう魔力を探って魔物を探す必要はない、奴らはもう俺達が目視できる程のところまで近づいてきていた。
目の前にはゴブリンが2匹と、コボルトらしい魔物が2匹。
よっ……し、やってやるか……!
俺は魔王の意識にシフトする。
「やられるかよっ!」
俺は目の前に向かって来る下級魔物に向かって、大きく右手を横に薙いだ。
ゴブリンとコボルトは俺が薙いだ方向に体を傾かせ、一瞬にして塵に還る。
こうして見ると、俺は腕から衝撃波を出しているようにも感じた。
そして視線を右に移す。
そこには巨大な棍棒を振り上げて襲い掛かって来るオークの姿。
俺はさっきと同じ要領でそのオーク目掛けて右腕を振り下ろす。
オークは俺の放った衝撃波を受け、一瞬よろめいたが、再び体勢を立て直して俺に向かって襲い掛かる。
「オークともなると飛び道具じゃダメってか?」
俺はオークの振り上げる棍棒に構いもせず、懐に踏み込んで殴りつける。
オークの方が体格は圧倒的に大きいため、俺の頭の上に突き上げた拳は奴の腹に突き刺さる格好だ。
俺の拳はいとも簡単にオークの腹を貫いた。
オークは自分に何が起こったのか把握する間も無く、弾けるようにして塵となって消える。
しかし、何で魔物を倒すと塵になって消えるんだろうな。
『くっくっく、俺の力が強大すぎるからだ。
攻撃を食らった奴は、俺の闇の力に耐えかねて肉体ごと無に帰すってわけよ』
ふとした俺の思考は魔王の親父に届いていたらしい。
なるほどな……血や肉が撒き散らされるような地獄絵図にならなくて助かる。
特にシャルアの保健衛生上。
さすがにオークに攻撃をかけた俺の側にまでは近寄れなかったらしく、シャルアは俺がオークを倒したのを確認すると、とてとてと俺の方へ近づいてきた。
マジ可愛いなあ、うふふ。
また服の裾をぎゅっと握ってもいいんだぜ?
……っていうような状態でもできる攻撃……こんなものアリなのか?
俺は体中に力を入れて、魔力を溜める様に意識をしてみた。
じわじわと、自分の体に魔力が集まる感覚がする。
そして、俺は渾身の力で思い切り右腕を空に向けて掲げた。
「おらァ!」
どんっ、という音がして、俺とシャルアを取り囲もうとしていた魔物は天に吸い込まれるようにして塵となった。
その後も、まだビリビリと空気が音を立てているように感じた。
ははっ……こりゃあ……何でもアリだな……っ!