第17話 ひきょうものの さいごだぞ
辺りには冷たい風が吹いている。
メフィストの罠にかかった俺は為す術が無く、ただ二人を見ていることしかできない。
片やマンドラゴラの毒を解くために片膝をついて動けない神官。
片やシルクハットの裾を握り笑みを浮かべている悪魔。
どちらが有利かは目に見えている。
「エクリア! 俺の罠を解いてくれ!
後は俺がやる!」
俺のその声に、エクリアはメフィストに睨みを効かせながら、ゆっくりと俺に近づく。
メフィストはそれを何事もないように見逃す。
……嫌な予感がする……。
エクリアは俺の足元の魔方陣に少し触れる。
ばちっという音がして、エクリアの手は弾かれる。
「悪いな……私にはその黒魔術の解除方法が分からん」
「……マジで?」
「……この状態で冗談を言えると思うか?」
「俺にじっとしていろと言ってた割に、解除方法分からねぇのかよ!?」
「うるさい……黙っていろ……」
エクリアの額には汗が浮かんでいる。
「そんなにこの毒はやばいのか?」
「お前、マンドラゴラの毒も知らないのか?
魔方陣などで瞬間的に魔力を高めなければ解毒はできん」
要は、時間をかければ解毒はできるが、戦闘中に解毒するようなものじゃない、ということか。
『おい、お前の力でなんとかできないのか?』
『くっくっく、闇の力で解毒などできるはずも無かろう?
出来る事と言えば、せいぜいその神官の足を切断してやるこった』
『んなことできる訳……!』
しかし、俺の頭は考えていた。
エクリアの足を切断すれば、体内に毒が回るのを防げるはずだ。
そして戦闘後に回復魔法で切断した足をくっつければいい。
上位の回復魔法であれば切断した足を再結合することも可能のはずだ。
死者を蘇らせる程のフィリス神の加護があるのだ、それくらいできて当然だ。
「ふふふ……どうしますか?
彼女の美しい左足を切断して、体中に毒が回るのを防ぎますか?」
……できるはずもない。
五体満足で戦って互角以上の相手に、片足を切断して戦おうなど無謀もいいところだ。
「……ふん……」
エクリアは左足から手を離し、立ち上がった。
彼女の傷だらけの左足の表面には暖かい光が宿っている。
解毒魔法を分離しているのか、毒が回らないように何かしらの魔法を宿しているのかは分からない。
「……なめるな! ホーリーレイ!」
不意を突いて、エクリアは杖をメフィストに向けた。
彼女の背後から小さな光が生まれ、それは幾筋もの光線となってメフィストに降り注いだ。
光線の先で瞬く間に巻き上がる凄まじい砂煙。
その砂煙から、空へ飛び上がる黒い影。
「逃がすか!」
エクリアは杖を空中の影に向けた。
それに合わせるようにして放たれる光線。
その光線は影を貫いた。
メフィストの上着の影を。
「く……!?」
「……この瞬間に急所を外す回避をとるとは。
……貴女、どれだけの戦場をくぐって来たのですか?」
すぐ近くで聞こえてきた声に俺は恐怖した。
エクリアの左肩をナイフで貫くメフィストの姿が、そこにはあった。
「勘違いしないで頂きたい。
私は上着を放り投げただけですよ?」
メフィストの漆黒の上着は、穴だらけの姿のまま、ぱさりと音を立てて地面に落ちた。
エクリアは唖然とした表情のまま、杖の先の宙を見つめていた。
杖を中空に掲げたまま恐怖に震えるエクリアの顎を、メフィストは透き通るような冷たい色をした指で、撫でるように持ち上げた。
「あれを私と勘違いしてしまいましたか?
麗しいお嬢さん?」
「き……貴様!」
エクリアは掲げていた杖をメフィストに振り下ろした。
メフィストは大きく後ろに跳躍してそれを避けると、再び大きく間合いをとる。
倒れそうになる体をエクリアは片足で踏み止まり、再び片膝をつく格好となった。
金属製の音が響き渡り、彼女の杖が地面に転がった。
彼女はすぐに刺された左肩を回復、いや、解毒の魔法をあてようと右手で覆った。
「く……! はぁ……はぁ……!」
おびただしい量の血が彼女の左肩から流れ落ちる。
それでもなお、エクリアは必死の形相でメフィストを睨みつけていた。
「いいですね、その顔……。
嫌いじゃありませんよ。その、瀕死でありながら、なお策を巡らせようとするその目は」
「っぐおりゃああぁ!」
その時だった、メフィストのすぐ傍の瓦礫の下から突如、砂埃とアクシルの声が上がる。
そして現れる、メイスを大きく振り上げた傷だらけのアクシルの姿。
だが、そのメイスは振り下ろされることは無かった。
「ふふふ……いいですね、その奇襲攻撃。
ずっと私の隙を伺っていたんですか」
アクシルはメフィストに首を片手で掴まれ、吊るされた。
アクシルはもがき苦しみながら、メフィストの指を掻き毟るように抵抗する。
メフィストの白く細い指からは想像のつかない力で、彼の手はアクシルの首を締め上げた。
「でも……嫌いですね、貴方のような裏もない真っ直ぐな目は」
俺は瀕死の二人を見ていることしかできなかった。
見ていることしか……。
……目……?
「……おや? どうしました?
そんな目で私を見て」
俺はどんな目をしていたのだろう。
俺はどんな感情でメフィストを見ていたのだろう。
「ふ……ふふ……何ですか? その目は……」
メフィストの声が、一瞬、震えたように聞こえた。
だが、俺は気にせず、ただ、メフィストを見つめていた。
この上なく、力強く。
「き……嫌いですね……その目は……。
身動きもできないのに……絶対的な自信に満ちた目は……っ!」
怒り? 脅し? 悔しさ?
分からない。
俺は瞬きもせずに、メフィストを見つめた。
「や……やめてもらえますか……?
……そ……そんな目で私を見るのは……!」
鈍い音がした。
アクシルの両手が力なく下がる。
折れた……死んだか。
「み、見るな……!
そんな目で私を見るな!!」
メフィストは動かなくなったアクシルを俺に投げつけた。
アクシルは黒の魔方陣に衝突し、ばちりと音を立てて弾き返る。
「や……やめろ! 来るな!」
来るな?
俺は動けないはずだが?
「そ、それ以上近づいてみろ!」
「シャルア!?」
エクリアの声が響いた。
シャルア?
何でこんなところに?
「ふ……ふふ……それでいいんです……。
貴方達の前に来た冒険者を葬った後、隠れていたこの娘だけ生かしておいた甲斐がありました……」
何だ?
どういうことだ?
「外見はそちらのお嬢さんと同じ神官服……。
魔力の波長を見ると、貴方と似た波長……。
なんらかの関連性があるとは思いました……ふふふ……」
メフィストは気絶しているのであろうシャルアの首を抱き、ナイフを喉元に突きつけた。
シャルアを人質にとったということか。
「だから何だ?」
……は?
……俺今何て言った?
「……え……っ?
……っぐ!?」
メフィストは、さっきまでアクシルがしていたように、自分の首を掻き毟るように抵抗した。
その場にどさりと落ちるシャルア。
「っあ……ぐ……!?」
自分の首を掻き毟り、喉元から自分の血を流すメフィスト。
あれほど秀麗だった奴の顔は、涙と鼻水と涎に塗れ、恐怖に怯えている。
……無様だな。
「や……め……ぐ……」
メフィストの首を絞めていたのは、俺の『影』だった。
黒の魔方陣から伸びる俺の『影の手』は、メフィストの首を締め上げる。
「……ぐ……ひ……」
……死んだか。
俺から伸びた俺の影の手は、動かなくなったメフィストの首を、捻り潰した。
ぐちゃりと、嫌な音を立てて奴の頭は地面に落ちた。
それと共に掻き消える俺の足元の黒の魔方陣。
「……やっと消えたか……。
手間取らせやがって」
俺は肩をこきこきと鳴らすと、久々の体の自由を満喫した。
「ディール……お前……」
見ると、呆然とした表情でエクリアが俺の方を見ていた。
そりゃそうだよな、突然こんな光景を目の当たりにして平常心を保てる方がおかしい。
俺は大きく伸びをしながら、おそらくは魔王がいるであろう前方の塔へ歩みを進めた。
「お、おい! ディール、どこへ行く!?」
「ん? 魔王を殺してくる」
俺はアクリアを肩越しにちらりと見て、そう答えた。




