第16話 めふぃすとは ひきょうだぞ
薄暗い魔王城の通路を進むと、突然開けた場所に出た。
そうだ、俺達は洞窟じゃなくて城を探索してたんだ。
急に開けた場所に出てもおかしくはないな。
そこは、どこか幻想的であり、しかし多分に不気味さを含む、中庭のような空間だった。
上を見上げると、厚い雲に覆われた空が見えた。
「中庭か……ここ……」
「どうやらそのようだな」
エクリアはライトの魔法を止める。
いくら厚い雲に覆われているとはいえ、曇天の昼間くらいの明るさはあった。
石造りの壁や塀は朽ち果て、至る所に瓦礫の山がある。
同じ造りの床も痛んでいて、所々剥き出しの地面が見える。
よほど手入れされていない中庭か、ただの廃墟だ。
そして、その奥には少し高めの塔が見える。
魔王と煙、あ、いや、なんとかと煙は高い所が好きとは言うが……この塔の最上階にでも魔王は居るのだろうか。
「ほう……客人ですか……」
「だっ、誰だ!?」
どこからともなく聞こえてきた不気味な声に、アクシルは咄嗟にメイスを構える。
「ふん、隠れているつもりか?」
エクリアのその声と共に、その声の主は朽ちた塀の影から姿を現した。
全身黒尽くめのスーツに、大きなシルクハットを被った、紳士のような男だった。
手袋をした右手でシルクハットの裾を持ち上げると、彼の端麗な顔が現れる。
一見、ただの紳士のように見えたが、彼の口は裂け、隙間から鋭い八重歯を覗かせていた。
そして、白目のない、真紅の眼を見れば、彼が人間ではないことは容易に想像ができた。
「奇襲を狙えなくて残念だったな? メフィストよ」
「これはこれは、私の事は御存知のようで」
エクリアにメフィストと呼ばれた男は、麗しくお辞儀をした。
「黙ってここを通してもらえれば助かるのだが……?」
「街で貴女のように美しい方に出会えれば、そうするつもりですが」
美男に美女の会話。
なんか妙にイライラする。はっ、これが嫉妬?
「生憎と、ここは魔王様のおられる城内ですのでね!」
豹変したメフィストは何かをエクリアに投げつけた。
甲高い音を立てて、それはエクリアの金属製の杖に弾かれる。
あんた杖持ってたのか。
エクリアの持っていた杖は、偉い神官様が持っているようなごてごてとした装飾が頭に乗っている大きな杖ではない。
ともすれば俺の剣よりも短いと思われる、簡素な装飾が施されている金属製の杖だ。
「こんな子供騙しが通用するように見えるとは……私も甘く見られたものだな」
「なに……黙ってこのまま死んでもらえれば助かったのですが」
裂けた口を上げ、にいっと笑うメフィスト。
なにこの絵になりすぎる美男美女、きぃぃ、なんか悔しいぃ。
「お、おいっ、これって……!」
アクシルがエクリアが防いで地面に落ちた物を見て声を上げた。
表面に液体が塗られた数本のナイフだった。
よく見ると液体は透明ではなく、薄らと緑色を帯びていた。
「ど、毒が塗られたナイフ……!?」
「おや、お目が高い、よく分かりましたね。
マンドラゴラの毒が塗られたナイフですよ」
メフィストは更に口角を上げてみせた。
裂けた口が目元にまで届きそうで、折角の端正な顔立ちが台無しだ。
「貴様っ! 卑怯な!」
ここでアクシルの闘魂に火がついた。
「おい、待て!」
「うおおぉぉ!」
今までお預けを食らっていたんだ、俺達に止められようはずもない。
アクシルは無防備にメイスを上段に構えたまま、メフィストに突っ込んだ。
「卑怯? 私の事を卑怯と言いましたか?」
「この卑怯者があぁ!」
振り下ろしたアクシルのメイスはメフィストに軽く避けられ、重い音をたてて石畳に叩きつけられる。
金属製のメイスだ、石畳は衝撃に耐えかねて砕け散る。
攻撃を避けられたのを知り、メイスを構え直そうとするアクシルに、メフィストの細く長い足の蹴りが襲う。
半ば優雅にも見えるその蹴りは、アクシルの横腹に見事に入り、そのままアクシルは吹き飛ばされる。
アクシルの体は床を滑りながら、幾つもの塀を砕いてやっと止まる。
メフィストから横の直線上に砂埃が舞う。
凄まじい蹴りだ……今の一撃だけで、もはやアクシルの生死すらも危うい。
その蹴りを放った本人はシルクハットの裾を下げ、上目でこちらを見ていた。
「卑怯とは、私への最高の褒め言葉です」
もはやアクシルなど眼中に無いようだ。
メフィストは楽しそうにこちらを見ている。
「……悪魔に魂を売った錬金術師、メフィストか。
その悪魔をも騙そうとする腐れた精神は気に食わん」
見ると、エクリアは杖を構え、既に臨戦態勢に入っていた。
「私が正面から奴を攻める。
その隙にディールは自分の卑怯だと思う攻撃を横から加えてやれ。
奴は卑怯者が好きらしいからな」
「構いませんよ、私も驚くような攻撃を、どうぞなさってください」
「分かった」
俺は、いつぞやジャイアントミノタウロスの喉元を掻き切ってやった黒い衝撃波をメフィストに放ってやった。
単に指を弾くだけだ、奇襲もへったくれもない。
「っ!?」
さすがに直撃は免れたかったらしく、メフィストは空高く跳躍した。
彼の居た場所に突き刺さる黒い衝撃波は、激しい音をたてて石畳を粉砕し、霧散した。
「おおっ、おおお!?
いいですねぇ、貴方も卑怯という言葉の意味を知っていらっしゃる!」
空中に跳んだメフィストは、興奮したように叫んだ。
俺は容赦はしない。奴に立て続けに衝撃波を浴びせてやる。
しかし、そのどれもがメフィストのナイフに弾かれ霧散する。
そして彼は優雅とも言える仕草で石畳に着地した。
お前何本ナイフ持ってんだよ。
「これは楽しめそうですねぇ……」
メフィストは舌なめずりし、不気味に笑う。
「……お前……卑怯にとは言ったが……まあいい」
エクリアはさすがに俺の攻撃は予想外だったらしく驚いた様子だったが、すぐに元の調子に戻る。
俺は言われた通りにやりましたが?
「それなら、これはどうでしょう?」
メフィストは大袈裟に両手を叩いた。
「くっ!」
「え?」
咄嗟にエクリアはその場を飛び離れた。
戦闘慣れしているのだろうか、エクリアはメフィストの罠を瞬間的に察し、避けたのだ。
「なっ!? こ、これは!?」
俺は身動きがとれなかった。
俺の足元には、黒く描かれた小さな魔方陣があった。
さっきのメフィストの鳴らした手の音で発動したのだろう。
俺はエクリアのような戦闘の勘は無く、まんまとメフィストの罠にかかってしまったのだ。
「おやおや、貴方も最初の一つくらいは避けられると思ったのですがねぇ」
「う、うるせぇ!」
こんな足元に罠の魔方陣を隠しておくとは卑怯だぞ!とは相手が喜びそうなので言わないでおいた。
俺はどう足掻こうと、捉えられた黒の魔方陣から抜けることができなかった。
金縛りのように体が全く動かない。
『な、なんだよこれ! お前の力でも抜けられないぞ!』
『ほぅ……シャドウサーバントの亜種か。
くっくっく、メフィストの奴め、やるな』
『感心してないで脱出する方法を教えろ!』
『無駄だ、この魔法は自分の力で自分の動きを抑えているようなもんだ。
いくら力で脱出しようとしても、全く同じ力がそれを止めようとする。
何をしても無駄だ、罠にかかったお前が悪い』
『ど、どうすりゃいいんだよ!?』
『あの神官に助けてもらえば?』
ま、また投げやりなっ……!
「エ、エクリアっ!」
「悪いな、しばらくそのまま大人しくしていろ。
お前の攻撃の流れ弾でも当たろうものなら悲惨な事になることが分かったからな」
「ふふふ、仲間割れですか?
嫌いじゃありませんよ」
くそっ……! ならばその力を見せてもらいましょうか、ええ!? エクリアさんよ!
俺は逃げも隠れもできず、戦闘を傍観することに決めた。
「さぁ……かかってきて下さい?
私の敷いた罠を超えられる自信があればですが」
メフィストはシルクハットの裾を下げ、舌なめずりをした。
「……ふっ!」
エクリアの小さな吐く息が聞こえたかと思うと、彼女の姿は既にメフィストとの間合いの内側にあった。
速い……! 人間の跳躍じゃない、おそらくは魔法を使った跳躍だろう。
そのままエクリアは手にした杖を無駄の無い動きで振り降ろす。その後も続く棒撃の連打。
単に杖を振り回しているのではなく、一撃一撃が確実にメフィストを捉えている。
メフィストは、それと同じ速さで避け、あるいは受け流す。
「おおっ、おおおっ!?
良いですね、神官でありながら戦い慣れたその動き!」
攻撃を受けながらも余裕を持っているメフィストの方が一枚上手のように思えた。
その挑発を聞いてか、攻撃に空いた左手による手刀と蹴りによる打撃が加わる。
「人間界では……モンク僧と言いましたか?
武術と神官を兼ね備える職業は?」
「そうだな」
エクリアの隙を突いた蹴り上げがメフィストの腹部に決まる。
その勢いで、両者は再び間合いを広げる。
メフィストは、再びシルクハットの裾を握って、にやりと笑みを浮かべる。
蹴りを食らっておいて負け惜しみか?
そう思った時、突然エクリアは片膝をつく。
「く……」
「なっ……これは……?」
エクリアの神官服の裾から見える足には、おびただしい切り傷があった。
そして目線をメフィストの方へと移す。
エクリアの蹴りの衝撃で破れたのだろうか、彼の漆黒のスーツの腹部は大きく裂けていた。
その奥には、それこそ超小型の無数のナイフが針の山のように切っ先を外に向けて並んでいた。
エクリアは、渾身の蹴りを剣山に放ったようなものだ。
「……よくもまあ丁寧に……マンドラゴラの毒など……」
再びエクリアに視線を戻す。
彼女は神官だ、自分の傷を自分で治すくらい……。
エクリアの左手は、彼女の切り刻まれた左足の上で薄らと光を放っている。
しかし、足の傷は癒される気配はない。
彼女はまだ、解毒を続けているのだ。
「聞いてませんでしたかぁ……?
私は『卑怯』なんです」




