第10話 ぼすなんて めじゃないぞ
俺とシャルアは戦場の奥の方へと進んでいった。
よくよく考えれば、アクシルの持っている集魔のお守りを持っていないと魔物を退治したと見なされない事を思い出したからだ。
本当は戦場の隅っこで最初のゴブリンを倒した時みたいに、おこぼれを貰う予定だったんだが……。
アクシル、というよりは集魔のお守りを探しに俺達は戦場の奥の方へ向かっていた。
奥の方に進むにつれ、魔物よりも冒険者や、国の兵士の姿の方が多く目に付いてきた。
魔物の掃討作戦が順調に進んでいるのだろう。
遠目で戦場を見た時は、あちこちで戦闘が繰り広げられているようだったが、実際に戦場に入るとやっぱり広いもんなんだな。
少し離れたところで戦闘も繰り広げられてはいるが、どこででも皆が戦っている訳でもない。
戦況は既に本戦も終わりつつあるようだった。
だからこそ魔物の戦力は外側へと散りつつあるのかもしれない。
それこそ俺らの仕事だというのに……。
「アクシルさん……いませんね……」
シャルアはきょろきょろと辺りを見回しながら不安そうにそう言う。
全くだぜ……本当に一人でどこまで行きやがったんだ。
さっきも思ったが、戦場は思っていた以上に広く、こんなところでアクシルを探すのは無理のように思われた。
もしくは……もう既に魔物にやられてしまって、他の冒険者パーティの神官のお世話になっているかもしれない。
他の冒険者か……。
俺はアクシルの行方を他の冒険者に尋ねてみようと思いつく。
辺りを見渡すと、ちょうど休憩中か作戦会議中か、戦闘をしていない数人で構成された冒険者パーティを見つけた。
「すみませーん」
俺とシャルアはその冒険者パーティの元へと歩み寄る。
「あの……銀色短髪で、棍棒を持った布の服の冒険者を見ませんでしたか?」
「ああ、あいつか」
どうやら一発で通じたらしい。
言葉に直してみて初めて気付いたが、こんなに魔物の蔓延る戦場で棍棒と布の服しか装備していない方が目立つに違いない。
……俺も他人の事は言えないが。
「俺達が止めても聞く耳持たず、って感じで前線に走っていったよ」
「はあ……そうですか……」
やはりそうか……アクシル、お前は遠い所へ行ってしまったのか……。物理的な意味で。
「なんだ? お前達のパーティか?」
「え? あ、はい」
「そうか。まあ、あの様子じゃ返り討ちが目に見えてるし……。
さすがの俺らでも、まだ前線に行くのは厳しいしな。
もし蘇生が必要になったりしたら、気軽に声をかけてくれよ」
「はい、ありがとうございます」
これが戦場の友情ってやつか……ちょっと違うと思うけど。
こうやって冒険者同士で助け合えるというのは非常に心強い。
「それじゃあ……」
俺が言いかけた時だった、突然、前線の方から爆風が吹きつけられる。
それと共に響いてくる山崩れのような凄まじい破壊音。
「な、なんだ!?」
俺は慌てて前線の方へ目をやった。
そこには、遠目からでもすぐ分かる、巨大な魔物が姿を現していた。
「おいおい、ありゃあ、ジャイアントミノタウロスじゃねぇか!?」
「し、召喚されたの?」
「いや……召喚されたものにしては大きすぎる……」
ミノタウロス? 召喚?
初級冒険者の俺にとっては何の事かさっぱり分からないんだが。
いやね、ミノタウロスくらいは聞いたことはあるよ、さすがに。
とりあえず、分かる事は目の前の冒険者パーティがうろたえる程の魔物が現れたって事だけだ。
「もしかしたら、あの鉱山に封印していたのかもしれないな」
「なるほどね……劣勢になってきたから魔物達はそれの封印を解いた、と……」
「召喚の際の強い魔力は感じなかったからな、恐らくはそうだろう」
うん、分からん。
いやね、ミノタウロスくらいは聞いたことはあるのよ?
封印とか召喚とかの概念がよく分からないだけで。
その時、遠目に見えるそのジャイアントミノタウロスとかいう魔物は雄叫びを上げたように見えた。
そして時間差を置いて響いてくる凄まじい雄叫び。
それが通り過ぎてからも、空気がビリビリと音を立てていた。
……こいつは……やばい……!
「ちっ、こりゃあ分が悪いな、引くぞ!」
「分かったわ!」
「了解」
「おい、お前も逃げた方がいいぞ!」
そう言われて振り返ると、既に冒険者のパーティは退却を始めていた。
思わず俺もそれに習おうと一歩を踏み出すが、服の裾が引っ張られ、出遅れる。
見ると、シャルアが俺の服の裾を強く握り締めたまま腰を抜かしてその場に座り込んでいた。
あんな凄まじい雄叫びを聞いては……仕方ないか。
「シャルア、大丈夫か? 立てるか?」
「は……はいぃ……」
シャルアは生まれたての子羊の様に、俺にしがみついてよろよろと立ち上がる。
しかしこりゃ……退却できそうにもないな……。
そうしている間にも、前線の方から続々と冒険者や兵士達が俺達の横を過ぎていく。
よっぽどやばい魔物みたいだな……まあ、図体を見ればそれも分かるけど。
一匹の巨大なミノタウロスが現れた事で戦線は大きく崩れ、一度体勢を立て直さざるを得ない、といったところか。
普段の俺ならシャルアを置いてでも逃げ出して……いや、シャルアと必死に逃げ出しているな。たぶんきっと。
しかし、俺の気持ちには余裕があった。
俺には、さっきも散々駆使して魔物を倒した、魔王の力がある。
そして、こんな魔物が出てきたんだ、なんとなくだけど……アクシルもあの魔物に立ち向かっているような気がする。
無駄に気が大きくなったあいつなら、無謀にも程がある突撃をやりかねない。
ここは試しに……いっちょ、やってみるか……!?
「ディール……さん……?」
その俺の決意に気付いてか、シャルアは不安そうな面持ちで俺を見ている。
ああ……そんな目でずっと見つめられていたいぜ、うへへ。
「大丈夫だ、俺の力はさっきも見ただろ?
少しの間、ここで待っていてくれ」
俺はシャルアの頬を撫でると、笑ってみせた。
やばい、今の俺かっこよすぎ。最高に輝いてる。
そして俺は目線を前線の方へ向ける。
大きく息を吐くと、俺はミノタウロスの方へ走り出した。
隣を逆方向に過ぎていく冒険者と兵士達。
時折「危ないぞ! 引き返せ!」などといった声が聞こえる。
俺に向けられた言葉なのか、注意喚起を促している言葉なのかは分からない。
やがてその声も聞こえなくなり、逆走する他の者の姿も見えなくなった。
俺は、2階建ての民家程もありそうなジャイアントミノタウロスと対峙した。
一通り暴れ終えたのか、奴はゆっくりと辺りを見回していた。
そして、俺と目が合う。
そのあまりの迫力に俺は一瞬たじろいだ。
だが、俺には魔王の力がある……大丈夫だ……!
と、思った矢先、ミノタウロスは手にした大斧を振り上げた。
そして、加速しながら振り下ろされる巨大な魔物の右腕。
「え? ちょっ……!?」
俺は思わず大きく横に倒れこみながら、それを避けた。
地面に突き刺さる大斧、そして地響きと共に、大地が裂ける。
行き場を失った力が更に地面をせり上げる。
待て待て! これは規格外だろ!?
ミノタウロスは大斧を持ち上げ、再び雄叫びを上げた。
さっきは遠くから聞いた雄叫びを、こんな至近距離でっ……!
鼓膜が破けそうな大音響に、大地は悲鳴を上げるように大きく揺れた。
『はっはっは、ビビってんじゃねぇよ。
お前は俺の力を持ってるんだ、こんな図体だけでけぇ魔物の攻撃なんて効かねぇよ』
魔王の親父の声だ。
そ、そうだな、俺は魔王の力を持っているんだ、攻撃力だけじゃない、防御力も備わっているはずだ……!
俺は立ち上がると、大きく息を吸い、ゆっくりと吐いた。
……効く訳がない……そうだ、ただの力任せの攻撃など、魔王の前には無力だ!
「……やってみろよ、全力で打ち込んで来いよ!」
俺は叫んでいた、魔物を挑発するように。
それを察してか、ミノタウロスは再び雄叫びを上げた。
その様子は、なんとなく……無様に見えた。
雑魚が粋がっているように。
そして、再度打ち込まれるミノタウロスの大斧。
その軌跡は、確実に俺を捉えていた。
振り下ろされた大斧は……俺の振り上げた右手に止められた。
『くっくっく、上出来だ』
「この程度の攻撃で……俺を仕留められると思うなよ」
俺は右手に受けた大斧を払いのけると、ミノタウロスは大きく体勢を崩した。
その隙を逃さず、俺は跳躍する。
並の人間にはできない、大きな跳躍だ。
一瞬にして俺はミノタウロスの顔面にまで飛び上がる。
「おらよっ!」
渾身の力を込めて、俺はミノタウロス顔面を殴りつける。
酷く歪んだ顔のまま、ミノタウロスはその勢いでゆっくりと倒れ込む。
背後の崩れかけた粗末な要塞の城壁を薙ぎ倒し、砂埃を巻き上げ地面を揺るがす。
ゴブリンやオークの様に塵にはならない。図体のでかさもそれ相応って事か。
俺の湧き上がる力は止まらない。
それどころか、徐々に増幅されている気がする。
魔王の力を使いこなす……。
……なんだ、簡単なことだ……相手にナメられなければいい。
それだけだ。
ミノタウロスはかなりのダメージを肉体的にも精神的にも食らったようだ。
奴の血管は浮かび上がり、今にもはち切れそうだった。
ミノタウロスはゆっくりと立ち上がる。
そして天を仰ぎ、三度目になる雄叫びを上げる。
「うるせぇよ」
その様子を足元から見上げ、俺は指を弾いた。
俺の指先から生まれた黒い衝撃派がミノタウロスの喉元を掻き切る。
おびただしい量の血が、まさに血の雨となって俺に降り注ぐ。
そして、ミノタウロスは雄叫びのために傾けていた自重に逆らえずに後ろに倒れ、絶命した。
その顔は、驚きと、恐怖に満ちていた。
「……へえ……魔物でもこんな顔するんだ」
俺は要塞の手前の小さな高台に登り、その顔を見下ろしていた。
別に高台に登ったのは奴のこんな顔を見るためではない。
アクシルの奴……本当にどこいったんだ。
俺は高台から戦場を見渡す。
要塞の粗雑に作られたほとんどの城壁は壊滅的に崩れ落ちている。
至る所で燃える戦火の残り火、原型を止めていない下級魔物の死体。
ミノタウロスが出現するまでは、順調に掃討できていた事を窺わせる。
そして、所々に見つかる冒険者や国の兵士達の死体。
ほとんどがミノタウロスにやられたのだろう。
「……あれか」
意外にも簡単に見つけられた。
そりゃ、重鎧に身を包んだ兵士や、煌びやかな装飾を施されたローブを着た魔法使いに紛れて布の服一枚の戦士が倒れているのだもの。
もしかして、では無く、間違いなくアクシルだろう。
俺は高台を降りて彼の元へ向かった。
ふと、額に落ちる一粒の水滴。
ミノタウロスの血に塗れた額には妙に冷たく感じられた。
そして、しとしとと降り始める雨。
ちょうどいい、せっかくだから返り血を流してもらいたい。
そしてアクシルの元へ辿り着く。
外傷は特に無い。あの大斧の直撃を食らった訳でもなさそうだ。
もしかしたら、あの雄叫びでビビって気絶しているだけかもしれないが、死体を教会に持っていけば同じ事だ。
俺は上着を肩にかけるように、ひょいとアクシルを肩に担ぐ。
当然、これも魔王の力だ。
「……ディールさん……アクシルさん……」
俺が視線をアクシルから戻すと、そこにはシャルアが立っていた。
彼女は酷く怯えた様子で俺を見ていた。
あー……そうか、アクシルはこんな姿だし、俺は返り血塗れだもんな。
さすがに雨じゃ返り血は洗い流しきれないか。
早く暖かいお湯で体も服も洗いたいぜ。
「大丈夫だ、アクシルも見つかった。帰ろうか」
俺は大丈夫という様に、シャルアに手を差し伸べた。
シャルアは口元を手で押さえ、無言のまま、身を引いた。
彼女は怯えた目のまま、俺を見ていた。
俺は確かに……安心させるような笑顔を浮かべていたはずだった。
冷たい雨は、降り続けていた。




