破の回 二
目的の部屋まで到着。ドアをノックするとスライドした為、中に足を踏み入れる。
床は専門書と人間の胴体ほどの太さがあるパイプでひしめき合っており、俺と同じかそれ以上にモノが散乱している。
そんな部屋の左端を見ると、幾つものデスクトップ画面を見ながら両手でキーボードをいじっている少女がいた。
「いらっしゃーい。ちょっと待っててねー」
聞こえたのは、鈴を転がしたような声。動いていた手を止め、少女はこちらへ向き直る。
こげ茶色の髪は頭の左側でまとめられており、全体がゆるく巻かれている。
クリクリとした瞳に通った鼻筋。薄い唇は桃色に彩られており、今はロリポップキャンディーを咥えている。コイツの顔全体を見ると、可愛らしさが先行する。
白のワイシャツに黒のビジネススカート。その上から白衣をまとったコイツの名前は……。
「お帰り、エリアス・相賀課長。任務ご苦労様」
「戻ったぞ、オルスリア・フェルマートン社長。明日まで、任務はないと思っていいんだよな?」
オルスリア・フェルマートン、それが俺達の所属する組織のトップの名前だ。オペレーターも兼任しており、先の任務で指示を出していたのもコイツだ。
「あー、うん。そうだね、使用回数の上限まで使っちゃったから、明日の朝までは暇ってことで大丈夫かな」
「そうか。そりゃ助かるよ」
机のほうに視線を移すと、うっすらと湯気を上らせる白のマグカップ、まだ袋をかぶったロリポップキャンディーが大量に入ったマグカップ、大量の書類、倒された写真立て、何かのチラシ、大型のキーボードに無線式のマウスが置かれていた。
「そうはいっても、翌朝から仕事になりそうだけどね」
自分のデスクからチラシを持ってきたスリアは、それをこちらに掲げる。そこには近々行われる展覧会の日時と場所、そして人を模した一体の像が印刷されていた。
「『狂気の芸術家・南雲幸太郎展覧会』ねぇ」
「そ。最近話題の彫刻家さんで、作品は人が恐怖しているモノや苦しんでるモノばかり。これに採用されてる彫刻、エルにはどう見える?」
手渡された広告に写る石の彫刻は、何かから必死に逃げるように手を伸ばし、恐怖におののいているように見える。
「随分とリアルな表情だな。口の中までしっかりと掘ってあるし、服の皺もよくできてると思うぞ」
「本当にそれだけかな。エルならもう、気づいてるんじゃないの?」
ニヤニヤとこちらを見るスリア。欲している答えは、おそらくこれだろう。
「表情がリアルすぎるってのが引っ掛かってる。まるで本当に何かから逃げているみたいだ」
こんな表情を見たのはガキの頃、それも追い詰められた敵兵を見たとき以来だ。
「実は最近、失踪事件が世間を騒がせててね。つい一週間前にも、一人いなくなってるわけよ」
胸ポケットから取り出した一枚の写真。そこに写っていたのは、東洋系の顔をした女性だった。
「失踪事件が始まったのは三か月ほど前。芸術家さんの作品が話題を集め始めたのは、失踪事件開始の翌週。これ、いったいどういうことなんだろうね~」
成程、コイツの言わんとしていることは大体分かった。
「つまり、霊具の仕業だと?」
「ご明察~」
――霊具。
第三次大戦中に開発された、神話等に出てくる伝説の武器・道具を機械化した戦略兵器。
終戦から数年後、戦勝国で保管されていたそれらは日本各地に散らばり、様々な事件を起こしている。その回収・解析を一手に担っているのが俺達、政府公認組織『八咫烏』。大戦以前よりも格段に発展した情報技術をもってしても、俺たちの存在は秘匿にされたままだ。
「実は政府のお偉いさんから情報が回ってきててさ、この人がちょっとやばいらしいのよ」
「霊具の目星はついてんのか?」
「まだ断定できてない。霊具の管理課に調べてもらってるけど、回収した二七番『アリアドネの糸』の解析してるから、時間かかりそう」
「どういう能力だったっけな」
「ちょっと待っててね~」
そういうと、スリアは先ほどまで座っていた椅子に戻り、キーボードをいじってディスプレイの一つに情報を出す。
「霊具番号二七、アリアドネの糸。データベースに書いてあった能力では、使用者が望む真実へと導いてくれる。使用時は手のひらサイズの羅針盤になって、望むものがある場所へ連れてってくれるんだってさ」
「成程な」
ディスプレイの情報を閉じ、再びこちらへ向き直ったスリアに何か用があるかを尋ねると、一〇センチほどの円柱が放り投げられる。上手いことそれをキャッチして、てっぺんに付いているスイッチを押すと右側面から液晶が飛び出した。
「今日の朝刊、そこにインストールしておいたよ」
「あぁ、すまねぇ」
渡されたコイツは『クロッツ』という小型端末。通話・情報収集などを行える、旧時代の携帯電話と同じような代物だ。
「『旧品川区、名称を募集』、『我望氏、江本氏、月より帰還』、ねぇ」
ざっと見出しに目を通すとそんな事が書いてあった。詳しい内容は、現場に付くまでで確認するか。
軽くあいさつをして俺は踵を返す。扉を出ようとしたところで、背中に何かがぶつかった。首だけ振り返ってみれば、スリアが腰に手をまわしてしっかりと抱き着いてる。
「ちゃんと、帰ってきてくれてありがとう」
服に顔を押し付けていたため注意しなければ聞こえないほど小さな声だったが、俺の耳にははっきりと、そしてしっかりと届いていた。
「……安心しろ、俺は必ず帰ってくる。お前が待っててくれてる限りは、帰ってくるさ」
「そっか……うん」
手から解放され、俺は部屋から退室した。扉が閉まる間際に見えたのは、ちょっとぎこちない笑顔でこちらに手を振るスリアだった。