公園の二人
「ねえ、どうして人を殺してはいけないの?」
「……え?」
私は最初、彼が何を言ったのかがわからなかった。ここは家の近くにある公園、そのベンチ。私と彼は互いに隣り合って座っていた。彼といつものように遊んで、いつものように私が疲れて休んでいた時、こんな話題を振られた。
「……ねえ、どうして人を殺しちゃだめなのかな」
「ど、どうしてって、悪いことだからでしょ?」
私は決まり文句のように頭の中で繰り返される言葉をそのまま彼に言った。
「悪いこと、ってみんな言うけど、どうしてダメなんだろう。本当に悪いことなのかな」
「……それは……私も、思うけど……」
本当に、人殺しは悪いことなのだろうか。いつも疑問に思っているが、口に出したことはない。大人の前でそれを言ってはダメだということは、充分に理解しているからだ。きっと、彼も理解しているんだろう。だから、ここでしか会わない私に、こんなことを聞いたんだ。
「だってさ、殺さなきゃいけない場合って、あるじゃん」
「……あるけど」
身近な例でいえば……殺されそうになった時、とか。
「その時さ、相手は僕達のこと、なんとも思ってないじゃん。それどころか、まるで嫌なこと全部ひっくるめたみたいな気持ちをぶつけてきてさ、ぎゅーってされるよね」
「うん」
ぎゅーってされたら、苦しくて、頭がぼーっとなって……。嫌になる。それで、見えてるものが全部真っ暗になる寸前になってやっと、やめてくれるのだ。
「その時、僕たちは『人を殺すのは悪いことだから』って思って、頑張って我慢してるじゃん」
「うん」
「でも、相手は我慢してるのかな」
……。私は何も言えなかった。
「きっと、きっと相手は、僕たちのこと殺しても全然、なんにも悪いと思わないよ。むしろ、すっきりするんじゃないかな。やっと殺せた、って」
「かもね」
彼とはよく気があう。こんな深いところまで一緒だったなんて。なんて素敵なことだろうか。
「だからさ、愛華ちゃん」
「なあに、努くん」
私は嘘の名前を彼に教えている。私の本当の名前は綺麗々《キララ》。でも、こんな名前嫌。変だもの。きっと、彼も嘘の名前だと思う。だって、私が彼の名前を呼ぶたびに、申し訳なさそうな顔をするんですもの。
「だからさ、僕ね、本当に人殺しが悪いことなのかどうか、わかんなくなっちゃったんだ」
「私も、あなたの話を聞いて、わかんなくなっちゃった」
「一緒に考えていこうよ」
「うん」
彼は優しく微笑んでくれた。ああ、綺麗な笑顔。こんなにも綺麗に笑えるのに、どうして……。
「人を殺したら、ハンザイだよね」
「うん」
「ホーリツで決まってるんだよね」
「うん」
人を殺した者は懲役か死刑。ニュースでも、いつも言っている。でも、私、いつも思ってた。どうして、人殺しが悪いことなら、死刑にしないんだろう、って。
「でも、殺されないよね。死刑じゃないよね」
「うん、そうだね」
彼の言葉に、私はうなずく。死刑じゃない。ということは、人を殺しても、殺されるわけじゃない。
「ということは、人殺しってそんなに悪いことじゃないんじゃないかな」
「どうして?」
「だって、人を殺しても刑務所に何十年か入る『だけ』で済むんだよ? それって、強盗したり、暴行したり、家を燃やしたり、それぐらいとおんなじだよ?」
「うん、そうだね」
「だったら、罪の重さも、それぐらいってことじゃないの?」
「そうかもね」
死刑になったら、それはそれは重い罪なんだろう。けれど、そうじゃないこともある。なら、必ずしも人殺しは悪いことじゃないんだ。私はそう結論付けた。
「ねえ、それじゃあさ、やっぱり、さ」
「うん。きっと、人殺しってそんなに悪いことじゃないんだよね」
私は笑顔を作ってうなずく。
「ああ、そうなんだ。やっと疑問が晴れたよ」
「私も。ありがとね、努くん」
彼はそう言うけれど、彼の表情は晴れない。だから、少しでも笑顔になってほしくて、私は思い切って彼のほっぺたにチューをした。彼は顔を真っ赤にして離れた。
「な、何するの!?」
「え、その、好きだから」
「え?」
さらに思い切って、告白もしちゃった。うん、私たちはこれでいいの。
「ねえ、あなたがよければ、大人になったら結婚しようよ」
えっと、確か女の人が結婚できるようになるのは十六歳だから、私が結婚できるようになるまで、あと九年かぁ。長いなあ。
「……ぼ、僕は、いいけど。それまで、死んじゃ駄目だよ、愛華ちゃ、ううん、愛華」
「ほ、本当に!? ありがとう、努く……努!」
ああ、よかった、よかった! これで、私たちは将来を誓い合った仲だ! フィアンセ同士なんだから、呼び捨てで呼ぶのは、当たり前だよね。
「こちらこそ、僕なんかを好きになってくれて、ありがと。僕は絶対に、絶対に生きるから。だから、愛華も死なないでね」
「うん! 私も、絶対に生き残るから!」
そう言うと、彼は覚悟に満ちた表情で公園を出ていった。ふと、公園の時計に目をやる。時刻は五時。そうか、もう、帰る時間なんだ……。帰らなきゃ、いけないんだ……。
私は絶望しながら、とぼとぼと家に帰った。
大丈夫……。明日もここに来れば、きっと彼がいてくれる。なんたって、私と彼は将来を誓い合った仲なのだ。毎日の習慣ぐらい、守ってくれる……。
明日も彼に会う。それだけを胸に、私は家に帰った。
……それからのことは、よく覚えていない。
次の日。いつものように公園で遊んでいても、彼はやってこなかった。いつもならくる時間帯になっても、気配すらない。意地悪して隠れているというわけでもないみたい。
「どこ? 努? どこ?」
私は一生懸命になって公園の周りを探す。ふと、青い服を来た大人の人が見つかった。警察官だ。どうしてこんなところに? いつもは、交番にいるのに。
「あ、あの……」
「なんですか、お譲さん」
その警察官は、女の人で、私が声をかけるとしゃがんで同じ目線になってくれた。
「その、努……知りませんか?」
「……努? ……相坂 努くん?」
「あ、はい! そうです、その努くんです!」
よかった、知ってた! もしかしたら、いたずらでもしてつかまっちゃったのかな? それなら迎えに行ってあげないと。私は彼のフィアンセなんだから。
「……その、昨日何か言ってなかった?」
「は?」
その女の警察官さんは、すくりと立ち上がると、私の手を引きながら聞いてきた。……?
「その、誰かをどうこうする、みたいな」
「そんなのは言っていませんでしたよ?」
「じゃあ、その、最近、普段と違うところとか、あった?」
「……いえ、ありませんでしたよ? ……あ、そう言えば、昨日はちょっと、聞き方が変だったかもしれません?」
いつもはどうでもいい話からはいるのに、昨日はいきなり、あの話題だったから、ちょっと信じられなかった。……でも、それをどうして警察官さんが聞くのかな?
「聞き方?」
「はい。昨日はいきなり話題から入ってきましたから、少しだけ戸惑ってしまいまして」
「そ、そう。どんな話題だったのかな?」
「なぜ人を殺してはいけないか、という話題です」
私はおそるおそる、言う。敬語、間違ってないかな。ちょっと不安。
「……。それで、あなたは、いえ、あなたたちはどんな結論になったの?」
「人を殺すことは、そう悪いことではないという結論に達しました」
「……!」
警察官さんは、気の毒そうに目頭を押さえて頭を振った。
「……その、あなたのせいというわけではないんだけど、聞いてくれる? その、できれば冷静に」
「なんですか?」
私は言われたとおり、少しだけいつものように心を冷静にする。
「その、相坂 修羅くんがね」
「……誰です?」
「努くんがね」
「……ああ、彼、そんな名前だったんですか」
冷静にしておいてよかった。もしいつも公園にいる時の心だったら、きっと喚いていたかもしれない。
「その、彼がね、ご両親を、その、……殺したの」
「そうですか」
それで、昨日あんなことを聞いてきたんだ。迷っていたなら、あんな回りくどいこと聞かずに、もっとストレートに聞いてくれればよかったのに。そうしたら、変に勘ぐることなく『殺しなよ』って言えたのに。迷ってて、それで迷いを振り切るために私に聞いたのに、それに全く気付けなかったなんて。私のバカ。
「そうですかって……。ずいぶん冷静ね?」
「冷静に聞いて、と言われましたので」
「……! そ、それはそうだけど……本当に冷静になれるなんて」
「目上の人の言うことは聞きます。……私、『いい子』でしょう?」
警察官さんを見上げながら、私は微笑みます。それなのに、彼女は微笑んでくれませんでした。……何か悪いことをしたのかな?
「……そう、だけど。その、何か思わないの?」
「……昨日、ちゃんと気づいてあげればよかった、と思います」
「そうなの」
「気付いてあげていれば、ちゃんと後押ししてあげられたのに」
「……え」
どうして、私は彼の言葉の真意を全く聞こうとしなかったのだろう。どうして変化があったことに気付いたのに、『どうしたの』と一言聞けなかったのだろう。
「言ってくれれば、ちゃんと言ってあげれたのに」
「な、なんて?」
「……殺しなよ、殺してもいいんだよ、って」
痛っ。手に走った痛みに、警察官さんの顔を見る。彼女の表情は、悲しみと誰かに対する憐憫のまじった、なんとも言えない顔だった。
「そんなに、強く握りしめないでくださいますか」
「ご、ごめなさい。その、あなた何か勘違いしていないかしら?」
「何がです?」
私は少しいらついた。『勘違い』? 私が、彼の何を勘違いすると言うのだろう。私は、彼のことに関しては、他の誰よりも理解しているという自負がある。なぜなら、私が彼のフィアンセだからだ。
「あなた、彼がご両親を殺したのは、ゲームのことでもなんでもないのよ?」
「ゲームのことであってたまりますか」
ゲームでだけで満足しろ、だなんて、酷いにもほどがある。
「じゃ、じゃあなんで」
「……彼は、一言も言いませんでした」
私は彼を思い出しながら、警察官さんに言う。夏も、冬も、一年中着ている長袖のシャツ。長ズボン。傷だらけの首筋。見せてもらったことはないけど、きっと服の下はもっと傷だらけなんだろう。そこらの『甘やかされた』子供とは違う、私と同じ『教育』された体。
「でも、わかります。彼は、両親のことを殺したがっていました」
「……じゃあ、なんで止めなかったの!?」
私は眉をひそめた。どうして、この人は当たり前のことがわからないのだろう。
「なぜって。そんなの、彼のためですよ」
「彼のためって……。親を殺すことがいいことなわけ」
もうこの人いや!
私は握られた手を振り払った。
「悪いということぐらいわかってますよ。でも、私たちはそうでもしなきゃ生き残れないんですよ。殺さないと、殺される。そんなの、当たり前のことでしょう?」
「でも、親子なのよ?」
……? 親子だから、なに? 私は、だんだん警察官さんが理解できなくなってきた。まるで、常識の通用しない異星人と相対しているような……そんな感じ。
「親子だから、でしょう? 親は子供を『教育』するものですよね」
「……ええ」
「でも、私、死にたくないんですよ。努と約束しましたから」
「あ、あなた何を言っているの?」
警察官さんは不思議そうに首を振った。それを言いたいのはこっち。
「私、正直な話、死んでまで『いい子』になりたくないです」
私は悪い子。そんなのはわかってる。私は、ためらいなんてない。けど、彼はそうじゃなかった。彼は私と違っていい子だった。でも、私と一緒に生きるために、『悪い子』になろうとした。
「だから、何の話を……」
「……私は、死ななければ『いい子』になれないそうです」
「……!」
警察官さんは、驚いたように目を見開いた。震える手で、私の方に手を伸ばしてきた。
「……も、もう大丈夫よ」
「何がです」
「もう、苦しまなくていいから」
「……だから、何がです」
苦しまなくていい? そんなわけあるものか。苦しみとは『教育』を受ける全ての子供が受け入れるべきものだ。私は悪い子だけど、『教育』は受けなきゃいけない。だから、私は……。他の甘やかされた子供とは違うのだ。
「もう、何も心配しなくていいからね」
「何を心配しているというのです」
……努は、大丈夫かな。そうだ、それだけを聞いていこう。
「努は、大丈夫ですか?」
「え?」
「努は、元気ですか?」
「え、ええ。元気よ」
「……そうですか」
私は踵を返して、走って家に向かう。
彼が元気なら、何も問題はない。彼はもう大丈夫だろう。もう『いい子』になるための『教育』は受けられないだろうが……。これで、死ぬ心配はなくなった。殺される不安はなくなった。それなら、もう何も心配はいらない。あとは、私とのゴールを夢見て、日々を過ごせばいい。
「ま、まって! あなた、今すぐ児童相談所に行かなきゃ!」
児童相談所? 『形だけの処刑施設』の間違いだろう。そんなところ、頼まれたって行くもんか。さあ、私もいかなきゃ。彼は、死なないと言った。生きると言った。そして、そのために頑張った。頑張ったんだ。もう『いい子』ではいられないだろうけど、それは私も同じだ。
「待ちなさい! 今すぐ、っ、止まって! あなた、どこへ行くつもり!? まさか家に……!」
警察官さんの言葉に、私は否定も肯定もしない。確かに、家に行く。でもそれは『教育』を受けるためじゃない。……生き残るために、必要なことをしに行くためだ。
「ま、待って、あなたは気づいていないでしょうけど、あなた、虐待されてるのよ!? なんでそこまでして家に……! はっ……! ま、まさか……」
気付かれた。まずい。もしかしたら止められるかもしれない。私は急いで家まで走り、家の扉を開いた。四畳一間の、狭い家。曲がりくねった狭い路地裏をいくつか曲がって来たから、彼女は撒けただろう。……まあ、そんなことはどうでもいい。つかまろうがどうなろうが、最終的に二人をこの世から消せば無問題。
「……ああん、どうした、綺麗々」
「どうかしたの? そんなに走って」
私の、両親。私はいつものように冷静になって、流し台へ向かう。私の意思を気づかれないよう、心を落ち着けて、私の感情を殺して。そうして、私は流し台の下にある扉を開けて、両親から見えないように包丁を手に取った。しっかりと握りこむ。
「……お父さん、お母さん」
「んだよ」
「どうかしたの?」
まだ振り返っちゃダメ。不意を打たなきゃ。近づくまで待つか? そうしよう。
「おなか、痛い」
「あら、そうなの? 大丈夫かしら?」
母がこちらに近づいてくる。大丈夫。私はやれる。やらなきゃ、今度こそ殺される。まだ死にたくない。死ぬわけにはいかないんだ。彼との約束を守らなきゃ……。あと一歩。あと一歩で、やれる。
母は心配そうにしゃがみ込み、私の肩を持って、おなかの方を覗きこもうとした。
「ねえ、大丈――」
「――お母さん、今までありがと。私、生き残るよ」
一気に振り返って、無防備なおなかを――ダメ、殺しきれない――なら、しゃがんであらわになった、首!
「え…………? ――!? きゃあああああああああああああ!?」
「な、なんだ!?」
赤い水が、私の目の前で噴水のように噴き上がった。もうそんなことはどうでもいい。次は、父。動揺している今こそがチャンス。殺しきる! 私は包丁をひっくり返し、包丁の刃を上に向ける。
倒れゆく母の身体を呆然と見ている父に肉薄すると、太ももに思い切り包丁を突き立てる。
「ぎゃあああああああああああ!?」
包丁を抜いて次の攻撃に移ろうとした私だったが、深く入り込んだ包丁は中々抜けない。こんなところで時間を取られるわけにはいかないのに。私は包丁を抜くことをあきらめ、もう一本の包丁を流し台から取り出した。振り返ると、父は無様に倒れて、太ももを押さえてもがいている。……よし、大丈夫。ちゃんと、今なら首を狙える。
「ぎゃ、ぎゃあああああ!? 綺麗々、てめえ、今までの恩を忘れて……!」
恨みのこもったお父さんの声に、私は首を振って答えた。
「お父さん。大好きだよ」
「なっ……? そ、それならなんでこんなこと……!」
私はお父さんに微笑んで言った。
「大好きだよ、愛してる。私ね、生き残るよ」
「……! お前、俺がお前を殺すとでも……」
「ダメ。その手には乗らないよ。今お父さんを殺さなきゃ、殺されるのは、私なの」
私の真剣な思いをお父さんに伝えた。するとお父さんは、私のことをすごい形相で睨みつけて、叫んだ。
「……ッ! ふざけんなこら! なんでてめえなんかに殺されなきゃいけねんだ! こんなことになるんなら、てめえなんか産ませるんじゃなかった! この、クズ!」
死にたくない。だから、だから、お父さん。ごめんなさい。大好きだよ。愛してるよ。……でも、死んで。
「さようなら、お父さん。今まで『育てて』くれて、ありがとう……!」
「あなた、待ちなさい!」
私の包丁がお父さんの首に突き立つのと、追いかけてきた警察官さんが家の扉を開けるのとは、ほとんど一緒だった。
すぐにつかまったけど、何も怖くはなかった。これで、死ぬことはなくなるんだ。これで、殺されることはないんだ。これで、ずっとずっと、何も心配せずに彼との蜜月を過ごすことができる!
ああ、やっと。やっと私は『幸せ』になれる……。
そう感じる一方で、私の手の中には未だ、両親の首を突き破った時の感触が残っていた。




