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第二章:五月の雪と、届かないアンサンブル

#純愛 #悲恋 #切ない #泣ける #バッドエンド #長野 #死別

 ひび割れたスマホの画面は、彼女の世界へと繋がる唯一の窓だった。静まり返った真夜中、父が遺した古い木造家屋の薄い布団の中で、僕はよく「@suwafutaba_fwo」のインスタグラムのアカウントを眺めていた。


 楽しげに笑い合う吹奏楽部の部員たちの写真の中から、僕はあかりの姿を探す。温かな音楽室を背景に、楽器を抱えた彼女が写っている一枚の写真がある。彼女は微笑んでいた――僕には決して向けたことのない、柔らかな笑顔で。僕はその写真が大好きだったけれど、一度も「いいね」を押す勇気はなかった。現実世界で存在すら認められていない異邦人にとって、デジタル上で彼女の写真に触れることは、何かの罪を犯すような気がしたからだ。


この時代の愛とは、透明なアルゴリズムになることなのかもしれない。 僕は思った。僕は彼女の練習予定を知っているし、彼女がいま何の曲を練習しているかも知っている。けれど彼女は、僕が同じ空間で息をし、彼女が空気に放つ一音一音を崇めていることすら知らないのだ。


 その朝、僕の体は鉛のように重かった。リンゴ農園での過労による熱が、意識を蝕み始めていた。肺の中は熱く、息を吸うたびにガラスの粉を吸い込んでいるような痛みが走る。それでも、僕は無理やり制服に袖を通した。


「今日だけは……」机の上の母の写真に囁く。「もう一度だけ、彼女の音を聴きたいんだ」


 異常気象の中、僕は学校へと向かった。本来なら暖かいはずの五月の終わりに、長野県にはうっすらと粉雪が舞い始めていた――まるで僕と共に悲しんでくれているかのような、奇妙な現象だった。


 学校に着いても、僕は食堂や図書室には行かなかった。ふらつく足取りで、吹奏楽部の練習室が見下ろせるバルコニーへと向かった。遠くに、彼女が見えた。あかりは他の部員たちと一緒に、真剣な表情で練習に励んでいた。楽器の音が重なり合い、あまりにも美しいハーモニーを奏でるので、僕の胸はますます締め付けられた。


 音楽は、最も正直な言葉だ。 冷たいバルコニーの手すりに寄りかかりながら、僕は自問する。完璧な文法も、正しいアクセントも必要ない。ただ「想い」さえあればいい。そして、激しさを増す雪の中で僕は気づく。僕はただの窓の外の観客であり、彼女は中で踊るメロディなのだと。僕たちは、一つの曲の中で決して交わることのない二つの周波数なのだ。


 視界が回り始めた。周囲の色が灰色に褪せていく。吹奏楽の音が遠ざかり、代わりに長い耳鳴りが頭の中に響いた。


 彼女の名前を呼ぼうとしたけれど、舌が強張って動かない。


 ――ガクッ。


 僕の体は、雪で白くなり始めたバルコニーの床に崩れ落ちた。床の冷たさが、熱に浮かされた肌には心地よかった。暗闇に飲み込まれる直前、僕は最後にもう一度だけ、灰色の長野の空を見上げた。


 もしこれが僕の手記の終わりなら、 僕は心の中で呟いた。せめて彼女の音楽を聴きながら倒れられたことを幸せに思おう。身勝手な別れだけれど、僕にとっては、これでようやく「帰る」ことができた気がしたんだ。


 唇の間から鮮血が溢れ出し、周囲の清らかな白い雪を汚した。音楽室の中では、あかりがまだ音を奏で続けている。自分のたった一人の忠実な聴衆が、すぐ頭上の場所で、たった今世界に屈したことなど知る由もなく。

「最後までお読みいただきありがとうございます。次回の更新は明日、22:00を予定しております。また明日お会いしましょう!」

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