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この婚約に、恋の続きを込めて  作者: もちもちほっぺ


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3/13

3

湯気が白く立ちのぼる浴室で、アナスタシアは湯船の縁にそっと腕をかけていた。背後ではミレイユが、湯で絞った布でそっと髪を包んでいる。


「……楽しかったんですね」


声をかけたミレイユの口調には、茶目っ気がにじんでいた。


アナスタシアは目を閉じたまま、かすかに頬を緩めた。


「ええ。あなたの言ったとおりだったわ」


「緊張していただけ、でしたか?」


「そうみたい。観劇の最中に気づいたの。口元がやわらかくなって、目も……あんなふうに感情を隠せない人だなんて、思ってもいなかった」


「うふふ。そういうところ、けっこう可愛らしい方なんじゃないですか?」


「ふふ……かもしれないわね」


熱のせいか、それとも思い出し笑いか、アナスタシアの肩がふわりと揺れた。

ミレイユは布をそっと外し、櫛を手に取ると、濡れた髪をやさしく梳き始める。


「手が汗ばんでたの、降りるときに気づいたのよ。きっとそれまでずっと……私以上に緊張してたんだと思う」


「それなら、今夜はぐっすり眠っていらっしゃるでしょうね」


「ふふ……私も、たぶん」


ぽつぽつと交わされる言葉の合間に、静かな湯音が響いていた。

アナスタシアはその音に身をゆだねながら、今日一日の記憶を、心の奥であたためるように反芻していた。


ルカ・ヴェルディ子爵――最初に感じた距離は、たぶんほんの少しの壁だったのだろう。

その向こうにあるものを、これから少しずつ知っていけたらいい――そんな予感だけを胸に、アナスタシアはそっと目を閉じた。






寝室にはあたたかなランプの灯りが灯っていた。

湯上がりの体を包むナイトガウンの柔らかさにくるまれながら、アナスタシアはベッドサイドに腰掛け、静かに髪を指先で整えていた。


カーテンはもう閉じられていて、外の風景は見えない。

そのかわり、ミレイユが静かに歩いてきて、手に持ったブランケットをアナスタシアの膝にかけてくれる。


「ありがとう。……ミレイユ、明日はおやすみなのよね?」


「ええ、そうなんです」


アナスタシアは毛布の端を指でつまみながら、ふと問いかけた。


「どこかへ出かけるの?」


ミレイユは一瞬、何かを言いかけたようだったが――笑みだけを残して、言葉を飲み込んだ。


「……秘密です」


「え?」


「内緒、ということで」


含み笑いを浮かべてにこりと笑うその顔に、アナスタシアは目を細めた。

いつもなら、どこへ行くのか、誰と会うのか、さりげなくでも報告してくれるのに。

今日は様子が違う。


「……もしかして。とうとう、春が?」


「えっ」


「ごまかさないで。だってそんな顔、珍しいもの」


追い込むように身を乗り出すと、ミレイユは小さく首を振って笑った。


「違いますよ、そういうのじゃなくて。でも――内緒です」


「ひどいわ、私には教えてくれないの?」


「帰ったら見せてあげます。きっと気に入りますよ」


それだけ告げると、ミレイユは布団の端を持ち上げ、アナスタシアがベッドに入るのを手伝った。

毛布の重みと共に、穏やかな香りが肩を包む。


「おやすみなさい、アナスタシア様」


「……おやすみなさい、ミレイユ」


ランプの灯りがふっと落とされ、部屋は静けさに満たされた。

その余韻の中、アナスタシアはひとつ、疑問と期待を胸に抱えたまま、まぶたを閉じた。

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