15
一年後。
前のめりなルカに引っぱられるようにして、アナスタシアは最短日程で結婚式を挙げた。
式は滞りなく終わったが、新郎は終始様子がおかしかった。
誓いの言葉を噛み、指輪をはめる手を震わせ、最後には満面の笑みで固まっていた。
浮かれきった様子に、アナスタシアは何度も笑いをこらえる羽目になった。
「……まだ夢みたいです」
式から数日経っても、ルカは同じことを言う。
そのたびに、アナスタシアは苦笑しながら頷くしかない。
その午後、居間でくつろいでいたアナスタシアのもとへ、ミレイユが手紙を持ってきた。
「また届いてますよ」
封蝋の色を見ただけで、差出人はわかる。
ミレイユは封を切り、中身を確かめてからアナスタシアに手渡した。
「レティシア様からです」
あの夜のあと、隣国へ旅立った彼女から最初に届いたのは、
“侍女は無事だったの?”という素っ気ない確認の手紙だった。
そこから文通が始まり、気づけば一年近く続いている。
アナスタシアは椅子に腰掛け、便箋を開いた。
相変わらず勢いのある筆跡が紙いっぱいに踊っている。
『親愛なるアナスタシアへ』
書き出しからして堂々としていた。
隣国での暮らし、商売の成功、社交界の噂、
そしてゴドフロワが新しい事業でまた当てたこと。
自慢話と近況報告が半々だ。
読み進めていくうちに、アナスタシアの眉が少し上がる。
「……あら」
「どうしました?」
ミレイユが覗き込む。
アナスタシアは便箋を差し出した。
『あなたたち、新婚旅行はまだでしょう?
こちらに来なさい。最高の滞在を用意してあげるわ』
一拍の沈黙。
ミレイユがゆっくり瞬きをする。
「……これは」
「招待状ね」
アナスタシアは小さく笑った。
「しかも断る余地がない書き方だわ」
最後の一文には、
『来ないなら迎えに行く』
と添えられていた。
ミレイユは額に手を当てる。
「本気ですね、あの方」
「ええ。本気ね」
アナスタシアは便箋を折りながら、どこか楽しそうだった。
遠い隣国の空気が、紙越しに伝わってくるようで。
手紙を読んでからほどなくして、新婚夫婦の新居に来客があった。
侯爵家の子息。
レティシアの兄である。
応接間に通された男は、椅子に座るなり束ねた長髪をつかみ、指に絡めてくるくると回し始めた。
それが癖なのだろう、話している間も止まらない。
「妹から連絡があってね」
軽い調子で切り出す。
「君たちの背中を押せと」
ルカは一瞬だけ視線を泳がせ、アナスタシアを見る。
アナスタシアは微笑みを崩さない。
「……隣国への招待の件でしょうか」
「そうそう、それそれ」
兄は満足そうに頷いた。
「うちとしてもね、あれを止める気はもうない」
“あれ”とはレティシアのことだ。
「正直な話、あの性格だろう?止めても止まらないし、閉じ込めても抜け出す」
くるくる回していた髪をぱっと放す。
「だったら好きにさせた方が被害が少ない」
侯爵家らしからぬ率直さだった。
「しかも相手の商人が隣国で大成功だ。
家の面目も立つ。文句のつけようがない」
ルカは小さく息を吐く。
「……つまり」
「黙認だよ」
兄は笑った。
「ただね」
そこで声の調子が少し落ちる。
「妹がどうしているのかは知りたい」
束ねた髪をまた掴む。
「手紙は寄越すが、都合のいいことしか書かないからな」
アナスタシアは思わず笑みをこぼした。
「想像できます」
「だろう?」
兄は肩をすくめる。
「だから君たちに行ってほしい。
旅行ついででいい。様子を見てきてくれ」
ルカとアナスタシアは顔を見合わせる。
断る理由はなかった。
むしろ、すでに半分決まっている話だった。
「承知しました」
ルカが静かに答える。
兄は満足げに頷き、立ち上がる。
「助かる。あれは放っておくと国ひとつ乗っ取って帰ってきかねないからな」
冗談なのか本気なのかわからない言葉を残し、長髪をくるくる回しながら去っていった。




