14
先日の騒動への礼と詫びを兼ねて、アナスタシアとミレイユはタバサを食事に誘った。
選んだのは大通りから一本入った場所にある、小さな隠れ家レストラン。
看板は控えめだが、扉を開けると温かい灯りと香ばしい匂いが迎えてくれる。
「気取らないで大丈夫よ」とアナスタシアは言ったが、
店内に足を踏み入れた瞬間、タバサの背筋はぴんと伸びた。
磨かれたカトラリー。
真っ白なリネンのナプキン。
静かに流れる弦楽。
「……やっぱり場違いじゃない?」
小声で呟きながら、椅子に浅く腰かける。
「そんなことないわ」
ミレイユが自然に笑ってメニューを広げた。
「ここはね、このお魚のパイ包みが絶品なのよ。タバサ、今日はエールじゃなくて白ワインにしてみない?」
メニューを見つめていたタバサは、気取った文字の羅列に目を泳がせている。
「……読めない」
「大丈夫よ、私たちに任せて」
そのやり取りに、アナスタシアがくすりと笑う。
以前なら距離があった三人の席に、今は気負いがない。
料理が運ばれてくる。
黄金色に焼き上げられたパイをナイフで割ると、白身魚と香草の香りがふわりと立ちのぼった。
タバサは恐る恐る口に運び――目を見開く。
「なにこれ……」
飲み込むのを忘れたように、もぐもぐと咀嚼する。
「お魚なのに……お菓子みたい。溶ける」
ソースをパンで拭い、もう一口。
表情が完全に子供のそれになっていた。
「うま……すご……これ毎日食べたい……」
「毎日は無理よ」
ミレイユが笑う。
白ワインを一口飲んだタバサは、さらに固まった。
「ぶどうなのにぶどうじゃない……」
「それがワインよ」
三人の笑い声がテーブルに広がる。
しばらく食事に夢中になったあと、タバサがふと思い出したように言った。
「そういえばさ」
ナイフを置き、身を乗り出す。
タバサがなにか言いかけたところで、ミレイユがぴくりと眉を動かす。
「タバサ」
その声音には、ほんのわずかに侍女としての響きが戻っていた。
子爵令嬢の前での口調としては、確かに砕けすぎている。
注意しかけた、その瞬間。
「いいのよ」
アナスタシアが穏やかに笑って割って入る。
「今さら気にしないで」
タバサは一瞬きょとんとして、それから困ったように頭をかいた。
「いや、でもさすがに……」
「覚えてる?」
アナスタシアが少し身を乗り出す。
「前に、無理して敬語を使おうとして――」
ミレイユが思い出して、口元を押さえる。
「……舌、噛んだのよ」
「あれは事故!」
タバサが真っ赤になって抗議する。
「“ごきげんようでございますお嬢様”って言おうとして“ごきぇっ”ってなっただけ!」
再び沈黙。
そして、また笑いが弾ける。
「だから無理しなくていいの」
アナスタシアはやわらかく言った。
「あなたが話しやすい言い方で話してくれた方が、私は嬉しいわ」
その言葉に、タバサは一瞬だけ目を丸くする。
それから、照れ隠しのようにワインを一口飲んだ。
「……ほんと変な貴族だよね」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
ミレイユはため息をつきながらも、どこか安心したように微笑んでいた。
「それで、なんの話?」
「あの高飛車なお嬢様とハゲ……あ、いや、ゴドフロワさん。本当にいなくなっちゃったね」
アナスタシアとミレイユが顔を見合わせる。
「実はね……」
アナスタシアが声を落とした。
「社交界では“駆け落ち”って言われているけれど……」
一拍置く。
「連れ去られたんじゃないの。逆よ」
「逆?」
「レティシア様が主導でゴドフロワさんを連れ回してるらしいの」
沈黙。
「新天地で商売を広げて、彼の才能をさらに開花させているって……」
タバサは口を半開きにしたまま固まった。
「……え?」
「完全に主導権はあちららしいわ」
ミレイユが補足する。
「やっぱりあの人、ただの駆け落ちじゃないと思ってた」
タバサは腕を組み、うんうんと頷いた。
「店で飲んでた時から変だったもん」
「変?」
「レティシア様、ゴドフロワさん見てさ」
声を潜めて真似する。
『磨けば光る泥団子みたいで可愛らしいわ』
静寂。
アナスタシアとミレイユが同時に顔を上げる。
「……泥団子?」
ふたりはゆっくりと視線を合わせた。
タバサだけが真剣な顔で頷いている。
「うん、泥団子」
テーブルの上で、三秒の沈黙。
次の瞬間、三人同時に吹き出した。
笑い声が小さなレストランに溶け、温かな空気の中に広がっていく。




