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この婚約に、恋の続きを込めて  作者: もちもちほっぺ


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14/18

12

ミレイユ行方不明騒動から数週間が経った。


屋敷には日常が戻り、騒ぎの名残もようやく薄れてきた頃だった。

アナスタシアとルカのあいだにも、あの夜を境に、はっきりとした変化が生まれていた。


形式ばった呼びかけは減り、言葉の端々に、遠慮よりも温度が混じるようになった。

まだ完全にくだけきってはいないが、それでも以前のようなよそよそしさはない。


その日、ふたりは街外れにあるオルゴール館を訪れていた。


古い石造りの建物で、観光客向けというよりは、静かな収集家の館といった佇まいだ。

扉を開けた瞬間、空気が変わる。

微かに甘い木の香りと、金属が触れ合う澄んだ音が、いくつも重なって流れてくる。


「……きれい」


思わずこぼれたアナスタシアの声に、ルカは小さく頷いた。


館内には大小さまざまなオルゴールが並び、それぞれが違う旋律を奏でている。

同時に鳴っているはずなのに、不思議と騒がしさはない。

音が重なり合い、柔らかく溶け合っていた。


ふたりは自然と並んで歩き、ひとつひとつ足を止めては覗き込んだ。

ルカが説明を読むと、アナスタシアが覗き込む距離が近くなる。

肩が触れそうで、触れない。


「こういう場所、好きだったんですね」


「はい。音が……落ち着きます」


そう答えてから、アナスタシアは少しだけ言葉を選ぶように間を置いた。


「……ひとりで来るより、今日は、楽しいです」


それは特別な言い方ではなかった。

けれど、ルカは一瞬だけ足を止める。


「……私も」


短く返された声は、少し低く、いつもより近かった。


小さな卓上のオルゴールの前で、係員がぜんまいを回す。

旋律が静かに流れ始めた。


アナスタシアは目を細め、音に耳を澄ませている。

その横顔を、ルカは盗み見るように見つめた。


以前なら、視線を逸らしていただろう。

緊張に隠れて、感情を閉じ込めていた。


今は、そうしなかった。


音が終わると、余韻だけが残る。

ふたりとも、すぐには動かなかった。


「……もう一度、聴こう」


「ええ」


返事は即座で、自然だった。


ぜんまいを回す指が、ほんの一瞬触れ合う。

どちらも引っ込めなかった。


オルゴールの音が、再び館内に広がる。

そのあいだ、ふたりは何も言わず、ただ並んで立っていた。


けれど、距離だけは、確かに近づいていた。




アロマの柔らかな香りが満ちた部屋で、ふたりは並んでソファに腰掛けていた。

窓から差し込む午後の光が、刺繍枠の上で揺れている。


アナスタシアの指先は慣れたもので、細かな模様を迷いなく縫い進めていた。

淡い布地の上に浮かび上がるのは、控えめで上品な意匠。

完成すれば、ハンカチになる予定のものだった。


「それ、もうだいぶ進みましたね」


向かいで刺繍をしていたミレイユが、ちらりと覗き込む。


「ええ。早く渡したくて」


そう答えたアナスタシアの声は、どこか弾んでいた。

自覚しているのか、していないのか。

ミレイユは口元を緩めながら、自分の針仕事に視線を戻す。


彼女が縫っているのは、小さな布切れだった。

色糸も模様も控えめで、実用品というよりは――。


「それは?」


アナスタシアが問いかける。


「お守りに入れる刺繍です」


「誰の?」


一拍の間。


「内緒です」


そう答えて、ミレイユはほんのり頬を染めた。

いつもより少し、照れた笑い方だった。


アナスタシアは一瞬だけ瞬きをして、それから肩をすくめる。


「もう、またそれ?」


針を止めずに、くすりと笑う。


「今度は、いなくならないでよ」


冗談めかした口調だったが、言葉の端には確かな本音が滲んでいた。

ミレイユは小さく息を吸い、ゆっくりとうなずく。


「はい。今度は大丈夫です」


刺繍枠の上で、糸が静かに進んでいく。

針の音と、香りと、午後の光。


その穏やかな時間の中で、アナスタシアはふと手を止め、完成しかけの模様を見つめた。

贈る相手の顔を思い浮かべたのだろう、口元が自然と緩む。


ミレイユは、針を進めながらふと顔を上げた。


「……ルカ様とは、だいぶ仲良くなれたみたいですね」


話題をそっとずらすような、何気ない声音だった。


アナスタシアは一瞬だけ手を止め、刺繍枠の上に視線を落とす。

すぐに答えは返ってこなかったが、やがて小さく息を吐いて、穏やかに微笑んだ。


「ええ……そう、ね」


それから少しだけ言葉を選ぶように間を置いて、続ける。


「あなたがいなくなったとき、真っ先に駆けつけてくれて……ずっと、そばに居てくれたの」


針を持つ指が、わずかに強く布を押さえる。


「捜索のことも、全部。迷いもなく動いてくれて……あのときは、とても頼もしかったわ」


誇らしさと安堵が混じった声だった。

恋を語るというより、信頼を確かめるような調子で。


ミレイユは何も言わずに聞いていたが、口元には小さな笑みが浮かんでいる。


アナスタシアはそこで顔を上げ、ふっと空気を変えるように眉を緩めた。


「でもね」


身を寄せると、ミレイユの頬を指先で軽くつつく。


「もう、あなたがいなくなるのはこりごりよ?」


責めるでもなく、冗談めかした声。

けれど、その奥には確かな不安と愛情があった。


ミレイユは一瞬驚いたように目を見開き、それから小さく笑った。


「……はい」


それだけ答えて、また刺繍に視線を戻す。


アナスタシアも針を取り直し、糸を進める。

ソファの上には、先ほどと変わらぬ穏やかな時間が流れていた。

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