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この婚約に、恋の続きを込めて  作者: もちもちほっぺ


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13/15

バルドーの日記帳より。2

婚約の申し出を行うその朝、私は最初から嫌な予感がしていた。


「……ルカ様」


呼びかけても返事がない。

執務机の前に立つルカは、書類を持ったまま微動だにせず、視線だけが明後日の方向を彷徨っている。


「ルカ様?」


「……ああ。すまない」


返事はしたが、明らかに上の空だった。


手袋を外しては着け、また外す。

椅子に腰を下ろしては立ち上がり、窓の外を見ては深呼吸をする。

案の定、無意識に胃のあたりをおさえている。


「……落ち着きませんね」


「……少し」


少し、ではない。


私は無言で懐に手を入れ、小さな包みを取り出した。


「胃薬です」


「……なぜ?」


「顔色が、これから戦場に向かう兵士のそれですので」


一瞬、きょとんとした顔をしたあと、ルカは観念したように受け取った。


「……助かる」


薬を飲み干したあとも、緊張は収まらなかった。


馬車の中では一言も発さず、屋敷に到着してからも、表情は強張ったまま。

そして、アナスタシア様を前にした瞬間――完全に、固まった。


視線が合わない。

いや、正確には、合わせようとして避けている。


声は落ち着いている。言葉遣いも完璧だ。

だが、どこかよそよそしく、距離がある。


……これは、まずい。


婚約の申し出自体は、滞りなく進んだ。

条件も、支援も、理屈としては非の打ちどころがない。


だが。


屋敷を出た途端、主人は執務室へ直行し、椅子に腰を下ろすなり、両手で顔を覆った。


「……やってしまった」


「どのあたりをでしょう」


「全部だ」


「具体的にお願いします」


「……目を、見られなかった」


指の隙間から、低い声が落ちてくる。


「緊張しすぎて、彼女の目を見たら……何も言えなくなる気がした」


「結果、冷たい印象になった、と」


「……ああ」


彼は深く息を吐いた。


「誤解されたかもしれない。形式的な申し出だと……いや、それ以上に、好意がないように見えたかもしれない」


「実際は、その逆ですね」


「……逆どころではない」


椅子の背にもたれ、天井を見上げる。


「せめて、落ち着いた大人に見せたかった。それなのに、情けない」


私は少し考えてから、正直に告げた。


「ルカ様。あの場で最も緊張していたのは、間違いなくルカ様ご自身でした」


「……だろうな」


「ですので、冷たいというより、“近寄りがたい”印象だったかと」


「……それも問題だ」


頭を抱える姿は、商談の席では決して見せないものだった。


だが私は知っている。

この異常な緊張の理由を。



失敗を恐れない男が、唯一、恐れている相手。

それが、アナスタシア様だった。


「……次は、ちゃんと目を見る」


小さく、だが確かな決意が、そう呟かれた。


私は机の上の書類を整えながら、心の中でため息をついた。


まったく――

恋をすると、人はここまで不器用になるらしい。



主君の背中を見ていると、学ぶことは多い。良くも悪くも、だ。


少なくとも私は、ああはなるまいと静かに胸の内で線を引いた。


裏口の回廊でミレイユ嬢と落ち合うのは、もう何度目かになる。


「……うちの主人が、何かとお手数を」


そう言うと、ミレイユは苦笑して肩をすくめた。


「いえ。慣れてますから」


それが冗談なのか本音なのかは、判別しないことにした。


別れ際、用意していた小箱を差し出した。


「アナスタシア様が、お茶をお好きだと聞きまして。試供品ですが」


そう口にしたものの、中身を選んだときに思い浮かべていた顔は、どう考えても彼女のものだった。


香りの強すぎないもの、夜でも飲める配合。

彼女が気兼ねなく手に取れるように、と。


ミレイユは一瞬だけ目を丸くし、それから素直に受け取った。


「毒見用、ということで」


つい軽口が先に出る。

言ってから、ほんのわずかに間が空いた。


ふふっと苦笑してお礼を言うミレイユがまぶしくて、おもわず視線を逸らしてしまう。


主人の癖が移ったのか。私は内心でルカ様に責任転嫁をしたのだった。

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