11
ミレイユが屋敷へ戻ったのは、昼を少し回ったころだった。
ルカとアナスタシアに支えられて玄関をくぐると、家中が息をのんだように静まり返り――次の瞬間、歓声と足音が響いた。
「ミレイユ!」
「よかった、無事で……!」
使用人たちが駆け寄り、アナスタシアの両親も真っ先に歩み寄る。
そして、その陰にいたメアリーが、ぎゅっと唇を噛んで小さく頭を垂れた。
「……どれだけ、心配したか」
「ごめんなさい、お母さん」
ミレイユは少し照れたように笑って、頭を下げた。
「足は軽い捻挫でした。それから、お腹が、ちょっと」
「そこが一番大変だったのよね」
アナスタシアが笑いながら言うと、ミレイユは今度こそ恥ずかしそうに頬を染めた。
「……そ、それは……」
屋敷にあたたかな笑いが戻り、安堵と喜びに包まれる中、ルカは静かに一歩下がっていた。
アナスタシアはそんな彼の手をそっと取ると、庭へと誘った。
緑が戻りかけた庭の奥、あの教会から持ち帰った野の花が、小さな籠の中で咲いていた。
ふたりは腰を下ろし、手元で花冠を編みはじめる。
「……もう一度」
ルカがそっと口を開く。
「もう一度、あの時の続きをしませんか?」
アナスタシアは手を止めて、彼を見つめた。
「わたしたち、あのとき……」
「婚約の約束を、交わしました。たったひと夏の、子どもじみたやりとり。でも、僕にとっては――」
「……本気だったのね」
ルカは、少しだけ照れたように笑った。
「はい。いまも、変わらずに。……いえ、あの時よりずっと強く、あなたを想っています」
編みかけの花冠を完成させたアナスタシアは、それをそっとルカの頭にのせた。
「なら、わたしも。……本当の意味で、あなたと婚約を交わすわ」
「……ありがとう」
ルカは言葉を失いながらも、手元の花を丁寧に束ね、今度はアナスタシアの髪にそっと飾った。
ふたりは笑いあいながら、何度も目を合わせた。
指先が触れ合い、視線が重なり、小さく笑って、また花を編んで――
春風のような、穏やかな時間が流れていた。
日も傾きかけたころ、バルドーが屋敷に戻ってきた。
旅装のまま玄関をくぐった彼の表情には、普段と変わらぬ落ち着き――
……に、見せかけた薄い苦笑が滲んでいた。
その手には、軽く折り曲げられた新聞の号外。
「ただいま戻りました。……収穫は、多少ありました」
「何か分かったの?」
アナスタシアの問いに、バルドーは無言で新聞を差し出した。
そこに躍る大きな見出し。
《侯爵令嬢レティシア、成金商人ゴドフロワと駆け落ちか!?》
“身分も年齢も超えて――まさかの熱愛スクープ!”
「……っ!」
「えっ……?」
アナスタシアとミレイユが、同時に声を漏らす。
そこには、豪奢な馬車の扉をくぐるレティシアと、得意げに腕を掲げるゴドフロワの姿。
その“逃避行”に熱狂する市民の喧騒も、見出しの周囲に小さく切り取られていた。
「……どうやら私は、まったく無関係な侯爵令嬢を追っていたようです」
バルドーが肩をすくめると、アナスタシアとミレイユは思わず顔を見合わせた。
「……人の好みって、わからないものね」
アナスタシアのひと言に、ミレイユも小さく頷く。
「ほんとうに」
ふたりの笑い声が、春の空気に溶けていく。
庭では、編みかけの花冠が、木陰のベンチに置かれていた。
白と黄の小さな花が風に揺れ、淡く光る午後の陽射しに照らされながら――
物語は、そっと幕を閉じた。




