第8話 知っているもの
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進むしかなかった。
立ち止まる理由なんてない。
けれど、頭が重い。
こめかみの奥が、鈍く脈打っている。
一歩、一層。
思い出して、頭の中で、
図を重ねる度に、
何かに、絡められそうで。
本当は、
逃げ出してしまいたい。
呼吸が浅くなる。
―― それでも。
班長がいる。
悠真がいる。
―― 二人を、ホームに
絶対に連れて帰る。
出来るかどうかじゃない。
やるしかない。
そう決めなければ、立っていられない。
それだけは、
何よりも、
譲れない。
端末を睨む。
ルートはある。
あるはずだ。
西へ、東へ。
上、下。
複雑に絡みあう地下通路は、
頭の中に入っている。
それなのに。
さっきから微妙に、
計算が噛み合わない。
自分の中の“正しさ”が、崩れていく。
誤差。
ほんの数メートルの、ズレ。
そこから生まれる、最適解が
手の中から、零れ落ちていく。
あり得ない。
今まで、こんなことは一度もなかった。
「三嶋」
呼ばれて顔を上げる。
班長がこちらを見ている。
「焦らなくていい。時間は作る」
穏やかな声。
柔らかな視線。
大丈夫だと言う顔。
―― 守る側の顔。
そのはずなのに。
どうしてだろう。
班長はもう、
この状況の"何か"を、
知っている気がした。
「……すみません」
謝ることじゃない。
分かっている。
でも言葉がそれしか出なかった。
悠真が前方を警戒しながら、
小さく言う。
「追手はいない。
むしろ……静かすぎる」
―― 逃げ道を塞がれたみたいだ。
まるで。
息を潜めて待っている。
そんな沈黙だった。
それが一番嫌だ。
まるで。
ここにいることを、
歓迎されているみたいで。
背筋に、遅れて冷たいものが走る。
きちんと立てているかが、
分からなくなってくる。
「右」
告げた言葉に、
悠真が警戒を抱いたまま曲がる。
「離れないように」
そう言った班長の手が、背に触れる。
―― じわり、と
そこだけが、熱を帯びる。
怖いのに、少しだけ安心してしまう。
この緊張感に、そぐわないと、
分かっていても。
班長の手は、熱いくらいに思えた。
通路の先、
見慣れない扉があった。
古い。
―― この地下層にしては、
古すぎる。
ここから先に、戻る道はない。
「……こんなの、データにない」
口の中が乾く。
近づいてはいけない。
なのに、目が逸れない。
目を凝らしているはずなのに、
扉の輪郭が曖昧になっていく。
それなのに、
扉の紋様だけは、ハッキリと、
視界に飛び込んでくる。
目を逸らそうとしても、視線が離れない。
―― 知らない、紋様。
何処にも、引っかからない。
―― 見たことがないはずなのに。
―― 私は、これを、知ってる……?
思い出してはいけない気がするのに。
記憶の引き出しは、
勝手に開かれていく。
端末は沈黙したまま。
"知らない"と言っている。
沈黙が続くなかで、
ザリ、と土を踏む音がした。
知佳だ。
一歩前へ出て、
知佳の手が、扉へと伸びていく。
―― だめ
手袋越しの、知佳の指先に、
朱音の視線が縫いつけられる。
紋様に触れる直前、
知佳の手が、止まった。
ほんのわずかな一瞬だけ。
それを、朱音は見逃さなかった。
「班長?」
朱音に名前を呼ばれ、
彼はゆっくりと息をはく。
「いや。―― 初めて見る、はずなんだけどね」
そう言った知佳の顔が、ゆっくりといつもの表情に戻る。
―― はず。
その言葉が、
妙に引っかかった。
心臓が、強く跳ねて、
胸が、嫌な音を立てる。
そんな中、
悠真が小さく笑った。
「知佳さんでも未知か。いよいよだな」
軽口。
天気でも言うかのような、口調だ。
けれど、
指は、引き金の位置。
視線は、見えていないはずの、
扉の向こうに、据えられたまま。
全員、分かっている。
ここから先は、
いつもの延長じゃない。
知佳の片手があがる。
悠真は頷き、銃口をあげる。
二人の片手は、
朱音を守るように、
自然と、彼女へと伸びていた。
知佳が扉を押す。
重く、擦れる音。
想像よりも、はるかに遅く、
扉は徐々に開いていく。
奥から流れてきた空気は、
冷たいのに、どこか生温かい。
―― まるで、何かが息をしているみたいに。
古い。
過ぎ去った、刻の匂いがする。
降り積った、刻の色が見える。
そして。
聞こえた気がした。
遠く。
深く。
大地の奥から。
誰かの呼ぶ声が。
それが、自分へ向けられていると、
なぜだか、そう強く思った。
「……なんだ、今の」
悠真が呟く。
答えられる人間は、
誰もいない。
けれど。
知佳だけは、
わずかに目を細めていた。
まるで。
思い出しかけているみたいに。
呼ぶ声は、まだ、
続いている。
まるで、
こちらが気づくのを待つみたいに。




