第2話「平民の素振り」
秘密の稽古が始まって、二週間が経った。
カイの成長は、ルークの予想を超えていた。
「......驚いたな」
廃倉庫での稽古を終え、ルークは呟いた。
「お前、この二週間でどれだけ伸びた?」
「え? そうですか?」
カイは首を傾げた。汗だくの顔には、疲労の色があるが、目は輝いている。
「授業でも、前より楽についていけるようになりました」
「楽? 違う。お前は、平均を超え始めている」
「......本当ですか?」
「ああ。このペースで行けば、一ヶ月後には上位の生徒と並ぶ」
カイの目が大きく見開かれた。
「そんな......」
「嘘は言わない。お前の才能は、俺が思っていた以上だ」
* * *
ルークは、壁に背を預けた。
「正直、計算が狂った」
「計算?」
「お前の成長速度を見積もっていた。だが、実際はその倍以上だ」
「それは......いいことなんですよね?」
「ああ、いいことだ。だが、同時に問題でもある」
「問題?」
ルークは眉をひそめた。
「お前が急に強くなれば、周囲が不審に思う」
「......あ」
「今のところ、授業での成績向上は『努力の成果』で通っている。だが、これ以上目立てば、何かあると勘繰られる」
カイは青ざめた。
「じゃあ、稽古を控えた方が......」
「いや、それは駄目だ」
ルークは首を振った。
「決闘までの時間は限られている。ペースを落とすわけにはいかない」
「でも......」
「方法を考える。目立たないように強くなる方法を」
* * *
その夜、ルークは自室で計画を練り直していた。
「カイの成長速度を数値化する必要がある」
羊皮紙を広げ、ペンを取った。
「現在の実力を基準にして、毎週の成長率を測定する。そして、周囲の平均成長率と比較する」
書き込んでいく。
「カイの剣術レベル:入学時10、現在25。二週間で150%の成長」
「平均的な新入生:入学時20、二週間後22。成長率10%」
「......差がありすぎる」
ルークは頭を抱えた。
「このまま行けば、一ヶ月後には周囲の二倍以上の実力になる。明らかに異常だ」
どうする。
成長を抑える? いや、それでは決闘に間に合わない。
ならば──
「見せ方を変えるしかない」
* * *
翌日の授業。
カイは、いつも通り訓練場で素振りをしていた。
だが、今日は少し違った。
「レイナー君、もう少し腰を落として」
「は、はい......」
教官の指導を受けながら、カイは動きを調整する。
わざと、少しぎこちなく。
「うん、良くなってきたぞ。その調子だ」
「ありがとうございます」
教官が離れると、カイは小さくため息をついた。
「演技って、難しいな......」
ルークから指示されていた。
『授業では、実力の七割程度で動け。急激な成長は目立つ。ゆっくりと上達しているように見せろ』
最初は抵抗があった。全力を出せないのは、もどかしい。
だが、ルークの言葉を思い出す。
『目的を見失うな。今は我慢の時期だ』
* * *
「おい、あの平民」
訓練場の隅で、貴族の生徒たちが囁き合っていた。
「最近、やけに上達してないか?」
「確かに。入学時はド下手だったのに」
「努力してるんだろ。平民は、それしか取り柄がないからな」
嘲笑の声。
だが、その中の一人が目を細めた。
「......いや、おかしい」
「何が?」
「あの動き。ただの努力じゃ説明がつかない」
「どういう意味だ?」
「あいつの基礎。二週間前とは別人だ。誰かに教わってる」
沈黙が流れた。
「......誰に?」
「分からない。だが、調べる価値はある」
* * *
放課後。
ルークは、いつものように廃倉庫へ向かっていた。
だが──
「ギルバート君」
呼び止められた。
振り向くと、見知った顔が並んでいた。
マルクス・クレイン。入学初日に声をかけてきた、子爵家の次男だ。
そして、その後ろには数人の貴族子弟。
「......何の用だ」
「少しお時間をいただけませんか。大切なお話があるのです」
「断る。用事がある」
「そうおっしゃらずに」
マルクスは、にこやかな笑顔を崩さない。
「貴族同士の親睦は、大切なことでございましょう?」
「親睦? 俺に何の得がある」
「得ですか。そうですね......」
マルクスは一歩近づいた。
「例えば、情報交換など」
「......」
「最近、学院では奇妙な噂が流れておりまして」
ルークの目が、わずかに細くなった。
「噂?」
「ええ。ある平民の新入生が、異常な速度で成長しているとか」
* * *
ルークは表情を変えなかった。
「それが、俺と何の関係がある」
「いえいえ、直接の関係があるとは申しておりません」
マルクスは肩をすくめた。
「ただ、ギルバート侯爵家の嫡男ともあろう方が、最近どこか様子がおかしいと......」
「様子が?」
「ええ。入学式の時から、何やら考え込んでおられるようで。それに、放課後はいつも一人でどこかへ消える」
「......」
「もしかして、何か秘密のご事情でもおありなのかと」
マルクスの目が、蛇のように光った。
「我々は、ギルバート様のお力になりたいのです。何かお困りのことがあれば、遠慮なくお申し付けを」
ルークは、冷たく笑った。
「力になりたい? 嘘をつくな」
「......」
「お前たちの目的は、俺を自分の派閥に取り込むことだろう」
マルクスの表情が、わずかに強張った。
「ギルバート侯爵家は、王国でも有数の名門。その嫡男を味方につければ、お前たちの地位も上がる。違うか?」
「......」
「だが、あいにく俺は群れるのが嫌いでね」
ルークは背を向けた。
「他を当たれ」
* * *
「お待ちを」
マルクスの声が追いかけてきた。
「我々は、敵ではありませんよ」
「敵でもないが、味方でもない」
「冷たいお言葉ですね。しかし、学院生活は一人では生き抜けませんよ」
「俺には必要ない」
「本当にそうでしょうか?」
マルクスは、意味深に微笑んだ。
「この学院には、様々な派閥がございます。中立を貫くのは、思っているより難しい」
「......」
「特に、ギルバート様のような目立つ方は、否が応でも巻き込まれます」
「それは脅しか?」
「いいえ。忠告でございます」
マルクスは一礼した。
「どうか、ご自愛くださいませ」
そう言い残して、彼らは去っていった。
* * *
廃倉庫。
カイは、一人で素振りを繰り返していた。
「九十八......九十九......百」
剣を下ろし、息を整える。
「ルーク、遅いな......」
いつもなら、もう来ている時間だ。
何かあったのだろうか。
不安が胸をよぎった時──
「待たせた」
扉が開き、ルークが入ってきた。
「ルーク! 良かった。何かあったんですか?」
「......少し、面倒な連中に絡まれた」
「面倒な連中?」
「貴族の派閥だ。俺を取り込もうとしている」
ルークは壁に寄りかかった。
「それだけじゃない。お前のことも嗅ぎつけ始めている」
カイの顔が青ざめた。
「僕の......?」
「ああ。お前の成長が、目に留まったらしい」
* * *
「どうしよう......」
カイは狼狽えた。
「稽古のこと、バレちゃうんでしょうか」
「まだ確証は掴まれていない。だが、時間の問題だ」
「じゃあ、やっぱり稽古は......」
「やめない」
ルークは断言した。
「方針を変える。今までより、慎重に動く」
「どうやって?」
「まず、稽古の時間と場所を変える。パターンを読まれないようにする」
「はい」
「次に、お前の成長をもっと自然に見せる工夫をする」
「工夫?」
ルークは考え込んだ。
「お前、友人はいるか?」
「え? 友人ですか?」
「ああ。同じ寮の生徒とか」
「えっと......何人かは話すようになりましたけど......」
「そいつらと一緒に自主練習をしろ」
「......?」
「複数人で練習していれば、お前だけが成長したわけじゃないように見える」
カイは目を丸くした。
「なるほど......!」
「見せ方の問題だ。一人で急成長するのは怪しい。だが、グループで練習していて、その中の一人が伸びた──これは自然だ」
* * *
「すごい......ルークって、本当に頭いいんですね」
「普通だ。状況を分析して、最適解を選んでいるだけだ」
「それが普通じゃないんですよ」
カイは苦笑した。
「僕なんて、全然そういうこと思いつかないですもん」
「お前は、別の強みがある」
「別の強み?」
「人を惹きつける力だ」
「......?」
「お前といると、周りが自然と集まってくる。それは才能だ」
カイは照れくさそうに頭を掻いた。
「そんなこと、言われたの初めてです」
「事実だ。その力を使え」
「使う?」
「自主練習グループを作れ。お前がリーダーになって、周囲を巻き込め」
「僕がリーダー......?」
「できる。お前なら」
* * *
翌日から、カイは動き始めた。
「ねえ、一緒に自主練習しない?」
同じ寮の新入生に声をかける。
「え? 自主練習?」
「うん。放課後、訓練場が空いてる時に。一人でやるより、みんなでやった方が楽しいかなって」
最初は戸惑う者もいた。
だが──
「いいね、やろうよ!」
「俺も混ぜてくれ」
「私も参加していい?」
あっという間に、十人近くのグループができた。
「すごい......本当に集まった」
カイ自身が、一番驚いていた。
「カイって、なんか話しかけやすいんだよな」
「分かる。一緒にいると、やる気出るし」
「リーダー向きだよね」
仲間たちの言葉に、カイは照れ笑いを浮かべた。
「そんなことないよ......みんなのおかげだよ」
* * *
自主練習グループの活動は、すぐに学院中に知られた。
「翠風寮の新入生が、自主練習グループを作ったらしい」
「へえ、熱心だな」
「平民ばかりだけど、結構真面目にやってるみたい」
教官たちも、好意的に見ていた。
「素晴らしい取り組みだ。自発的に練習するのは、とても良いことだ」
「ええ。特にあのカイ・レイナーという少年、リーダーシップがありますね」
「入学時は基礎ができていませんでしたが、最近はめきめき上達しています」
「仲間と切磋琢磨しているのでしょう。良い傾向です」
カイの成長は、「グループ練習の成果」として受け止められるようになった。
* * *
一方、マルクスたちは──
「おかしいな」
マルクスは眉をひそめていた。
「あの平民、やっぱり誰かに教わってる気がするんだが......」
「でも、証拠がないですよ」
「ああ。それに、最近は複数人で練習してる。一人だけが急成長してるわけじゃない」
「じゃあ、ただの努力家なのでは?」
「......かもしれん」
マルクスは、しかし納得していなかった。
「だが、ギルバートの様子がおかしいのは確かだ」
「確かに、あの人は入学当初から変ですよね」
「ああ。貴族の交流を避け、一人で行動している。名門侯爵家の嫡男としては、異例だ」
「何か考えがあるのでしょうか」
「分からん。だが、放っておくわけにはいかない」
マルクスは目を細めた。
「引き続き、監視を続けろ」
* * *
三週間が経った。
カイの実力は、着実に伸びていた。
「よし、今日はここまでだ」
廃倉庫での秘密の稽古を終え、ルークは言った。
「お前の剣術レベル、入学時の三倍になった」
「三倍......!」
カイは目を輝かせた。
「本当ですか?」
「ああ。このペースなら、決闘までに俺と互角になれる」
「やった......!」
「だが、油断するな」
ルークは釘を刺した。
「実力が上がれば上がるほど、隠すのが難しくなる」
「......はい」
「特に、グループ練習の時は気をつけろ。仲間の前で本気を出すな」
「分かってます」
カイは頷いた。
「でも、それがちょっと辛いんです」
「何が?」
「みんなの前で、わざと下手に見せるのが......」
カイは苦しそうな表情を浮かべた。
「嘘をついてるみたいで」
* * *
ルークは、しばらくカイを見つめた。
「お前は、正直者だな」
「......はい」
「その性格は、長所でもあり短所でもある」
「短所......」
「この世界では、嘘をつかなければ生き残れないこともある」
「......」
「だが、お前のその真っ直ぐさが、人を惹きつける力になっている。それも事実だ」
カイは黙って聞いていた。
「だから、こう考えろ」
ルークは言った。
「お前が今やっていることは、嘘じゃない。『隠している』だけだ」
「隠している......?」
「そうだ。嘘は、事実と違うことを言うことだ。だが、お前は事実を言っていないだけだ」
「......それって、同じじゃ......」
「違う」
ルークは首を振った。
「お前は、仲間を裏切っていない。ただ、全てを明かしていないだけだ」
「......」
「人には、言えないことがある。それは、悪いことじゃない」
カイは、ルークの言葉を噛み締めた。
「......分かりました」
「本当に?」
「はい。完全に納得したわけじゃないですけど......ルークの言いたいことは分かります」
「それでいい。完全に納得する必要はない。今は、やるべきことをやれ」
「はい」
* * *
その夜、カイは寮の自室で考えていた。
「ルークは、いつもこんな風に考えているのかな......」
何が正しくて、何が間違っているのか。
ルークは、常にそれを計算している。感情ではなく、論理で。
「僕には、真似できない」
だが、それでいいのかもしれない。
自分は自分。ルークはルーク。
「僕は、僕のやり方で強くなる」
そう決意して、カイは目を閉じた。
* * *
翌日。
授業中、ルークは教室の窓から外を眺めていた。
「ギルバート君」
教官に呼ばれた。
「はい」
「質問だ。この魔法陣の構成要素は何か」
「核となる魔素結晶、方向を定める四方位の紋章、出力を調整する中央の制御紋。以上です」
「......正解だ」
教官は感心したように頷いた。
「相変わらず完璧だな。では、続きを......」
ルークは再び窓の外を見た。
「......監視されている」
視線を感じる。教室の後ろ──
サラ・ヴァレンシュタインが、じっとこちらを見ていた。
* * *
授業が終わると、サラが近づいてきた。
「ギルバート君、少しいいかしら」
「......何だ」
「最近のあなた、おかしいわ」
単刀直入だった。
「授業態度は相変わらず完璧。でも、それ以外の時間──」
「何が言いたい」
「どこで何をしているの?」
サラの目は、鋭かった。
「放課後、いつも一人で消える。寮にも戻らない。何をしているの?」
「......俺の行動を監視しているのか」
「監視じゃないわ。観察よ」
「同じだろう」
「違うわ。監視は敵意を持って行うもの。私は、あなたに興味があるだけ」
「興味?」
「ええ」
サラは一歩近づいた。
「あなたは、入学前の評判と違う」
* * *
「評判?」
「ギルバート侯爵家の嫡男。傲慢で、自尊心が高く、他人を見下す」
「......」
「でも、実際のあなたは違う。貴族の交流を避け、一人で行動している。派閥にも入らない」
「それが何だ」
「おかしいと思わない? 名門侯爵家の嫡男が、なぜ孤立を選ぶの?」
ルークは黙った。
確かに、原作のルークなら取り巻きを従え、貴族社会で優位に立とうとしただろう。
だが、今の自分にはそんな余裕がない。
「......俺には、俺の考えがある」
「どんな考え?」
「答える義務はない」
サラは眉をひそめた。
「そうやって、はぐらかすのね」
「はぐらかしてない。ただ、お前に教える理由がない」
「......」
「俺の行動を問題視するなら、教官に報告すればいい。だが、何も規則に違反していないぞ」
サラは、しばらくルークを見つめていた。
そして──
「分かったわ」
意外にも、彼女は引き下がった。
「今日は、これ以上追及しない」
「......そうか」
「でも、覚えておいて。私は諦めたわけじゃない」
サラは踵を返した。
「いつか、あなたの本当の姿を暴いてみせる」
* * *
「厄介な女だ......」
サラが去った後、ルークは呟いた。
原作では、サラはルークの悪行を暴く役割を担っていた。今世でも、その嗅覚は健在らしい。
「だが、暴かれるわけにはいかない」
カイとの関係が露見すれば、計画は水の泡だ。
「もっと慎重に動かなければ......」
ルークは、廃倉庫へ向かいながら考えた。
* * *
廃倉庫で、カイが待っていた。
「遅かったですね。何かありました?」
「ああ。少し、面倒な相手に絡まれた」
「また派閥の人ですか?」
「いや、別の奴だ」
ルークは首を振った。
「サラ・ヴァレンシュタイン。剣術科の首席で、監視役だ」
「監視役?」
「王家から、問題を起こしそうな貴族子弟をマークする役目を与えられている」
カイは息を呑んだ。
「それって......」
「ああ。俺は最初から、彼女の監視対象だ」
「大変じゃないですか......」
「今のところは大丈夫だ。だが、油断はできない」
* * *
「あの」
カイが、おずおずと言った。
「僕、何かできることありますか?」
「何かって?」
「ルークを助けること。監視を逸らすとか、そういう......」
ルークは苦笑した。
「お前が下手に動いたら、逆効果だ」
「そうですか......」
「お前は、今まで通りでいい。グループ練習を続けて、目立たないように強くなれ」
「......分かりました」
カイは少し寂しそうな顔をした。
「でも、何かあったら言ってくださいね。僕にできることがあれば、何でもします」
「......ああ」
ルークは、その言葉に少し心が温まるのを感じた。
「ありがとう」
「え?」
「いや、何でもない。稽古を始めるぞ」
* * *
稽古が始まった。
今日のメニューは、魔力循環の強化だ。
「お前の魔力量は、平均以上だ。だが、循環効率が悪い」
「循環効率?」
「体内の魔力を、どれだけ無駄なく使えるか。お前は、魔力を垂れ流しにしている」
「垂れ流し......」
「そうだ。使った魔力の半分以上が、体外に漏れ出している」
カイは目を丸くした。
「そんなに?」
「ああ。だから、すぐに息切れする。長期戦に弱い」
「確かに......授業でも、後半はいつもバテてます」
「それを直す。今日から、循環効率を上げる訓練をする」
「はい!」
* * *
「まず、目を閉じろ」
カイが目を閉じる。
「体の中心に意識を集中しろ。魔力の流れを感じるんだ」
「......」
「感じるか?」
「はい......何となく」
「その流れを、もっと細く、もっと速くイメージしろ」
「細く、速く......」
カイの体から、微かな光が漏れ出ていた。
それが、少しずつ収束していく。
「そうだ。いい感じだ」
「......」
「その状態を維持しろ。一分間」
「一分......」
カイの額に、汗が浮かんだ。
集中を保つのは、想像以上に難しい。
「三十秒......」
「くっ......」
「四十五秒......」
「......!」
「一分。よし、終わりだ」
カイは膝をついた。
「はあ......はあ......」
「どうだ」
「き、きつい......です......」
「当然だ。今まで無意識に垂れ流していたものを、意識的に制御しようとしているんだからな」
* * *
「でも」
ルークは言った。
「お前は、よくやった」
「......え?」
「普通、最初は十秒も持たない。お前は一分間、集中を切らさなかった」
カイの顔に、少し誇らしさが浮かんだ。
「本当ですか?」
「ああ。これを毎日続ければ、一ヶ月後には循環効率が倍になる」
「倍......!」
「そうなれば、長期戦でも息切れしなくなる。決闘で有利に立てる」
カイは立ち上がった。
「もう一回、やっていいですか?」
「......休憩してからだ」
「大丈夫です! まだいけます!」
ルークは呆れたように笑った。
「お前、本当に負けず嫌いだな」
「えへへ......」
「いいだろう。だが、無理はするな」
「はい!」
* * *
その日の稽古は、いつもより長引いた。
「今日はここまでだ」
「はい......」
カイは、完全に疲労困憊だった。
「明日からも、この訓練を続ける。体が慣れるまでは辛いが、頑張れ」
「......分かりました」
「それから」
ルークは、一冊の本を取り出した。
「これを渡しておく」
「何ですか?」
「魔力循環の理論書だ。俺が学んだことを、簡単にまとめてある」
カイは本を受け取った。
「ルークが書いたんですか?」
「ああ。お前が読めるように、できるだけ分かりやすく書いた」
「......」
カイの目が、潤んでいるように見えた。
「どうした」
「いえ、何でも......」
カイは本を胸に抱きしめた。
「ありがとうございます。大切にします」
* * *
「礼はいい。それより、しっかり読んで理解しろ」
「はい。絶対に」
「質問があれば、いつでも聞け」
「はい!」
カイは、嬉しそうに微笑んだ。
その笑顔を見て、ルークは不思議な気持ちになった。
「......何だ、その顔は」
「いえ、ただ......」
「ただ?」
「ルークって、本当は優しい人なんだなって思って」
「......」
「最初は怖い人かと思ってました。でも、こうやって色々教えてくれて、本まで作ってくれて......」
「違う。俺は優しくない」
ルークは否定した。
「俺がお前を鍛えているのは、自分のためだ。優しさとは関係ない」
「そうですか?」
「そうだ」
「でも」
カイは首を傾げた。
「自分のためでも、僕のためになってるなら、それでいいと思います」
「......」
「結果が同じなら、動機は関係ないですよね?」
ルークは、言葉に詰まった。
* * *
「お前は......」
「はい?」
「いや、何でもない」
ルークは首を振った。
「帰れ。明日も早い」
「はい。おやすみなさい、ルーク」
「ああ」
カイが廃倉庫を出ていく。
一人残されたルークは、天井を見上げた。
「あいつは......本当に変わった奴だ」
利用されていると知っていながら、感謝を口にする。
動機を問わず、結果だけを見る。
「......甘いのか。それとも、器が大きいのか」
分からない。
だが、一つだけ確かなことがある。
「あいつと一緒にいると、調子が狂う」
ルークは苦笑した。
* * *
翌日。
マルクスたちは、密かに会合を開いていた。
「状況を報告しろ」
「はい。ギルバートの監視を続けていますが、決定的な証拠は掴めていません」
「平民の方はどうだ」
「カイ・レイナーは、相変わらずグループ練習を続けています。特に怪しい動きは見られません」
マルクスは腕を組んだ。
「......何かある。絶対に何かある」
「しかし、このまま監視を続けても......」
「分かっている」
マルクスは立ち上がった。
「方針を変える」
「どうするのです?」
「直接、揺さぶりをかける」
「揺さぶり?」
「ああ」
マルクスは不敵に笑った。
「あの平民を、追い詰める」
* * *
その日の放課後。
カイは、グループ練習を終えて寮に戻ろうとしていた。
「カイ・レイナー君」
呼び止められた。
振り向くと、見知らぬ貴族の生徒が数人立っていた。
「......はい。何か?」
「ちょっと、話があるんだけど」
「話?」
「ああ。ついてきてくれないか?」
カイは警戒した。
「何の話ですか?」
「ここでは言いにくい。静かな場所で......」
「すみません。用事があるので」
カイは断ろうとした。
だが──
「おっと、逃げるなよ」
後ろからも、貴族の生徒が近づいてきた。
囲まれている。
「......何のつもりですか」
「別に、大したことじゃないさ」
先頭の生徒が、にやりと笑った。
「ちょっと、聞きたいことがあるだけだ」
* * *
カイは、人気のない中庭に連れていかれた。
「さて」
先頭の生徒──マルクスの部下だ──が言った。
「単刀直入に聞く。お前、誰かに剣を習っているだろう」
「......」
「最近の成長、異常だ。独学でああはならない」
「僕は、グループで練習してるだけです」
「嘘をつくな」
別の生徒が、威圧的に近づいた。
「お前の動き、基礎から変わってる。素人が教えて、ああなるわけがない」
「......」
「誰に習った? 正直に言え」
カイは黙っていた。
契約がある。秘密を漏らすことはできない。
だが、それ以上に──
「言いたくないです」
「何?」
「僕が誰に習っているか、言う必要はないと思います」
* * *
「生意気な......」
生徒の一人が、カイの胸倉を掴んだ。
「平民の分際で、貴族に逆らうのか」
「......」
「お前、自分の立場分かってるのか?」
「分かってます」
カイは、静かに答えた。
「僕は平民です。でも、だからって、何でも言いなりになる必要はないと思います」
「......この野郎」
拳が振り上げられた。
カイは目を閉じた。
だが──
「そこまでだ」
声がした。
* * *
生徒たちが振り向く。
そこに立っていたのは──
「サラ・ヴァレンシュタイン......」
サラは、冷たい目で生徒たちを見下ろしていた。
「何をしているの?」
「い、いや、これは......」
「新入生を複数人で囲んで、暴力を振るおうとしていた。それで合っている?」
「ち、違います! ただ、話を......」
「話? 拳を振り上げて?」
「......」
サラの視線が、さらに冷たくなった。
「今すぐ立ち去りなさい。さもなければ、教官に報告する」
「......くそっ」
生徒たちは、舌打ちしながら去っていった。
* * *
「大丈夫?」
サラがカイに近づいた。
「は、はい。ありがとうございます」
「怪我はない?」
「大丈夫です。殴られる前に助けていただいたので」
サラは頷いた。
「あいつら、マルクス・クレインの手下ね。最近、色々と嗅ぎ回ってる」
「マルクス......?」
「子爵家の次男。野心家で、派閥を作って勢力を広げようとしてる」
「......」
「あなた、彼らに目をつけられてるみたいね」
カイは黙った。
「何か心当たりは?」
「......分かりません」
「そう」
サラは、しばらくカイを見つめていた。
「あなた、最近急に強くなったわね」
「え?」
「授業を見ていた。入学時とは別人みたい」
「......」
「誰かに習ってるの?」
* * *
カイの心臓が、跳ねた。
この人も、聞いてくる。
「僕は......グループ練習を......」
「嘘ね」
サラは断言した。
「グループ練習だけで、ああはならない。誰か、相当な腕の人に教わってるはず」
「......」
「言いたくないなら、無理に聞かない」
サラは意外にも、追及をやめた。
「でも、一つだけ言わせて」
「何ですか?」
「あなたの師匠が誰であれ、気をつけなさい」
「......?」
「この学院には、色々な思惑が渦巻いてる。あなたが強くなればなるほど、狙われる」
カイは、サラの目を見た。
警告しているのか。それとも、探りを入れているのか。
分からない。
「......ありがとうございます。気をつけます」
「そう。それならいいわ」
サラは踵を返した。
「何かあったら、私に言いなさい。できる範囲で、助けるから」
* * *
サラが去った後、カイは一人で考えていた。
「サラさん......どういう人なんだろう」
敵なのか、味方なのか。
ルークは、彼女を「監視役」だと言っていた。警戒すべき相手だと。
だが、今日は助けてくれた。
「......分からない」
とにかく、今日のことはルークに報告しなければ。
カイは、急いで寮に戻った。
* * *
その夜、ルークの部屋に密かに手紙が届いた。
カイからの緊急連絡だ。
『マルクスの部下に絡まれました。サラさんに助けてもらいました。詳しいことは、明日話します』
ルークは、手紙を握りしめた。
「動きが早い......」
マルクスが、カイに直接接触してきた。
予想より早い。
「そして、サラが介入した......」
これは、偶然か。それとも、何か意図があるのか。
「どちらにせよ、状況は複雑化している」
ルークは、窓の外を見た。
月明かりが、学院を照らしている。
「決闘まで、あと五週間......」
まだ時間はある。
だが、敵も味方も、動き出している。
「慎重に。だが、大胆に」
ルークは、新たな計画を練り始めた。
* * *
次回予告
* * *
カイへの圧力が強まる中、ルークは新たな手を打つ。
匿名の稽古提案と、秘密保持の契約。
そして、監視役サラの真意とは──
第3話「口止め契約」
「秘密を守れ。それが、お互いのためだ」
「分かってる。でも、いつまで隠し続けられる?」
三者の駆け引きが、加速する──




