第1部「踏み台改稿篇:引き分けの設計」第1話「ざまぁ台本の目覚め」
第1部「踏み台改稿篇:引き分けの設計」
* * *
朝日が窓から差し込む。
豪華な天蓋付きのベッドで、一人の青年が目を覚ました。
「......ここは」
ルーク・ウィザリア・ギルバートは、見慣れない天井を見上げていた。
いや、違う。見慣れている。この部屋は自分の部屋だ。ギルバート侯爵家の嫡男として生まれ、十七年間過ごしてきた部屋。
だが同時に、まったく別の記憶がある。
「......転生、か」
前世の記憶。日本という国で、平凡なサラリーマンとして生きていた記憶。そして──
「『聖剣と深淵の輪舞曲』......」
その名前が、自然と口をついて出た。
前世で読んでいたウェブ小説のタイトルだ。王道の勇者譚。平民出身の主人公が、傲慢な貴族たちを打ち倒し、世界を救う物語。
そして今、自分がいるこの世界は──
「まさか」
ルークは跳ね起きた。
鏡台に向かい、自分の顔を確認する。
銀髪に紫の瞳。整った顔立ち。どこか冷たい印象を与える貴族的な美貌。
間違いない。
「ルーク・ウィザリア・ギルバート......」
原作における、序盤の『ざまぁ役』だ。
* * *
侍女が朝食を運んできた。
「若様、おはようございます。本日は王立アストラ戦技学院の入学式でございます」
「......ああ、そうだったな」
「お召し物はこちらにご用意しております。何かございましたらお申し付けください」
「分かった。下がっていい」
侍女が退室すると、ルークは深くため息をついた。
記憶を整理する。
『聖剣と深淵の輪舞曲』──通称『聖淵輪舞』は、全八部構成の長編ウェブ小説だ。前世の自分は、第三部の途中まで読んでいた。
そして、ルーク・ウィザリア・ギルバートは──
「第一部で主人公に叩き潰される、典型的な噛ませ犬」
原作主人公の名は、カイ・レイナー。平民出身の孤児で、辺境の村から王立学院に入学してくる少年。
彼は学院で覚醒し、傲慢な貴族たちを次々と打ち倒していく。
その最初の餌食が、このルークだ。
「入学から二ヶ月後の決闘イベント......」
原作では、ルークがカイに因縁をつけ、決闘を申し込む。貴族の威信をかけた戦い。周囲の誰もがルークの圧勝を予想する中──カイが奇跡的な逆転勝利を収める。
そしてルークは、全校生徒の前で無様に敗北し、嘲笑の的となる。
「『ざまぁ』展開の典型例だな」
読者のカタルシスを満たすための踏み台。傲慢な悪役が叩き潰される爽快感。
それが、ルーク・ウィザリア・ギルバートという存在の役割だ。
* * *
朝食を済ませ、ルークは自室で考え込んでいた。
「さて、どうする」
選択肢は限られている。
一つ目。原作通りに行動し、カイに敗北する。
「論外だ」
屈辱的な敗北の後、ルークは没落の道を辿る。家名を汚した不肖の息子として、ギルバート家からも見放される。最終的には、第四部で深淵魔に殺されるモブキャラに成り下がる。
二つ目。カイとの接触を避け、決闘イベント自体を回避する。
「......難しいな」
物語には『補正』がある。原作の重要イベントは、何らかの形で発生する。避けようとしても、別の形で決闘に追い込まれる可能性が高い。
三つ目。カイを完膚なきまでに叩き潰す。
「それも駄目だ」
カイは『勇者』だ。世界を救う存在。彼を潰せば、第八部で訪れる深淵王アザルとの決戦で、人類は滅亡する。
つまり──
「勝っても負けても詰んでる」
ルークは天井を仰いだ。
* * *
どれくらい考え込んでいただろうか。
「......待てよ」
ルークは突然、閃いた。
「勝つか負けるか、じゃない」
原作でルークが破滅する原因は何だ?
傲慢に振る舞い、決闘で無様に敗北し、嘲笑されたこと。
では、逆に考える。
傲慢に振る舞わなければ?
無様に敗北しなければ?
嘲笑されなければ?
「......引き分けだ」
ルークは立ち上がった。
「決闘で引き分けに持ち込む。そうすれば、『ざまぁ』は成立しない」
観衆が求めているのは、傲慢な貴族が叩き潰される爽快感だ。
だが、引き分けならどうなる?
「勝者も敗者もいない。カタルシスが発生しない。物語が......成立しない」
これだ。
勝とうとするから負ける。負けを避けようとするから追い詰められる。
ならば最初から、『引き分け』を設計すればいい。
* * *
だが、問題がある。
「カイが弱すぎる」
原作序盤のカイは、才能こそあれど基礎が皆無だ。辺境の村で独学で剣を学んだだけの少年。
決闘イベントでは、ルークが慢心して手を抜いたところに、カイの覚醒と運が重なって逆転が起きた。
つまり、普通に戦えばルークが圧勝する。
「わざと引き分けに持ち込むのは......難しいな」
実力差がありすぎると、引き分けは不自然になる。観衆も審判も、何かおかしいと気づく。
ならば──
「カイを鍛えるしかない」
ルークは決断した。
「決闘までの二ヶ月で、カイの実力を俺と互角のレベルまで引き上げる」
そうすれば、引き分けは自然な結果になる。
* * *
「若様、お時間です」
侍女の声が扉の向こうから聞こえた。
「分かった」
ルークは制服に着替え、鏡で身だしなみを確認した。
王立アストラ戦技学院の制服。紺色の詰襟に、金の刺繍。貴族用のデザインだ。
「......まあ、悪くない」
前世では地味なスーツ姿だった。こういう華やかな服装は、少し気恥ずかしい。
だが、今は関係ない。
今日から、計画を始める。
* * *
ギルバート侯爵家の馬車が、学院の正門前に到着した。
「若様、行ってらっしゃいませ」
「ああ」
馬車を降りると、すでに多くの新入生が集まっていた。
貴族の子弟が大半だ。豪華な馬車、従者を引き連れた令嬢、傲慢そうな表情の少年たち。
その中に──
「......いた」
一人だけ、明らかに場違いな少年がいた。
粗末な服装。使い古された革袋を背負い、所在なさげに周囲を見回している。
赤茶色の髪に、琥珀色の瞳。日に焼けた肌は、辺境で育った証だ。
「カイ・レイナー」
原作主人公。
未来の勇者。
そして──
「俺の生存保険」
ルークは小さく呟いた。
* * *
入学式は、大講堂で行われた。
学院長の長い式辞。来賓の祝辞。新入生代表の宣誓。
ルークは、その間もカイを観察していた。
「姿勢が悪い。重心がブレている。呼吸も浅い」
剣士としての基礎が、まったくできていない。
だが──
「筋肉の付き方は悪くない。柔軟性もある。何より......」
カイの目を見た。
「あの目は、いい」
折れない意志。困難に立ち向かう覚悟。
原作で彼を英雄にした、最も重要な資質だ。
* * *
入学式が終わり、各自の寮が発表された。
ルークは貴族専用の『白銀寮』。カイは一般生用の『翠風寮』。
当然、接点はない。
「......どうやって接触するか」
ルークが考え込んでいると──
「ギルバート侯爵家のご嫡男でいらっしゃいますか?」
声をかけられた。
振り向くと、若い男が立っていた。貴族の子弟だろう。媚びるような笑顔を浮かべている。
「私、クレイン子爵家の次男、マルクスと申します。よろしければ、親睦を──」
「悪いが、急いでいる」
ルークは素っ気なく返した。
「あ、ああ......失礼いたしました......」
マルクスが去っていく。
原作のルークなら、この手の取り巻きを何人も従えていた。だが、今の自分には必要ない。
むしろ、邪魔だ。
* * *
翌日から、授業が始まった。
王立アストラ戦技学院は、剣術と魔法の両方を教える。午前は座学、午後は実技というカリキュラムだ。
ルークは、初日から頭角を現した。
「素晴らしい、ギルバート君。君の魔力循環は、新入生の中で群を抜いている」
魔法基礎学の教官が感嘆する。
「剣術も見事だ。流派は?」
剣術実技の教官が尋ねる。
「ギルバート流です」
「なるほど。侯爵家の秘伝か。美しい剣筋だ」
周囲の生徒たちが、畏怖と嫉妬の混じった目でルークを見ている。
「さすがギルバート侯爵家の嫡男......」
「天才って本当にいるんだな......」
「あの人、入学時点で上級生より強いんじゃ......」
ルークは内心でため息をついた。
「......これが『ざまぁ役』の設定か」
原作のルークは、天才だった。剣も魔法も学院トップクラス。だからこそ、カイに負けた時の『ざまぁ』が効くのだ。
* * *
一方、カイは──
「レイナー君、姿勢が崩れている。もっと腰を落として」
「は、はい......」
「魔力循環が途切れている。集中を切らすな」
「す、すみません......」
苦戦していた。
ルークは、遠くからそれを観察していた。
「やはり、基礎ができていない」
才能はある。だが、それを活かす土台がない。
辺境の村で、我流で鍛えただけ。正式な指導を受けたことがない。
「このままでは、決闘までに間に合わない」
ルークは焦りを感じた。
* * *
放課後。
ルークは訓練場の片隅で、一人で剣を振っていた。
「ふむ......」
この体は、想像以上に優秀だ。前世の記憶と融合したことで、理論と実践が噛み合っている。
「だが、問題は──」
「あの、すみません」
声がした。
振り向くと、カイが立っていた。
「......何だ」
「訓練場の使い方を教えていただけませんか? 僕、田舎から来たばかりで、勝手が分からなくて......」
カイは気まずそうに頭を掻いた。
「貴族の方に話しかけるのは失礼かもしれませんが、他の人は皆忙しそうで......」
ルークは黙ってカイを見つめた。
これは──好機だ。
* * *
「......訓練場の使用は自由だ」
ルークは淡々と答えた。
「ただし、上級生や教官が使用している時は優先権がある。予約表は管理棟にある」
「あ、ありがとうございます!」
カイは明るく礼を言った。
「えっと、僕はカイ・レイナーです。よろしくお願いします」
「......ルーク・ウィザリア・ギルバート」
「ギルバート侯爵家の! 入学式で首席答辞をされていましたよね。すごいです」
カイの目が輝いている。
純粋な尊敬の眼差し。原作では、この少年がルークを公衆の面前で叩き潰すことになる。
だが今は──
「俺に聞きたいことがあるなら、聞け」
ルークは言った。
「え?」
「見ていた。お前、授業で苦戦していただろう」
カイの表情が曇った。
「......やっぱり、目立ってましたか」
「基礎ができていない。それだけだ」
「基礎......」
「剣術も魔法も、土台がなければ伸びない。お前は才能がある。だが、それを活かす方法を知らない」
カイは目を見開いた。
「才能が......あるんですか? 僕に?」
「ある」
ルークは断言した。
「お前の動きには、無駄が多い。だが、その奥に光るものがある。磨けば、相当なものになる」
* * *
カイはしばらく黙っていた。
「......どうして、そんなことを教えてくれるんですか?」
「何?」
「僕は平民です。貴族の方にとっては、関わる価値もない存在のはずです」
「......」
確かに、原作のルークならそう考えただろう。
だが、今の自分は違う。
「俺には、お前を鍛える理由がある」
「理由?」
「それは今は言えない。だが、損はさせない」
カイは困惑した表情で、ルークを見つめている。
「信用できないか?」
「いえ、そういうわけでは......」
「ならば、明日の放課後、ここに来い」
ルークは訓練場を見渡した。
「誰もいない時間を選ぶ。その方が都合がいい」
「......分かりました」
カイは頷いた。
「ありがとうございます。ギルバート様」
「ルークでいい」
「え?」
「敬称はいらない。これから俺たちは、師弟のような関係になる」
カイは目を丸くした。
「師弟......ですか」
「そうだ。お前を、俺と互角に戦える剣士に育てる」
* * *
その夜、ルークは自室で計画を練っていた。
「まず、基礎の再構築が必要だ」
呼吸法、姿勢、魔力循環。これらを一から叩き直す。
「二ヶ月で、決闘に耐えうるレベルまで引き上げる」
不可能ではない。カイには才能がある。正しい指導があれば、急成長するはずだ。
「問題は──」
周囲の目だ。
貴族の嫡男が、平民の少年を個人指導している。噂になれば、面倒なことになる。
「秘密にしなければならない」
だが、完全に隠し通すのは難しい。学院は狭い。誰かに見られる可能性は常にある。
「......何か、対策が必要だな」
ルークは考え込んだ。
* * *
翌日の放課後。
約束通り、カイは訓練場に現れた。
「来たか」
「はい!」
カイは緊張した面持ちで、ルークの前に立った。
「早速始める。まず、お前の剣を見せろ」
「分かりました」
カイが剣を抜く。使い古された鉄剣。刃こぼれもある粗末な武器だ。
「......その剣は捨てろ」
「え?」
「話にならない。まともな剣でなければ、まともな稽古はできない」
ルークは自分の予備の剣を投げ渡した。
「これを使え」
「こ、これ......高価なものでは」
「構わない。道具が悪ければ、技術は伸びない」
カイは恐る恐る剣を受け取った。
「......ありがとうございます」
「礼はいい。構えてみろ」
* * *
カイが剣を構える。
「......駄目だ」
「え?」
「肩に力が入りすぎている。膝が伸びている。重心が高い」
ルークはカイの体勢を細かく指摘した。
「剣は力で振るものではない。全身の動きを連動させ、剣に力を乗せるんだ」
「は、はい......」
「足を肩幅に開け。膝を軽く曲げろ。腰を落とせ」
ルークはカイの姿勢を手で直していく。
「肩の力を抜け。腕は添えるだけだ。力の起点は、腰にある」
「こ、こうですか?」
「まだ高い。もっと落とせ」
「......こう?」
「そうだ。そこで止めろ」
カイは、明らかに不自然な姿勢でいた。
「す、すみません。これ、かなりキツいんですが......」
「当然だ。お前の体は、正しい姿勢に慣れていない」
「......」
「だが、これができなければ何も始まらない。毎日、この姿勢を維持する訓練をしろ」
* * *
「次は呼吸だ」
ルークはカイの前に立った。
「息を吸え。腹に溜めるイメージで」
「......はい」
「吐け。ゆっくりと、細く長く」
「......」
「それを繰り返せ。リズムを一定に保て」
カイは必死に従った。
だが──
「乱れている」
「す、すみません......」
「呼吸が乱れると、魔力循環も乱れる。戦闘中に息が上がれば、それだけで不利になる」
「......」
「毎日、朝と夜に三十分ずつ、この呼吸法を練習しろ」
カイは青ざめた顔で頷いた。
「は、はい......」
* * *
「最後に、魔力循環だ」
ルークは手のひらに淡い光を灯した。
「見えるか」
「はい。綺麗ですね......」
「これが魔力だ。お前の体の中にも、同じものが流れている」
「僕にも?」
「ある。ただし、お前は使い方を知らない」
ルークは光を消した。
「目を閉じろ。体の中心に意識を集中しろ」
「......はい」
「何か感じるか」
「......分かりません」
「焦るな。最初は誰も分からない」
ルークはカイの背中に手を当てた。
「俺の魔力を流す。それを追いかけてみろ」
「え? そんなこと──」
微かな暖かさが、カイの体を巡った。
「......あ」
「感じたか」
「は、はい......何か、流れていくような......」
「それが魔力循環だ。その感覚を覚えておけ」
* * *
二時間後。
カイは訓練場の床に大の字になっていた。
「......疲れた」
「当然だ。お前は今まで、体の使い方が根本的に間違っていた」
ルークは冷たい水を渡した。
「今日やったことを、毎日繰り返せ。一週間後には、体が変わり始める」
「一週間......」
「長いと思うか?」
「いえ......」
カイは起き上がった。
「短いと思います。こんなに、教えてもらえるなんて思っていませんでした」
「......」
「ルーク様......いえ、ルーク。本当にありがとうございます」
カイは真剣な目でルークを見つめた。
「僕、絶対に強くなります。あなたが教えてくれたこと、無駄にしません」
* * *
ルークは、その目を見て思った。
これが、原作主人公の資質か。
この真っ直ぐさ。この純粋さ。この向上心。
「......いいだろう」
ルークは小さく頷いた。
「期待している」
「はい!」
カイは満面の笑みを浮かべた。
その笑顔を見て、ルークは複雑な気持ちになった。
この少年は、知らない。
自分が利用されていることを。
ルークの本当の目的は、生存だ。カイを鍛えるのは、そのための手段に過ぎない。
だが──
「......まあ、いい」
今は、それでいい。
目的が何であれ、結果としてカイは強くなる。世界を救う力を身につける。
そして自分も、生き残る。
Win-Winだ。
* * *
翌日。
ルークは授業中も、計画のことを考えていた。
「カイの成長速度は、予想以上かもしれない」
昨日の稽古で感じた手応え。カイは、教えたことをすぐに吸収する。
才能だけではない。努力する姿勢。折れない心。
「二ヶ月あれば、十分間に合う」
そう確信した時──
「ギルバート君」
声をかけられた。
振り向くと、見知らぬ女生徒が立っていた。
長い黒髪。鋭い目つき。凛とした佇まい。
「......誰だ」
「サラ・ヴァレンシュタイン。剣術科の首席よ」
ルークの背筋が、わずかに強張った。
「......何の用だ」
「あなた、昨日の放課後、訓練場にいたでしょう」
「......」
「平民の少年と、何を話していたの?」
* * *
サラ・ヴァレンシュタイン。
原作では、ルークの監視役として登場するキャラクターだ。
ヴァレンシュタイン伯爵家の令嬢にして、剣術科の首席。剣の腕は学年トップクラス。そして──
「王家からの密命を受けている」
ルークは、原作知識を思い出していた。
彼女の役割は、貴族子弟の監視。特に、問題を起こしそうな者を事前にマークする。
つまり──
「俺は、最初から監視対象だったわけか」
「何を呟いているの?」
「いや、何でもない」
ルークは平静を装った。
「訓練場で話していたのは、ただの雑談だ。あの少年が道に迷っていたから、教えてやっただけだ」
「......本当に?」
「嘘をついてどうする。俺にとって、平民の少年など眼中にない」
サラは疑わしげにルークを見つめた。
「そう。ならいいのだけれど」
「用が済んだなら、消えてくれ」
「......随分と冷たいのね」
「俺は誰にでもこうだ」
サラは肩をすくめた。
「分かったわ。でも、覚えておいて。私はあなたを見ているから」
そう言い残して、彼女は去っていった。
* * *
「厄介なことになった」
放課後、ルークは自室で頭を抱えていた。
「サラに目をつけられた。これ以上、カイとの接触が露見したら......」
原作では、サラはルークの悪行を暴く役割を担っている。彼女に疑われるのは、非常にまずい。
「だが、稽古をやめるわけにはいかない」
決闘まであと二ヶ月を切っている。カイを鍛える時間は、一日も無駄にできない。
「......方法を変えるしかないな」
直接会うのはリスクが高い。
ならば──
「匿名で指導する」
手紙を使う。稽古の内容を文書にして、カイに渡す。そして、実技は人目につかない場所で行う。
「完璧ではないが、露見のリスクは減らせる」
ルークは計画を修正した。
* * *
その夜、ルークは手紙を書いた。
『明日の放課後、学院裏の廃倉庫に来い。誰にも言うな。これは、お前を強くするための訓練だ』
署名はしない。筆跡も、わざと崩して書いた。
「これなら、万が一見つかっても俺だと特定できない」
翌朝、ルークはカイの寮の前を通りかかったふりをして、手紙を落とした。
カイがそれを拾い、読む。
困惑した表情。だが、興味を示している。
「......来るな」
ルークは確信した。
カイは、強くなりたいと願っている。そのためなら、多少の危険は冒すだろう。
* * *
放課後。
ルークは、学院の裏手にある廃倉庫で待っていた。
ここは、かつて資材置き場として使われていた建物だ。今は誰も使っていない。人目を避けるには、最適の場所だ。
やがて、足音が聞こえた。
「......誰かいるんですか」
カイの声だ。
「入れ」
ルークは答えた。
扉が開き、カイが入ってきた。
「ルーク! やっぱりあなただったんですね」
「騒ぐな。声が大きい」
「す、すみません......でも、どうしてこんな場所に?」
「人目を避けるためだ。俺たちの関係は、他人に知られない方がいい」
「......どういう意味ですか?」
カイは不安そうな表情を浮かべた。
「俺が平民のお前を指導していると知れたら、面倒なことになる。貴族社会は、そういうものだ」
「......」
「だが、稽古はやめない。お前を強くする。そのために、秘密を守る必要がある」
カイはしばらく黙っていた。
そして──
「分かりました」
彼は頷いた。
「僕、誰にも言いません。約束します」
* * *
「よし。なら、契約を結ぼう」
「契約?」
ルークは懐から紙を取り出した。
「魔法契約だ。この契約を結べば、お互いに秘密を漏らすことができなくなる」
「そんな魔法があるんですか......」
「ある。代償として、契約を破った者は激しい苦痛を受ける」
カイは紙を見つめた。
「......僕は、構いません」
「いいのか。内容を確認しなくて」
「ルークが用意したものなら、信用します」
ルークは目を見開いた。
「......お前、人が良すぎるぞ」
「よく言われます」
カイは笑った。
「でも、僕はルークを信じたいんです。あなたは、僕に剣を教えてくれた。理由は分からないけど、それだけで十分です」
* * *
契約は、すぐに結ばれた。
二人の指から血を一滴ずつ垂らし、紙に押し付ける。魔力が光り、契約が成立する。
「これで、俺たちは共犯者だ」
ルークは言った。
「秘密を共有する者同士。裏切れば、お互いに痛みを受ける」
「共犯者......」
カイは、その言葉を噛み締めるように呟いた。
「なんだか、すごいですね。貴族の方と、こんな関係になるなんて」
「貴族も平民も関係ない。俺たちは今、同じ目的のために動いている」
「同じ目的?」
「お前を強くすること。それが、俺にとっても重要なんだ」
カイは首を傾げた。
「......よく分かりませんが、分かりました。頑張ります」
「ああ。頑張れ」
* * *
その日から、秘密の稽古が始まった。
毎日、放課後に廃倉庫で会う。周囲の目を欺きながら、カイを鍛えていく。
一日目。姿勢と呼吸の矯正。
二日目。基本の素振り、百回。
三日目。フットワークの訓練。
四日目。魔力循環の感覚を掴む練習。
五日目。基本の型を教える。
六日目。型の反復練習。
七日目。初めての組み手。
* * *
「ふう......」
七日目の稽古を終え、カイは床に座り込んだ。
「一週間、あっという間でした」
「どうだ。体の変化は感じるか」
「はい。何というか......体が軽くなった気がします」
「当然だ。お前は今まで、無駄な力を使いすぎていた。それを矯正すれば、動きは自然と滑らかになる」
「そうなんですね......」
カイは自分の手を見つめた。
「授業でも、前より上手くできるようになりました。教官にも褒められて」
「よかったじゃないか」
「でも、不思議なんです」
「何が」
「どうして、ルークはこんなに僕のことを気にかけてくれるんですか」
ルークは黙った。
「契約があるから、秘密は守らなきゃいけないのは分かってます。でも、それとこれとは別ですよね」
「......」
「ルークには、何か目的があるんですよね。僕を強くすることで、得られるものが」
* * *
カイの目は、真っ直ぐだった。
「教えてくれなくてもいいです。でも、僕は知りたい」
ルークは、しばらく考えた。
嘘をつくことはできる。適当な理由をでっち上げることも。
だが──
「......お前、聞いても怒らないか」
「怒りません」
「俺は、お前に負けたくないんだ」
カイは目を丸くした。
「負けたくない?」
「そうだ。お前と俺は、いずれ戦うことになる。決闘という形でな」
「決闘......」
「その時、俺は負けたくない。だが、お前が弱いままでは、俺が勝っても意味がない」
「......」
「だから、お前を鍛えている。俺と互角に戦えるようになれば、決闘は引き分けになる」
カイは黙って聞いていた。
「つまり、俺の目的は──」
「引き分け、ですか」
カイが言った。
「ルークは、勝ちたいんじゃない。負けたくないだけ」
「......そうだ」
* * *
カイは、ゆっくりと頷いた。
「分かりました」
「......怒らないのか」
「怒りません」
カイは笑った。
「だって、僕が強くなることには変わりないですから」
「......」
「ルークの目的が何であれ、僕は強くなりたい。それだけです」
ルークは、言葉を失った。
この少年は──
「お前、本当に変わってるな」
「よく言われます」
「......そうか」
ルークは小さく笑った。
これが、原作主人公の器か。
利用されていると知っても、怒らない。目的を見失わない。
「いいだろう。なら、遠慮なく鍛えてやる」
「はい! よろしくお願いします!」
* * *
夜、ルークは自室で考えていた。
「あいつは、俺が思っていた以上の男だ」
カイ・レイナー。原作主人公。
才能だけではない。心の強さ。人を信じる力。そして、自分の目標を見失わない意志。
「......こういう奴が、英雄になるんだな」
ルークは窓の外を見た。
月が、静かに輝いている。
「決闘まで、あと七週間」
その間に、カイを俺と互角のレベルまで引き上げる。
そして、引き分けに持ち込む。
「それが、俺の『改稿』だ」
物語の結末を、自分の手で書き換える。
ざまぁ役は、ざまぁされない。
* * *
だが、ルークはまだ知らなかった。
自分の行動が、世界に大きな影響を与え始めていることを。
物語の『補正』が、すでに軋み始めていることを。
そして──
「学院の地下、封印が......」
その夜、学院の地下深くで、何かが脈動した。
均衡が、崩れ始めていた。
* * *
次回予告
* * *
カイの成長は、ルークの予想を超えていた。
だが、その急成長は周囲の注目を集め始める。
派閥の貴族たちが、ルークの異変を嗅ぎつける。
第2話「平民の素振り」
「なぜあの平民は、急に強くなった?」
「ギルバートの嫡男が、何かしているのでは......」
陰謀の影が、忍び寄る──




