轟猛牛のカツ
「天狐、起きろ」
起こされたのはいつもより少し遅い朝の時間。
もう着替えを済ませているフロガが、天狐の眠たそうな瞳を覗き込む。
寝起きの頭でぼうっとして気付かなかったが、よく見ればフロガは珍しい格好をしていた。
いつものワイシャツとジャケットでもなければ、普段着でも部屋着でもないそれは冒険者の頃によく着ていたもの。
薄手のカーディガンのようなマントを羽織り、ゆったりとしたズボンとブーツを履いて、腰にはロングソードが下げられている。
「何で冒険者用の装備なんかしてんだ」
「今日一緒に出掛けようって約束しただろ」
そうだったか……
全く覚えていないが、「どこかに行こう」という話で遠出する事にでもなったのだろう。
もぞもぞと起き上がり、フロガに促されて軽い朝食をとる。
「で、どこに行くんだ?」
「ハルラー森林に行かないか? そろそろ美味しいキノコが採れる頃だと思うんだ」
キノコ以外にもベリィやミルクナッツといった木の実や、今の季節にしか採れない山菜も欲しいところだ。
「ハルラー森林なら魔獣が出るな。 毒蜜熊に、岩猪……ああ、新聞に轟猛牛の討伐募集も載っていたから、そっちのほうが多いかもな」
「下手に刺激しなければ大丈夫だよ。 もし遭遇したら狩ればいいしね」
そう言うと、フロガは冒険者時代に使っていた大容量のリュックを持ってきた。
これなら大型魔獣の肉が丸々一頭分、余裕で入る。
昼食用のサンドイッチも詰め込み、準備ができた所で天狐も朝食を食べ終えた。
「じゃあ、行こうか」
「ああ、行こう」
日除けのマントを羽織り、天狐はフロガの後に続いた。
神都から南にあるハルラー森林では沢山の動植物が生息している。
入口付近には赤や青の色鮮やかなベリィや黄色く熟れた実をつける果物なんかもあるので、摘みにくる者は多い。
もっと奥へ行けば、キノコや山菜が採れるのだが獰猛な魔獣が出る為、そこへは冒険者しか立ち入らない。
フロガと天狐が目指すのは、そちらの方だ。
「やっぱり、奥まで来ると静かだなぁ」
フロガが呟く。
奥へ行けば行くほど、この森は静かになっていく。
太陽こそ当たっているものの、魔獣が潜んでいるせいか、普通の動物も疎らである。
木々の隙間から漏れる光を浴びながら、二人はさらに奥へと進んだ。
「あ、ほら見ろよ天狐。やっぱりいっぱい生えてた」
そう言ってフロガが指差す先を見ると、朽木の脇に沢山のキノコが生えていた。
早速、二人でキノコを採取する。
採りすぎないように、ある程度キノコを採り終えると、場所を移動して山菜を採った。
途中、倒れた木の上へ腰を降ろし、昼食のサンドイッチを広げる。
ローストチキンのサンドイッチと、冷たい紅茶を入れた水筒。小さな銀色のカップに紅茶を注ぎ、二人はサンドイッチを二つつまんだ。
「ある程度採れたし、そろそろ帰ろうか」
「そうだな。入口でベリィを採って、明日はタルトを作れ」
「ああ、いいよ。 ちょっと多めに採って、ジャムも作ろうか」
結局、魔獣は出なかった。
こうして静かにして、彼等を刺激しなければ出てくる確率はぐっと減るのだ。
「よし、それじゃあ……」
言い掛けて、フロガが腰を浮かせた瞬間。
森の奥で、怒号が響いた。
「オオォォォオオ!!!」
森に響き渡る野太い雄叫び。
この鳴き声には聞き覚えがあった。
「轟猛牛……五頭くらいか。 ついでにヒトが二人、追われているみたいだ。 結構近いぞ」
天狐の狐耳がピクピクと動く。
その大きな耳で聞き分けた情報をフロガに伝えると、すぐに立ち上がってロングソードを抜いた。
「追われているなら助けないと! 行くぞ、天狐!」
「あ? 面倒……おい、フロガ!」
天狐の言葉を待つことなく、フロガが走り出す。
仕方なくその後ろを追い掛け、声のした方へと急いだ。
少し走ると、開けた場所に出た。
同時に、木の隙間から男が一人走ってくる。
その後ろには大きな角を前に突き出した轟猛牛が二頭。 鼻息を荒くし、低く唸っている姿を見るに、轟猛牛は相当怒っているようだ。
奥の方では他の轟猛牛の怒号が聞こえる。
「天狐! あれは俺がやる。 もう一人を頼んだ。 あと一応、走ってる彼に補助魔法」
「放っておけばいいものを……」
「早く」
そう言ってフロガは駆け出した。
補助は得意じゃないが、無いよりはマシだろう。
スピードアップと防御の魔法をすれ違い様にかけてやると、男と目が合った。
「あんた!! 飯屋の……!!」
男が叫ぶ。
この男は、この前絡んできた二人組のうちの一人だ。
ということは、もう一人はその片割れだろう。
天狐は小さく舌打ちしながら、怒号のする方へと向かった。
「うわあああ! 来るな! こっちに来るなぁぁ!!」
もう一人の人間は、やはり先程の男の片割れだ。
まだ叫ぶ余裕があるようで、己の背丈よりも高い轟猛牛三頭を目の前にして剣を振り回している。
天狐はその様子を木に飛び乗って眺めた。
「随分余裕があるみたいだなぁ」
木の上から声をかけると、男がはっとして天狐を見上げる。
「あ、あんた! 飯屋に居た姉ちゃんじゃねえか! 助けてくれぇ!!」
「シルバーメダルの冒険者様なんだろ? 自分でなんとかしろ」
「轟猛牛が三頭もいるんだぞ!?」
「そもそも何故三頭もいるんだ? どうせ轟猛牛の住処を無駄に刺激して怒らせたんだろ」
「そ……それは……そう……」
「なら、自己責任だなぁ」
そう言い終わると、轟猛牛が突進してきた。
間一髪で避ける男を眺めつつ、フロガの方を見ると既に二頭を倒し終わっている。
「天狐! いい加減にしろ!!」
「……わかっている」
こちらに気付いたフロガが怒りの籠もった声をあげる。
仕方なく手を振り上げ、男の前にいる轟猛牛の鼻先に小さな炎の矢を放った。
突然現れた火の粉に、轟猛牛は悲鳴をあげて怯むと、早速二頭が逃げていった。
そのすきに、天狐は木から飛び降りて男の前に立つ。
「どけ。 邪魔だ」
「え、あ、ありがとうございます!」
後ろへ下がる男の横に、フロガが走り寄ってくる。
「大丈夫ですか? 後は俺達に任せて、あっちの方で休んでてください」
「あんた、飯屋のマスターか! すまねえ……」
男は言われた通り、その場を離れていく。
それを確認すると、フロガと天狐は再び轟猛牛と向き合った。
「まだ仲間が来るかもしれないし、早めに終わらせよう」
「そうだな」
フロガがロングソードを構え、天狐が後ろへ下がる。
それと同時に、轟猛牛が雄叫びを上げて後ろ脚を蹴り始めた。
「ウゴオオオオオオ!!!」
その雄叫びは木々を揺らし、黒い巨体は軽い地震のような地響きを起こした。
しかし、二人は全く怯まない。
角を突き出し、突進してくる轟猛牛に向かって、天狐が腕を振り上げる。
すると、小さな火の粉が轟猛牛の鼻に当たった。
「ウゴッ!?」
鼻に走った熱に驚いたのか、轟猛牛が動きを止める。
そこへ追い打ちをかけるように、天狐が更に炎を放ち、顔を燃やす。
混乱し、右往左往とする轟猛牛に向って、フロガが飛び上がった。
ロングソードを振り下ろし、その勢いのまま轟猛牛の首が斬りつけられる。
フロガが着地すると同時に、轟猛牛の体が地面へ倒れ込んだ。
まだ息のあるのか、小さく動いている轟猛牛の心臓を貫き、フロガが一息つく。
「ふう……さて、あの二人のところに戻ろう」
刃先についた血を払って歩き出す。
天狐はそれに返事をする代わりに、小さくため息をついて、後を追った。
開けた場所に戻ると、倒れた轟猛牛の隣で先程の男二人が座り込んでいた。
戻ってきたフロガと天狐を見るなり、二人が立ち上がる。
「す、すまねえ。 俺達が勝手な事したせいで……」
「二人がいなかったら、俺達きっとやられてた」
深々と頭を下げる二人は、名をそれぞれマルスとザラと名乗った。
そんな二人に、フロガは慌てて手を振る。
「顔を上げてください! それより、怪我とかしてませんか?」
「あ、ああ。 大丈夫だ」
「良かった。 でももう危険な事はしないで下さいね。 シルバーランクなら、轟猛牛は一頭相手するのが限界だと思うので」
「確かにキツかったが……あんたもシルバーじゃないのか、それ」
「ああ、これ……」
マントの隙間から見える銀色のメダルを男が指差すと、フロガがそれを取り出す。
よく見ればシルバーよりも強い銀白色にアネモネの花が刻まれたそれは、プラチナランクの証であった。
「プラチナ……」
マルスとザラは顔を見合わせたあと、呆然と呟く。
プラチナランクともなれば、先程の強さに納得がいく。 轟猛牛如き、相手ではないだろう。
「それよりお前達、轟猛牛は何頭討伐する予定だったんだ?」
やや離れた場所で、木に背を預けていた天狐が声をあげる。
「二頭だけ……討伐っていうか、素材の調達を依頼されて……」
「なら、迷惑料で一頭貰っていくぞ」
そう言って天狐は先程倒した轟猛牛の回収に向かった。
フロガが苦笑しながらそれを見送ると、マルスがぼやく。
「それにしても、さっきの戦闘は凄かったな……」
「あの程度なら、場数を踏めば自然と対処できるようになりますよ。 それに轟猛牛は、鼻を刺激されるとちょっとだけ怯むんです」
「へえ……」
フロガの言葉に、二人は感心したように相づちを打つ。
が、獰猛で突進を得意とする轟猛牛の鼻など、安々と刺激できるものではない。
簡単そうに話してはいるが、シルバーランクになりたての二人では、あの数を相手にすることなどできないだろう。
フロガの実力の高さに驚くと共に、轟猛牛相手に怯まず戦っていたその姿に二人は畏怖すら覚えた。
「でも、今日みたいな無謀な事はしないように気を付けてくださいね」
「ああ。 本当にすまなかった」
改めて二人が頭を下げると、天狐が戻ってきた。
「おいフロガ。 終わったから帰るぞ」
「それじゃあ、失礼します。 今日の轟猛牛、明日のランチにする予定なので良かったらまた来てください」
そう言って、軽く会釈をするフロガに二人は大きく手を振った。
当初の予定通り、帰り道で木の実を採取する。
ベリィはジャムやタルトにして、ミルクナッツは砕いてクッキーに入れたり、煎って酒のツマミにもできるので少し多めにとって、リュックの中へ入れていく。
思わぬ収穫となった轟猛牛と採取したキノコやベリィでリュックはいっぱいになっていた。
「轟猛牛の皮は売るとして、肉は何にしようかな」
なんせ丸々一頭分だ。 明日では使い切れないので部位ごとに解体して、魔具の中で保存する。
まずは定番のステーキやローストビーフを昼と夜の特別メニューを作ろう。 他にもシチュー等の煮込みや、ミンチにしてハンバーグを作るのも良さそうだ。
「揚げたら美味いんじゃないか」
色々と思考を巡らせるフロガへ、天狐が興味なさげに呟く。
しかしその案に、フロガは手を叩いた。
「ビーフカツか! 美味しいよなぁ!」
「知らん。 食ったことない」
「そうだっけ? じゃあ天狐の分も作るね」
「まあ、楽しみにしておく」
興味なさげな天狐だが、尻尾が揺れているのを見て、フロガは微笑ましく思うのだった。
翌日、店を開けるとマルスとザラが早速来店した。
外に出したメニューボードの「轟猛牛入荷しました」の文字を見て、二人は恐る恐る、店内に入る。
「いらっしゃいませ。 ああ、昨日の! 来てくれたんですね」
人好きのする笑みを浮かべるフロガが二人に会釈する。
優男にしか見えない彼がプラチナランクの冒険者で、轟猛牛と戦ってそれを店に出しているなどと、誰も考えやしないだろう。
「マスター、轟猛牛のランチ二つ頼むよ」
「ありがとうございます。 カツとステーキがあるんですが、どっちがいいですか?」
「へえ! じゃあ、俺はステーキで」
「うーん、俺はカツにしようかな」
「かしこまりました。 少々お待ち下さい」
マルスとザラの注文を承ると、フロガは早速厨房へ引っ込んだ。
それからすぐに出てきたのは、付け合せのミニサラダとスープとパン。
スープを飲み、サラダをつまんでいれば、すぐにメインが運ばれてきた。
「お待たせ致しました。 轟猛牛のステーキとカツです。熱いので気を付けてくださいね」
眼の前に置かれた鉄板の上では、綺麗な焼色の付いた肉がジュウジュウと音を立てている。
その鉄板の隣には、黄金色の衣に包まれたミディアムレアのカツ。 綺麗な赤身がキラキラと輝いて見えるそれは、口に入れる前なのに、旨味すら感じた。
「「いただきます!」」
二人が同時に手を付ける。
「ん〜〜! 美味いなあ!!」
真っ先に声を上げたのは、ステーキを頬張ったマルスだ。
口に広がる肉汁、それに絡むオニオンソース……柔らかなサーロインは噛むほどにほどけて、甘い脂身と肉汁がすうっと溶けていく。
厚切りなのにさっとナイフが入り、肉の食べ応えのある弾力と味は、さすがハルラー森林の轟猛牛だ。
その味わい深さに、マルスの食べる手は止まらない。
そんなマルスの隣で、ザラがビーフカツに齧り付く。
「こっちも美味い! サクサクだ!」
黄金色の衣は齧りついた瞬間、サクッと音を立て、中の赤い断面が覗く。
しっとりとした肉の舌触り、歯切れのよい衣。 熱々で湯気を立てるそれは口の中に含んだ瞬間、油の甘みと肉汁の旨味、それからソースの香辛料が混ざった複雑な香りが鼻を抜ける。
油で揚げているのに決してしつこくはなく、むしろ肉本来の旨味を引き立てているようにすら感じた。
「轟猛牛ってこんなに美味かったんだな……魔獣だから、珍しさでただ高いだけだと思ってたぜ」
マルスが感嘆の声を上げる。
轟猛牛は魔獣故に狩る必要があり、その獰猛さに手を焼くので、市場にはあまり出回らない。
しかし、魔獣といえど牛は牛。 きっと大して変わらないのだろうと、今まで甘く見ていたのだ。
「気に入っていただけて良かったです。 たまにこうやって魔獣も出すので、また来てくださいね」
そう言って微笑むフロガに、二人は大きく首を縦に振った。
「ああ、もちろんだ! また来るよマスター」
「次は酒も飲みてぇから夜かなぁ」
言いながら、二人は決算をするためにメダルを魔具へかざす。
何も考えずに決算をしていると、表示された金額にザラが目を丸くした。
「え、1200クルタ!?マスター、これ値段間違ってるぞ」
「間違ってませんよ。 1200クルタです」
「轟猛牛なんてもっと高いだろ! 相場の半分以下だぜ!」
「自分で獲って自分で捌いてるのでその分安くできるんですよ」
さらりと答えるフロガに、二人は言葉を失った。
確かに狩りの依頼をする手間や料金が省けるのは大きい。 解体もそうだ。
しかし、それにしたってもっと取っても良いはずだ。
ザラがもう一度会計金額を見直すが、1200クルタと表示されたそれが変わることはない。
「もっと取らないと赤字になるぜ、マスター……」
「一応数量限定ですし、この値段でも利益は出ているんですよ。 それに、お客様に喜んでいただけるなら、俺はそれでいいんです」
そう言ったフロガは、いつものように人好きな笑みを浮かべる。
その言葉に嘘偽りがない事は二人にも分かったようで、それ以上何かを言う事はなかった。
支払いを済ませ、メダルを懐にしまうと、フロガに向き直って軽く会釈をする。
「それじゃ、ごちそうさま!」
「またな、マスター」
「ええ、また。 今日はありがとうございました」
手を降る二人に、フロガが丁寧に腰を曲げて礼をする。
二人とは入れ違いに、また別の客が店内へ入っていく。
今日のヴァルムは客足が途絶えることなく、轟猛牛の特別メニューは大好評だったそうだ。




