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クッキー

「おはよう、天狐」


 早朝の狩りから戻ると、フロガが奥の厨房から出てきて天狐を迎えた。

 ふわりと尻尾を揺らした天狐が「ああ」とだけ返す。


 素っ気無い返事だが、フロガが毎朝こうして声を掛けてくれるのが、天狐はたまらなく好きだ。

 優しい声色も、微笑みかける表情も、紫紺色の瞳も、全てが愛おしいと思う。

 ……思ってはいるが、口には出さない。


 いつものようにシャワーを済ませて戻れば、カウンターに朝食が並べられていた。

 オムレツとウインナー、温野菜のサラダ、コーンスープ、それから今朝買ってきたばかりのライ麦パン。

 どれも相変わらず美味しそうだ。

 着席し、フロガが隣に来るのを待ってからまずはスープに手を付ける。 それからサラダを食べて、合間にパンをつまむ。

 もぐもぐと口を動かしていると、フロガと目が合った。


「美味しい?」

「いつも通りだ」

「そう」


 いつも通り、美味しい。

 という意味なのを、フロガは知っている。

 だから、どれが美味しいのか等という無意味な質問はしない。

 顔や口にすら出さないが、尻尾や耳を見れば天狐の考えている事は大体理解できるのだ。


 ……だが、フロガは知らない。

 天狐はこの朝食よりも、隣でフロガと一緒に食べている時間が、好きなのだという事を。

 しかし、天狐はそれを口に出すつもりはない。


「さて、俺はまた仕込みに戻るよ」


 食べ終わった食器を片付け、フロガが厨房へ戻っていく。

 それを眺めながら、仕込みをする音に耳を澄ませた。

 リズミカルに動く包丁、何かが煮えてコトコトと鳴る鍋。 どれも心地の良い音だ。

 この音を聞いていると、ウトウトと眠くなってくる。

 大きな欠伸をして、住居スペースに続く階段を登り、寝室のベッドへ辿り着く前にリビングのソファに埋もれた。 

 これから昼過ぎまで睡眠を貪るのだ。

 起きたら掃除をして、フロガが干した洗濯物を取り込もう。

 しかし、店が忙しくなると偶に呼ばれることがある。

 今日はそういう日だった。


「天狐ー! ちょっと手伝って!」


 フロガの声で目を覚ます。

 渋々身体を起こして、ウエトレス用の服に着替え、耳と尻尾を仕舞い、階段を降りた。

 店は満席、厨房ではフロガがフライパンをあおり、シンクには洗い物が溜まっている。

 どうやら、今日は随分忙しいようだ。


「何からすればいいんだ」

「とりあえず、洗い物たのむ。 料理が出来上がったら声掛けるから運んでくれ」

「わかった」


 こうして素直に言うことを聞くのは、別にフロガの為を思ってやっているからではない。

 手伝いをすれば、いつものおやつにオマケがつく。

 それに、忙しそうに働くフロガを見るのも好きだし、こうして一緒に働くのも好きなのだ。

 ならば、毎日一緒に働けば良いのだろうが、天狐はフロガ以外の人間が嫌いだ。

 だから、呼ばれた時しか手伝わない。


「天狐、これ左端のテーブル席に持っていって」

「ああ」


 手早く洗い物を終わらせた瞬間、フロガから声がかかった。

 出来上がったワンプレートランチを二つ、トレイに乗せて言われた通りに持っていく。

 テーブル席には若い男が二人。

 天狐を見るなり笑みを浮かべて、二人で何やら目配せをした。

 嫌な予感がする。


「おまたせしました。 ワンプレートランチです」

「お姉さんめっちゃ可愛いね! 仕事何時まで? 終わったら俺達と遊ばない?」

「黙れ。 さっさと食え」


 お客様には敬語を使うんだぞ。

 そんな事をフロガが言っていた気がするが、気のせいだったことにする。

 そもそもこんな人間に敬語など使うほうがおかしいのだ。

 まだ何か言おうとしてくる客から目を逸らし、天狐は踵を返してカウンターの中へ戻った。

 すると、厨房からフロガが顔を出す。


「これ、右端のテーブル席に持っていってくれる?」

「……今日のおやつ増やしておけ」

「わかってるよ」


 ハンバーグとカレーがトレーの上に乗せられている。

 渋々それを持ち上げ、右端のテーブル席へ運んだ。

 今度は夫婦と思われる二人組が待っていた。


「おまたせしました。 ハンバーグセットとカレーセットです」

「わあ、美味しそう! ありがとうね」


 先程の男たちとは違って、朗らかな反応をされた。


「ごゆっくりどうぞ」


 こういう人間にはいつも通りの定型文で接客をする。

 それが天狐の中では一番良い対応なのだ。


 そのあとも、何度か同じやりとりを繰り返し、ようやく一段落ついた。

 店内の客はまばらになり、手の空いたフロガが厨房から戻ってくる。


「ありがとう、天狐。 ちょっと早いけど、おやつ食べる?」


 まだ営業中ではあるが、昼を過ぎると客は殆ど来なくなる。

 カウンターの隅に座ると、フロガがすぐに紅茶とおやつを目の前に置いてくれた。

 

「今日はマフィンとクッキーだよ」 

  

 バターの香りがふんわりと漂うマフィンと、大好物のクッキーに天狐は思わず口角を吊り上げた。

 フロガは色々な物を作ってくれるが、その中でもクッキーが一番好きだ。

 ナッツやドライフルーツが入ったクッキーであったり、チョコレートとバニラのボックスクッキーだったり、たまに変わり種でベーコンペッパーやスパイスが効いた、塩味のクッキーなんかも出してくれる。

 今日のクッキーは、どうやらアーモンドが入っているらしく、香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。

 サクッと一齧りすると、ホロホロとした食感と優しい甘さが口に広がった。

 

「美味い」

「それは良かった」


 満足げな天狐の顔を見て、フロガは嬉しそうに微笑む。

 天狐は、店で見るこの笑顔も嫌いじゃない。

 いつもの顔とは微妙に違う、客へ向ける人当たりの良い顔を引き摺った柔らかい笑み。

 本人は気付いていないが、普段天狐へ向ける顔と他の者に向ける顔は微妙に違うのだ。

 しかしそんな事を口に出すつもりはない。

 接客をするフロガを眺めながら、天狐は紅茶とおやつをゆっくりと味わった。

  

「さて、そろそろ閉めようか。 看板ひっくり返して来て」

「ああ」


 最後の客が去ってから、フロガがエプロンを外して窓のカーテンを閉める。

 天狐もドアを開けて、小さな木札の「OPEN」を「CLOSE」へとひっくり返したとき、後ろから声がかかった。


「あ、お姉さんいたいた! ねえ、今終わりでしょ?」


 振り返れば、昼間の二人組がいた。

 相変わらずニヤけた面を引っ提げて、天狐の両脇に立つ。


「何の用だ」 

「またまた〜! わかってる癖に。 で、どこか行きたい所ある?」

「あ? ふざけてんのか」

「いいじゃん、夜まで暇っしょ? 俺達、でかい討伐終わったばっかりで金持ってるんだよね。 好きな所連れて行ってあげるよ」


 見せびらかすように、首から下げたシルバーメダルをチラつかせる。

 それは彼等が冒険者であるという証であり、自慢でもあるのだろう。

 傷一つないメダルは、太陽光を反射して動かす度にキラキラと煌めいた。

 

「諄い、失せろ」

「お姉さん口悪いね……まあそういうのを分からせるのも好きだけど」


 馴れ馴れしく肩を組んでくる男の腕を振り払い、睨みつける。

 だが、男は怯まないどころかさらに身体を寄せてきた。

 不快を通り越して殺意すら湧く。

 いっそ殺してしまおうか。

 そんな考えが浮かんだと同時に、男の一人が天狐の腰に手を回し、撫で付けた。

 冒険者の癖に、殺意も感じ取れないようだ。


「ね、行こうぜ。 絶対楽しいから!」

「離せ」

「良いから良いから !ほら、こっちだって」


 ──仕方がない、燃やすか。

 天狐が右手を持ち上げた時だった。


「天狐」


 低い声が響いて、天狐の手が止まる。

 いつの間にかフロガが店の中から出てきて、こちらを眺めていたのだ。

 扉に背中を預け、軽く腕を組んで、相変わらず穏やかな顔をしている。

 その表情はいつも通りなのだが、多分少し怒っている、と天狐は感じた。

 いつから見ていたか知らないが、この男達を燃やそうとした事がバレたのだろう。

 フロガは組んでいた腕を解くと、男達の前までゆっくりと歩いてきた。


「何? ああ、あんた、ここのマスターか」

「はい。 あの、妻が何か粗相をしたのでしょうか」

「……妻?」


 男達の顔色が変わる。

 フロガは一貫して穏やかな態度を崩さないが、その「妻」という一言には有無を言わせないような威圧感が籠められていた。


「何もないのなら、手を離してもらえますか? 危ないですよ」

「……チッ、人妻には興味ねえよ。 行こうぜ」

「飯屋のマスター如きが、冒険者様を脅すなんて酔狂だぜ」


 額に冷や汗を浮かべながら、男たちは早足にその場から去っていった。

 その後姿を眺めていた天狐が腕を上げて、細い指を揺らす。


「追い掛けて燃やすか?」

「やっぱりそういう事考えてたのか! やめろって言ってるだろ。 あの人たち、多分駆け出しの冒険者だよ。 シルバーメダルがまだ綺麗だったし」

「ふん、シルバーランク程度が調子に乗りやがって」

「俺だってシルバー取った時は嬉しかったし、あの人達も浮かれちゃったんじゃない」

「お前は甘いんだよ。 お人好しの馬鹿が」

「天狐が物騒なんだよ」


 苦笑を浮かべながら、フロガが店の中に戻っていく。 それを追い掛けるように天狐が後ろをついて行くと、突然立ち止まったフロガの背中にぶつかった。

 怪訝そうに見上げるが、表情は見えない。


「……まあでも、ちょっとだけ嫌だったかな」

「は?」

「こういうのって良くないと思うけど……あんな風に馴れ馴れしく触って欲しくないっていうか……嫉妬というか……」


 そこまで呟いて、フロガが我にかえった様にハッとした顔をする。

 そして気まずそうに振り返ると、「ごめん、忘れて」と笑って誤魔化した。


 フロガはたまに、天狐に対して独占欲を見せることがある。

 そういう所は嫌いではない。 むしろ、大好きだ。

 

「おい、フロガ」

「なに?」

「やっぱりお前は馬鹿だな」

「なんだよ急に!」


 眉を顰めるフロガに向かって勝ち誇った顔をしてみせる。

 それから狐に姿を変えてフロガの肩に乗り、尻尾で顔を叩いてやると、その尻尾を摑まれた。


「やめろよ、前見えないだろ」 

 

 やめろとは言っているが、決して嫌がっている訳ではない。

 案の定、フロガの両手は天狐の頭と尻尾を撫で、優しく肩から降ろして抱き締めた。

 

「これって俺が嫉妬したから慰めてるの?」

「さあ、どうだろうな」

「素直じゃないな」

「察しろ」

「ああ、わかってるよ」


 クンクンと鼻を鳴らす天狐を撫でながら、階段を登る。

 ドアを開け、リビングのソファに腰掛けて膝の上に天狐を乗せた。

 膝の上で丸くなり、九つの尻尾で身体を包むとフロガが優しく頭を撫でる。

 天狐は、この膝の上も大好きだ。

 大好きなのだが、こうして大きな手で撫でられると気持ち良くて眠くなってしまう。

 それが勿体無く感じた。

 もっと、ずっと一緒に居られればいいのに、と。

 それを口に出せば、きっとフロガはその通りにしてくれるだろう。 

 だが、天狐は決して口には出さない。

 

「明日の休みは二人でどこかに行こうか」


 フロガのそんな声が遠くで聞こえた気がするが、それに返事をしたかどうかは覚えていない。

 天狐の意識は、深い眠りの中へと落ちていった。


 起きた頃には、もうフロガはいなかった。

 下の階は昼と同じように騒がしいが、夜は手伝いに呼ばれることはない。

 フロガ曰く、客層が悪くなるから、天狐を店に立たせたくないのだという。

 顔だけは良い天狐が酔っ払った客に絡まれて喧嘩になるのが安易に想像できたのだろう。

 

 テーブルに並べられた夕飯を眺めながら、天狐は大きな欠伸をして、椅子に座った。

 もう少し早く起きていれば、フロガと一緒に食べることができたのに。

 そんなことを考えてしまう自分を嘲るように鼻で笑うと、並べられたカトラリーを手に取った。


(一緒に食事がしたかったなんて、言えるわけがない)

 

 それだけじゃない。

 声も、瞳も、仕草も、温もりも、全てが好きだなどと、絶対に言わない。

 言えば、もっと好きになるからだ。


 もっと好きになれば、独りになったときに耐えられなくなる。

 だから、天狐はフロガへの好意は口にしない。


「ごちそうさまでした。今日も美味しかった」

 

 明日は定休日だ。

 どこかへ行こうとフロガは言っていたが、どこに行くかまでは聞いていなかった。

 何にせよ、明日はずっと一緒にいられる。

 天狐は小さく息を吐いて、空になった食器を片付けた。



 

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