フロガと天狐
前回に引き続き過去の話です。
家を出てから二年。
15歳だったフロガは17歳となり、シルバーランクの冒険者として各地を放浪していた。
討伐、採取、護衛、それ以外もなんでもやってきたし、無茶も繰り返している。
いつ死んでも良いと思って生きてきた。
しかし、未だ死ぬことはない。
欲しいものはなく、金や女は勿論、何にも興味が湧かず、ただ淡々と毎日を過ごしていた。
一箇所に長居はせず、それでも困っているヒトがいれば全力で助け、深く干渉しないようにしてまた別の場所へと旅立つ。
定住しなくても良い冒険者という職業は、フロガにとって都合の良いものであった。
今日もぼんやりと、冒険者の依頼掲示板を眺める。
が、運悪く数が少なく難易度も高い。
臨時パーティの募集もなく、求められているのはゴールドランク以上ばかりだ。
その中で、フロガがなんとか受けられそうな依頼は、近隣の村から出ている討伐依頼だった。
内容は、家畜が軍隊ネズミに襲われているので討伐してほしいというものだ。
これなら、シルバーランクのフロガでもなんとかなる。
早速ギルドで申請し、村へと向かう。
街から随分離れている村だったので、歩いて半日ほど経ってからようやく村が見えてきた。
「ヘオース村……結構栄えてるな」
村の名前はヘオースというらしい。
宿屋も食堂も飲み屋もある、滞在するには文句のない立派な村だ。
村長の家を訪ねると、優しげな婦人が出てきた。
歳は五十半ばだろうか。 赤毛に茶色い瞳のおっとりとしたヒトだ。
「討伐の件ですね。 遠いところまでありがとうございます」
「いえ、よろしくお願いします。 早速ですが、どのあたりに軍隊ネズミが出るのか現場を見ても良いですか?」
「ええ、ご案内します」
婦人の案内で村の畑へと向かう。
確かに酷い荒れようだ。
食い散らかす、の限度を超えて畑には何も無い。
家畜小屋も同じように被害にあっている、というので見に行ったがこちらも牛が一頭と鶏が三羽残っているだけだ。
一通り見て回ったあとは、村の案内をしてくれたのだが、一つだけ妙な点があった。
「村のはずれに森林があるのですが、そこには近寄らないようにしてください」
「え? なぜです?」
「森の中はとても危険なのだと、村代々の言い伝えなんです」
今までおっとりと話していた村長が、暗い顔でそう言った。
こういうときは、深入りするとろくなことが無い。
フロガは「わかりました」とだけ答え、紹介された宿へ向かった。
「……軍隊ネズミにしては被害が大きいな」
部屋のベッドに腰掛け、フロガは少し考えた。
軍隊ネズミの被害はこれまで何度も見てきたが、食い散らかす程度で畑や家畜を一掃するなんてことはなかった。
となれば、かなりの数なのかもしれない。
それがどの程度なのか、もし手に負えない数だった場合はギルドへ報告が必要だ。
「ちょっと聞いてみるか」
宿の外へ出て、村の様子をもう一度見てまわる。
ちょうど、宿屋の外で掃除をしていた店主に声をかけると、彼はこう言った。
「軍隊ネズミね……そう、昨日も見たんだよ。 村を一気に駆け抜けて行ってさ、初めて見たけど、結構でかいんだね」
「駆け抜ける? 襲われたり、何かを取ったりとかはしなかったんですか?」
「あ、ああ。 俺が見てたから何もしなかったのかな」
ネズミといえど、魔獣だ。
そんなことあるのだろうか。
考えていると、宿屋の店主がじっとフロガを見つめていることに気づいた。
「あ、すみません。 何か?」
「いえ……その、冒険者様はドラゴンを狩ったことはありますか?」
「あー……ボルカノドラコでしたら、前に臨時パーティで連れて行ってもらったことがあります」
そういうと、店主が目をキラキラと輝かせる。
どれくらいの大きさだったか、どんな鳴き声だったか、どうやって倒したのか、食べたことはあるのか、そんな話をせがまれて、フロガは覚えている限りの話をしてみせた。
「へえ! すごいなあ……あ、すみません。 足止めしてしまって」
「いえ、大丈夫ですよ」
「そうだ、食堂と共同調理場に行ってみてください。 確か軍隊ネズミにゴミを漁られたって言ってました」
「わかりました。 ありがとうございます」
フロガは宿屋の主人に礼を言い、今度は食堂へと向かった。
「おととい、うちのゴミ箱漁ってたんだよ! 汚いったらありゃしない……」
「それは大変でしたね」
「ホントだよ! あ、そうだ。 うちの飯食っていきな! お代は良いからさ、軍隊ネズミ頼んだよ!」
食堂の女将はサッパリとした気の良いヒトだった。
定食を食べるフロガに軍隊ネズミのことを話してくれたが、今まで討伐してきた軍隊ネズミと特徴は変わらない。
群れも5匹程度だと言っていた。
「うーん……特に変な所はないな」
村のベンチで考え込む。
5匹程度の軍隊ネズミなら、畑はもちろん牛を何頭も食べるなんてことはない。
それに、軍隊ネズミが出始めたのは一昨日の夜から、ということもわかってきた。
たった2日で畑と家畜をほぼ一掃するなどあり得ない話だ。
やはりギルドに報告しようか。
そう思った矢先、フロガはふいに視線を感じた。
顔をあげると、村の子供たちがこちらをじっと見つめている。
「どうしたの?」
声をかけると、子供の一人がおずおずと口を開いた。
「お兄さん冒険者なんでしょ? ねえ、どうやって戦うの?」
「ああ。えーとね、俺は主に片手剣で……あ、こっちにおいでよ。見せてあげる」
どうやら子供たちはフロガに興味があるようだ。
少し話をしていると、いつの間にかたくさんの子供たちに囲まれていた。
話の後は一緒に遊んで、村のことを色々教えてもらい、案内をしてもらった。
「ここはねー、ぼくたちの秘密基地だったんだけど……」
そう言って案内されたのが村はずれ。
秘密基地と言う名のボロ小屋は跡形もなく潰されていた。
これも軍隊ネズミにやられたのだという。
ボロ小屋だったものの先には、森林が広がっている。
ここが、村長の言っていた「入ってはいけない森林」なのだろう。
「この先に魔獣が出たことはある?」
「見たことないよ。村のみんなは絶対に行くなって言ってるし……」
確かに村から少し離れているので、子供だけで来るのは危ない。
フロガは礼を言って、子供たちと村へ戻ることにした。
再び宿屋へ行き、装備を整える。
とりあえず、軍隊ネズミだけでもなんとかして、村のヒト達を安心させてからギルドへ報告しよう。
あの森林から、別の魔獣が出てきて村を荒らしているのかもしれない。
部屋から出ると、ロビーから怒鳴り声が聞こえた。
「お前! あの森林に近づいたのか!?」
「ごめんなさい……」
「もう二度と近付くんじゃないぞ!!」
先程の子供の一人と、宿屋の店主だった。
どうやら、あそこに近付いたことをうっかり話してしまったようだ。
「あの、すみません。 俺が村を案内してほしいって言ったんです」
「あ、いや! 冒険者様であってもあの森林は危険なので、そんなところに案内するんじゃないって言っていたところなんです」
宿屋の店主が申し訳無さそうに頭をかく。
そんなに危険な魔獣が出るのだろうか。
「村長からも言われましたが、そんなに危ないんですか?」
「……私もよく知らないんですがね、立入禁止なんです。 絶対中に入るなって言われて育ちました」
「そうなんですか……ちなみに今まで村で魔獣を見たことは?」
「いえ、今回の軍隊ネズミが初めてです」
そう言って肩を竦めると、宿屋の店主は子供を連れて奥へ引っ込んでしまった。
──今回の騒動、軍隊ネズミではなく森林に何かしらの原因があるのではないだろうか。
軍隊ネズミはこの村へ空腹を満たしに来たのではなく、森林に出る「何か」から逃げてきたのだとしたら……
その「何か」が村の家畜や作物を荒らしているのなら、説明も付く。
「毒蜜熊か……いや、岩猪かな」
一匹程度ならフロガでも倒せる。
しかし複数なら、難しい。
どちらにせよ、森林を調査する必要がある。
フロガは村長の家へ向かい、森林へ入る許可をもらうことにした。
「森林の調査……ですか? 私も危険だと言い聞かされてきました。 あまりお勧めできませんが」
村長は困った顔で頬に手を当てた。
しかし、どう危険なのか、何がいるのか、具体的なことを聞くと村長は表情を曇らせて黙り込んだ。
「依頼の範囲外だということはわかっています。 ですが、出没している軍隊ネズミを駆除しただけでは村の被害は収まらない気がするんです。 教えていただけませんか?」
「……わかりました。 では、一度森林へ行きましょう。 実物を見たほうが説明もしやすいので」
村長が、何かに怯えるように声を顰ませた。
表情を曇らせたまま、共に森林へと向かう。
森林の入口に掛けられているロープを潜り抜け、奥へと入っていく。
妙に静かで、鳥の声も虫の動く音さえ聞こえない森は不気味であった。
そんな中で、村長がぽつぽつと話を始める。
「700年くらい前の事です。 この村は大変に栄えていて今より村人も大勢いて、とても広かったんです」
「それはすごいですね」
「ええ……ですが、それはこの村の村長一家が、他の村を襲って資金や物資を調達していたからなんです」
村のため、というよりは己のために。
金や物資は殆ど村人には渡っておらず、裕福に暮らす村長一家と自給自足の生活をしていた村人たちとの格差は酷いものだったらしい、と村長は語った。
「それでも村人たちは、村長一家が特別な力を持っていて、村に豊作をもたらしてくれていると信じていました」
「実際、特別な力があるからそれに溺れたんでしょう」
「いいえ、違うんです。 彼らには協力者がいたんです」
純粋な、彼らの力ではない。
では、協力者とは何者なのだろう。
「それが、コレです」
いつの間にか、森の開けた場所に出ていた。
村長が怯えるように下を向いて指し示した先には、何かを囲うように生えた、4本の大きな木。
その木にはロープが結ばれていて、四角く中心を囲っていた。
目を凝らして見ると、非常に強力な結界が張られている。
「もっと近くで見ても良いですか?」
「……おすすめしません。 見ただけで呪われるとも言われています」
「じゃあ見てみますね」
多分、これだけ強力な結界なのだから近くに行って覗き込むのは難しいだろう。
恐らく、ロープから先へは進めなくなり、扉に触れることすらできないはずだ。
引き攣った顔をする村長の横を通り過ぎ、結界から離れた場所に生えている木に登って上から覗き込む。
結界はローブが張られた木の間に板状で四角く張られている。
囲われた中心の地面には扉が埋め込まれているが、こちらにも二重に結界が張られているようだ。
木から降り、青い顔で目を逸らしている村長を見た。
「これは一体何なんですか?」
「……中に魔獣がいます。 とても、強力な……」
「その魔獣が、昔の村長たちに力を貸していたんですか」
「そうです。 村長たちに己の魔力を分け与え、虐殺を繰り返していた、とても恐ろしい魔獣だと聞いています」
その魔獣は強力な魔法を使う。
村を焼き払い、ヒトの命をゴミのように扱う、知能が高くて狡猾な恐ろしい魔獣だそうだ。
そんな魔獣と魔獣の力に溺れた村長たちに村を滅ぼされた一人の冒険者が村長一家と魔獣に復讐を果たし、ここに魔獣を封じたのだと言う。
「魔獣は不老不死で、封印するしかなかったそうです。 何かの拍子で封印が解けるといけないので、ここには近寄らないようにと代々語り継がれています」
魔獣を封じ、村長一家を断罪した冒険者は、指導者を失ったこの村が衰えないように支えてくれた英雄として語られている。
村人の中から新たな村長を立て、偏っていた教育を正し、繁栄を見守ってからその冒険者は再び旅立って行ってしまったそうだ。
「フランマ様は、この村の恩人です。 昔のままだったら、きっとこの村は魔獣に支配されていたでしょう」
フロガは耳を疑った。
フランマといえば、エリュプティオ家の初代当主だ。
いや、同姓同名の別人かもしれない。
そう思うことにして、フロガは話を聞き流した。
(これだけ強力な結界なら、まず破られることはない。 そもそも魔獣の気配もしない……軍隊ネズミの原因はここじゃなさそうだな)
ここが軍隊ネズミの原因でなければ、この先かもしれない。
しかし、これ以上この森の中で村長を連れ回すのは無理だろう。
真っ青な顔をして震えている様子はとても気の毒に思えて、フロガは怯えている村長とともに森を出る事にした。
「ありがとうございました。 ところで、この森の先には何があるんですか?」
「確か、岩場が広がっていたと思います」
「岩場ですか……」
岩場といえば、強い魔獣やドラゴンがいることがある。
もしかしたら、軍隊ネズミはそこから逃げてきたのではないだろうか。
フロガは村長を家まで送り届けたあと、「駆除を行うのでなるべく家から出ないように」と、村に言って周った。
日没が近くなってきたころ、ヒトがいなくなった村で軍隊ネズミを探す。
まずは畑。
こちらは作物が何も無いので現れなかった。
次に家畜小屋。
ここにもいない。
共有の調理場や、定食屋のごみ置き場にも現れない。
……ならば、森林の入口はどうだろうか。
駄目元で村のはずれへ向かう。
すると、前方から見慣れた軍隊ネズミの姿が見えた。
「こっちか……!」
剣を構える。
──が、軍隊ネズミはフロガには目もくれず、一直線に村へ向かった。
急いで追いかける。が、村にすら立ち止まらず結局軍隊ネズミは駆け抜けて遠くへ行ってしまった。
それは、何かから逃げているようにも見える。
「……やっぱり岩場か」
様子だけでも見に行ってみて、それからギルドへ報告しよう。
フロガは意を決して、森林の奥へと向かった。
*****
森林は相変わらず静かであった。
薄暗くなってきたからか、余計に不気味に思えてくる。
魔獣が封印されている場所を通り過ぎ、更に奥へ向かうと段々と緑が少なくなり、岩が露出し始めてきた。
足場も悪く、とてもヒトが歩くような場所ではない。
これ以上は危険だろう。
引き返そうと思ったとき、ふと火薬のような臭いが風に乗ってきた。
「……まさか」
岩場で、火薬の臭い。
そんなときは危険なドラゴンがいると、前にパーティを組んだプラチナランクの冒険者が言っていた。
フロガは、なるべく足音を立てないようにして岩場を進んだ。
もし本当にドラゴンがいれば、村が危ない。
姿だけ確認して、すぐに連絡をしよう。
そんなことを考えながら慎重に足を一歩、踏み出した瞬間。
「うわあ!!!」
叫び声が聞こえた。
成人男性の声。 でも、なんとなく聞き覚えがある。
続いて、地響きのような唸り声が響く。
思わず剣に手を掛けると、岩陰から男が飛び出してきた。
「あ!? 冒険者様!! どうしてここに……森林には入ってはいけないと……」
「御主人、あなたこそ何故ここに? そっちに何がいるんですか?」
「えっ、あ、それは……その……」
彼は宿屋の店主だ。
村にいるはずの彼が、何故ここにいるのか。
フロガの問いに店主はモゴモゴと口籠りながらバツが悪そうにしてたが、返答を聞く前に大きな影が見えた。
唸り声の主だ。
「マズイ!! 冒険者様、とりあえず逃げましょう!」
宿屋の主人がヨロヨロと走り出す。
──しかし、足場の悪い岩場は彼の足元を掬った。
石に躓いて転がる店主を起こそうと屈む。
申し訳無さそうにしている店主の手を掴んだ瞬間、フロガの背後で小さな爆発音が響いた。
風船が割れるような、軽い音だ。
「この音は……」
反射的に振り返る。
振り返った先には、40フィートほどの大きな岩……ではなく、ドラゴンがこちらを見据えていた。
灰色のゴツゴツとした岩の鱗、大きな尻尾、そして特徴的なのが首元にある赤と青の鱗だ。
「ドラゴン!? えっと……これは……」
「ツァイトボンベです! 素晴らしいフォルムでしょう? 特に首元にある赤と青の鱗! 惚れ惚れする……」
「何言ってるんですか! 逃げますよ!!」
うっとりとツァイトボンベを見上げている店主を担ぎ、急いでこの場を離れる。
すると、ツァイトボンベが大きな鳴き声を上げた。
尻尾を振り回し、岩のような鱗をまき散らす。
地面に落ちた鱗は、次々と大小の爆発を起こして岩場に穴を開けた。
「俺では無理だ……早くギルドに報告しないと……!」
「報告? どうやって……?」
「店主さん、外套の内ポケットに救援魔具があるので取って貰えますか?ビー玉みたいな形のやつです。 これで報告すればすぐに来てくれるので!」
「……なるほど、わかりました」
担ぐことで両手が塞がってしまっているフロガの代わりに、店主が救援魔具を取り出す。
そして、遠くへ投げ捨てた。
「えっ……えっ!? 何をしてるんですか!?」
「報告なんてされたら困るんです」
「はい?」
「あんなに美味しいドラゴンを討伐なんてさせません。 せっかくあそこまで育てたのに……」
耳を疑った。
この男は何を言っているのだろう。
呟きから推測するに、恐らくあのツァイトボンベはこの店主がどこかから連れてきて育てたものだ。
しかし、きっと何かの拍子で怒らせてしまって、ここまで追いかけてきているのだろう。
それより、「美味しい」というのは聞き間違いだろうか。
「あなた正気ですか? どうしてこんなことを……」
「昔、一度ドラゴンを食べたことがあるんです。 それはもう美味しくて……あの味を忘れられなかったんです! そしたら、通りがかりの冒険者が卵を売ってくれて……あの大きさなら、かなりの量の肉がとれる! 保存魔具にいれれば、20年は保ちますよ!!」
呆れて何も言えなかった。
響く爆発音は段々と近付いてくる。
距離が縮まってきているのだ。
こうして逃げていても、ツァイトボンベは村に辿り着いてしまうだろう。
そうなれば、あの村は終わりだ。
この男は、それがわかっているのだろうか。
「店主さん。 きっとこのまま逃げていても、意味がありません。 村に誘導してしまうだけです」
「でも、逃げ続ければ怒りも収まるかも……それに、あそこまで育てるのは大変だったんです。 軍隊ネズミを養殖して、毎日与えて、村の家畜や作物にまで手を出したてようやく……」
「手負いのあなたと、シルバーランクの俺。 逃げ続けられると思いますか」
店主が黙る。
フロガはようやく岩場を抜けたところで、大きな木の影に店主を降ろし、胸ぐらを掴んだ。
「村にはあなたの家族や友人がいます! 彼等のことを大事に思うなら、このまま走って村まで行って、通信魔具でギルドへ連絡を取ってください」
「そ、それは……」
「あなたを殺そうとしているドラゴンと、あなたを大事に想ってくれている彼等や血の繋がった子供、どちらが大切ですか!」
掴んでいた胸ぐらを離すと、店主がゆっくり立ち上がる。
フロガの問いには答えず、挫いた足を引きずって森林の闇へ消えて行ってしまった。
──彼は村へ戻るだろうか。
もしかしたら、戻らないかもしれない。
フロガは深呼吸をして、剣に手を掛ける。
もし、あの店主が村を見捨ててしまったら……
そんなこと考えたくもないが、そういうヒトは稀にいる。
せめて、村人たちがこの異変に気付いて逃げてくれることを祈るしかない。
その異変に気付かせる時間と、逃げるための時間を作る。
「さあ、こっちに来い」
剣を構える。
ツァイトボンベが、大きな咆哮を上げる。
森林の木々がざわめき、夜闇に咆哮が響いた。
そうだ、もっと叫んで鱗を撒き散らし、爆発させろ。
その音が村まで響けば、きっと彼らは異変を感じて逃げてくれるはずだ。
そう願って、フロガは剣を強く握った。
40フィートの巨体と、頑丈な岩の鱗を相手にするにはとても心持たない武器。
鱗も砕けない、衝撃すら緩和することが出来ない剣ではこのドラゴンに傷ひとつ負わせることはできないだろう。
だから、挑発をしつつ森林の中を逃げ回った。
ツァイトボンベが木を薙ぎ倒し、爆発させながら追ってくる。
木や石の破片が体や顔に刺さり、小さな傷が増えて体力が削られていくのを、フロガはじわじわと感じていた。
あまり長くは持たないかもしれない。
そう思った時。
「……あ、ここは」
森林の開けた場所に出た。
見覚えのあるここは、恐ろしい魔獣が封印された結界がある。
──あの頑丈な結界なら、ツァイトボンベの攻撃も防げるのではないだろうか。
魔力が殆ど無いフロガが目を凝らしてうっすらと見える結界は、板状に貼られていた。
その裏側へ行けば、うまく攻撃を弾いてくれるかもしれない。
「……やってみるか」
ツァイトボンベの怒号と爆発音が迫ってくる。
それを背に、結界のある場所へと走った。
ロープの張られた木に回り込み、ツァイトボンベが来るのを待つ。
ここで少し時間を稼ごう。
そう思って、フロガは無意識に疲れた体を木に預けた。
「あれ?」
違和感を覚える。
確か、この木にはロープに沿って結界が張られていて、その先へは侵入できないはずだ。
それなのに今、体を預けて姿勢を崩した瞬間、足の先が結界の中へ入ってしまっているのだ。
──まさか、この結界は見た目だけで作用してないのでは。
そうすると、扉の先に魔獣が封印されているという話もきな臭くなってきた。
試しに、扉へ手を伸ばす。
簡単に触れた。
今度は扉の取手を持って引いてみる。
簡単に開いてしまった。
「嘘だろ……」
呆気にとられる。
しかし、ゆっくりもしていられなかった。
ツァイトボンベの叫び声が、いつの間にか目の前までせまっていたのだ。
声に気付いて顔をあげると、もう10フィート程しか距離が無く、フロガを見つけたツァイトボンベが尻尾を振り始めている。
結界が機能していないのであれば、今攻撃を受ければ簡単に死んでしまう。
「今はまだ駄目だ……!」
時間を充分に稼げていない。
このまま自分が死ねば、村の人達が危ない。
フロガは咄嗟に開いた扉の中へ身を滑り込ませ、扉を閉めた。
頭上ではフロガを見失ったツァイトボンベの雄叫びと爆発音が聞こえる。
恐らく真上で爆発しているのだろうが、扉は振動すらしない。
どうやら、随分頑丈らしい。
しばらくはフロガを探してこの場所をウロウロしてくれるはずだ。
「……それにしても、なんだここ」
落ち着いて目の前をよく見てみれば、下へ続く階段が伸びている。
ランプもないのにうっすらと明るいのは何かの魔術だろうか。
とても、不思議な場所だ。
思わず、階段を降りてみる。
降りきった先には大きな本棚がたくさん並ぶ部屋に出た。
とても古い本が綺麗な状態で残っている。
手にとって読んでみれば、文字の少ない魔導書が殆どであった。
フロガに価値はわからないが、魔法使いや魔術師であればきっと大喜びするのだろう。
本棚の部屋の先には、まだ部屋があるようだ。
あまりゆっくりはしていられないが、そちらも確認するべきか。
そう思った矢先であった。
「貴様、何故ここにいる?」
奥の部屋から、ヒトが出てきた。
二十歳前後の、痩せた金髪の女だ。
村人かとも思ったが、それにしては様子がおかしい。
ボロ布を一枚だけ羽織っている姿は奴隷にも見える。
薄暗い部屋の中で目を凝らしてみると、女の頭には大きな耳と後ろに九本の太い尻尾が見えた。
ヒトではない。
狐の獣人か、セリアンだろう。
「……きみは」
言いかけた瞬間、女がフロガの剣を抜き取った。
反応する間もなく、剣先がフロガの首に当たる。
「また私を利用するつもりか? 昔のようにはいかない」
フロガは困惑した。
この女は何か勘違いをしている可能性がある。
とりあえず、落ち着いて話をするためにもフロガはそっと両手を上げてみせた。
「きみが何を言っているのかわからないな。 勝手に入って悪かったよ。 すぐに出て行く」
女は剣を下げない。
琥珀色の瞳が、まるで猛獣のようにフロガを睨みつけている。
「……なあ、剣を返してくれないか。 早く戻ってドラゴンと戦わないと村が危ないんだ」
女の瞳が、ゆっくりとフロガを眺める。
傷だらけになっている顔と体に気付いたのか、女はやや眉を顰めてからフロガを再び睨み上げた。
おそらく、フロガの言葉を疑っているのだろう。
「そんな状態でドラゴンを倒すのか」
「倒すのは無理かな。 でも、惹きつけている間に村のヒト達は逃げられると思うんだ」
「お前が死んだらどうする」
「あの人たちが助かるならそれで良い」
女は少し驚いたように目を丸くした。
しかし剣を下げる様子は無く、再び女からの質問が始まる。
「その村っていうのは、お前の村か? 命を投げ打ってでも助けたいのは、家族だからか」
「いや、違う。村の人達に会ったのもついさっきだけど……でも、みんな親切で良いヒトたちばかりなんだ」
「……それだけか?」
「それで充分だよ」
その一言を聞いて、女はゆっくりと剣を降ろした。
(こいつ、かなりの大馬鹿者だ……使える。 このやっかいな封印も、こいつを利用すればうまく解放できるかもしれない)
後先考えない、お人好しの馬鹿な男。
そして、700年間一度もヒトが入ってこれなかったこの場所に、唯一入ってこられた人物。
使わない手はない。
女の考えていることなど露知らず、フロガはようやく剣を下げた女の様子にほっとため息を吐いた。
「お前、名前は」
「フロガ」
「フロガ、お前の覚悟に感動した。力を貸してやる」
「感動……力?」
感動しているようには見えないが、力を貸すと言われてフロガは少しだけ耳を傾けることにした。
どんな力で自分に何が起きようとも、あの村を救えるのなら何でもしたいのだ。
女が左手を差し出す。
握手……ではなく、手の甲が見えるように差し出された手をよく見てみれば、薬指に銀の指輪がはめられている。
指輪には紫紺色の小さな石がついており、うっすらと魔法の気配も感じられた。
「私の力を解放すると言え。そうすれば、この指輪が封印している私の魔力が解放されるはずだ。お前の代わりにドラゴンを倒してやる」
「……でも、お前は危険だからここに封印されたんだろ」
「違う。私は元々はこの村のために魔力を使っていた。本当だ、私は何もしていない」
フロガは少し考える。
その様子を見て、女は更に畳み掛けた。
「おいフロガ。村を救いたいんだろ? 村人が逃げ切る前にお前が死んだらどうする? 早くしろ。一言いうだけで、力が手に入る」
力が手に入る。
その言葉を聞いて、フロガは思わず笑ってしまった。
──こんな簡単に強力な魔獣が手に入るのなら、その対価が何であろうとも迷うなんて馬鹿げている。
乾いた笑いを出すフロガに、女は怪訝そうな顔をして首を傾げた。
「わかった。 お前をここから解放する。 力を貸してくれ」
そう言われた瞬間、女は体の奥から何かが湧き上がってくるような感覚を覚えた。
約700年ぶりの、魔力の感触だ。
止まっていた時間がようやく動き出したような気がして、女は口の端を吊り上げた。
やはり、馬鹿は使える。と。
「上出来だ。 さっさと行くぞ」
「ああ、ちょっと待って」
階段へ向かう女を呼び止める。
それからフロガは自分の外套を脱いで、女に着せた。
「それだと、きっと寒いと思う」
「……? そうか」
女は不思議そうに眉を動かしてから、再び階段へ向かった。
扉を開け、外へ出る。
夜の冷たい風が、女の長い髪を靡かせた。
「そのドラゴンってのはどこにいるんだ」
その問いに答える必要もなく、ツァイトボンベの雄叫びと爆発音が響く。
音の方へ顔を向ければ、巨体を確認できた。
フロガの予想通り、近くで徘徊していたようだ。
「一瞬で終わらせてやる」
「……なあ、提案があるんだけど」
「あ? 手短にしろ」
「あのドラゴン、倒さずに気絶させることはできる?」
「は? ぶけてんのか」
女が苛立ちを隠さずに顔を顰めた。
そんな女の横を、フロガは通り過ぎてドラゴンを眺める。
「あのドラゴンはさ、ここへ勝手に連れてこられて、ずっとそこの狭い岩場で育てられてきたんだ」
「……で?」
「それで、怒らせてしまって手に負えないから始末しようだなんて、ムシの良い話だと思わないか?」
「暴れてんだから殺すのは当然だろ」
「そうかもしれないけど、保護できるのなら保護してあげたいじゃないか。 冒険者ギルドのヒトたちなら転移魔法でヒトのいない場所まで移動させる事ができると思うんだ」
深い溜め息のあと、小さな舌打ちが女から漏れた。
腕を組み、少し考えたあと、女は再びツァイトボンベの方へ向かっていく。
フロガはその後ろを追いかけた。
「フロガ、お前と会って大して時間は経っていないが、ひとつ確信したことがある」
「なに?」
「お前は尋常じゃないレベルの馬鹿だな」
「あはは、そうかもね」
女が、ツァイトボンベに向かって大きく手を振りかざす。
同時に、淡いオレンジの炎が巨躯を包み込み、空高く燃え上がった。
やがてすぐに炎が消えると、ツァイトボンベはその場で倒れる。
尻尾や地面に落ちた爆弾は黒く変色しており、機能していないのがわかった。
「……殺したのか?」
「私がそんな無能に見えるか? 早くギルドとやらの者を呼べ」
「じゃあ、一度村へ戻ろう」
女を連れて、村へと向かう。
しかし、村へ着く前にギルドの職員が数人向かって来たのを見て、フロガは安堵した。
きっと宿屋の主が店主が呼んでくれたのだ。
状況の説明を終え、ギルドの職員達に同行していた魔法使いが転移魔法でツァイトボンベを移動させているのを確認してからフロガは村へと戻ることにした。
「フロガ様、今回は本当にありがとうございました。 まさか、彼がドラゴンを育てていたなんて……」
村長が顔を青くしてフロガを迎えた。
「いえ、俺は大したことはしてません。……顔色が良くないみたいですね。 まだ夜も明けていませんし、少し横になられては」
「はい……すみません」
村長があまりにも悲壮感を漂わせていたので、早めに話を打ち切って休むことを勧めた。
フロガも外で待っていた女を連れて宿屋へ戻る。
「どこへ行くんだ」
「宿屋だよ。 とりあえず朝まで休もう」
宿屋へ着くと、店主とその妻が出迎えた。
店主は申し訳無さそうな顔をして、両頬には殴られたあとがある。
察するに、妻か両親にでも殴られたのだろう。
「フロガ様……大変ご迷惑をおかけしてしまって、申し訳ございませんでした……」
「いえ、連絡してくれて助かりました。 ツァイトボンベは、ギルドの方に別の場所へ移転してもらったので安心してください」
もし、女と会わなくて、ギルドへ連絡もされていなかったら、フロガも村も助からなかった。
店主が憧れていたドラゴンより、村を助けることを選んでくれたことに、フロガは胸を撫で下ろしたのだ。
別の場所へ転移したと聞いて、店主は泣き崩れてしまった。
安心なのか後悔なのか、それとも両方か。
どちらかはわからない。
ただ、やっぱり食べてみたかったのかもしれない。
「あの、それで……一人増えてしまったので布団を一組貰えますか」
「そちら様は……」
「えーと……たまたま昔のパーティメンバーが通りがかりまして、手伝ってもらったんです」
見え見えの嘘だったが、店主もその妻も快く布団を部屋まで運んでくれた。
傷だらけの体をようやく休めることができる。
フロガは布団の上へ腰を降ろすと、そのまま横になった。
「ベッドは使っていいから。 おやすみ……明日はお前の装備を買いに行こう」
言ってからすぐに、フロガは小さな寝息を立て始めた。
それを確認して、女がそっとベッドから降りる。
「お前は用済みだ。 馬鹿な奴め」
指先から、小さな炎を出す。
あの場所から出て、魔力も解放されたとなれば、もうフロガと一緒にいる必要はない。
燃やして殺すつもりだった。
……が、指先から上がった炎が消えてしまった。
同時に腹が空腹を訴える。
「……しまった、さっきので使い尽くしたか」
空腹という感覚が久しぶりで、女は腹を擦った。
なんせ、あの場所では空腹なんてものは一切感じなかったのだ。
あるのは重い眠気と、倦怠感、魔力への渇望だけだった。
ちら、と目の端にフロガの持ち物が見えた。
リュック型の魔具だ。
フロガが眠っているのを確認して、中身を漁る。
ちょっとした調理器具やナイフ、ランプ、衣服。
そして、携帯食。
ブロック型のそれを早速口へ放り込み、咀嚼した。
味はチーズのような不思議な風味、食感はザクザクホロホロとしていて、口の中の水分が持っていかれる。
特別美味いものでもなく、食べられない程不味いものでもない。
二つあったそれを平らげ、女は外へ出た。
腹は膨れていないが、程々に魔力を回復できたはずだ。
「どうせなら、この村ごと燃やしてやる」
丸ごと燃やしやすい場所を探して村を歩く。
すると、良さそうな高台を見つけた。
石で作られた階段を登り、村を一望できる広い場所に出てから、女は村を見下ろす。
それから手を振り上げた。
このまま振り下ろせば、炎の魔法が村を包むだろう。
──が、女はそこで手を止めた。
「綺麗な場所だなぁ。 朝日が良く見える」
動きを止めた女の後ろに、フロガが現れた。
声に驚いた女が振り返り、慌てて魔法を出そうとする。
しかし、フロガがその手を掴むと、炎の魔法が消えた。
「な……!?」
「やっぱり……お前の魔力は俺が制御できるみたいだな。 その指輪のおかげかな」
「馬鹿な……! 私は、解放されたはずでは……」
「俺はお前をあの場所から解放する、と言っただけだ。 お前自体を自由にした訳じゃない」
女の鋭い眼孔がフロガを睨む。
その猛獣のような眼孔は、今にも誰かを殺してしまいそうであった。
フロガがそれをじっと睨み返す。
「黙れ。 この指輪外せ」
「悪いけど、それはできない。 お前のような奴を自由にすれば、誰彼構わず殺すだろ。 現に今、村を燃やそうとしていた」
「私が何をしようとお前には関係ない」
「いや。 俺はもう、誰も死なせたくないんだ。 だからお前を今すぐ自由にすることはできない」
紫紺色の瞳が、朝日に照らされる。
美しく輝いているはずなのに、深い影が刻まれた瞳はとても暗く見えた。
「……お前の言いなりにはならない」
「お前を捻じ伏せようとは思わないよ。 俺の旅に同行するだけでいい。 だけど、もし誰かを傷付けるっていうなら、俺がお前を止める」
「はっ、ドラゴンも倒せないお前が、この私を? そんなこと……」
言いかけた女の腹が、再び空腹を訴える。
それに気付いたフロガは、思わず笑ってしまった。
「お腹空いたね。 早いけど朝食にしようか」
「朝食……?」
「朝市やってるみたいだし、共有の調理場もあったから何か作るよ。 ……お前の名前をまだ聞いてなかったな」
フロガを睨んでいた女が、目を逸らす。
やや沈黙があってから、女が小さく口を開いた。
「……天狐」
「天狐。 わかった、よろしくな」
フロガから目を逸らしたまま、天狐は再び村を眺めた。
星のまどろみを呑み込んだ薄明りは、燻銀の雲を照らし、村の家々に落ちた霜が反射してキラキラと輝いている。
濃い橙色は村を包み込み、強い明かりと濃い影を作る様は炎に包まれているようだ。
それは、ずっと地下にいた天狐にとって、初めて見る風景だった。
「どうした? 行くぞ」
「……ああ」
フロガの声で、天狐は風景から目を逸らした。
代わりにフロガのとぼけた顔を見上げると、とぼけた顔のままにこりと笑った。
「ああ、そうだ。 言い忘れてたことがある」
「なんだ」
「助けてくれて、ありがとう」
天狐が足を止める。
驚いたような顔をして、じっとフロガを見つめていた。
「……ありがとう、だと?」
「……? ああ。 天狐の魔法が無かったら、この村はきっと無くなっていた。 天狐が、この村を救ってくれたんだ」
言われたことのない言葉だった。
だけど、意味はわかった。
まだ驚いた顔をしている天狐の手を取り、フロガが村の方を指差す。
「ほら、お腹空いたんだろ。 早く行こう」
きゅう、とまた腹が鳴った。
天狐は、取られた手を不思議そうに眺めながら、フロガの後ろをついて行く。
今までとは、少し違う気がする。
そんな風に思ったのは、きっと天狐だけでは無かっただろう。




