ベリィのタルト
ベリィのタルトとガトーショコラ、それから紅茶と珈琲がテーブルの上に並べられる。
キラキラと宝石のように煌めくベリィを、天狐は琥珀色の瞳を輝かせて眺めていた。
「うわぁ、美味しそうだなあ」
向かいの席に座るフロガが声を上げる。
フォークを手に取り、しっとりとしたガトーショコラを一口入れれば、にっこりと笑顔を浮かべた。
天狐もそれに続いて、ベリィのタルトを一口頬張る。
甘酸っぱいベリィ、カスタード、しっとりとしたタルト生地が口の中で混ざれば得も言われぬ幸福感が沸いてきた。
満面の笑みを浮かべた天狐に、フロガが微笑み返す。
今日は休暇を取って三日目。 カフェもこれで三店目だ。
一日目はクレープ、二日目はワッフル、そして三日目は少し贅沢に、いつもより値段設定の高いカフェを選んだのだが、どうやら大正解だったらしい。
「それにしても、よくこんな贅沢をする余裕があるな」
「実はこっそり貯め込んでるんだよ」
冗談っぽくフロガは言うが、恐らく本当に貯め込んでいるのだろう。
天狐はそれにかぶりを振った。
「金の話じゃない。 店の事だ」
「ジャレットさんのこと? 大丈夫だと思うよ。 大分慣れてきてたし」
「何言ってんだ。 もしこの一週間を無事に乗り切ってたらどうするつもりだって話だよ」
見据える天狐の瞳に、フロガは首を傾げてみせる。
質問の意味がわからない、とでも言いたそうにしていたが、やがて納得したように頷いた。
「そうだなぁ、また何処かへ旅に出るのもいいかもしれないな」
呑気に珈琲を飲むフロガを、天狐は鼻で笑った。 もう呆れてしまってそうするしかないのだ。
危機感がないのか、それとも本当にどうでもいいのか、この男はたまに何を考えているのかわからなくなる。
「馬鹿だな、お前は」
そう言ってやると、フロガが珈琲を静かに置き、天狐をじっと見つめて微笑んだ。
「俺はお前がいてくれれば、それで良いんだよ」
一瞬息を呑みそうになるほどの真っ直ぐな視線と言葉だった。
嬉しくて、つい尻尾を揺らしそうになってしまったのを天狐はぐっと堪える。
「本当に馬鹿なやつだな」
これは照れ隠しでもなんでもない、本心だ。
天狐はもう700年は生きた。もしかしたらそれ以上かもしれないが、眠っていた期間の方が長いから一々数えてはいない。
何にせよ、人間であるフロガよりもこの先ずっと長く生きるのだから先に天狐が居なくなることなどありえないのだ。
「今、俺が先に死ぬって思っただろ」
考えを見抜いたのか、当てずっぽうか、フロガが目を細める。
その視線から逃れるように、天狐は目を逸らした。
「さあなぁ」
「お前が「さあな」っていう時は大体当たってるって事だよな」
「どうだろうな」
「それも、お前が何かはぐらかす時の口癖だ」
「……知るか」
「俺とお前、何年一緒にいると思ってるんだよ」
たかだか十数年程度だ。
言いかけて、天狐は口を閉じた。
今まで誰かとこんな風にゆっくりと過ごしたことがあっただろうか。
ここまで自分を理解して、寄り添う者など居ただろうか。
──そんな者はいなかった。
「お前と初めて会った頃は、今より背も低くて生意気でもっと馬鹿だったなぁ」
「えー……そんなにヒトを馬鹿馬鹿言うなよ。 それに、テーブルマナー教えてやったのは俺だろ」
「ふん。 この程度、猿でもできる」
「こらっ、行儀悪いぞ」
ひらひらとフォークを振ってみせる天狐を、フロガが咎める。
それを軽くあしらって、天狐は再びタルトを口に運んだ。
たった今フォークを振っていたようには思えないほど、優雅で美しい所作をフロガに見せつける。
思わず呼吸を止めるほどであったが、顔を上げた天狐の狡猾な笑みのおかげで、フロガは大きく息を吐いた。
「どうだ、指先一つまで完璧だろう」
「……ああ、そうだな。 黙っていれば完璧だ」
まるでどこかの貴族の御令嬢だ。
……御令嬢はこんな風に笑わないが。
とにかく、ほんの一瞬でも心を奪われてしまったのが悔しいと、フロガは思った。
結局、話をはぐらかされて暗くなりそうな話題は終わり。
どちらが先に死ぬかなんて、考えても仕方のないことだというのは、フロガもわかっているつもりだった。
だから、話を蒸し返すような事はしない。
「明日はどうするんだ?」
天狐が訊ねると、フロガは「うーん」と唸った。
休みはまだ四日もある。
カフェには三日連続で通ったし、天狐と自分の新しい服も買った。
神都に来てからは忙しくしていたし、観光も良いだろう。
しかし、ふと別の考えが浮かんだ。
「明日は宿でゆっくりしよう。 最近そんな事できなかっただろ」
昼まで睡眠を貪って、遅い朝食をとり、またゴロゴロする。
これは連休ではないと出来ない事だ。
その提案に、天狐が頷く。
「お前にしては良案だ」
「そうだろ」
カフェの帰りに美味しそうな焼き菓子と、紅茶を買う。それから少し神都を見て回って、夜には軽食をとり、宿へ戻った。
決して広くはない部屋と、申し訳程度のシャワールーム。
古いベッドの脇には、これまた古いサイドテーブルとランプが置いてある。
安宿なんてこんなものだ。
旅をしていた頃は野宿は当たり前だったし、シャワールームまで付いているこの宿は一泊3000クルタと良心的である。
軽くシャワーを済ませ、古いベットを軋ませて、フロガが横になる。
目を閉じて、ゆっくりと呼吸を繰り返しているうちに、天狐が横に座った。
「もう消すぞ」
天狐がランプに手を伸ばす。が、その手はランプまで届かず、フロガに掬い取られた。
驚くままに引き寄せられ、すっぽりとフロガの腕の中に収められてから、天狐は大きな瞳でフロガを見上げた。
「何してんだ。 明るいと眠れないだろううが」
「こうしてれば、暗くなるだろ」
ぎゅっと抱き締められると、フロガの心音が静かに聞こえてきた。
石鹸の良い香りに混ざるのは、異国の花のような不思議な匂い。 フロガは会った時からずっとこの匂いがする。
心地の良い心音と、不思議な良い香りに包まれる暖かな腕の中で、天狐は身を任せて瞳を閉じた。
「おやすみ、天狐。愛してるよ」
その言葉に、返事はしなかった。




