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天狐 後編


 

 ──あの御伽話はただの作り話にすぎない。


 狐の魔獣が村を救ってくれた所までは本当だ。

 だが、それ以外は全て、当時の村長と側近だった男が作り上げた話である。 


 本当のところは、気まぐれで村を助けた魔獣が去ろうとしたので、欲を抑えきれなかった者たちが狐を捕らえて殺したのだ。 

 そして生贄を捧げる、と称して連れてきた村の若い女と狐を、村が雇った錬金術師が一体化させた。


 成功するかはわからなかったが、身体はうまく融合し、完璧なキメラが出来上がった。

 魔獣の高い魔力はそのままに、錬金術師の作った魔石の効果で身体は不老なうえ、一度殺した程度では死なない。

 ほぼ不死と言っていいだろう。


 全ては狐魔獣の力を独占するために、村長と側近が行った事である。

 しかし、強大な力を手に入れて亀裂が生じたのか、村長は天狐を地下へ幽閉して間もなく暗殺された。


 今、この話を知っているのは、現在の村長であるアンバーの親族のみだ。


 アンバー自身、話を聞かされた時は信じてはいなかった。

 しかしいざ地下室へ連れて行かれると、狐耳と九つの尻尾を生やした女がいるではないか。

 そして御伽話通りの彼女は十年経っても、二十年経っても、若く美しいままであった。


 魔法を使えるのは、アンバーと神殿を固める親戚たちだけだ。

 もちろん、この魔力を独占し、村を支配するためである。

 おかげで、村人達は神殿の者たちが神に祈れば豊作になると信じている。

 炎は他の村との抗争で役に立つ。

 何せ、神殿の者が数人で炎の魔法を放てば、村は一瞬で消し炭になるのだから。

 こんな便利な魔法を、彼らが安々と広めるわけがなかった。


 


「天狐、君が先祖に教えてくれた魔法は素晴らしい物だが……魔力の消耗が激しい」


 そう言って、アンバーが首から下げているペンダントを天狐に渡す。

 それ以外にも、ポケットからいくつもの同じデザインのペンダントを取り出して、床に放り投げた。

 金のチェーンに連なる大きな赤い石は、くすんだ色をしていて今にも崩れそうである。

 この大きな赤い石は、彼等が魔力の源としている物だ。


「こんなに沢山魔力をこめるのは無理です……」

「また私に逆らうのかね」

「だって……お腹もすいてるし……」

 

 言いかけてから、天狐は言葉を止めた。

 見上げた先に、手を振り上げているアンバーがいたからだ。

 

「ご、ごめんなさいっ……ちゃんとやります……だから、怒らないで」

「それでいい。 昼には取りに来るからね」


 アンバーの冷たいような、それでいて粘着質な視線が天狐を射抜く。

 その恐怖に耐えきれずに俯いた天狐が、ペンダントを一つずつ拾い上げて、ぎゅっと縮こまった。

 大きな耳を後ろに倒し、九つの尻尾は身体を守るように丸まり、微かに震えている。

 その姿を見て、アンバーは満足そうに笑みを浮かべた。


「天狐、顔を上げなさい」


 言われた通りに顔を上げた天狐の瞳は涙で潤んでいる。

 濡れた琥珀色が、アンバーには一層美しく見えた。


「良い瞳だ。 先代も先々代も、皆お前とその魔力に魅了されて手放さなかった理由がよくわかる」

「……私にはわからない」

「それは残念だ。 私達の愛が伝わらないとは」

「愛……?」


 問い掛けると、天狐の襟元をアンバーが力強く掴んだ。

 反応する間もなく、腕を振るわれて床に叩きつけられる。

 悲鳴をあげ、痛む身体を丸めれば、それを待っていたかのように足踏みされた。


「ああ良い声だ。 そんなお前が愛おしいから、私達を一生忘れないようにこうして傷をつけるんだ。 辛い記憶というものは、優しい記憶よりもずっと残りやすいからな!」

「……お願い、許して……」

「私に指図するのか?」

「指図なんて……そんなこと、してません」

「ほう? 私の言葉が間違っていると言いたいのか」


 何を言っても、この男はまた拳を上げるのだろう。


 だから、天狐は無言で首を振った。

 零れた涙を服とも呼べないボロ布で拭い、美しいと言われた瞳でアンバーを見上げる。


「ああ、天狐。 そんな顔をしないでくれ。 私がこうするのは、最上級の愛情表現なんだよ」

「……はい。 わかっています」

「そうだろう……愛しているよ、天狐」


 その声はまるで、愛しいペットに話しかけるような優しくて甘いものだった。



 

 ──少女が天狐に食事を運ぶようになって、一ヶ月が過ぎた。

 食事の内容は相変わらず粗末なスープと乾いたパンで、気の毒に思った少女は今日はこっそりと自分のおやつをポケットに忍ばせていた。


「天狐ちゃん、今日はいいものがあるの」

「いいもの? なんだろう?」

「じゃーん! クッキーです!」

「くっきー???」


 不思議そうに首を傾げる天狐に、少女はにっこりと笑いかける。

 スープとパンが乗ったプレートに、母が焼いてくれた丸いクッキーを一枚乗せて、天狐に渡した。


「なんだか怖い……」

「怖い? なんで? 甘くて美味しいよ」

「だって……見たことのないご飯には、変な薬とか……よく入れられるから……」

「お母さんが作ってくれたから大丈夫だよ!」 


 眉と耳を下げる天狐を少女はじっと見つめる。

 その視線に負けたのか、天狐は意を決したように、クッキーを一口齧った。

 瞬間、天狐の顔がパッと明るくなる。


「わあ……! 美味しい!」

 

 初めて食べた甘いクッキーはこの世の物とは思えないほど美味しくて、天狐はゆっくりゆっくりと小さなクッキーを少しずつ齧った。

 

「すごく美味しかった。 ねえ、また何かお話をしてくれる?」

「うん、いいよ。 えーとね、そのクッキーはお母さんが焼いてくれて……」

 

 食事を持っていった束の間、少女は天狐に日常の話をする。

 お母さんがこんなことをしていた、お父さんがこんな話をしてくれた、友達と遊んだ、今日の天気、好きな遊びや食べ物……そんな、なんの変哲もない話だ。

 その話を、天狐は目を輝かせながらニコニコと楽しそうに聞いてくれる。

 だから、少女はいつしか天狐に話をするのが楽しみになっていた。

 もっと沢山話をしたい。 そう思うが、ここに長くはいられない。


「楽しかった。ありがとう」

「うん! またね、天狐ちゃん」


 話し終えて帰っていく少女の背中を見送る。

 天狐は少女の話がとても楽しみだった。

 それがただの日常的な話だったとしても、この狭くて暗い地下室しか知らない天狐にとっては、御伽話のように不思議な話に聞こえるのだ。

 柔らかな陽の光、穏やかな風、優しい両親に、楽しい友達、美味しいご飯や甘いお菓子。

 そんな話のような毎日が送れたら……。

 あの甘いクッキーを毎日食べられたのなら、どんなに幸せだろう。

 薄暗い地下室で、天狐は叶うはずのない空想を思い描くのだった。


 

 ──それからまたしばらくの月日が経った頃、村では祭りの準備が始まった。

 毎年、豊作を願って村人達が祈りを捧げるのだ。

 それから皆で食事をし、酒を飲み、歌って踊る……そんな楽しい祭りだ。

 もちろん、少女はその話を天狐に聞かせた。

 

「去年は酔っ払ったお父さんが穴に落ちちゃって大変だったんだよ」

「ふふ、そうなんだ……お祭りってとっても楽しそうだね」


 天狐が力無く笑う。

 最近体調が優れないらしく、少女が地下室へ行くと横になっている事が多くなっていた。

 粗末な食事も残しがちで、細い体は更に細くなり、肌は青白く、表情には覇気がない。  


「天狐ちゃん、大丈夫?」 

「大丈夫、よくあることなの。 ちょっと休めば、すぐに良くなるから……」

 

 天狐はそう言ったが、次の日も、その次の日も、食事を取らず、日に日に顔色が悪くなっていった。

 少女は、どうにかならないかと考えた。

 だが、相談できる相手がいない。

 なんせ、天狐は神殿の関係者以外には秘密の存在なのだ。

 

(どうして天狐ちゃんのことを誰にも話したらいけないんだろう……)


 皆に天狐の存在を教えてあげれば、きっと喜ぶはずだ。

 御伽話と同じように、炎の魔法と豊作の魔法を使って、この村はもっと良くなる。

 天狐も、村のみんなも幸せになれるはずなのに。

 しかし、少女にとって神殿の大人たちが言うことは絶対だ。

 約束を破るなんてことはできない。


(お祭りが始まったら、またこっそり何か持っていこうかな?美味しい物を食べれば、きっと元気になるよね)


 まだ幼い少女が出来ることは、それで精一杯だった。

 

*****



「天狐、あの少女は良い子だろう?」


 少女が地下室を去ってから、アンバーがペンダントを持ってきた。

 いつものように粘着質な視線と、嫌らしい笑みを浮かべて、横になっている天狐の髪を撫でる。


「お前の魔力があるから、あの少女が幸せに暮らせるんだ。 だから、もっとこれに魔力を込めたまえ」


 天狐がゆっくりと頷いた。

 琥珀色の瞳が金色に変わり、魔石のくすんだ赤が鮮やかな色へと変化していく。

 蘇芳色から紅色へ、紅色から深い緋色に。

 一つの魔石が回復しきってから、次の魔石へ魔力を篭める。しかし、二つ目の魔石が紅色になったころ、天狐の瞳の色が琥珀色に戻り、そのまま力無く倒れてしまった。


 「……また明日の朝に来る。 これを食べておきなさい」


 吐き捨てるようにそう言うと、アンバーは黒いパンを天狐へ投げつける。

 顔を動かす気力すら無いのか、天狐はゆっくりとまばたきをして、床に転がるパンを見つめた。 


 

 ──地下室から戻ると、階段の前で部下が待っていた。

 アンバーを見るなり頭を下げる彼に、魔石を渡して大きく溜息をつく。


「一つしか回復できなかったよ。 まったく……」

「二百年も使ってますし、そろそろ限界なんでしょうか」

「そうかもしれん。 不老不死のキメラと聞いてきたが、二百年も経てば魔力も切れるのだろう。 また錬金術師の先生に頼んで、今度はもっと良いモノを作ってもらうか」

「早速お呼びしましょうか? ……あれはガキでも産めれば違う使い方ができたんですけどね」

「鬱憤を晴らす程度には使えるが、最近は少々反抗的になってきたからな。 そろそろ変え時だろう」


 夕暮れの暗い廊下に、二人分の下卑た声が響いた。

 魔石の回復は出来なかったが、明日は祭りだ。

 景気付けに隣村も火の海にしたし、しばらく大きな魔術を使うことはないだろう。

 そう思っていたのだ。



 ──次の日のことである。

 いつもより早く起きた少女は、母親と共に祭りの供え物の準備を始めていた。

 畑で採れたばかりの野菜、塩漬けにされた肉や乾物、それに自家製の果実酒。

 それらを沢山用意して、来年はもっと豊作になりますようにと願うのだ。

 それから、最後に皆で食べるご馳走を少女は心待ちにしていた。

 少し取っておいて、天狐に食べてもらおう。

 栄養のある干し肉を食べれば、少しは良くなるだろうか?

 そう思っていた時だった。


「なにかしら、あれ……」

 

 母親が眉を顰めて呟く。

 目線の先にあるそれは音もなく現れた。

 

 ミルクを溢したような、真っ白い霧。

 それは村の入口からゆっくりと全体に広がり、やがて村全体を覆い尽くした。

 最初は朝霧だろうと思っていた村人たちだったが、その異常な濃度とまるで雨の中にいるような湿り気に村人たちはぽつぽつと家の中へ戻って行く。


「おいおい、なんだありゃ」


 少女の父親も戻ってきた。

 服も髪もびっしょりと濡れて、水滴が床を汚している。


「どうなってんだ」

「何かしら……こんなこと今まで無かったわよね?」


 不安そうな両親の声を聞きながら、少女は村の外を見た。

 あの白い霧は何なのか、少女にはわからない。

 しかし、なんだか嫌な予感がするのだ。

 ふつふつと湧き上がる微かな恐怖と、小さな腕に浮き上がる鳥肌。

 不安になって母親の手を握ったその瞬間、外に人影が見えた。


「ねえ、お母さん。誰か……」


 言いかけたが、振り返ったときにはその人影は消えていた。



************




「これは一体何事だ!?」


 白い霧に包まれた村を見て、神殿の者達は驚愕の声を上げた。

 一寸先も見えない程の濃い霧と、じっとりと湿った空気。

 村の中は静まり返り、人の気配が感じられない。


「おい、誰か村を見てこい」


 アンバーが神殿の者達を見回すも、誰もが目を逸らした。

 

「それが……様子を見に行った者が戻ってこないのです」


 怯えた声で一人の男が言った。

 皆、一様に青い顔をしており、中には震えている者もいる。

 そんな様子に、アンバーは大きく舌打ちをした。


「たかが霧に何を怯えている!」

「いやしかし……今までこのようなことは」

「いいから見てくるんだ!」


 アンバーの怒声に怯えた様子の男達が、数名外へ駆け出して行く。

 だが、すぐに彼らの悲鳴が上がった。


「う、うわああああ!!!」


 神殿の中へ戻ろうとしていたアンバー達が足を止め、振り返る。

 しかし、振り返ってみても何が起きているかわからない。


「どうした!何があった!?」


 声を上げると悲鳴はすぐに聞こえなくなった。

 というよりは、誰かに何かで止められた、という方が正しいだろう。

 何かを裂く音のあと、霧の中は再び静かになり、風の音だけが虚しく響いた。

 

「一体……霧の中で何が……」


 誰かが言いかけると、突風が吹いた。

 強い風に煽られて、あっという間に霧が晴れていく。


「……!!!」


 その場にいた全員が言葉を失った。

 目の前には、今程出ていった男たちの無残な姿。

 そしてその傍らには、見たことのない青年と銀髪のエルフ。

 男の一人を人質にとって立っていた。


 

「た、助けて……」


 男が消え入りそうな声で呟く。

 見れば、男の首にはナイフが突き立てられていた。


「き、貴様、何をしている!?」


 アンバーの取り巻きの一人が絞り出すように問う。

 青年は微動だにせず、神殿の者達をゴミでも見るかのように紫紺色の瞳で見据えていた。


「リカルド、見覚えのある顔はいるか?」

「ええ、もちろん。 ここにいる全員です」


 青年の隣で、リカルドと呼ばれた銀髪のエルフが静かに威圧する。

 銀の瞳がゆっくりと全員を見回した。


「な、なんの事かわからんな……」


 咄嗟に嘘をついた。

 実際のところ、焼いた村など沢山ある。

 そのうちのどれかであろうが、村人の顔なんてものは覚えていない。

 

「分からないだと? 白々しいな」


 抑揚のない静かな口調で言ってから、青年は血塗れの刃を男の喉元に当てる。


「うぅ……っ」

「こいつを殺されたくなかったら、質問に答えろ」


 青ざめた顔で、取り巻きの男は何度も首を縦に振った。

 後ろを振り返るが、いつの間にか村長がいなくなっている。


「首謀者は誰だ。どうして俺の村を焼いた」

「私達は違う!……あいつが……」


 声を上げたのはアンバーの一番近くで働いていた側近の男だ。

 何を思いついたのか、皆が次の言葉を待つ。


「あの狐の魔獣に、私たちは操られていたんだ!」


 その手があったか、と言わんばかりに他の者たちが大きく頷く。

 そして彼の言葉に続いた。


「そうです! あの狐が私達を操って、村を焼かせたんです!」

「手練の方、どうか私達をお救いください!」

「……その魔獣はどこにいる? 案内しろ」

「はい! こちらです!」


 側近の男が青年とエルフを案内することになった。



************



「天狐、起きろ」


 アンバーの声だ。

 いつものように揺すり起こされた天狐は目を覚ました。

 眠っていたのだろう。 目の前の景色がぼんやりとしていてよく見えない。

 しかしそんな状態でも、腕を引かれて上体を起こされた。  


「お前のせいで村が大変な事になった。 あの女の子も直に死ぬだろう」

「どういう……こと?」


 ようやく目が冴えて視界がはっきりしてくる。

 いつも嫌らしい笑みを浮かべていたアンバーの顔からは笑みが消え、冷たい表情で天狐を見下ろしていた。


「お前が役立たずなせいで、村は終わりだ」

「そんな……散々私の魔力を使ってきたくせに!」

「使ってやったんだ! 人間でも魔獣でもない化け物が偉そうな口を叩くな!」


 そう怒鳴って、いつものように身体を突き飛ばされた。

 硬い床に身体を打ち付けられ、痛みに耐える。 

 震える身体を起こし、顔を上げれば、いつも閉まっている牢屋の扉が開いていることに気付いた。


「まったく! 父がお前を甘やかしたせいで、私はとんだ尻拭いをさせられている……」


 先程からぶつぶつと恨み言を吐いているアンバーは扉の事に気付いていない。


(ここからでられる……?)


 今なら逃げ出せる。

 そう思うと居ても立ってもいられなくなって、慌てて立ち上がった。


「おい、どこへ行く!?」


 焦るアンバーの声には構わず、天狐はよろよろと走り出した。

 牢屋の外に出れば、魔法が自由に使える。

 この男を燃やすことも、神殿を燃やすこともなんだって出来るのだ。

 数歩走ると、あれほど苦痛だった牢屋から簡単に出ることができた。

 瞬間、アンバーが「しまった」と声を上げる。


「……て、天狐……待つんだ、私の話を聞け」


 追い掛けてきたアンバーの顔が青ざめている。

 当たり前だ。 今なら簡単に焼き殺すことができるのだから。


「お前だけは許さない……」


 怯えるアンバーの顔を見据え、天狐が手元に炎を溜める。

 ……が、炎が思うように出てこない。

 魔力が回復しきっていないからだ。

 アンバーが、薄っすらと唇に笑みを浮かべる。

 瞬間、天狐の右手に強い衝撃が走った。

 見れば氷で出来た矢が刺さっている。

 冷たいはずなのに、痛みのせいで酷い熱さを感じるそれは、抜こうにも抜くことができない。

 矢が飛んできた方へ振り向けば、見たことのない青年が、紫紺色の瞳で鋭く睨んでいた。


「忌々しい魔獣め!! そのヒトから離れろ!!」


 青年が剣を振り上げて走ってくる。

 この青年から見れば、天狐が言うことを聞かないアンバーを虐げているように見えたのだろう。


 そのとき、天狐はあれ程強固に閉じられていた扉が開いていた理由を察した。

 初めから、こうなるようにアンバーが仕組んだ事なのだと。

 

「ちが……私は……!」


 炎の壁を作ろうと、手をかざす。

 しかし炎は出ず、青年の振りかざした剣が天狐の腕を切り落とした。


「う……くっ!!」


 鋭い痛みに襲われて声にならない悲鳴を上げる。

 切り付けられた傷口からは血が溢れ、ぼとぼとと地面に血溜まりができた。

 

「……どう……して……」


 何も悪いことなんてしていない。

 いつも言われた通りに魔力を魔石に籠めて、ずっと従順にしてきた。

 殴られても、嫌なことをされても、ずっと耐えてきたのに。

 

「なんで……? 私は、ただ……」


 言い終わる前に、天狐は首を落とされた。



*****



「リカルド。こいつ、死んだと思うか?」


 青年に問われて、銀髪のエルフは首を振った。


「いいえ、まだ強い魔力を感じます。 きっと直に再生するでしょう」

「人語を喋るようだし、危険だな。 なんとかしないと……」

「この場所を封印しましょう。 それから、万が一ここから出られても暴れることのないように、魔獣自体の力を制御します」


 冷たくなった天狐の左手を、リカルドが持ち上げる。

 両手で包み込み、力を込めたかと思うと、リカルドはすぐに手を降ろした。

 天狐の左手の薬指には、銀色の細い指輪がいつの間にかはめられていた。

 青年の瞳と同じ紫紺色の小さな宝石が美しく輝いている。


「それはなんだ?」

「呪いのようなものです。 この魔獣がもしまた暴れた時、ご主人様が「やめろ」と一言仰るだけで止まるようにしました」

「俺だけ? なら、俺が死んだら誰がこいつを止めるんだよ」

「ご主人様の血を受け継ぐ者なら、誰でも止められますよ。 この場所も、ご主人様とその家族、私以外は誰も入れないようにしましょう」


 銀色の瞳を細めて、リカルドは優しく微笑んだ。

 

 

*****

 


「ここ……どこ……」


 気付けばあの牢獄から出た通路で倒れていた。

 周りには血の跡がたくさん見えるが、誰もいない。

 もしかして、自分が死んだと勘違いして皆いなくなったのだろうか?

 それなら、今度こそ自由の身だ。

 天狐はふらつく身体で、なんとか歩いた。

 薄暗い通路を歩き、大きな本棚が沢山ある部屋を通り過ぎて階段を登る。

 しかし、扉に手をかけるが開かない。

 それなら燃やせば良い。

 そう思って炎を出そうとするが、何故か魔法が使えない。

 手元には、見覚えのない指輪がつけられていた。

 恐らく、誰かが扉とこの指輪に封印魔法をかけたのだ。

 しかも、とてつもなく強力なもの。


「どうして……!? ここから出して!!」


 扉を叩くが、外に音が響いていないようだ。 

 外から何かで押さえつけられているような感覚がある。もしかしたら、この地下ごと埋められているのかもしれない。


「誰か助けて……」


 天狐の言葉が誰かに届くのは、およそ七百年後である。


 

 



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