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 五時。 うっすらと日が昇った早朝に、ドッドウェルは目を覚ます。

 テーブルの上に放置されていた四角くて細長い栄養食を朝食代わりに食らい、適当に支度を済ませて家を出る。

 遠くで奇妙な爆発音が聞こえた。

 いつものことなので気にしない。

 

 商人ギルドへ行き、今日の仕事を紹介してもらう。

 日雇いの仕事は神都内での雑用がメインだ。

 肉体労働から軽作業まで様々であるが、賃金は冒険者よりも安い。

 メリットといえば、命の危険がないことと登録が必要無いので訳アリでも働けるということだ。

 

「今日は午後から馬車の交通整理か」

 

 独り言を呟くと、後ろにいた男が溜め息をもらした。


「ってことは、でかいお屋敷で夜会だな。 良いよなあ、貴族様は毎日楽しくて」

「あんたは毎日楽しくないの?」

「楽しそうに見えるか? 今日生きるのも大変だってのによ」

「ふーん」


 ドッドウェルは首を傾げて、男から離れた。

 あの男のように、毎日が辛いなどと思ったことはないからだ。 

 ハムロ鉱山跡の付近で冒険者達を騙しながら生活していた時よりはマシである。

 ヒトの記憶を覗いては形を変えて驚かせ、荷物の一部……主に食べ物を奪って生きていた。

 冒険者の食べ物といえば、日持ちする物が多いので基本的にはパサパサで美味しくないものばかりだ。


 ──それが今はどうだろう。

 こうして少し働くだけで今日の飯が食べられる。

 安くて美味い店も沢山あるし、娯楽もある。

 なんて充実した日々なのだろう、といつも思うのだ。


 商人ギルドで紹介状を発行してもらい、昼の仕事を終えたあとに集合場所へと向かう。

 予想通り、今夜はとある侯爵家で大きな夜会が開かれるそうで、地方から来た馬車の交通整理を行うと説明をされた。

 貴族街区には入れないので、その手前まで馬車や付き添い者たちへ案内をする。

 貴族街区に入ってからは、信頼の高いゴールドランク以上の冒険者が数人雇われているらしい。

 

 軽く仕事の説明を受けてから、持ち場へと向かう。

 すでに何頭かの馬車が見えたので、変な方向へ向かおうとしている馬車を誘導していく。

 護衛の冒険者や従者と軽い挨拶を交わしたりしているうちに、ふと見知った顔を見つけた。


 琥珀色の瞳に赤味を含んだ金の髪。

 綺麗な顔立ちの割に猛禽のような眼光を持ち合わせた近寄りがたい美女。

 間違うはずがない。 彼女はドッドウェルがよく行く食堂、ヴァルムのマスターの嫁だ。

 隣には知らない顔の男がいる。

 これはどういう状況なのだろう。

 興味本位から、ドッドウェルは彼女に近寄った。


「よお、天狐ちゃん」


 声をかけると天狐が怪訝そうに顔を顰めた。

 いつもこんな感じなので気にせず話を進める。

 

「今日はマスターは一緒じゃないの?」


 言いながら隣の男を見る。

 どこにでもいそうな、全く印象に残らない無難な顔の男だ。

 しかし、ドッドウェルは男を見るなり「あっ」と声をあげた。


「マスター?」

「よくわかりましたね! ドッドウェルさん」


 声も身長も髪や瞳の色も全て変えているが、彼はヴァルムのマスターのフロガである。

 というのも、薄っすらと纏っている魔力が見えたのだ。 これは恐らく姿形を変える魔法だ。

 怪訝そうな顔をしていた天狐も驚いたように目を丸めている。


「匂いでわかるよ。 今日は冒険者の仕事?」

「そうなんです。……俺、そんなに特殊な匂いします?」

「知らない花の匂いみたいな……まあ、特殊っていうか俺は鼻が良いんだよ」


 それに妖魔族だから魔法には敏感だ……とは言わなかった。

 フロガに掛けられているのは高度な魔法だ。 そのへんの魔法使いでもまず気付かないだろう。

 フロガの匂いを知らなければ、ドッドウェルも気付かなかったかもしれない。

 

「あ、だから今日は臨時休業だったんだ」

「はい。 いつも来てくれるのにすみません」

「いいんだよ。 仕事頑張って」

「ありがとうございます。 ドッドウェルさんも無理しないでくださいね」


 なんて優しいのだろう。

 ドッドウェルはその言葉を噛み締めた。

 今夜ヴァルムに行けない事は残念だが、仕方が無い。

 人好きのする笑顔で会釈をしたフロガに手を降って見送り、仕事を再開する。


 今日はどこへ行こうか。

 ヴァルムがやっていないから、他の安い店で腹を満たすか。

 そんな事を考えながら、ドッドウェルは時間が過ぎるのを待った。


 夜十時、仕事を終えて南区へ向かう。

 ヴァルムは臨時休業なので、適当な屋台で食事を済ませたあと、二番目にお気に入りのバーへ行くことにした。

 食事やつまみはないが、酒が安くて美味いのだ。

 ヴァルムと同じように、路地裏に店を構えるそこはヒトが少なくていつでも入りやすい。

 黒を基調としたこじんまりした店先には薄暗いライトが『アルコリズモ』という店名を照らしている。

 重いドアを開け、中に入れば狭いカウンター席に常連の娼婦が一人座っていた。 

 隣に座ると、軽くウインクされたので手を降ってみせる。


「珍しいねぇ、ドッドウェル。 今日はヴァルムに行く日じゃないの?」

「今日は臨時休業なの。 ハニーもこんな時間に飲んでるなんて珍しいじゃん」

「んふふ、今日の夜会には来なくて良いんだって。 最高の気分だから昼から飲んでるんだ〜」


 ハニーは貴族御用達の高級娼館、エテルネルの看板娼婦だ。

 淡い桃色のロングヘアに、蜂蜜色の瞳。 そして、誰もが息を呑むほど見惚れる身体と顔を持った女である。

 界隈では有名らしいが、ドッドウェルには縁が無いのであまり知らない。

 

「ヴァルムのマスター、今日は別の仕事入ってるんだって」

「そうか、そりゃ残念だったな」


 そう言ってドッドウェルの前にウイスキーのボトルを置いたのは、マスターのニクスだ。

 40後半か50前半くらいで、白髪が混じった黒紅色の髪を雑に後ろへ撫でつけた、目つきの悪い男である。

 眉間に刻まれた皺は不機嫌そうな印象を受けるが、ただの二日酔いである事が多い。


 ……それにしても、グラスが出てこない。


「俺はあんたみたいなアル中じゃないんだ。グラスでくれよ」

「おっと悪かったな。 ほらよ」


 グラスにウイスキーが注がれる。

 それからニクスは自分のボトルを傾けて飲み始めた。


「ねぇドッドウェル〜、一緒に朝まで飲もうよお。 サービスしちゃうよ」

「むり。 俺は明日も早いの」


 腕に絡んできたハニーを押しのける。

 ハニーは酔うと面倒臭い絡み方をしてくるのだ。

 本人もそれをわかっているから、こうしてヒトの少ない場所で飲んでいるのだろう。


「ハニーに飲ませすぎじゃない?」

「ここに来たときには出来上がってた。 もうジュースと酒の見分けがつかないらしい」


 ニクスがまた酒をあおる。

 この男はいくら飲んでも泥酔することはない。

 対してハニーは机に突っ伏してむにゃむにゃと恨み言を言い始めた。

 よく聞き取れないが、客の愚痴のようだ。


「もうお仕事したくない〜。 大体さあ、親の前でプレイするっておかしくない? おかしいよねぇ?」

「そうだね」


 ハニーの愚痴を聞き流しながら、ドッドウェルもウイスキーを舐めた。


「毎日毎日、辛いことばっかりでイヤになっちゃう……」


 その呟きを最後にハニーは黙ってしまった。

 眠ったのだ。


「おいここで寝るな……困ったな」

「ニクスが送ってやれば?」

「昨日送った」

「なら今日も送れば良いじゃん」

「俺は馬車じゃねぇんだよ」


 そう言いつつもカウンター下から出したブランケットをかけてやるあたり、ニクスは面倒見が良い。


「じゃ、今日は俺が送ってくわ。 代わりに一杯ハニーにツケておいてよ」

「オーケー。 良い酒を用意しよう」


 ヒトの金で飲む酒はうまい。

 見るからに高そうなボトルを傾けてグラスに注ぐ姿をドッドウェルはじっと見守って、出されるのを待った。


「うん! 美味いね」

「そうだろ。 起きる前に飲んじまおう」


 ドッドウェルがグラスを傾ける向かいで、ニクスはボトルを目一杯に傾けている。

 それは今しがた「良い酒」だと言ってドッドウェルに出されたものだ。

 一杯ではなくボトルごとハニーにツケるつもりなのかもしれない。

 

 それから二人で雑談を交わしながら酒を飲む。

 すると、珍しく客が入ってきた。


「マスター、強い酒を」

「程々にしておけよ、ロネス」


 聞いたことのある名前に釣られて、ドッドウェルは横を見た。

 少しやつれた様子の男。

 この男とは以前、日雇いの仕事で何度か話したことがある。

 最近結婚したと聞いたが、ここで何をしているのだろう。


「よお、ロネス。 家で嫁さんが待ってるんじゃないの」

「…………嫁の話はよしてくれ」

「こいつ捨てられたんだよ」

「ああ、なるほどね。 そりゃそうだ」


 ドッドウェルの言葉にロネスが立ち上がる。

 ギラギラと光る瞳をドッドウェルに向け、今にも掴みかかりそうな勢いだ。


「お前に俺の何がわかるんだよ!」

「あんたがクズって事以外は何にもわからないね」

「は!? 何も知らないくせに……」

 

 ドッドウェルの胸倉を掴む。

 腕を振り上げたが、その腕はカウンターから出てきたニクスによって止められてしまった。


「おい、店で暴れるな! 飲まないなら出て行け」

「……悪かったよ、マスター」


 先程までずっと飲んでいたのに、ニクスの動きは機敏である。

 ロネスが大人しくなると、ニクスは面倒臭そうにカウンターの中へ戻っていった。


「それ飲んだら帰れ。 今日もツケにしてやってもいいが、次は今までの分全部払うまで出禁だ」

「……はい」


 店内に沈黙が流れる。

 ロネスはきっと、ニクスに日頃の愚痴でも言いにきたのだろうが、自分をクズと煽ってきたドッドウェルが邪魔なのだ。

 それでも時間が経つと、ロネスはポツポツとニクスへ語り始めた。


「俺の理想が高過ぎるって皆言うんだ。 なあマスター、マスターはそんなこと言わないよな?」

「お前は相手に自分を押し付けすぎだ。 今も俺に肯定させようとしてんだろ」

 

 ニクスはフロガのように優しくはない。 むしろ正反対と言っていいだろう。

 態度も悪ければ目つきも悪いし、気を使った言葉は一切言わない。

 否定されたロネスは、それ以降何も言わなくなった。

 ふと、カウンターの隅で眠りこけているハニーに気付く。


「……ハニーは寝てるのか?」

「酔い潰れた」

「そっか……俺、送っていこうかな」

「やめとけ。 娼館の連中にぶん殴られたくなかったら今日は大人しく帰れ」


 言われてロネスが肩を落とす。

 それから残っていた酒を一気に飲み込むと、立ち上がった。


「マスター、次はちゃんと払うよ。 冒険者の良い仕事が入ってるんだ」

「今までのツケ、随分あるが?」 

「余裕さ。 なんせ、西区で有名な錬金術師からの依頼だ。 かなりの高額依頼でさ、たまたま見つけてラッキーだったんだ」

「そうかい……そりゃあラッキーだな」  

「依頼は明日の朝。 だから、明日の夜には払いに来るよ」


 結局、ロネスは今日もツケて帰って行った。

 ドアが閉まってから、ニクスは深いため息を吐く。


「あいつ、もう来ないな。 ったく……大損だぜ」


 グラスを片付け、テーブルを拭きながらぼやく。 

 呆れと、諦めと、色々な感情が混ざっている小さな舌打ちも聞こえた。 


「ロネスのやつ、なんで捨てられたの?」

「盗癖がバレたらしい。 それに、あいつが言っていた通り、理想が高すぎたんだろうよ」

「ふうん。 欲張りすぎたんだね」


 ロネスはドッドウェルの周りでは一番幸せに近い男だった。

 たまたま拾った人形との幸せな生活を楽しんでいたはずなのに、理想だった家族を手に入れてそれまでの幸せを簡単に捨ててしまったのだ。

 しかし、それでもまだ満足できなくて更に理想を求めた結果、今度は自分が捨てられてしまった。

 元々盗癖もあり、別れた武器屋の女がロネスの悪評を広めているようで、縁のないニクスやハニーですらロネスのことを知っている。

 こうなれば、いずれは彼を拾う者も彼に拾われる者もいなくなるだろう。


 そうでなくても、散々フロガから注意された西区の怪しい依頼を受けたのだから、きっとただでは済まない。

 結局、ロネスは幸せから一番遠い男になってしまった。


「なあ、ニクスは毎日楽しい?」

「なんだよ、急に」

「今日会った奴みんな、毎日楽しくないって言うからさあ」


 ふうん、とニクスが喉を鳴らす。

 白髪混じりのオールバックを撫でつけ、ボトルを置いた。


「俺はまあ、程々だな」

「楽しくないってこと?」

「酒が飲めない日は楽しくないが、酒が飲める日は程々に楽しいってことだ。 俺ぁ、酒があればそれで良い」

「俺も美味い物と美味い酒があれば良いや」

「それで充分さ。 欲張るのも大事だがな、上を見続けたらキリがねぇ。 幸せってもんはすぐに飽きるから、程々で良い」


 ニクスはフロガとは正反対であるが、たまに良い事を言う。

 だから、ドッドウェルはこの店が好きだ。

 

 グラスの中の酒が無くなるころ、良い具合に酔いもまわってきた。

 飲んでいる間にハニーが起きないかと少し期待していたが、その気配もないのでドッドウェルは仕方なくハニーの腕を掴んで背負う。


「じゃ、ハニー送って帰るわ」

「気を付けて帰れよ」

「ニクスも飲み過ぎるなよ」


 ニクスが無言で手を振る。

 ドッドウェルも手を振り返して、バーを出た。


 冷たい夜風を切りながら、ハニーの住む娼館へ向かう。

 何度かこうして送ったことはあるが、まだ娼館を利用したことはない。

 ほんの少しだけ興味はあるが、値段を聞くと美味いものを食べたほうが良いと思えてくるのだ。


「あらドッドウェル。 またハニー酔い潰れてるの?」

「おう。 部屋に置いといてよ」


 話しかけてきたのは、ハニーの親友であるマカロンだ。

 この娼館でハニーの次に人気の、おっとりとした可愛らしい娼婦である。

 彼女の無駄に唆る身体に目を奪われつつ、ハニーを渡した。


「はあ〜い。 あ、今日は寄ってく? ドッドウェルなら安くしてあげるよ」

「俺はいいよ。 大体、ここで一晩過ごしたら明日から飯食えなくなるし」

「じゃあもっと稼いでお客さんになりなよ。 待っててあげる〜」


 別れ際に放たれた投げキッスを横に流して、ドッドウェルは帰路についた。

 


 ──家に帰ると、リビングには明かりがついていた。

 淀んだエメラルドグリーンの瞳が帰ってきたドッドウェルを捉え、読んでいた新聞を畳んだ。


「おかえり、ドッドウェル。 遅かったな」

「ただいま、クリフ。 エテルネルって娼館に友達を送ってやったんだよ」 

「ああ、あそこか。 最近金払いが悪くて困る」

「なんだ、あんたの客なの? 媚薬とか?」

「まあね」


 他愛もない話をしながら、キッチンで茶を淹れる。

 クリフの前に置いてやると、ゆっくりと飲み始めた。


 普段、クリフは地下に籠もって研究をしている。

 昼夜逆転しており、眠るのは朝方で起きてくるのは昼過ぎだなんてこともザラだ。


「飯食った?」

「いや」


 いつものことだ。

 食事はほとんど取らないし、酒もあまり飲まない。

 彼は一体何が楽しくて生きているのだろう。

 どうせ、研究を生きがいにしている。とでも言うのかもしれないが、ドッドウェルは少しの好奇心が沸いたので聞いてみることにした。


「クリフって毎日楽しいの?」

「別に」

「だろうね。 じゃあ生き甲斐とかあるの?」

「生き甲斐? ……私は、私が天才であり続けるために生きているだけだ」

「なにそれ」


 クリフの淀んだ瞳が遠くを見た。

 ドッドウェルを見ているようにも見えるが、そうではない。

 

(クリフ・リンドール)は天才でなければいけない」 


 遠くを見る瞳が何を思い出しているのか、それとも遠い未来を想っているのか、ドッドウェルにはわからなかった。 

 だからドッドウェルは自分の知っていることだけを口にした。


「あんたは天才なんだろ」


 遠くを見ていたクリフの瞳が、またドッドウェルに視線を移す。


「ああ、その通りだ」


 噛み締めるようにクリフが頷く。

 やおら立ち上がり、また地下室へと消えて行ってしまった。

 ドッドウェルも部屋へ戻って、ベッドへ潜った。

 

 安物のベッドに安物の毛布だが、温かいしよく眠れる。

 眠りに落ちる中で、今日のことを思い出していた。


 今日は会うヒトたちに「毎日楽しいか」と聞いた。

 素直に楽しいと答えたヒトは一人もいない。

 そんな中で一番マシな答えはニクスだけだった。


 ──幸せってもんはすぐに飽きる。


(俺もいつか今の生活に飽きるのかな)


 ニクスの言葉を思い出したのを最後に、ドッドウェルは眠りに落ちた。

 


 ──五時。 いつものように目が覚める。

 リビングのテーブルの上には、珍しくサンドイッチが置かれていた。

 形が悪くて、野菜の水分が移った、美味しくなさそうなサンドイッチ。

 恐らく、クリフが作ったものだ。

 料理などしたこともないのに、どういうつもりだったのだろう。

 しかしテーブルの上に置いてあるということは、食べても良いということだ。

 口に放り込むと素材の味が舌の上で暴れる。

 それを飲み込んで、作った本人を探す。

 が、珍しく出かけているようだ。

 舌に残る野菜の味を転がしながら、ドッドウェルは家を出て商人ギルドへ向かうことにした。



 商人ギルドではいつもの顔ぶれが並んでいる。

 皆、死んだ目で掲示板を眺め、時計を確認して各々散っていく。


 長短の針で動きを制限する時計。

 それは呪いのアイテムだと、いつだったかにクリフが言っていた。

 あの憎らしい針が一周しなければ、労働という苦痛から抜け出すことが出来ないのだと。

 

 あまり理解できない考え方だとドッドウェルは思った。

 死んだ目の連中を擦り抜け、今日も同じ様な仕事を紹介してもらい、その鬱蒼とした空気から立ち去る。

 太陽が高くなってきた外は、春の陽気が差してきた。


「今日はガッツリしたもんが食いてぇなー」


 仕事終わりのヴァルムが楽しみだ。

 そんな楽しみがあると仕事は全く苦ではないし、疲れれば疲れるほど、酒も料理も美味しく感じるのだから不思議である。

 鼻歌交じりに力仕事をこなし、昨日より早い時間に仕事を終えてヴァルムへ向かった。


 

 見慣れた路地を歩き、いつもの古びた小さな店の前に立つ。

 何かを煮込んでいるような良い匂いに心を踊らせながら、木製のドアを開けた。


「いらっしゃいませ。 ああ、ドッドウェルさん!」

「よお、マスター。 エールと……なんかガッツリ食いたいな。 腹減っちゃった」

「今日はポークステーキをおすすめしてますよ」

「じゃあそれ」


 にっこりと人好きの笑顔を浮かべるフロガに、ドッドウェルはなんとなく安心感を覚えた。

 屈託の無い、まるで夜明けのような清々しい笑顔。

 きっと、その笑顔の裏には想像できないような苦労もあるのかもしれない。

 だが、そんな事を感じさせないような微笑みを見ていると、ドッドウェルは守りたいとすら思えてくるのだ。

 何から守るのかはわからないが。


「はいどうぞ」

「ありがとう。 いただきまーす!」


 まずはエールを一口。

 それから肉厚のポークステーキを大きめに切り分け、頬張る。

 胡椒が効いている肉はわしわしと噛み応えがあり、噛むほどに旨味が溢れてきた。

 まさに今、肉を食べているという充実感に満たされると同時に、生きるパワーすら湧いてくるように思える。


「美味い!!」


 その言葉を嬉しそうに笑うフロガを見ると、ドッドウェルも嬉しくなった。

 エールを飲みつつ、肉厚なポークステーキをどんどん頬張る。

 食べ終わる頃には腹も心も満たされて、ドッドウェルはほっと溜め息を吐いた。


「美味かったなあ」

「お粗末様です。 食べっぷりが気持ち良くて、こっちまで嬉しくなりましたよ」

「そいつは良かった」


 空になった皿を下げてから、ウイスキーの水割りと軽いつまみが置かれる。

 それを手に取って、ドッドウェルはカウンターの中にいるフロガを見上げた。


「なあ、マスターはさ……」


 言いかけて、ドッドウェルは口を閉じた。

 昨日と同じことを聞こうと思ったのだ。

 楽しいか、なんて聞けば、きっとフロガは楽しいと答えてくれるだろう。


 ただ、そうでは無かったとき、ドッドウェルは何となくダメージを受ける気がした。

 楽しい、と上っ面だけ答えられるのもなんだか気が晴れないし、結局楽しいことなんて一つもないのではないかと思ってしまうのが嫌だった。


「なんですか? ドッドウェルさん」

「あー、いや、なんでもないよ」

「それにしては、思いつめてるようにも見えますよ」


 言いかけてしまったことを後悔した。

 心配そうにしているフロガに耐え兼ねて、ドッドウェルは小さく控えめに聞いた。


「マスターは毎日楽しい? その、程々に」

「もちろん」


 即答だった。

 考える暇なんてないほどに、真っ直ぐに目を見て言われた。


「ほんとに?」

「はい」

「じゃあ、今日は何が楽しかった?」


 まるで試すような質問に、ドッドウェルは我ながら嫌気が差した。

 二杯程度で酔いが回ったのだろうか。

 それでもフロガは、特に嫌な顔もしないで答えた。


「一番は妻が美味しそうに食事をしてくれることですかね。 お客さんと話をするのも楽しいですし……まあ、大変なこともありますけど、毎日楽しくないなんてことはありませんよ」

「……そっか、そうだよな! 俺もさあ、マスターの料理が食えて幸せだなーって思うんだよね」

「え! あはは……ありがとうございます。 なんか照れますね」


 ここに来て二度目の安堵だ。

 照れたように笑うフロガに釣られて、ドッドウェルも笑ってみた。

 フロガが完璧な超人ではないことはわかっている。

 だから、楽しいことも一日のほんの一部なのかもしれないが、それでもこうして話してくれることが嬉しいと思った。


「サンキュー、マスター。 なんかスッキリしたよ」

「いえ。 俺で良ければいつでも話を聞きますよ」

「いや、その逆だね。 俺はマスターの話が聞きたいんだよ」

「つまらない話ばかりですよ。 今日だって、妻に小言がうるさいって言われたばかりですし……あ、でもあいつがお菓子ばっかり食べるから注意しただけなんですよ」

「あはは! そういうので良いんだよ」


 それから少しの間、他愛の無い話をした。

 昨日フロガが受けた依頼の話や、ドッドウェルが良く行くバーの話だったり、本当に何でも無い話だ。

 中でも、フロガは妻の話になると楽しそうにしていた。


「そういえば、マスターと奥さんって指輪してないよね」

「ああ、アクセサリーには俺も妻もいい思い出が無いので贈ってないんですよ」

「へえ、意外。 思い出したくないくらい嫌なことなの?」

「そんなところです」


 苦笑いするフロガを見て、ドッドウェルはこの話を切り上げた。

 それからまた、他愛の無い話をする。

 ドッドウェルは新しく客が来るまでよく喋った。


「じゃあ、俺そろそろ帰るわ」

「はい、ありがとうございました。 またお待ちしておりますね」


 客が増えてきたので席を立つ。

 決済が終わって扉へ向かうと、フロガに呼び止められた。


「ドッドウェルさん、これ持って行ってください」

「え?」


 渡されたのは、テイクアウト用の入れ物に詰められたサンドイッチとスープだ。

 頼んだ覚えがないので、フロガが何か気を利かせてくれたのだろう。


「アルフレートさんへ。 今朝、朝市に行く途中で見かけたんですが顔色が悪そうだったので……」

「ああ……あいつ、あんまり飯食ってないからなぁ。 それに今日は仕事だったみたいだし」


 アルフレートとは、クリフの偽名である。

 怪しい薬をフロガに渡したことがあるのに、ここまで優しくしてくれるなんて、やはりフロガは聖人なのではないだろうか。


「ありがとう、マスター。 もし、あいつが面倒くさいこと言ってきたら何とかするから俺に言ってよ」

「あはは、今のところは大丈夫ですよ」


 そんな軽い冗談を交わして店を出た。

 今日も冷たい夜風が頬を撫ぜる。


 西区では、いつもと同じ爆音が響く。

 結構近いな、なんてことを思いながら、ドッドウェルは家のドアを開けた。


 リビングのソファで、珍しくクリフが眠っている。

 きっと朝早くから出かけて疲れたのだろう。

 フロガから貰ったサンドイッチとスープは魔具の中へしまい、クリフにメモを残して自室へ入る。


 昨日も今日も、大して変わらない一日であった。

 それでもドッドウェルは満足感と共に毛布へもぐる。

 

 きっと明日も楽しい。

 そんなことを思って、夢の中へ落ちていった。


  


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