エッグボールのパイ
果てしない遠方からにじむように広がってきた燻銀の雲は夜の黒い雲を染めていく。
しばらくすると燻銀は茜に、茜は青へと変わり、眩しい太陽が周囲を照らし始める。
急速に昇り始めた太陽に目を細めながら、天狐はヒトの少ない雑木林を歩いていた。
目的はエッグボールである。
甘くて美味な春の風物詩。
生で良し焼いて良しの、使いやすくて食べやすい魔獣だ。
おまけにどこにでも生息していて獲りやすい。
こうして神都近くの雑木林をフラフラと散歩しているだけでも簡単に見つける事ができるのだ。
ノロノロと歩くエッグボールを矢で射止め、持ってきた袋型の魔具の中へどんどん放り込んでいく。
店の分と、自分たちが食べる分を獲り終わったところで、天狐は帰路についた。
「ただいま」
珍しくそう言ったのは、どうせフロガはまだ寝ているだろうと思ったからだ。
案の定返事はなく、寝室を覗けばフロガが口を開けて眠っている。
獲ってきたエッグボールは、鮮度を保ってくれる冷却魔具の中へ放り込み、天狐は二度寝をすることにした。
部屋着に着替え、ベッドへ入り、横向きで寝ているフロガの腕を持ち上げて間に入る。
それから天狐は満足そうに目を閉じた。
──今日のヴァルムは定休日である。
すっかり気が抜けた状態で睡眠を貪っていたフロガだったが、なんだか体を動かされたような感覚で目を覚まし、薄っすらと瞳を開いた。
が、すぐに瞳を閉じて眠ったふりをする。
あの天狐が、フロガの腕を持ち上げて間に入ってきたのだ。
所謂腕枕に加え、抱き締められている形になって満足そうにしていた天狐は、胸板に顔を埋めて眠ってしまった。
(起きられない……)
結局、それから三時間ほど天狐の寝顔を眺めて過ごした。
朝2ツの鐘が鳴ったころ、フロガはようやく手を動かした。
同時に天狐が目を覚ましたので「おはよう」と声をかける。
「……ああ」
寝ぼけたまま、低い声で答えると天狐は背中を向けて二度寝してしまった。
毛布をかけなおしてやり、フロガは遅い朝食の支度を始める。
冷却魔具の中に見慣れないものを見つけたのはそのときだった。
丸くてふわふわした、大小のカラフルなエッグボール。
それらがぎゅっと魔具に詰められているのを横目で見つつ、卵を取って調理を始めた。
エッグボールを朝食に使っても良いが、せっかくだから少し凝ったものを作りたい。
朝食用のオムレツを作りながら、フロガは考えた。
生食でも美味しいエッグボールは、皮を剥いたシンプルな状態で出すことも多い。
おやつとしてヨーグルトやアイスなんかと混ぜるのも良いが、やはりもう一手間欲しいところだ。
「最近何作ったっけなあ」
独りごちながら、今週出したおやつを思い出す。
クッキー、マフィン、ゼリー、パイ……そう、最近のおやつで天狐が特に気に入っていたのは、イチゴとカスタードのパイだった。
「この間来たお客さんも、ミートパイが美味しいって喜んでたな」
その男は新規の客だった。
南西から来た若い冒険者で、神都には来たばかりなのだと言っていた。
一口食べて大絶賛し、おかわりした上テイクアウトまでしていった事をフロガは思い返す。
「確か生地がまだ余っていたはず……」
朝食を食べ終えて、魔具の中身を確認する。
思っていた通り、前に使ったパイの生地が余っていた。
「よし、エッグボールのパイにしよう」
大小のエッグボールの中から小さな個体を選び、柔らかな被毛を剥ぐ。
身を長方形に切り、ミルクや砂糖と共に鍋へ入れて少し煮る。 このとき、煮すぎると形が崩れて食感も悪くなるので気をつける。
エッグボールから出てきた汁が甘い香りを出し始めたころ、火を止めて冷めるまで待つ。
「……甘い匂いがする」
冷めるのを待っていると、天狐が起きてきた。
まだ眠そうに目を擦りながら、匂いの正体を探している。
「エッグボールのパイを作ってるんだ。 おやつに食べよう」
「エッグボールの……パイ?」
「うん。 美味しいよ」
これを天狐に作ってやるのは初めてだ。
*****
フロガが最後にエッグボールのパイを食べたのは家を出る少し前だ。
パイにすると美味しいと教えてくれたのは実家の執事で、エッグボールは双子の兄と年の離れた妹と共に庭で獲った小さなものだった。
「おにいさま! おにわにヘンなのがいるの……」
幼い妹にそう言われ、兄と二人で庭に出てみると、庭木の間にエッグボールを見つけた。
その様子を、妹はメイドの後ろからじっと見つめている。
「トリア、これはエッグボールって言うんだよ」
兄のクレヴォが一匹捕まえて説明してやると、妹のトリアは不安そうな表情から一転、紫紺の瞳をキラキラと輝かせて喜んだ。
「まあ、すごいふわふわ!! トリアもつかまえてみたいわ!」
「じゃあ一緒に獲ろうか」
フロガがトリアの手を引いてやり、クレヴォが二人のところまでエッグボールを追い詰め、それをトリアが網で捕まえる。
小さな個体を五匹程度捕まえるとトリアは満足し、メイドと共に部屋へ戻っていってしまった。
「クレヴォ、これどうする?」
「このまま食えば良いんじゃないの。 トリアにもあとで食わせてやれば?」
そう言ったクレヴォが袋の中のエッグボールを鷲掴む。
キイキイと鳴くそれに幼いトリアが噛みつくのは、少々酷である。
それに、レディにそんな事をさせるな、と躾役のメイドに怒られるだろう。
「トリアが泣いちゃうよ。 シェフに言って調理してもらおう」
「じゃ、そうするか」
うるさく鳴くエッグボールが入った袋を近くにいたメイドへ渡す。
それをたまたま見つけたのが、執事のリカルドであった。
「フロガ様、クレヴォ様。 その袋は……?」
リカルドはエリュプティオ家の初代から仕えているエルフだ。
美しい銀髪と銀目、そして形の良いとがり耳が特徴的な物腰の柔らかい老夫である。
本人曰く800歳らしいが、本当の年齢は誰も知らない。
「あ、リカルド。 さっき庭でエッグボール見つけたんだ」
「おや、エッグボールですか。 でしたら、パイにすると美味でございますよ。 旦那様が幼い頃にも召し上がっておられました」
「へえ、そうなんだ」
リカルドの提案でシェフに言って作ってもらったエッグボールのパイは夜の食事に出てきて、家族で食べた。
両親も兄も妹も、皆で口々に「美味しい」と感動していたのが、フロガにとっては珍しい光景だったのでよく覚えている。
あとでレシピを教えてもらったが、結局それから一度も作っていない。
正直、実家のことを思い出すと胸糞が悪くなるのだ。
──そんな昔話を天狐にしていると、エッグボールのフィリングが程よく冷めた。
それをパイ生地に敷き詰めて、上へもう一枚パイ生地を被せたら、あとは焼くだけだ。
焼き上がったら少し冷まして、完成である。
「出来たよ。 食べてみて」
こんがりと焼き色がついたパイからはエッグボールの甘い香りが漂ってくる。
刃をいれれば、パリッと乾いた音がした。
断面には、みっちりと層になったエッグボールが見える。
皿に分けられたそれを、天狐はまじまじと見つめてからフォークを刺して、一口含んだ。
「……うまい!」
ほんのりと塩気のある、さっくりとしたパイに優しい甘さとシャクシャクとした不思議な食感のエッグボールがよく合っている。
その塩味と甘さが癖になって、何個でも食べられそうだ。
「うん、久しぶりに食べたけど美味しいなぁ」
しみじみと食べていると、天狐が二個目に手を出す。
食べるペースが早いということは気に入ってくれたということだ。
そう思うと、フロガは嬉しくなった。
「実はもう一種類あるんだけど……」
まだ温かい、一口サイズのパイを魔具の中から取り出す。
それは甘い香りではなく、食欲を唆るような香ばしい匂いがして、天狐は目を輝かせた。
「エッグボールを入れてミートパイも作ったんだ。 ……でも天狐は食べないほうが」
「二個食べたからか? 夕飯代わりにそいつも寄越せ」
フロガが言い終わる前に、天狐がひとつ摘んで口に入れた。
瞬間、天狐の目に大粒の涙が浮かぶ。
大きな耳はへたりこみ、尻尾が大きく膨らんでいる。
「あ、やっぱり辛い? トマトの酸味で和らぐかなって思ったんだけど駄目だったか〜。 自分で口に入れたんだから出すなよ」
口を動かすたびに、大粒の涙がぽろぽろと溢れた。
額にはうっすらと汗が浮かんでいて、顔は真っ赤になり、尻尾は相変わらず膨らんだままプルプルと震えている。
そんな様子を見ながら、フロガはマグカップにミルクをそそぎ、自分も辛いエッグボールのパイを食べた。
「うん、辛いな。 生でも結構辛かったけど加熱すると更に辛いね」
呑気にしているフロガを睨みながら、天狐がようやく飲み込むと、出されたミルクを一気に流し込んだ。
「お前!! よくもこんなもん作ったな!!」
「だって辛い個体が混ざっていたし、捨てるわけにもいかないし。 それに辛いエッグボールに当たると加護があるって言うだろ。 良かったな、天狐」
「全然良くない、 ふざけんな! そもそもお前は……」
涙目で怒っている天狐から延々と出てくる罵倒がなんだか面白くて、フロガが笑う。
それが天狐には面白くないのか、更に機嫌が悪くなった。
「今日はもうお前と口を利かない」
「はいはい、俺が悪かったよ」
そんなフロガを涙目で睨みながら、天狐は甘いエッグボールのパイをもう一つ食べた。
もとは、忠告しようとしたフロガの言葉を遮った天狐が悪いのだが、無言で口を動かしている姿は悲壮感が漂っている。
結局この日は本当に一言も喋ってくれなかった。
仕方が無いので、明日はエッグボールを茹でたとびきり甘いおやつを作ってやろう。
次の日、エッグボールで作った甘くてモチモチしたおやつは天狐をとびきりの笑顔にしてくれた。




