ラザニア
それは、営業が終わった深夜のことだった。
戸締まりを終えた筈のヴァルムの扉が、静かな音を立てて開いた。
入ってきたのは男だ。
黒い外套を纏い、黒い帽子を目深にかぶった男は、客ではない。
男は店内に誰もいない事を確認してから、音もなく入るなり一直線にカウンターへ行き、中を物色した。
男の目的は決算用の魔具と、金目のもの。
つまり、泥棒である。
男は手早くカウンターの中を見て回るが、何もないことを悟ると今度はゆっくりと二階へ登った。
音を立てないように、細心の注意を払う。
(ここのマスターは、へらへらした優男だったな。 寝込みを襲って金を出させた方が楽そうだ)
男の計画は、至って単純だ。
懐に忍ばせているナイフで脅してから、ちょっと斬りつけて血を出す。 そうすれば、大抵の奴は怯んで従う。
ついでに手を拘束しておけば、反撃されることもない。 ……筈だ。
筈、というのは、男はこれが初めての強盗なのだ。
(へっ、楽勝だぜ!)
男は笑いながら階段を登り切る。
暗いリビングに入り、寝室と思われる場所の扉へ手をかけた。瞬間──
男が開けるよりも早く、寝室の扉が勢い良く開いた。
反応する間も無く、暗闇から伸びてきた手が男の腕を掴む。
「ぐあっ!」
次の瞬間には床に転がされていた。
見上げれば、昼に偵察に来たときに見たマスターの姿。
上には薄いシャツを羽織って、下は何故かパンツ一枚。 そのだらしなさに呆気を取られつつ、もう一度顔を見る。
当然だか、昼間に見せていた穏やかな笑顔はない。
しかし、無言で見下ろすマスター……フロガはこれ以上男を攻撃する様子はないようだ。
男は慌てて立ち上がり、懐のナイフをフロガに向ける。
フロガは少しだけ驚いたように目を丸くしたが、静かに男を見つめた。
「何か御用ですか」
「強盗に決まってんだろうが! この家の金品全部出せ!」
言い終わると、フロガの後ろから金髪の女……天狐が顔を出した。
綺麗な顔をした、スタイルの良い女。
それだけで、男は思わず舌舐めずりをした。
金目のものを奪ってから、女も奪うのも悪くない。
そんな思いが見透かされたのか、フロガはやや眉を顰める。
「貴方に渡すものはありませんよ」
「うるせぇ!! すっこんでろ!!」
男は叫ぶと同時に、ナイフをフロガへ向けて突進する。
しかし、男の腕は空を切るだけだった。
フロガはまるで、庭に水でも撒くかのような軽い動作で男の手首をトンと叩いてナイフを落とす。
──ナイフは滑り転がって天狐の足元に落ちる。
それを拾い上げ、腕を組んでフロガの行動を眺めた。
足払いをし、男を転がした所で腕を捻り上げるフロガにナイフを投げる。
フロガはそのまま男の首にナイフを当てた。
「ま、まって、殺さないでくれ!! 俺、強盗なんて初めてしたんだよぉ!!」
「だろうね……」
首元に当てられていたナイフがそっと離れる。
捻り上げていた腕を解き、強盗を起き上がらせるとフロガは苦笑いを浮かべた。
「おい、何してんだ。 そんなやつさっさと殺すか警備隊に突き出せ」
「お前はいつも物騒なんだよ」
「前にもこんな事あっただろ。 いい加減にしろ」
天狐が強盗を睨み付ける。
その末恐ろしい眼孔に、男は体を震わせてよろめいてしまった。
フロガに支えられながらそっとソファに座り、うなだれる。
「話だけで良ければ聞きますよ。 なにか飲みますか?」
「い、いや……その……」
「天狐、冷却魔具の中から水を持って来てくれ」
返事の代わりに大きな溜め息が静かな部屋に響いた。
渋々、グラスに水を注ぎ、ローテーブルの前へ力強く置く。
その拍子に溢れた水をフロガは丁寧に拭いたあと、強盗の男にグラスを手渡した。
「どうぞ」
「す、すんません……」
冷たい水を一気に飲み干した途端、男がポロポロと涙を流し始める。
それから再び謝罪の言葉を口にした。
「俺、本当に、強盗なんて初めてで……」
「盗みに入らなければいけない程、切羽詰まっていたんですか?」
「はい……ほんとに……すみません……」
そんなやりとりを、ダイニングチェアに腰掛けている天狐が鼻で笑った。
「ここは神殿でもなければ警備隊の詰所でもないんだぞ。 それ飲んだらさっさと出て行くんだな」
「やめろ、天狐」
諌めるフロガにそっぽを向き、天狐はつまらなさそうに頬杖をついた。
天狐の言っている事は尤もである。
強盗に入った男を警備隊へ連れて行く訳でもなく、こうして話を聞いているのがおかしい事なのだ。
だからこそだろうか、男は未だに涙を流している。
「本当に悪かったと思ってる……! 反省もしてる! だから、どうか殺さないでくれェ!!」
「えっ」
強盗の男は、このままフロガに嬲り殺されると思っていたようだった。
つまらなさそうにしていた天狐が声を上げて笑い始める。
「殺しませんよ……」
「見逃してくれるのか!?」
「そもそも殺すつもりなんてありませんよ。 えーと、何か困っていたから、盗みに入ったんですよね?」
どうにか話を戻そうとする。
男は安堵したように涙を拭き、ぽつりぽつりと身の上話を始めた。
「俺、ロネスっていいます。 実は最近、仕事をクビになってしまって……それで、嫁さんに出ていかれて……」
家では病弱な幼い息子がお腹を空かせて待っている。
日雇いの仕事でギリギリ食いつないで来たのだが、息子に満足に食事をさせてやれないのが辛かったのだと、ロネスは語った。
「一度大金が入れば、それでまた食い繋げると思って、楽に盗めそうな所を探してたんだ」
「……最初に入ったのがうちで良かったですよ。 貴方が捕まって、運悪く本当に殺されでもしたら息子さんはどうするつもりだったんですか?」
「……すみませんでした」
深々と頭を下げる男を見て、フロガはため息をつく。
それから優しくロネスの肩を叩いた。
「とりあえず、もう盗みに入ろうなんて考えないでください。 仕事は……明日、一緒に探しにいきましょう」
「おい、待て。 なんで仕事の世話までしてやる必要があるんだよ」
「あのな、天狐。 盗みに入らなきゃいけないくらい思い詰めてる人をこのまま放っておけないだろ」
「出たな、このお人好しの馬鹿が!! 私は知らないからな。 勝手にしろ」
呆れたように怒る天狐が、ダイニングチェアから立ち上がる。
足早に寝室へ戻って行くと、勢いよく扉を閉めてしまった。
その剣幕に、ロネスが焦ったようにフロガを見上げる。
しかしフロガは気にもせず「ちょっと待っててくださいね」と声をかけて、階段を降りて行ってしまった。
リビングに一人取り残されたロネスが、居心地の悪そうに辺りを見回す。
(質素な部屋だな……)
生活感はあるものの、夫婦二人暮らしにしては写真の一つも飾られていない。
ソファにローテーブル、ダイニングテーブルにチェア、あとは食器がが入っていると思われるキャビネットと冷却魔具だけ。
つまりは、必要最低限の家具しか置かれていないのだ。
子供が居ないのなら、もっと小物だとか観葉植物だとか趣味の物だとか、そういった物が置かれているのが普通なのではないだろうかと、ロネスは不思議に思った。
「おい、何ジロジロ見てんだよ」
首を傾げていると、少し開いた寝室のドアから鋭い眼孔で睨んでくる天狐と目が合った。
思わず顔を伏せる。
「あの、その、夫婦の部屋という割には殺風景かなと……」
つい思っていることを口走ってしまった。
黙っていたら殺されると思ったのだ。
「それが何だ。 お前には関係ないだろ」
「す、すみません……」
言葉が続かない。しかし、恐ろしい琥珀色の瞳はずっとロネスを睨んでいる。
堪りかねてロネスが口を開きかけた時、入口のドアが開いた。
「お待たせしました。 良かったらこれ、息子さんと一緒に召し上がってください」
沢山の弁当箱を抱えたフロガが戻ってきたのだ。
弁当箱の中には、副菜から主菜まで様々な料理が詰められている。
「自宅に冷却魔具はありますか? 保存が効く料理を詰めておいたので、二三日は大丈夫だと思いますが……」
「は、はい。 でも俺、手持ちが全然……」
「お代は結構ですよ。 とにかく何か食べて、明日仕事を探しましょう」
「あ……ありがとうございます!」
ロネスは何度も頭を下げ、弁当箱を受け取った。
明日会う約束をし、フロガは店の外までロネスを見送ってから、再び戸締まりをして二階へと戻る。
寝室へ行けば、布団の中から天狐が呆れたように顰めた顔を出していた。
「そんなに怒るなよ」
「呆れているだけだ。 あんな男、放っておけば良い」
「でも、あんなに困っている人を放ってなんておけないよ。 子供もまだ小さいみたいだし」
「まさかお前、あの話が本当だと思っているのか?」
「そりゃあ本当かどうかわからないけどね」
ベッドサイドに置かれているランプの灯りを消す。
それから隣に入ると、天狐は背中を向けてしまった。
「でも、可哀想な子供がいないなら、それで良いと思うんだ」
「馬鹿な奴め。 いつか騙されて後悔するぞ」
「後悔したくないからこうしてるんだよ」
「……そうだったな」
沈黙が続く。 きっとこのまま眠るのだろう。
フロガも瞳を閉じ、天狐へ背を向けた。
「おやすみ、天狐」
返事は無い。 いつものことだ。
だからフロガも特には気にしないのだが、今日は珍しく話が続いた。
「おいフロガ……お前、なんでパンツしか履いてないだ?」
「え?ああ、なんか寝惚けて脱いでたみたい……俺のズボン知らない?」
「知るか」
ため息混じりに答えると、天狐は今度こそ眠ってしまった。
**********
翌朝、フロガはロネスとの待ち合わせ場所である神殿区に来ていた。
神殿の前まで行くと、昨夜会ったばかりのロネスが背中を丸めて立っている。
ふと、青色の目がフロガを捉えた。
「おはようございます、フロガさん。 今日はよろしくお願いします」
「おはようございます。 じゃあ、中に入りましょうか」
互いに軽く挨拶を済ませ、神殿の中へと入っていく。
目的は冒険者ギルドだ。
「ロネスさん、日雇いの仕事も良いですが、ちゃんとした仕事が見つかるまでは冒険者の仕事もおすすめですよ」
「冒険者ですか……でも俺、魔獣なんて倒せるほど強くないし、魔術も魔法も使えません……」
「魔獣を倒すだけが冒険者の仕事ではありません。植物の採取だったり、ちょっとした雑用なんかも冒険者の仕事なんですよ」
誰でも出来るような、簡単な仕事でもそれなりの報酬が貰える時もある。
ただ、それは依頼人や内容を良く見極めなくてはならないのだ。
例えば依頼を受けた冒険者を実験台にして殺してしまうような輩もいる。
特に西区に住んでいる錬金術師や魔法技術士なんかの『実験の手伝い』『雑用』などという名目で出されている高額報酬の依頼には特に注意しなければいけない。
「俺も初心者の頃は知らずに依頼を受けてしまったんです。 その時は腹を切られたりして痛かったなあ」
「えぇ……なんで生きてるんですか」
「まあちょっと刺されたくらいじゃ死にませんよ。 それに新しい回復魔法の実験だったから助かったんです。 開腹されちゃいましたけどね」
「…………?」
受け付けで登録を済ませ、掲示板の前まで行く。
掲示板には様々な依頼が所狭しと張られていて、それを眺める冒険者たちが居た。
「掲示板以外に検索魔具を使っても良いですし、わからなければ受付で紹介してもらうのも良いですよ。 今日は魔具を使いましょうか」
掲示板の近くに置かれている四角い魔具に、冒険者メダルをかざす。
すると、依頼の一覧表が魔具に映し出された。
「一番おすすめなのは、神殿からの依頼です。 草むしりやちょっとしたお使い、たまに大樹の剪定もあります。 剪定で出た大樹の枝は貰えるので、薬師に売れば良い稼ぎになりますよ」
ただし、その分人気のある依頼なのですぐに人数が埋まってしまう事もある。
今日は運良く残っていた薬草採取依頼を受ける事にして、二人はギルドから離れた。
「この薬草は近くの雑木林でも簡単に採れるし、神殿からの依頼なので報酬もそれなりに貰えるんです」
「そこの雑木林なら俺も息子とたまに行くよ。 冒険者って思ったより楽なんだなあ」
「そうでもありません。 魔獣が生息している所もありますし、薬草の知識もそれなりに必要ですからね。 仕事が終わったら、図書館で薬草の本を借りることをお勧めします」
薬草の採取が簡単な割に他の依頼よりも報酬が多いのは、魔獣に会って命を落としたり、薬草のある場所によっては森で遭難する可能性もあるからだ。
今回は神都近くの雑木林でわかりやすい薬草の採取だが、ハルラー森林の奥に生えている薬草の採取となると難易度はぐっと上がる。
「報酬が高いからと言って、ハルラー森林には行かないように気を付けてくださいね。 ここと違って強い魔獣も出ますし、街道を外れると道も複雑ですから」
「わかりました」
雑木林に辿り着き、薬草の生えている場所を探す。
同じような依頼を受けているだろう冒険者の姿や、薬師の姿もちらほらと見かけたので探すのは容易であった。
「フロガさんは、どれくらい冒険者をやっているんですか?」
「うーん……十年以上……? 神都に来てからは指名依頼以外やってないんですけどね。 ロネスさん、前のお仕事は何を?」
「鍛冶屋で働いてました。 でも、あんまり繁盛してる店じゃなくて……給料が払えないからってクビになっちまったんです」
「それは大変でしたね……」
ロネスが力無く笑う。
結局、再就職もうまくいかず、妻には捨てられ、収入も無くなってしまった。
「でも、息子といる時間だけは幸せなんです。 やっぱり家族って良いですよね。 俺、両親が早くに亡くなって、ずっと憧れてたんですよ」
「それじゃあ、息子さんのために頑張らないといけませんね」
「はい!」
つい今程まで力無く笑っていたロネスだったが、息子の話となると急に表情が輝き出した。
手早く薬草を摘み取り、籠に詰め込んでいく。
仕事を早く終わらせれば、その分子供と過ごす時間も確保できる。 フロガの言うように決して安全な仕事ではないが、日雇いの仕事で長く働くより、身体は楽であった。
「これくらいでいいかな。 そろそろ帰りましょうか」
「え、もう良いんですか?」
「充分ですよ」
神都の方から昼2ツの鐘の音が聞こえる。
今から神殿へ行ってギルドで報酬を貰っても明るいうちに家へ帰ることができるのだ。
このところ、朝早くから夜遅くまで働いていて、まともに息子と食事を共にしていなかったが、久し振りに向かい合って食事をすることができる。
そう思うと、ロネスは嬉しくてたまらなかった。
「ロネスさん、食事が必要だったら是非うちに寄ってください。 半額で提供しますよ」
「良いんですか!? 昨日いただいた料理、すごく美味しくて息子も喜んでいました」
「それは良かったです。 そうだ、息子さんの好物はありますか?」
「ああ、息子はラザニアが好きで……俺と好物が同じなんですよ。 やっぱり似てくるもんですね」
息子の好物の話をしながら帰路につく。
雑木林を抜けて、ギルドへ戻り、薬草と引き換えに報酬を貰った。
この金額なら、壊れていた魔石の購入が出来るし、食費にも困らない。
病弱な息子を病院に通わせる事もできるだろう。
「フロガさん、今日はありがとうございました。 俺、しばらく冒険者をやりながら仕事を探してみます」
「何かわからない事があったらいつでも聞いてください。 新しい仕事、見つかると良いですね」
ロネスが深く頭を下げてから、軽く手を振る。
フロガも手を振り返して、ヴァルムへと帰ることにした。
**********
「ただいま」
帰ってきたフロガが、薄暗い部屋の中に声を掛ける。 しかし返事はない。
いつもの事なので気にしないのだが、今日は家の中に気配すら感じなかった。
「天狐? ……いないのか?」
いつものソファにも、寝室にも、浴室にもいない。
珍しく出掛けているようだ。
何か厄介事を起こしていないか心配だが、何処へ行ったのかわからないのに探しても無駄だろう。
フロガは仕方なくソファに座り、天狐の帰りを待つことにした。
──フロガが帰ってくる少し前。
神殿前でロネスと別れた頃へと遡る。
フロガもロネスも気付いていなかったが、二人の姿を隠れてみている者がいた。
目立たないように、いつもとは違う服を着て、長い髪をアップにし、瞳の色を魔具で変えて、その辺にいる小娘に紛れた彼女はロネスの後ろを離れて歩いて行く。
当然、ロネスがそれに気付くことはない。
魔石を購入してからいつものように自宅へと向かい、小さくて古い家の中へと入っていくロネスを見届け、天狐はそっと窓から様子を伺った。
「ただいま、プッペ。 今日はフロガさんと一緒に冒険者の仕事をしてきたんだ……おかげで魔石も買えた。 これから寒くなるから暖房魔具が使えるようになって良かったよ」
誰かに話し掛けているようだが、角度が悪くて確認が出来ない。
しかし、ロネスは随分楽しそうに話していた。
「ああ、そうだよ。 今度ラザニアを作ってくれるんだって……あはは、そうだな。 楽しみだ。 お父さん、もっと頑張るよ」
相手の声が小さすぎて聞こえない。
しかし「お父さん」という言葉から察するに、プッペとはロネスの息子の名前だろう。
息子なんて居らず、フロガを良いように使っているのではないかと思っていた天狐だったが、どうやら違ったらしい。
「私の思い違いか……」
独り言を呟く。
それからロネスが食事の準備のために立ち上がると、ベッドへ横になっている子供の姿を確認した。
五、六歳程度の、ロネスと同じ青色の目をした色の白い少年だ。
病弱だと言っていた通り、顔色が悪く線も細い。
ベッドの中で殆ど動くこともなく、じっとロネスを眺めている。
食事の準備を終えたロネスが、再びプッペのベッドまで運ぶのを確認してから、天狐はヴァルムへと戻ることにした。
親子の食事風景など、興味のかけらも無いからだ。
──天狐が帰ると、丁度食事が出来上がった所だった。
いつもと服も髪型も違う天狐を見て、フロガは少しだけ驚いたが、やがて察したように表情が戻る。
「どこからつけてた?」
「神殿からだ」
「へぇ。 それで、何かわかったの」
「何の変哲も無い男だったという事だけだな」
「やっぱりね。 お前が気にし過ぎなだけだよ」
そう言って、フロガは焼き上がったばかりのラザニアをテーブルの上に並べて切り分けた。
トロリと伸びるチーズを眺めつつ、天狐が椅子に座ると切り分けられたラザニアが前に置かれる。
「これ、今度作ってやると言ったそうだな」
「そうだよ、だから試作してみたんだ。 食べてみて」
ミートソースの甘い香りが食欲をそそり、天狐は言われるままに熱々のラザニアを口に運んだ。
とろけるチーズ、ミートソース、ベシャメルソースが口の中でひとつとなり、贅沢な幸福感に満たされる。
もちもちとしたパスタ生地とごろりとした挽き肉は、同時に満足感を与えてくれた。
「悪くない」
「チーズを三種類混ぜてみたんだけど、匂いとか気にならない?」
「ああ」
「良かった」
淡々とラザニアを口に運ぶ天狐を見て、フロガが嬉しそうに微笑む。
天狐がこうして食べる時は本当に美味しいときなのだとわかっているからだ。
フロガも食事を始め、美味しくできたであろうラザニアを口に入れた。
「うん、美味しい。 なあ天狐、今度そのワンピース着てデートしようか」
「これは捨てるつもりだったんだが」
「ええ……勿体無い。 似合ってるし、可愛いよ」
「…………急に褒めるな」
顔を背ける天狐の頬は薄っすらと赤らんでいた。
*****
あれから三ヶ月。 ロネスは週に三回ほどヴァルムに来店するようになった。
主菜や副菜をいくつかテイクアウトしては、なくなる頃にまたヴァルムへ来る。
心なしか、初めて会った頃より表情も明るくなり、体格も良くなってきた。
冒険者の簡単な依頼をやりつつ、日雇いの仕事にも精を出しているようで、金銭面でも大分余裕が出たようだ。
「プッペがまたラザニアを食べたいと言ってまして……あいつ、毎日でも食べそうですよ」
「気に入ってもらえて良かったです。 プッペくん、いつかお店にも来れると良いですね」
「毎回約束するんですが、遠出はまだ難しいみたいで……でも、最近は短時間なら外出できるようになって来たんですよ。 きっとフロガさんの料理のおかげだ」
テイクアウトのついでに、軽食を少しつまむ。
ついでにエールを一杯飲みながら小一時間ほど近況をフロガに話したり冒険者の話をしたりするのがロネスのルーティンのようだ。
最近では、うっかり危険な依頼を受けてしまった、だとか雑木林に不思議な魔獣が現れて騒ぎになった、だとかロネスは冒険者の仕事にずいぶん慣れてきたようだった。
「そうそう、前にフロガさんが言っていた西区の依頼なんですが、本当にやばかったんですよ」
「受けたんですか、依頼……」
「俺と同じブロンズの冒険者の友達ができたんですが、一緒に受けようって言われてつい……」
「気をつけてくださいね。 それから、前にも言いましたがハルラー森林は……」
「大丈夫ですよ! ちゃんと行かないようにしてます」
なんだか危なっかしい。
だからフロガは今一度ハルラー森林に出る魔獣の話をすることにした。
力強い岩猪や轟猛牛だけではなく、フラッフィーマッシュのような一見弱そうで厄介な魔獣だっている。
特に初心者ほど、慣れてくると自分の力を過信するものだ。
「ロネスさん。 冒険者の仕事はあくまでつなぎですから、受けるなら神殿の依頼や他に同行者がいる簡単な依頼にしてくださいね」
「あはは、フロガさんは心配性だなあ。 本当に大丈夫ですよ。 実は俺、そろそろ仕事決まりそうなんです」
「え、そうなんですか?」
「買い物の依頼で知り合った武器屋に前の仕事の話をしたら、来月からお試しで来て欲しいって言われて……これもフロガさんのおかげです」
今日はその報告をしたかったのだと、ロネスは言った。
「おめでとうございます! 早く帰ってプッペくんにも話してあげてください」
「本当にフロガさんにはお世話になりました」
照れたように頭を掻くロネスに、フロガは心の底から祝福した。
まだ武器屋で正式に働けると確定した訳ではないが、希望がある。 それは自分のことのように嬉しかったのだ。
「今月いっぱいは冒険者の仕事を続けるつもりです。 プッペを医者にも見せたいですしね。 ……安定するまでは、まだフロガさんの世話になりそうです」
「構いませんよ。 栄養のあるものをたくさん作るのでいつでも来てください」
「本当にありがとうございました。 プッペの具合が良ければ、次回連れて来ます。 あいつ、フロガさんに会いたがっていたので……」
「ええ、お待ちしておりますね」
沢山の弁当箱を抱えるロネスが、軽く会釈して店を出る。
フロガも笑顔で見送った。
──そんな会話をしたのが土の日の夕方である。
いつもなら、火の日には来るロネスが来なかったことに、フロガは違和感を覚えていた。
「なあ天狐。 今週ロネスさんが来ていないんだ……」
「就職先が決まったから気が抜けてるんじゃないのか。 飯屋はうちだけじゃないだろ」
「それはそうだけど、何かあったんじゃないかな」
今日は鉄の日であるが、ロネスは来ていない。
カウンターに座る天狐が夕飯を食べているのを眺めながら、フロガはため息をついた。
「大体、お前はお人好し過ぎるんだよ。 放っておけば良い」
「そうもいかないよ」
今度は天狐が呆れ気味にため息をつく。
それから黙々と夕飯を平らげ、空になったプレートを持ち上げたその時、ドアベルの音が鳴った。
思わず二人でドアへ視線を移す。
「よおマスター、とりあえずエールね」
「なんだドッドウェルか」
「天狐! お客様に失礼だろ! すみません、ドッドウェルさん」
ドッドウェルが首を傾げ、カウンターへ座る。
「なんかごめん……誰か待ってんの?」
「いえ、違うんです。 最近来てた常連さんが急に来なくなったので話していたところで……」
「へえ、そうなんだ。 誰のこと? 俺の知ってる奴だったら何かわかるかも」
「ロネスさんというんですが……」
フロガからエールを受け取り、半分ほど流し込む。
何か考えるように黙ると、ドッドウェルは「あっ」と声を上げた。
「ロネスか! 元鍛冶屋のロネスだろ?」
「そうです! 知っているんですか?」
「よく日雇いの仕事で会うんだ。 子供の話ばっかりするやつでさ。 最後に会ったのは……この前の火の日だったかな」
ドッドウェル曰く、その日のロネスは妙にテンションが高かったという。
理由を聞けば「子供の病気を治せる医者」が見つかったのだと言っていた。
しかし同時に「金が無い」とも。
「金が出来たら治療して貰えば良いだろって言ったんだけど、なんか焦ってたな、あいつ」
「お金……もしかして、それで危険な依頼を受けたんじゃ……」
「有り得るかもな。 でもマスター、そんなのあいつが勝手にやったことだろ」
ドッドウェルの言葉に、フロガは首を振った。
「冒険者の仕事は俺が紹介したんです。 ……ドッドウェルさん、すみませんが今日は臨時休業します」
「えっ」
「天狐、戸締まり頼む。 俺は冒険者ギルドに確認してくる」
「は? ……おい」
天狐が反論の声を出すよりも早く、フロガは片手剣と外套を掴んで走って行ってしまった。
残されたドッドウェルと顔を見合わせる。
ドッドウェルは半分残っていたエールを飲み干して、大きく息を吐いた。
「……なあ、もう一杯いい? あとつまみ欲しい」
「……あいつが皿に盛ろうとしていた唐揚げがある。 それでいいか」
「やったぜ! ああ、そうだ。 最近西区で泥棒が多くてさあ、うちでも……」
「お前と世間話をするつもりはない」
ドッドウェルの言葉を遮るように、ボウルに入った唐揚げがそのまま置かれる。
エールも置かれたが、天狐からは無言の威圧を感じた。
早く帰れと言うことだ。
「あんた、マスターとは正反対だね……マスターはあんたの何処に惚れて結婚したの?」
「黙れ。 食ったら帰れ」
「冷たいな……俺たち似た者同士じゃん」
「黙れと言っている」
鋭い眼孔で睨まれる。
ゆっくり酒を飲みたかったが仕方が無い。
ドッドウェルは唐揚げを放り込みつつ、新しく出されたエールを胃に注いだ。
*****
フロガがギルドへ確認したところ、ロネスは火の日に依頼を受けたきり戻って来ていないという。
依頼の内容は薬草の採取。
しかしその薬草がある場所は、危険だと注意していたハルラー森林であった。
(報酬に釣られたのか……確かにうまくいけば簡単な依頼だけど)
ハルラー森林の奥は迷いやすい。
危険な魔獣もいる。
ただ迷っているだけならいいが、魔獣に襲われたのであれば死んでいる可能性が高い。
そんな不安がフロガの頭を過る。
(とにかく急がないと……!)
どうか無事であって欲しい。
不安と焦りを振り払うように、フロガはギルドを飛び出てハルラー森林へと走った。
──夜のハルラー森林は不気味な程静かである。
静かではあるが、いつ魔獣が出てきてもおかしくはない。
奥へ進むほどに草の背は高くなり、道も悪くなる。
慣れているとはいえ、注意して進まなければいけない。
依頼の薬草があるのは、ここよりもう少し奥へ行った場所。
その近辺にロネスがいるかはわからないが、フロガは岩の隙間などのヒトが休めるような場所を見ながら進んだ。
そうしているうちに、遠くから草を分ける音が聞こえた。
──冒険者か、魔獣か。
こんな夜更けなら魔獣かもしれない。
片手剣に手を掛け、フロガは身を低くした。
「フロガ」
聞き慣れた声だ。
それからすぐに見慣れた姿が見えた。
「天狐……遅かったな」
「お前が全部放って出ていったからだろ。 この馬鹿が」
「ごめんごめん。 でも来てくれて助かったよ」
「さっさと見つけるぞ」
そう言って天狐が指を弾いて結界を張る。
足で探すよりも断然早い方法だ。
しかし、この付近には気配を感じられない。
「ここにはいないようだ」
結界を張ったまま、更に奥へと進む。
カウィブ湖の近くまで来た時、天狐が足を止めて辺りを見渡した。
「あの洞窟の中に誰かいる」
ロネスであって欲しい。
そう願いながら、小さな洞窟の中へ入る。
明かりで照らしながら「ロネスさん」と声を上げれば、岩の隙間からうめき声が聞こえた。
「フロガ、さん……?」
「ロネスさん!」
大分衰弱しているが、なんとか生きている。
足と腕に怪我をしていて、身動きが取れなかったようだ。
「すいません、俺……どうしても金が欲しくて……でも、途中で迷って、魔獣にも会っちまって……」
「無事で良かったです。 早く帰って手当をしましょう。 それから話を聞きますから……」
謝るロネスを背負い、天狐に目配せする。
転移魔法を使って、すぐにギルドに付属された病院へと向かった。
その最中で、ロネスの意識はどんどん遠のいていた。
「プッペが……家で腹を空かせて待っているんです……」
譫言のように息子の名前を繰り返す。
「大丈夫ですよ、ロネスさん。 プッペくんは俺が様子を見てきます」
意識が途切れる寸前、ロネスはそんな言葉を聞いた気がした。
*****
ロネスを病院へと運び、フロガは東区の住宅街へと向かった。
暗かった空はすっかりと陽が昇っていて、ランニングをする者や朝市へ向かう者とすれ違う。
そんな中で、フロガはロネスの家を探していた。
「天狐、お前ロネスさんの後をつけてたんだろ? 家の場所覚えてないのか?」
「興味がないからもう忘れた。 確かこの辺だったはずだが」
似たような外観の似たような小さな家が立ち並ぶ。
少しずつ装飾などは違うようだが、天狐はどれがロネスの家だったかは覚えていない。
「仕方ない、近所のヒトに聞くか……」
ちょうど、朝市へ向かうだろう婦人が歩いている。
すかざずフロガが婦人へ声をかけてロネスの名前を出してみると、婦人は怪訝そうに声のトーンを下げた。
「ロネス……? ああ、あの。もっと奥の家だよ」
「ありがとうございます」
「誰かが訪ねてくるなんて珍しいね。 ずっと独りだから友達もいないのかと思っていたよ」
「……え? あの、ロネスさんはお子さんがいると聞きましたが」
「子供? いや、見たことないね。 結婚もしてなかったはずだけど」
天狐と顔を見合わせる。
ヒト違いだろうか。
しかし、ロネスという人物はこの辺には一人しかいないと婦人は言った。
嫌な予感がしつつ、フロガは婦人に礼を言ってロネスの家へ向かう。
奥の路地へ進めば、先程と同じような小さい家が建ち並ぶ場所に出た。
婦人はロネスの家には茶色いストライプのカーテンがあると教えてくれたので、家の窓を順番に眺める。
すると、家の前に誰かが立っているのが見えた。
「すみません、ここはロネスさんの……」
言いかけて、言葉を止める。
振り返った人物は、淀んだエメラルドグリーンの瞳でフロガを見据えた。
「フロガくん。 久しぶりじゃないか」
「アルフレートさん……どうしてここに?」
「ここはロネスという男の家だろう? 集金に来たんだが、誰も出てこない」
アルフレート……というのはクリフ・リンドールの偽名である。
妙な薬やキメラやホムンクルスを作ることを生業としている自称天才の錬金術師だが、そんな男がロネスの元へ集金に来た。
ということは、ロネスはこの胡散臭い男から胡散臭い物を買ったということだ。
フロガは眉を顰め、クリフに問う。
「集金……? ロネスさんが何か買ったということですか?」
「まだ買ってはいないがね。 でも前払いを約束したんだよ」
フロガはドッドウェルの言っていたことを思い出した。
確か「息子の病気を治してくれるヒトを見つけた」とロネスが言っていたと。
この男は奇妙な薬を作るが医者ではない。
もしかして、ロネスは騙されていたのだろうか。
フロガが考えていると、クリフが家のドアを叩いた。
しかし、返事もなければヒトの気配も感じない。
少し待ってから、クリフはドアノブをいじり始めた。
「フロガくんはロネスと知り合いなのかね」
「うちの常連さんです。 ロネスさんが怪我をしてしまって、家にお子さんがいるそうなので様子を見に来たんです」
「……子供、ね」
何か含みのある言い方だ。
「何か知っているんですか?」
「見ればわかるさ」
ドアノブをガチャガチャといじっていたかと思うと、ドアが開いた。
そのまま遠慮無く家に入っていくクリフを見て戸惑っているフロガを、天狐が小突く。
「きな臭くなってきた。 フロガ、帰るなら今だぞ。 関わらないほうが良い」
「……大丈夫。 行こう」
薄暗い部屋の中にはヒトの気配がない。
必要最低限の家具が置かれた部屋の中では、キッチンのシンクに洗われていない食器が積まれ、ソファには着替えが散乱し、部屋の隅にはゴミ袋が置かれたままだ。
肝心の、ロネスの息子であるプッペはリビングにはいない。
隣の寝室を覗くと、クリフがじっと佇んでベッドを眺めていた。
「あの……プッペくんは」
フロガは言葉を呑んだ。
まず視界に入ったのは、この小さな家には似合わない大きなベッド。
ベッドの周りには、子供が遊ぶような兵隊のおもちゃや魔石で動くおもちゃの馬車、クマのぬいぐるみ等が所狭しと置かれている。
ベッドに敷かれたふかふかの毛布には、少年が包まっていた。
しかしその目は、開かれたままである。
「これは私の家から盗まれた人形だ」
淡々と、いつもの調子でクリフが呟く。
毛布を捲り、少年を持ち上げてフロガに見せた。
「ヒトに見えるだろう? これは有名な人形師から買ったものだ。 ヒト型キメラの材料にしようと思ったんだがね、失敗したので放置していたところを盗まれたんだ」
「それじゃあ、アルフレートさんはその子を取り返そうとしてロネスさんに近付いたんですか?」
「いや、これはもう私には必要ない。 それに近付いてきたのはロネスの方からだ」
──この子に命を与えて欲しい。
ロネスはそう言った。
それは、クリフが家の掃除と買い出しの依頼を出したときのことだった。
たまたま依頼を受けに来たロネスが、以前クリフの家にあった人形を盗んだことを素直に白状したうえでこう言ったのだ。
「錬金術師は命だって作れるんでしょう? なら、あの子に命を与えてください。 俺は、あの子と本当の家族になりたいんだ……!」
ロネスの人形へ対する情熱は異常であった。
それは家族というものへの執着だったのか、それとも孤独への恐怖なのかはわからない。
ただクリフは何となく、気まぐれで、ロネスのお願いを受けることにしたのだ。
魔力が高く、戦闘能力に長けたキメラやホムンクルスにすることは無理でも、何の力もないヒトもどきであれば容易に作ることができる。
それを命というのか、疑問ではあるが。
「彼はここでずっと家族ごっこをしていた。 だが次第にごっこ遊びでは満足できなくなったのだろうね。 虚しい男だ」
クリフが人形を抱えて家を出た。
二、三歩歩いたところで振り返り、フロガの後ろにいる天狐を流し見てから、再びフロガの目を見た。
「この人形に出会うまで、彼は生きることに希望を見いだせなかったそうだよ。 いつ死んでもいい、そう思っていたらしい」
フロガが眉を顰める。
その後ろでは、天狐の鋭い眼孔がクリフを睨んでいた。
しかしクリフは眉一つ動かさない。
それからゆっくりと口を開いた。
「フロガくん、昔の君と同じだね」
──ゴォン、と刻を知らせる鐘がクリフの言葉に被さった。
「……なんです? すみません、よく聞こえなくて」
「失敬、何でもないよ。 さて、私はこれからロネスの希望通り、この人形を改造する。 完成したら、きっと君の店にも行くだろう」
そう言うと、クリフは再び前を向いて歩みを進めた。
黒い白衣と三つ編みが風に靡いている。
「なんだったんだ……?」
不思議そうにするフロガの傍らで、天狐は険しい表情のままクリフの背中を睨み続けていた。
*****
あれから一月。
街は星まつりの準備が着々と進み、黄金色のイルミネーションが目立つようになっていた。
ヴァルムでは乳を使った料理の注文が増えている。
クリームシチュー、グラタンやドリア、それにラザニア。
ラザニアを作る度、フロガはロネスの事を思い出した。
あれからロネスは、一度も顔を見せていない。
見舞いにも行ってみたが、もう退院したあとであった。
家は引き払われ、行方もわからない。
元気であればそれで良いのだが、フロガは何となく胸に引っ掛かっていた。
「どうした、フロガ」
ぼうっとしてしまっていたのだろう。
見かねた天狐が訊ねる。
「いや……ロネスさん、どうしてるかなって」
「今頃あの人形と暮らしてるんじゃないのか。 そういうことにしておけ。 気にするだけ無駄だ」
「ああ、わかってる」
「わかってんなら、思い出すのはよせ」
「ああ」
上の空で返事をしたことで、天狐は顔を顰めてしまった。
食べ終わった昼食のプレートを下げ、フロガの肩を軽く小突くと二階へ上がっていく。
こういうとき、フロガに何か声をかけても無駄だからだ。
天狐が二階へ上がってからしばらくして、ドアベルが鳴った。
「お久しぶりです、フロガさん」
「ロネスさん!」
噂をすれば影がさす、とはこのことだろう。
久しぶりに現れたロネスは、最後に会った時よりずっと明るい声でにっこりと笑った。
そしてその背後には、あの時ロネスの部屋で見た男の子の人形が立っている。
「フロガさん、息子のプッペです。 プッペ、ご挨拶しなさい」
「こんにちは……」
「こんにちは。 いらっしゃいませ、プッぺくん」
プッぺと呼ばれた少年は、はにかむように笑った。
促されるままに椅子へ座り、グラスの水を飲んでロネスと一緒にメニュー表を眺めている。
注文するのはラザニア。
程なくして出てきたラザニアを食べ、嬉しそうにする姿は見れば見るほどヒトそのものだ。
誰も彼を人形だったものとは思わないだろう。
最初からずっと親子だったかのように振る舞うロネスも、楽しげにしている。
だからフロガは、余計なことを聞かないことにして、自然に振る舞った。
「ありがとうございました、フロガさん。 ずっと来れなくてすみません」
「いえ、いいんですよ。 こうして顔を見せてくれましたし」
「あの時、フロガさんが助けてくれたおかげです」
「……元気そうで良かったです」
一瞬、フロガはあの日の話をすることを躊躇した。
ロネスはフロガが家に行ったことを知っているのだろうか。
それとも、家にはクリフ一人で行ったと思っているのか。
とにかく、プッぺが人形だったということは、胸の奥底にしまった方がいいだろうと思った。
「仕事も順調だし、先生の家が近い西区に引っ越したんです。 おかげでプッぺの調子も良くなりました」
「そうだったんですか。 プッぺくん、顔色も良いし食欲もあるみたいですね」
「ええ。 とても人形だなんて思えないでしょ?」
思わぬ一言に、フロガは言葉を詰まらせた。
ロネスは相変わらず笑顔を浮かべている。
「フロガさん、あの時家に来てくれたんですよね? どうですか、プッペは。 どこをどう見てもヒトでしょう?」
「……そうですね」
「先生のおかげだ。 ちょっと高かったけどあのヒトに頼んで良かった」
「あの、ロネスさん。 どうして俺にそんなことを?」
黙っていれば何もわからない。
自然に親子として、ヒトとして接していれば良いのに、わざわざフロガに確認したのは今の状況を肯定して欲しいからだ。
つまりは、承認欲求。
しかし、承認欲求以外の目的があるようにも思えた。
ロネスは、張り付いたような笑顔を崩さずに口を開く。
「フロガさんは、俺と同じだから」
「……同じ?」
「だってそうでしょう。 フロガさんも夫婦ごっこをしている。 だから、俺と同じだって安心させてあげようと思ったんです」
「何を言っているんですか」
「あの部屋、独り者の俺と同じだ。 奥さんも本当はヒトじゃないんでしょ? すごく綺麗ですし……ね! そうでしょ?」
フロガは黙って眉を下げた。
ロネスの隣にいるプッペは、不思議そうな顔でロネスを見上げている。
幸い、話の内容はよくわかっていないようだ。
「ロネスさん。 確かに妻はヒトじゃないかもしれません。 でも俺はごっこ遊びなんてしてるつもりはありませんよ」
「ははっ……そんなの」
「天狐は俺の妻です。 プッペくんはあなたの息子さんなんですよね。 本当にそう思っているのなら、そんなこと二度と言わないでください」
張り付いていた笑顔が消える。
そんなロネスをフロガは紫紺色の瞳でじっと見つめた。
「……お父さん?」
短い沈黙はプッペの小さな声で破られた。
我に返ったかのように唇へ笑みを浮かべたロネスがプッペの手を握る。
「ああ、悪い。 帰ろうか、プッペ」
カラン、とドアベルが鳴る。
鳴り終わる頃には扉は閉まっていた。
今日のロネスは「また来ます」とは言わなかった。
きっと、もうここに来るつもりはないのだろう。
フロガは軽い溜め息を吐いて、閉店作業をするために外へ出る。
メニュー表を片付け、店内へ戻るといつの間にか天狐がカウンターに座っていた。
「あの男、きっとすぐに飽きるだろうな」
「ロネスさんのこと?」
「人形が少しでも自分の思った通りの言動をしないと、勝手に幻滅して興味を無くす。 それにもっと魅力的なものに会ったとき、紛い物は簡単に捨てられる」
「……お前の話?」
「ヒトの形をした紛い物、という点ではあのガキも私も同じようなもんだな」
頬杖をついている天狐の隣に座る。
カウンターに置いた手を見つめて、フロガは首を振った。
「俺は……プッペくんことも、もちろんお前のことだって、紛い物だなんて思ってない」
「わかっている……私は幸運だな。 初めて会ったとき、お前を殺さなくて正解だった」
「……殺せなかったくせに」
「黙れ」
眉間に皺を寄せた天狐が軽く肩を小突く。
その様子にフロガが思わず笑ってしまうと、天狐も少しだけ口の端を吊り上げた。
*****
それからまた二週間ほど経ったころ。
街に降り注ぐ雪が、イルミネーションに反射してキラキラと輝く午後の事だ。
急に降り始めた雪の影響なのか、今夜のヴァルムは極端に客が少ない。
「今日は暇だな……」
ボヤきながら、昼の客が置いていった新聞を広げる。
見慣れた実家の名前を視線の端に捉えたところで、フロガは新聞を閉じた。
たまに新聞を開くといつもこれだ。
げんなりしていると、ドアベルが鳴った。
「ひでぇ雪だなあ。 マスター、エールとラザニアくれ」
長い黒髪とエメラルドグリーンの瞳の男。
常連のドッドウェルだ。
「いらっしゃいませ。 ドッドウェルさん、ラザニアを注文するなんて珍しいですね」
「ああ、こいつが食いたいって言うんでね」
そう言ってドッドウェルが視線を落として後ろを振り返る。
フロガも釣られてドッドウェルの後ろを見ると、プッペがそっと顔を出した。
「……プッペくん? どうして」
「返品されたんだ。 勝手だよなぁ」
「そんな……だって、大事な息子って……」
「家族ができたんだと。 ほら、新しい仕事先の武器屋。 そこの娘と結婚したらしいぜ」
ついでにその娘には連れ子がいたそうだ。
渇望していた本物の家族が手に入ったのだから偽物はお払い箱ということなのだろう。
肩をすくめるドッドウェルの横で、プッペは大人しく座っている。
まるで何も知らないみたいに、最初からロネスなんていう父親など居なかったかのように、フロガへ微笑みかけた。
「この子はどうなるんですか?」
「あと一月くらいで動かなくなる……そういう仕様なんだ」
フロガが険しい顔をしたので、ドッドウェルは慌てて付け足した。
「仕様?」
「そう。 ホムンクルスやキメラと違って、簡易的に作ったものだから定期的なメンテナンスが必要なんだよ。 ヒトみたいに飯食っただけじゃ回復しない」
そもそも食事を摂る必要なんてない。
これは「息子は自分と同じラザニアが好物」という「設定」を設けているロネスを喜ばせる為のアクションにすぎないのだ。
「だからこいつには感情も心もない。 設定通りに動いて喋るだけの人形だ」
「それは、あまりにも……」
「でもそれを望んだ奴がいた。 ま、本物には敵わなかったみたいだけどな」
酷い話だよな。
そう言ってドッドウェルは出されたエールを喉へ流し込んだ。
「俺には理解できません」
「俺もそうだよ。 家族ってそんなに良いものかね?」
「ヒトによりますよ」
「マスターがそんな事言うなんて意外だな」
「……そうですかね」
苦笑いするフロガに、ドッドウェルはそれ以上何か言うことはなかった。
ふいにプッペがドッドウェルの裾を引く。
「ねえ、ドッドウェル! 良い匂いがするね」
「ああ、チーズの匂いだ」
ラザニアのチーズが焼ける匂いに、プッペが子供らしく笑う。
しばらくして出てきたラザニアを見て、また嬉しそうに声を上げた。
スプーンを手に取り、湯気をあげるラザニアに息を吹きかけて口に含む。
美味しそうに笑うプッペを横目に、ドッドウェルは残りのエールを口に入れた。
「美味いか」
「うん!」
「良かったなぁ」
ドッドウェルがプッペの頭を撫でると、彼は嬉しそうに目を細めた。
「ねえ、ドッドウェル! 帰ったら雪合戦しようよ!」
「ああ? やだよ。 寒いし」
「えー、しようよ! 雪だるまでもいいから!」
「あーもう、しょうがねぇな」
そんな二人の様子をフロガはただ黙って見ていた。
*****
二人が帰ってから、客は一人も来なかった。
雪の勢いが増した窓の外は真っ白で、何も見えない。
これ以上開けていても客は来ないだろう。
今夜はもう店を閉める事にして、フロガはドアの鍵をかけて片付けを済ませた。
二階の住居スペースへ戻ると、ソファに腰掛けていた天狐が少し驚いたように尻尾を揺らした。
「どうした」
「今日はもうお客さん来ないかなって」
天狐が窓の外を見て納得する。
それからソファの端へ寄ると、隣にフロガが来るのを待った。
「天狐、何か飲む?」
「あ? ……ああ、飲む、かも」
天狐はローテーブルの上にあるマグカップへ視線をやる。
フロガはそれに気づいていないようで、真っすぐキッチンへ向かって行ってしまった。
まだ中身が残っているマグカップを手に取り、飲み干す。
キッチンでマグカップを探しているフロガの横へ行き、空のカップをそっと置いてソファへ戻った。
しばらくして、はちみつ入りの紅茶を持ったフロガが天狐の隣に座る。
顔を覗き込んでみたが、いつもと変わらないように見えた。
「何かあったのか」
フロガが眉を微かに顰めた。
「なんでも……」
「何かあったな」
「……お前の言う通りだった」
天狐が首を傾げる。
フロガは今日プッペに会ったことをポツリポツリと話し始めた。
「なるほどな。 でも、動かなくなるだけで壊すわけじゃないんだろ」
「……人形師に返すんだって」
「なら良いじゃないか。 なんでお前が落ち込んでるんだよ」
「……俺、落ち込んでる?」
「そう見えるが」
フロガの背中に天狐の尻尾が絡む。
その柔らかさに身体を預けながら、フロガはようやく自分の気持ちが沈んでいる事に気付いた。
「強盗をする程切羽詰まって大切にしていたものを、簡単に捨てられるものなのかなって思ってたんだ」
「……あの男、多分盗みの常習犯だぞ」
「えっ、なんで」
「近所に住む女が言っていた。 丁度、お前が錬金術師と一緒にドアノブをいじっていた時だ」
そのとき、遠目に見てる女がヒソヒソ話しているのを天狐は大きな耳で聞いていた。
やれ、泥棒の家に泥棒が入っている、だとか。
警備隊に連れて行かれているのを何度も見た、だとか。
家の物が無くなった翌日に、ロネスが同じものを持っていた、だとか。
それを質にいれていた、なんて話もしていた。
だから天狐は「きな臭くなってきた」とフロガに忠告したのだ。
「あの男にとって、盗むのも捨てるのも同じようなものなんだろ。 家族って言葉に酔ってただけだ。 断言してやる。 あいつに愛情なんてものはない」
「……でも、あまりにもプッペくんが可哀想だよ」
「ああ、そうだな。 でも、元の人形に戻れたんだ。 そして元いた家に戻れる。 その方があのガキにとっては良いんじゃないのか」
求められるままに理想を演じるより、ずっと良いはずだ。
元は喋る必要のない人形だったのだから。
そう考えると、フロガも沈んでいた気持ちが少し晴れていくような気がした。
そして、自分の中で再確認するように口を開く。
「……なあ天狐。 俺は、お前の事を大切なパートナーだと思ってる」
「なんだよ、急に」
「お前以外考えられないし、考えたくもない」
「だから……なんなんだよ……」
急に真顔でそんな事を言ってきたものだから、天狐は思わず顔を背けてしまった。
薄っすらと頬を染める天狐を見て、真顔だったフロガが少し笑う。
「言いたくなっただけ」
「ふざけんな」
どうせなら「私も」と愛の言葉が欲しかったところだが、天狐がそれを言ってくれる事はあまり無い。
しかし、そこが天狐の良いところでもある。
理想通りの言動をするよりも、こうして悪態をついたり思ってもいなかった行動をしてくれる方が楽しい。
照れ隠しに九つの尻尾がフロガを叩き始めた。
痛くも痒くもないそれは、柔らかくて気持ちが良くて良い香りがする。
フロガはゆっくりと目を閉じて、しばらく尻尾の柔らかさに身を任せた。




