アップルパイ
早朝の冷たい空気を、一本の矢が引き裂いた。
ひゅんっ、と乾いた音の後、まるで吸い込まれるように野をかける兎を貫く。
「よし、こんなもんか」
昇ってきた朝日に輝く金髪を靡かせて、天狐は兎から矢を抜いた。
今日はこれで五羽目だ。 他にも鹿を一頭と、罠を仕掛けておいた川で魚もいくつか獲れた。
山菜も沢山採ったし、庭で栽培している野菜と合わせれば、今日の営業も滞りなく回るだろう。
そしてフロガが
「えらいぞ。今日はおやつを倍にしよう」
と、言うはずだ。
……言うだろうか。 いや、言うかもしれない。
そんなこと今まで一言も口にしたことはないが。
そうじゃなくても、毎日こうして狩りをしているのだ。 たまにはおやつを倍増してくれても良いはずなのだ。
「今日はアップルパイがいいな……」
そんな甘い独り言を呟きながら、天狐は獲った獲物を抱えて自宅へ戻った。
「おかえり、天狐」
帰ってきた天狐を見るなり、フロガがにこりと微笑む。
手には市場から仕入れてきた食材が入っている袋が下げられていた。
そんなフロガを尻目に、天狐はバッグ型魔具から獲物を次々と取り出していく。
「今日もいっぱいだなぁ」
積まれる獲物が新鮮なうちに、大型の冷却魔具へとフロガが移動させる。
いくつかは今日のランチ用に避け、厨房の隅へ置いた。
「そうだろう。感謝しろ」
「ああ、ありがとう」
「で?」
「何が?」
フロガが首を傾げる。
続けて何か思いついたように「ああ」と声を上げた。
「朝食できてるよ」
「ヨシ!」
そうじゃない。
そうじゃないが、腹は減っている。
シャワーで軽く汗を流してから、定位置にしているカウンターの隅に座ってじっとしていると、フロガがパンとサラダを持ってきた。
続けてスクランブルエッグとカリカリに焼かれたベーコン、ハチミツがかかったヨーグルトと暖かいミルクスープを天狐の前に並べ、フロガも隣の椅子に座る。
それから一緒に朝食をとった。
食事を終えるとフロガは再び仕込みへ戻る。
それをぼんやりと眺めながら、天狐はゆっくりと目を閉じ、微温い睡眠の中へ飲み込まれていった。
「天狐。そろそろ開店だから、二階に行ってな」
ゆらゆらと肩を揺すられる。
しかし早朝の狩りの程よい疲れと朝食の満腹感で形成された睡眠は、そう簡単に破れるものではない。
「仕方ないなぁ」
ヒョイ、と天狐の体を持ち上げて、住居スペースへ続く階段を登る。
ベッドへ寝かせ、毛布をかけてやり、柔らかな髪を撫でて、フロガは再び店へ戻っていった。
天狐が目を覚ましたのは、昼も過ぎた頃。
ふわふわとした頭で階段を降り、店を覗くと客はおらず、フロガが洗い物をしていた。
「ああ、おはよう。 そろそろ店を閉めるから、札を裏返してきてくれ」
「わかった」
ぎい、と古いドアを開けて札を裏返す。
店内に戻り、椅子に座ろうとするとフロガから掃除用具を渡された。
「じゃあ、掃除よろしく」
「……面倒だな」
「おやつ食べるんだろ」
そうだった。本題はそこだ。
「倍にしろ」
「駄目だ。 そんなに食べたら夕飯入らないだろ」
「夕飯はいらない。 ケーキを寄越せ」
「駄目。 ちゃんとバランス良く食べるんだ。 大体、お前は少食だし、すぐ体調崩すし……」
「ああもうわかった、さっさと掃除するぞ」
ケチな男め……。
舌打ちをして掃除用具を握り締める。
しかし決してそれを放り出すことはしない。
おやつ自体を抜かれるからだ。
仕方なく掃除を開始して、店内を磨き上げていく。
程なくして、厨房の掃除を終えたフロガが窓辺の鉢植えに水をやっているのを横目に、天狐は箒を放り出してカウンターの隅に座った。
投げ出したように見えるがしっかり仕事を終えたのだ。
「さて、じゃあおやつ食べようか」
今日は何だろう。
ケーキか、パイか、スコーンか、それともマフィンか。
なんでもいいから甘いものが食べたい。
でも一番食べたいのは、アップルパイだ。
「今日はアップルパイだよ」
「上出来だ」
思わず賛辞の言葉を口にする。
賛辞には聞こえないが、天狐にしては褒めているのだ。
「アップルパイ食べたかったの?」
「……さあ、どうだろうな」
「食べたかったんだね」
天狐の前に、二切れのアップルパイが置かれる。
「今日は二つ食べていいのか!」
「何言ってるんだよ。 これは俺の分」
口を尖らせて見せるがフロガは見向きもせず、ティーカップに紅茶を注いでいる。
その紅茶を受け取り、早速アップルパイを一口含んだ。
サクサクのパイ生地、甘く煮込まれたりんご、鼻腔を抜けるシナモンの香り。
どれをとっても完璧だ。
にっこりと口角を上げる天狐に、フロガも釣られて微笑んだ。
「おいしい?」
「うまい」
「そっか、よかった」
そう言って、フロガもアップルパイを食べ始めた。
二人の間に楽しいお喋りというものはあまりない。だが、心地の良い静かな時間だとお互いに思っている。
こんな時間がずっと続けばいいとも。
「明日は魔獣を狩ってこよう。 コカトリスは美味いぞ」
「危ないからやめろ」
「ふん、この周辺の魔獣なんぞ、敵じゃあない。 だから明日のおやつは倍にしろ」
「そりゃあそうだろうけど、何かあったら大変だろ。 魔獣なら今度一緒に狩りに行こうよ」
「それなら、鹿を三頭狩ってきてやる。 どうだ?」
「うーん……じゃあクッキー一枚だけ」
「ケチな奴め」
「はいはい。 文句言うなよ」
次の日天狐は鹿を三頭と猪を一頭、それから大量の魚を狩ってきた。
それに圧倒されたフロガはクッキーを一枚から三枚に増やしてくれたのだが、天狐は不満なようで「割に合わない」と口にし、さらに次の日はいつも通りの獲物の量に戻っていた。
(あんまり無理されても困るからな)
そう。 安易に量を増やした事で毎日無理をされると心配になるのだ。
そんなことも知らず、天狐は出されたゼリィを今日も美味しそうに頬張っていた。




