プレートパン
とある休日、天狐はいつもよりずっと早い時間に目が覚めた。
外はまだ薄暗く、隣で眠るフロガがびくともしないことから、恐らく時間は明け1ツ。
いつもならもう一眠りする所であるが、天狐の目は冴えていた。
しばらくベッドの中でゴロゴロしてみたり、フロガの腕の中に収まってみたりしたが、一度冴えた目は中々落ち着かない。
仕方なくベッドから出て、リビングへ行く。
テーブルの上には、フロガが客から貰ったであろうプレートパンが置かれていた。
(いつも小麦とパンを注文しているパン屋のプレートパンか)
春まつりの季節はどこの店でもプレートパンを焼いている。
甘いものや塩っぱいものと様々であるが、このパン屋のプレートパンは中央に店の名前と住所が焼印されているから、一目でわかる。
天狐はそのパンを横目で見ながら、冷却魔具の中にある茶をコップに注いで飲み干してから、思い付いた。
「よし、私も焼くか」
フロガが起きてくるまで暇だ。
ただぼうっとするよりは、パンでも焼いて起きてきたフロガを驚かせるほうが面白い。
いつもの阿呆面が更に阿呆面になる事間違いないだろう。
天狐はすぐに下の階に行き、竈に火を入れた。
作るものは塩味のプレートパンを二種類。
一つはイーストをいれたもの。
もう一つはイーストを入れないもの。
気が向いたら付け合わせも作る。
フロガが使っているエプロンを付けて、天狐は早速材料を用意した。
まずは強力粉と塩、それからイーストと牛乳だ。
ひとつはイーストと牛乳を入れる。もうひとつは、強力粉とお湯と塩だけで生地を練っていく。
(……面倒くさくなってきた)
ある程度生地を練って、発酵の段階になると突然面倒くさくなった。
しかしまだやることはある。
イーストを入れていない方を薄く伸ばし、溶かしバターをたっぷり塗って、生地を畳んで渦状に丸め、上から潰して平たくなければいけない。
パン作りは面倒くさいのだ。
どうして明け1ツからパンを作ってしまったのだろう。
すこし後悔しつつも、天狐は生地を渦状に丸めて叩き潰した。
あとは生地を寝かせる。
ついでに天狐も少し眠った。
発酵の終わった朝1ツ。
ここまでくるともう焼くだけである。
しかし発酵を待っている間、天狐のモチベーションは回復したので模様をつける事にした。
もっちりと膨らんだ生地を周りに土手を作るように平たく伸ばして、フォークで模様を彫っていく。
今日は星花を彫る。
凝った店は、この模様用に針が沢山ついたスタンプを用意しているそうだが、ここはパン屋ではないのでそんなものはない。
生地の中央に沢山の星花を彫ったあとは、縁を指で捻って飾りをつけていく。
もう一つの生地も、縁を捻る。
最後にブラッククミンを振りかけて、竈で焼く。
焼いている間に塩味のスープを作る。
にんじん、じゃがいも、玉ねぎだけの簡単なものだ。余ったクミンも少し入れる。
スープが出来上がったところでパンも焼けた。
丸くて平たくて、少しスパイスの効いたプレートパンの完成だ。
ひとつはイーストを入れたから、ふわふわのもちもち。 そして飾り縁と星花が綺麗に焼き上がっている。
もう一つはバターを塗って畳んだので、サクサクパリパリ。 パンというよりはパイに近いだろう。 こちらも飾り縁が綺麗に焼けていた。
「完璧だ」
焼き上がったパンを眺めて悦に浸る。
あとはフロガが起きてくるのを待つだけだ。
二階へ行き、まだ眠っているフロガの隣に潜り込む。
早く起きて阿呆面を見せて欲しい。
そう思っているうちに、天狐は眠ってしまった。
*****
コーン……と、昼1ツを告げる鐘が遠くで聞こえる。
その瞬間、天狐は勢い良く体を起こした。
当然だが、隣にフロガはいない。
(しまった……)
一番面白いであろう、フロガがパンを見た瞬間に立ち会えなかった。
あの澄ました顔を崩して泣いて喜んだに違いない。
(絶対面白かったのに……)
大きな耳をションボリと寝かせていると、寝室のドアが開いた。
もちろんフロガである。
「おはよう天狐」
いつもの澄ました顔。
この顔を見ると余計に悔しくなった。
それにしても、ちょっと澄ましすぎではないだろうか。
もう少し動揺の色が残っていても良い筈だ。
(まさか、あれは夢だったのか……?)
割と大変だったパン作りだが、フロガの尋常じゃない落ち着きようから夢だったという線すら浮かぶ。
そんな天狐の垂れた耳がいつまでも上を向かないのを見て、フロガは首を傾げた。
「どうした? 悪い夢でも見た?」
「腹……減った……」
「だろうな。 俺もお腹空いたから、一緒に食べよう。天狐が起きるの待ってたんだ」
「……?」
フロガに手招きされて、ベッドから出る。
リビングに行ってみれば、テーブルには天狐が作ったプレートパンとスープ、それからフロガが追加で作ったであろうサラダと、レンズ豆のミニハンバーグ。
他にもヨーグルトやサワークリーム、ジャム、蜂蜜、マスカルポーネまで置かれていた。
「パンとスープ、わざわざ早起きして作ってくれたんだろ」
「目が冴えて暇だったから作っただけだ」
「俺のためにそこまで……」
「本当だ。 暇だっただけだ」
「う、嬉し……」
突然俯いたフロガが肩を震わせる。
何か勘違いしているようだが、面白いのでこのまま放置することにした。
先程まであんなに澄ました顔をしていたのは、嬉しすぎて限界を越えていたのだ。
──それにしてもこの男、最近涙腺が弱すぎるのではないだろうか。
これも加齢か。
天狐はそんな事を考えながら、震えて喜ぶフロガの肩に手を置いた。
「まあ、食ってみろ」
「ああ……!」
プレートパンは少し温める。
そうすると、イースト入りの方は外がカリカリ、中がもちふわになるのだ。
もう一つの方も、パリパリ食感が復活する。
「じゃあ、いただきます」
フロガがニコニコと微笑みながら、まずはスープを一口。
じっと見つめていると、フロガは更に頬を緩めた。
「美味しい。 パンも食べてみるね」
まずはイースト入りのものから。
10インチ程の丸いプレートパンを千切って、マスカルポーネと蜂蜜をかけ、口に入れる。
ブラッククミンのほんの少し苦くて辛い風味に、マスカルポーネのまろやかさが絡む。
パン自体が少し塩っぱいからか、蜂蜜の甘みが更に引き立てられて延々と食べてしまいそうだ。
「美味しい……」
フロガが絞り出すように呟く。
それからもう一つのプレートパンに手を伸ばした。
大きさは同じ。 しかし、千切ってみればパリッと良い音がする。
こちらにはサワークリームと、ベリーのジャムを乗せた。
バターたっぷりの濃厚なパン生地に、酸味のあるサワークリームとベリージャムはぴったりだ。
まるでチーズタルトのような風味に、フロガは大きく頷いた。
「全部美味しいよ。 ありがとう、天狐」
そう言って、フロガは顔をくしゃくしゃにして笑う。
泣いて喜んでいたのは面白かったが、こうして「美味しい」と満面の笑みで言われると、天狐はなんだかむず痒くなった。
だが、それは嫌な気分とは全く違う、何かふわふわと暖かいようなむず痒さだ。
「そうか」
こんなにフロガが喜ぶのなら、たまにはこうして何かを作ってやるのも悪くはない。
ゆっくりと尻尾を揺らしながら、天狐も釣られて微笑んだ。




